最近のこと〜感情のアップダウン〜(何のオチもなく、ダラダラ書いてます)

文字数 2,595文字

最高の誕生日を終えた数日後、おじいちゃんが亡くなった。

93歳、尊敬できる人だった。
小さい頃のおじいちゃんは多忙で、遊びに行っても一瞬会えるか会えないかで、遊んでもらった記憶がない。
大人になってからの方が会話したし、父よりおじいちゃんの方を私は尊敬していて、結婚式の挨拶もおじいちゃんに頼んだ。
いつ会ってもきちんとしていて、家の中でもスーツのジャケットを着て出迎えてくれて、最後に会った時は「ラジオ体操できるようになることが目標だ」と言っていて、とにかく常に前を向いて、目標を持っている人だった。だから元気になりたかっただろうなぁと思うと無念。

もう1人のおじいちゃんは70代で亡くなった。
こっちのおじいちゃんも多忙ではあったけれど、文章も書く人だったので、小さい頃は私に自作の物語を聞かせてくれたり日記を見せてくれたり、遊園地で一緒にジェットコースターに乗ったり、初孫だったので小さな頃からものすごく可愛がってもらった。
このおじいちゃんからは私は思い出せば心の拠り所になるような言葉をたくさんかけてもらったし、手紙もたくさんもらった。
私はまだ20代で、駆けつけた時には間に合わず、もうただただ悲しんで泣き続けた。

あの時と比べると、悲しみだけに集中できたのも若さだったのかもなぁと思う。
今回は悲しかったけれど、それだけを考えていられなかった。
まずお葬式に出るのがそのおじいちゃんの時以来で、マナーとしてこれで大丈夫なのか?ということが多々あった。
これから何回こんな別れをしなきゃならないんだろう、とも思ったし、お葬式に出るのが初めての子どもたちに自分もうろ覚えのマナーをどう教えればいいんだろうとか、邪念がかなり入り、私たち一家で参加してどこへ身を置けばいいのだろうとか、久しぶりに会う父とどう接すればいいかとか、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

それでも、前の時より自分の気持ちを保っていられたのは、おじいちゃんが生きているうちに感謝を伝えられたことが大きかった気がする。

前のおじいちゃんの時に後悔したのは生きてる間に感謝を伝えられなかったこと。
それから、30代で同級生が亡くなった時にも会える時に会わなかったことを後悔した。その時は、今生きている友達とは会おうと思えば会えるんだ、まだ遅くないという気持ちで同窓会を持ちかけて、もう会えないと思っていた人たちとの再会を実現したり、小学生の頃の先生を探して電話したりした。
私は人と集まるのがものすごく苦手なんだけれど、稀に、急に無鉄砲な感じのパワーが出ることがあり、その時もそれだった。

話が逸れてる。

だから、それからはとにかく私は思ったことを後悔なく言葉にしようと思い続けてきた。

けれど、「思い」と時間や距離の問題で「できるかできないか」というのは別で、最後に会ったのがだいぶ前だったということだけは少し心残りだった。


おじいちゃんのお葬式の次の日がなんとサーカスに行く日だった。

かなりぐったりとしながら行ったので、サーカス中に何度か意識が飛んで眠ってしまった。

お葬式からのサーカスは心のアップダウンがものすごくて体か心かわからないけどなんかついてけてないなーと思った。

サーカスを見た結果、私はやっぱり動物がどうこうよりも「この人たちは人間の限界を超えたことに挑戦している」といところに興味を引かれた。
そして、この人たちはこれだけ体を張れるのはメンタルがとんでもなく強くて集中力がすごいのはもちろん、ものすごくマジメなんだろうなと感じた。じゃないとちょっと何かがズレただけでケガするし、自分だけでなく人の命さえ危険にさらしてしまう。だから真剣。笑顔を絶やさないけれど真剣だ。真剣な人を見るのが私はすごく好きだ。そういう意味で素晴らしいものを見たなーと思った。

あと、客席からランダムに連れてかれる人たちの恥ずかし気な顔も良かった。あの人たちの心境を想像するのも面白かった。
最後にゾウとの写真も撮った。


それからも私の中の何かが、何となく命に限りがあることを感じているようで、とても疲れているのにいつになく次々と予定を入れている。

私は仕事中や家にいる時はメガネをかけているのだけれど、基本的にかけるのが煩わしいしかけている時の自分が嫌なので、外ではかけていない。最近の暑さのせいでさらに嫌になってしまった。
コンタクト…と思うけれど、過去にコンタクト時代が2度あり、2度めには
眼科で「やめなさい」と言われたので諦めていた。でも最近本当に人の顔が見えなかったり、何か見たかったらメガネを持ってくのが嫌になってきた。

もうあれから10年以上経ってるんだから、いい加減私にできるコンタクトに進化してるんじゃないか?とずっとモヤモヤと思っていた。
そして先週急に「コンタクト買おう!」と思い立ち、仕事終わりに病院に電話して「4時半までに入ってもらえれば…」と言われ、その時点で4時15分だったので自転車でダッシュして突然コンタクトを買ってきた。
こんな簡単なことが、なぜ今までできなかったんだろう、世界がクリアになった!と心が軽くなった。

行く前に1番目の子ども、イチに「ちょっとコンタクト買いに行きたいんだけど」と言うと「行きなー」と言われた。
最近、私はイチに「◯◯したいんだけど」「行きたいんだけど」と言ったら「やりなー」とか「行きなー」と言われるとやれる!、と気づいた。

イチが生まれてから私は自由に行動することをずっとガマンしてきて、イチが大きくなって自由になりかけた時にツーが生まれたため、また自由を制限してきたんだ、だけどもう行っていいんだ、とハッとした。
母になった人はだいたいみんなそうだろうと思うけれど、私は帰れる実家もないし、助けてくれる人もいないので、自分が倒れたら終わりだ、と、倒れないように必死だったんだなーと思った。

そしてその2日後、お墓参りした後で、行けない行けないと思ってた美容室にも急に行った。

やっぱり喪失感を埋めようとして詰め込んでいる気も自分でするけれど、やりたいと思ったことをして後悔なく生きなければ…という気持ちに突き動かされてる気もする。

だからやっぱり、何としてもお香のイベントには行こうと思う。
私の人生にそうそう起こることではない、やらなきゃ後悔する、というのが私を動かす原動力になっている。


それにしても暑い。
沸騰の時代らしいですね。
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