第6話   イーヴァン

文字数 2,432文字

 マリッサの頬を悔し涙が伝う。
 ユルゲンが放った最後の一撃は、魔王イーヴァンの脇腹を貫通していた。
 なぜ、自分ではなく魔王様に当たってしまったのだ。
 しかし、感傷に浸る暇はない、この場に止まる訳にはいかなかった。
 ムトゥスを背負い、イーヴァンに肩を貸して、藻掻くように歩く。
 (どこかで馬を用意しなければ、弱音一つ吐かないが魔王様の腹部からの出血は止まらない、限界だ)
 追っ手がきているかは分からない。

 (あの人間の男はどうしただろう、なぜ私たちを逃がしたのか、何かの罠か?誰でもいい、今助けがほしい、魔王様とムトゥス様を悪魔から守りたい、どんな報酬でも払おう、魔族の仲間は一人も残っていないのか)
 
 マリッサの目の前には絶望的な光景が広がっている。
 サガル神山に向かう道は険しい岩の道、滑落すれば命はない。
 今のイーヴァン様に越えることは不可能だ、目的地を変えるしかない。
 マリッサは潜伏先を探して身を隠すことを決断した。

 魔城からさほど離れていない場所に魔獣の牧場があった、畜舎の管理小屋まで魔王を引き摺るようにしてなんとかたどり着いたが、マリッサも疲労困憊状態、やはりサガル神殿に辿り着くことはできそうにない。

 ハアハアと息を切らしながら小屋のドアを開ける、住んでいた夫婦を知っていたが既に殺されているのも承知していた。
 小屋の中には薄らと埃が積もり、人気はない。
 多数飼われていた魔獣たちも逃げ出してしまったのだろう、見当たらない、馬型のものが残っていればと期待していたが魔の神は手を貸してはくれない。
 大きな棚に魔神の像が奉ってある、磨かれた後が信仰を物語る、魔国民は大体がそうだろう、今まで多くの信仰を集めてきた結果がこれか、信仰するものを助けることもせずに、今その象徴ともいえる魔王様まで見捨てるのか。
 苛立ちに任せてテーブルのコップを投げつけるを思いとどまる。
 ギリギリと奥歯を噛んで魔神像を睨んだ。

 固いベンチに毛布を敷いて、ベット代わりにイーヴァンとムトゥスを寝かせる。
 「マリッサ、ありがとう」
 「いいえ、こんな固いベッドで申し訳ありません」
 イーヴァンの声は弱々しい、顔色も白い。
 「気をしっかりお持ちください、必ず助けます、天空の迷宮まで必ずお連れいたします」
 イーヴァンは薄く微笑んだが声は返せない。

腹部からの出血が長いスカートを伝い地面にまで達している、どれほどの血液を失ったのか、自分に当たっていれば、これほど辛い思いはしなかっただろう。
 気を緩めると泣き出してしまいそうになる。
 バタタタタッ 遠くに銃声だろうか、機械音が聞こえる。

 窓から見える林の向こうに魔城の先端が見えた、美しく楽しい思い出だけが蘇る、もう還らない日々が懐かしく悲しい。

 「窓からは離れていろ」
 「!!
 突然背後から男の声がした、心臓が止まるほど驚いた。
 振り返ると墓所にいた異世界人の兵士、魔法の杖は持っていない。
 「お前・・・」
 男はマリッサにかまわず窓のカーテンを閉める。
 寝ているイーヴァンに目をやると
 「撃たれたのか!!
 マリッサは俯いたまま頷いた。
 「ちっ」
 舌打ちするが早く、男は腰からナイフを抜くとイーヴァンの服を切り始める。
 「貴様、何をするか」
 「馬鹿野郎!放っておいたら死んじまうぞ、止血するんだ」
 銃創を見た男は顔を歪めた、マリッサはその表情から深刻な状態にあることを再認識させられた。
 「清潔な布はないか探してくれ」
 男は自分のバックから瓶を出して傷口に流した、僅かにイーヴァンの顔が歪む。
 「早くしろ!」
 「わ、分かった」
 怒鳴られて目が覚めたように部屋の中を漁る。
 「これっ、これでどうだ!」
 「よし、いいだろう」
 「弾は抜けているな、出血が止まればいいが・・・」
 傷口に当てると圧迫するように、細いウェストに巻いていく。
 「どうだっ、助かるよな、なあ!大丈夫だ言ってくれ・・・頼む」
 マリッサは跪いて頭を床に付けた。
 「・・・」
 男は無言でマリッサの肩を抱くとイーヴァンの手を握らせる。
 「子供は無事だな、よく寝る子だ」
 イーヴァンの横には何も知らずに寝ているムトゥスがいた。
 耐えていた涙の堤防が決壊して大粒の涙が零れ落ちる。
 男はマリッサに並んで床に腰を降ろした。
 「お前、よくやったな」
 「・・・」
 「目標を潜伏に変えたのはいい判断だ」
 「追撃隊は出ているだろうが、街を中心に探しているようだ、ここまで来るには少し時間があると思う」
 「なぜだ、異世界人のお前が、なぜ我々を助けるのだ」
 「俺には帰るところも、待っている人もいない、最後に一つくらい正しい事をしたい」
 「正しい事?なら今までは間違っていたと・・・」
 「そうだ、どんな理由をつけても、子供を殺してしまうような戦いに正義などあるはずはない」
 「なら、なぜまだ虐殺を続けているんだ!異世界人は悪魔なのか!?
 「言い訳はしない、俺を殺して気が晴れるならやってくれてかまわん」
 「くっ、さっきもそんなことを言っていたな」

 「私の・・・夫、ムトゥスの父親は・・・異世界人でした」
 ようやく絞り出した小さな声が、色を失った唇から届けられた。
 「イーヴァン様、傷にさわります」
 「マリッサ、あなたにも聞いてほしいのです、そして異界の勇者殿、私の話を聞いてくださいませんか」
 「俺はアラタだ、聞こう」
 「アラタ・・・どこか響きが似ています、私の夫の名はホシジロ・シン、十年前に異世界から一人で転移してきた人でした」
 「ホシジロ・シン?ひょっとして日本人か?」
 「知っているのですか、ニホン、そう故郷のことを呼んでいました」
 「ああ、俺と同じ世界にあった国だ、俺の母は日本人だった」
 「なんという巡り合わせでしょうか・・・合わせてあげたかった」
 イーヴァンの目から涙が頬を伝う。
 「無事なのか」

 「いいえ、彼はもういません、私たちを守るために戦い命を落としました」
 
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