がんばるって、こういうことだったんだー

文字数 2,701文字

二番目の子ども、ツーの保育園最後の発表会があった。

歌、楽器、ダンス、劇、英語と見るものは盛りだくさんで、練習は楽しそうに張り切ってやっていた。

それが前日になり、喉の調子が悪くなり、急に声が出なくなってしまった。
保育園でも1日がらがら声で過ごし、先生から明日はがらがら声でもマイクがあるから来てと言われてとりあえず参加はできるということで安心。
しかし、家ではささやき声しか出なくなり、これは大変だと、うがい薬でうがいして、のど飴なめさせ、こまめに水分をとらせ、生姜湯を飲ませ、湿度を保ち、どうにか明日には小さな声でも出るように祈った。

が、昨日より出ない。

このまま行っても自分1人のセリフは言えないし、休む?とツーに聞くと、行きたいと言う。

何回聞いても行きたいと言うので行くということは決めたものの、声が本当に出ない。
だんだん出るようになるかも…と微かな希望を持ち、先生もマイクあると言ってたし、と会場へ。

そして本番。
ツーは挨拶のトップバッターだった。
先生がマイクを向けても、声が出ない。
出そうとしてささやいてるけど、マイクが拾わない。
無理やり声を出そうとしてちょっと咳き込む。
結局先生がほとんど言って次の子へと移った。
その時、ツーが手で涙を拭った。
泣きそうな顔で、泣いてることを悟られないように、他の子の挨拶で拍手をしている。
私はもうその姿で胸がいっぱいになって泣きそうだった。
もう激しく連れて帰りたくなった。
今まででツーが発表の時にちゃんとできなかったことは1度もない。
それが最後の年に。
本当はできるのにできなかった悔しさが伝わって、この先歌や劇があってその度にこうなるのかと、これ以上傷ついた姿を私は見たくなかった。
まず、次の演目にさえ心が折れて出ないんじゃないかと思った。

そして全員の歌。
手話をしながらの歌だったので口パクと手話で乗り切るツー。
合奏で、ずっと練習してた鍵盤もできた。

そして英語。
英語の先生にツーが声が出ないことが伝わっているのかいないのかわからないまま、1人ずつ英語で話すところでまた挨拶と同じ現象。言えないまま、次の子へ。
隣の子がツーを励ますように背中をさすってくれた。
ツーが泣きそうで私の心も苦しい。
しかも、二順目が来た。
あぁまた来た…と思ったとき、ツーは振り絞った声でかろうじて話した。
頑張ってる…と私はまた泣きそうになった。

そしてダンス。
声が出ないだけなのでダンスは完璧にこなした。

けれどその間も私はずっとモヤモヤしていた。
もう傷ついてほしくない、
連れて帰りたい、
昨日の時点でまだできることがあったんじゃないか、
いや、今日は休ませるべきだったのかもしれない、と。
とにかく苦しくて泣きそうだった。

涙が出そうなので冷静にならなきゃと考えを変えた。

じゃあ、休んでれば私はモヤモヤしなかったのか?

いや、しただろうな。
できたのに、と思っただろうな。

休んだ方が良かったかもと思ってるのは、私だけど、ツーは違うかもしれない。

ツーはこの発表会に出たかった。
声が出ないこと、自分でわかっていても出たかった。
苦手なうがい薬も生姜湯も嫌がらなかったのは出たかったからだ。
ツーにとっては休むよりも、この状態でも出ることが彼の望みだった。

だから、この状態でも出て良かったのだ、これで良かったのだ、と、ツーに聞いてもいないのに思い込もうとした。

そんな気持ちで劇を見た。
もはや心配一色で何も楽しめない。
早く終わってツーに声をかけたいとばかり思ってしまう。

そしてツーのセリフ。
また同じように、話そうとしても出ない。
練習してきた長いセリフも先生に読み上げられていく。
心がポキポキ折れていく。
そして衣装を着替えて別の役で出て来たツー。
最後の最後のセリフで、ツーはがらがら声で一言言った。
たった一言だったけど、最後まで腐らず頑張りきった。


やっと会えたツーに私は「本当によくがんばったね、ツーがいっちばん頑張ってた、頑張ってたからママ、すっごく嬉しかったよ、声出なくて苦しかったね、だけど最後までちゃんとやったね、ダンスも鍵盤も上手だったね、最後のセリフちゃんと聞こえたよ、こんなに頑張る子がママの子どもで本当に嬉しい、ツーのママになれて本当に嬉しい」と、声の出ないツーに向かって言いまくった。

そしてツーに「ツーはさ、今日、休まなくて良かったと思う?休むより、声が出なくても発表会に出て良かったと思ってる?」と聞くと、ツーはうなずいた。

家に着いてからも私の興奮はおさまらず、もう一度同じようなことを言って心ゆくまでツーを抱きしめ、「ツーが泣いてると思ってママも泣きそうだった。だけど、最後までちゃんと出てきただけでもすごく偉かった。これからまた卒園式とかあるし、学校に行ってもいろんなことあるけど今日みたいに頑張ってね」と言いながらポロポロと泣き、最終的に「生まれてきてくれてありがとう」とまで言った。

この日のことを彼はいつまで覚えているだろうか、覚えていてほしい。

私は嫌なことからは逃げればいいと思って生きてきたし、今も逃げていいと思っている。子どもたちにもそう言う。自分がそうだから。

けど不思議なことに私の子どもたちは逃げない。
イチは小1の頃「嫌なことしてくる人に遊ぼうって言われた」と言って、断ってもいいんだよ、嫌だったら無理に遊ばなくていいんだよと言った私に、迷った末「これは仲良くなるチャンスだから」と言って遊びに行った。そんなことが何度もあった。

そしてツーもまた、逃げない道を選んでいる。


そんな抱き合いながら泣いてる私とツーをダンナとイチ(一番目の子ども)は遠巻きに見ている。

「イチもさ、見たら絶対泣くよ、ママこんなに感動したの初めて!」
と言って「私もあなたの子どもなんだけど」という視線を感じた私はあわてて「イチも頑張ってたけどさ、イチとはまた違うんだよ!イチはさ、毎回完璧だったから!イチはもうこっちの予想を越えて完璧だったから毎回もうただ安心して楽しんでたよ!」と付け加えた。

『頑張る』ってこういうことを言うんだな…と、私は生まれて初めて思った。

子どもに成長させられる、ってよく聞くけど、そんなことないと思ってた。忍耐力がついたくらいだ、と。
生んだくらいで私自身が成長したとは思えなかった。
けど、逃げ続ける自分に生まれてきた逃げない子どもたちを見て、私は確実に人間として成長している、と感じた。

そして私は溺愛するツーにいつもは買ってあげない雑誌とか食べたいものを買いまくった。正しいとか正しくないとかどうでもいい、ご褒美という名目で、私がもうあげたかったからあげた。

私、まだまだ伸びしろあるなー。

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