久しぶりに涙が枯れるほど泣いた
文字数 883文字
この前、敬老の日の贈り物を送った。
私のおじいちゃんおばあちゃんは今は3人で、全員90代だ。
90代の方って何をもらったら嬉しいんだろう、もう物じゃない気がすると思いつつそれぞれが使いそうな物を選んだ。
そしたら昨日、おばあちゃんからお返しに子どもたちのハロウィン仕様のお菓子が届いたので電話した。
おばあちゃんが急に、おばあちゃんは私と弟と小さい頃一緒に過ごしたことが人生で1番幸せだったよ、二人がいなかったら暗い人生だったよと何度も言うので私は涙がだーっと流れた。
一昨年の敬老の日、私が、子どもの頃の幸せの記憶はおばあちゃんが作ってくれたものだということを手紙に書いたので、2年越しでその返事が来たんだと思った。
今年は贈り物と一緒に手紙を書いて入れたんだけれど、入れた後、ふと一言付け足さなきゃならない気がしてもう一言書いた。
「今年も元気でいてくれてありがとう」と。
おばあちゃんが「そんなこと言ってくれる人、すいちゃんしかいないよ。本当に嬉しかったよ」と言うので、私は「弟も思ってるよ」と答えた。
私はおばあちゃんが泣くのを見たことがないけれど、電話口で泣いてるのがわかったから、電話をきったとたんに号泣した。
涙ボロボロ流しながら油淋鶏を作った。
ツー(2番目の子ども)は黙ってティッシュを持ってきてくれて、イチ(1番目の子ども)が「何が悲しいの」と言うので話したらイチも泣いてた。
イチは私が泣いたら泣くし、泣くポイントが同じだった、そういえば…と思ってお笑い番組を入れた。
あと何回会えるかわからないから伝えたいことは伝えられるうちに言うようにしていたけれど、あと何回会えるかって、誰に対しても同じだなーと今思った。
もう迷惑かけたくないからあまり長生きしたくないんだけどね、と言うその言葉はたぶん本音で、私も90代になれたら言うだろうな。
私、おばあちゃんより早く死んではいけない、この人を泣かせてはいけないと電話をきって強く思った。
とにかく泣いた。
油淋鶏食べながらも泣いた。
かなり枯れた。
その後で見たからか、課題文学賞の結果見て『無』になった、感情の起伏の激しい1日だった。
私のおじいちゃんおばあちゃんは今は3人で、全員90代だ。
90代の方って何をもらったら嬉しいんだろう、もう物じゃない気がすると思いつつそれぞれが使いそうな物を選んだ。
そしたら昨日、おばあちゃんからお返しに子どもたちのハロウィン仕様のお菓子が届いたので電話した。
おばあちゃんが急に、おばあちゃんは私と弟と小さい頃一緒に過ごしたことが人生で1番幸せだったよ、二人がいなかったら暗い人生だったよと何度も言うので私は涙がだーっと流れた。
一昨年の敬老の日、私が、子どもの頃の幸せの記憶はおばあちゃんが作ってくれたものだということを手紙に書いたので、2年越しでその返事が来たんだと思った。
今年は贈り物と一緒に手紙を書いて入れたんだけれど、入れた後、ふと一言付け足さなきゃならない気がしてもう一言書いた。
「今年も元気でいてくれてありがとう」と。
おばあちゃんが「そんなこと言ってくれる人、すいちゃんしかいないよ。本当に嬉しかったよ」と言うので、私は「弟も思ってるよ」と答えた。
私はおばあちゃんが泣くのを見たことがないけれど、電話口で泣いてるのがわかったから、電話をきったとたんに号泣した。
涙ボロボロ流しながら油淋鶏を作った。
ツー(2番目の子ども)は黙ってティッシュを持ってきてくれて、イチ(1番目の子ども)が「何が悲しいの」と言うので話したらイチも泣いてた。
イチは私が泣いたら泣くし、泣くポイントが同じだった、そういえば…と思ってお笑い番組を入れた。
あと何回会えるかわからないから伝えたいことは伝えられるうちに言うようにしていたけれど、あと何回会えるかって、誰に対しても同じだなーと今思った。
もう迷惑かけたくないからあまり長生きしたくないんだけどね、と言うその言葉はたぶん本音で、私も90代になれたら言うだろうな。
私、おばあちゃんより早く死んではいけない、この人を泣かせてはいけないと電話をきって強く思った。
とにかく泣いた。
油淋鶏食べながらも泣いた。
かなり枯れた。
その後で見たからか、課題文学賞の結果見て『無』になった、感情の起伏の激しい1日だった。