第39話 天空へり誘い

文字数 2,557文字

奇岩が立ち並ぶ爺婆の夏小屋にたどり着くまで三日を要した。
 蟻が度々行く手を阻む、熟した魔笹の実を食み、成熟している個体が多い。
 想像以上の速さで孵化成熟が進んでいる、きっと標高の低い樹海は蟻で溢れかえっているだろう。
 魔笹の実を食いつくした食欲は人間の街に向かうに違いない。

 虐殺が始まる、数兆の蟻に対抗する手段があるとは思えない。
 街には異世界人や人族兵士ばかりではなく罪のない人間もいる、避難を呼びかけたいが、現状それが出来るのはシュワルツだけだ。
 魔族のマリッサやモアが行けば殺されるだけだ、その前に皆殺しにされた恨みは消えることはない、人族がどうなろうと知ったことではなかった。
 
 爺婆とムトゥスは無事に夏小屋で待っていた、ムトゥスの繭化は更に進み、もはやカチカチ状態だ。
 「帰って来たてぇ、思うたら、たいぎゃあ人数が増えったばい」
 五人になって帰ってきたアラタたちを見て婆は食事の算段に忙しい。
 
 この時期本来なら爺は川魚を釣るのに忙しい時期だが、森には蟻が多すぎて漁どころではなかった。
 「こいだばぁ、今年の冬を越す食料がそろわんなぁ」
爺は朝から飲んでいるのか顔が赤い。
 魔物の恐怖と仲間を失った痛みが、下界と隔絶して暮らす爺婆を見ていると少し和らぐ。
 貧富も階級の差別もない自給自足の暮らしには人間本来の生き方を見ているような気がする。
 
 「シンさんが言うとった武器はぁ見づかったかぁ」
 「ああ、見つけた」
 アラタは二丁のブレスガンを夏小屋のテーブルの上に置いた。
 「おお、これじゃ、これじゃ、シンさんが使うておられた武器じゃ」
 爺はブレスガンを覗き込んだが手に取ろうとはしなかった、その威力を知っているのだろう、カートリッジ弾倉は抜いてある。
 「もう、使っだがぇ」
 「これがなかったら帰ってこれなかった」
 「冥界の魔物が出たのか!?
 「ああ、魔族の仲間が一人食われた、何なんだろうな、あれは」
 「分がらねぇけんど、おっかね怪物だ、一匹二匹のうちはいいけんど群れて現れるようになったんでシンさんは自分を犠牲にしただ」
 「あんなやつが群れになったら俺でもそうするかも知れん、日本人が特殊だと言ったことは撤回だ」
 「死さ急げばまいね、おめが二人ば守るびょんなんね」
 「イーヴァンとの約束だ、マリッサとムトゥスは必ず守るさ」

 イーヴァンとムトゥスを守り自爆を選んだシンを少し羨ましくも思った、転生前の回天による自爆攻撃は意味のないものだ、国の都合で闘いたくもない相手を殺すために自爆する、その意義を見出すことは難しいこじつけだ。
 だが、今この異世界で守るべき者のために命を使うのは意味のある死だ。
 
 妻アンナを爆撃から救えなかった罪は地獄に行こうと許されはしない、それは逃避だ。
 贖罪は今成さなければならない。
 精一杯では足りない、やり遂げなければ贖罪とはならない。

 マリッサとムトゥスの幸せのために自分の命を使えたなら本望だ、繭化したムトゥスを抱くマリッサを見つめてアラタは決意を強くした。

 シュワルツとモア、チッチはムトゥスを始めて会うことになったが、繭化してしまったムトゥスは人とも生物とも分からない。
 「これが・・・いや失礼、ムトゥス様なのですねぇ、なんとも理解しがたい、魔族の中にはこのような変体を伴う成長もあるものなのですか」
 シュワルツが興味深そうにマリッサの腕の中を覗く。
 「いいえ、ムトゥス様は迷宮が生んだ神の子、魔族や人族の理では測れません」
 ガンガラシバナの巨岩壁を越えて、冥界神殿から蟻群との死闘を乗り越え夏小屋までたどり着いた魔族マリッサは強く成長した。
 その強さはアラタという精神的な支えを得たからに他ならない、それでもいい、時が強さを本物にする。
 「以前に繭化した時は一週間ほどで孵化したらしいのですが、まだその兆候はありません」
 「俺達はイーヴァン様に抱かれている赤ん坊でしか知らなかった、本当に神がかっているのだな」
 モアとチッチは手を合わせて拝みだしそうだ。
 
 夏小屋に戻った五人全員が訳もなく焦燥感に襲われていた、時間がない、何かが間に合わないと感じる。
 急がなければならない。
 しかし、何が間に合わないのか、何を急がなければならないのか具体的に説明できる者はいない。

 アラタは焦燥感と同時にサガル神山の天空に惹き付けられていた、無性に気になるのだ。
 「俺を呼んでいるのか・・・」
 「アラタ、気になるの?」
 「そうなんだ、呼ばれているような気がしてならないんだ」
 「私もなの、ムトゥス様を抱いた時から一層強く感じる、天空の神殿に行けと」
 「同じだ、何かを成さなければならない」

 二人同様にモアとチッチもサガル神山の頂を仰ぎ見ていた。
 「チッチ、御前はここに残れ」
 「モア隊長、自分も最後まで一緒に連れて行ってください、お願いします!」
 「魔族の血を絶やすな、若いお前にしか出来ない事だ」
 「でも、死んでいった仲間たちに顔向けできません、特にシロ爺は自分の身代わりになったも同然です」
 「生きる選択の方が辛いものだ、しかし逃げるわけにはいかないんだ」
 「モア隊長はどうするのですか」
 「俺はシュワルツさんと行く!」
 「!?
 傍で聞いていたシュワルツが目を見開いた。
 「いけません!モアさん、私は一度街へ降りて、逼迫した蟻群襲撃の可能性について警告をしに行かなければなりません、魔族であるあなたが街で発見されれば殺されてしまいます」
 「街まではいけないが、樹海を出て蟻群の脅威がなくなるまで用心棒がわりにはなるぜ」
 「しかし・・・」
 シュワルツが心配しているのは銃を装備したモアが玉砕覚悟で人族に銃口を向ける事だ。
 「大丈夫だ、シュワルツさん、約束する、復讐など考えてはいないよ」
 「これはあなたに対する恩返しだ、あそこで助けてもらえなければ全員死んでいる」
 「大変心強いお話ですがモアさん、あなたの役割はムトゥスさんを守ることではありませんか」
 「ブレスガンを持ったあの二人がムトゥス様の聖騎士だ、巨大ミミズ相手に俺が行っても足手まといになる、蟻群の驚異は人族だからといって女子供まで犠牲になるのは見過ごせない」
 モアの目には妬みも嫉みもない決意に満ちていた。
 

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