私は、生かされているんだー

文字数 1,344文字

舞台ウラでも書いたけれど、コロナになった。

日に日に悪くなり、目を開けることとどうにか水を飲むことしかできない日々が続き、私は家事も育児も夫に丸投げしていた。

気力でどうにかなるレベルではなく、動けないので仕方ないにしても、夫も陽性なのに申し訳ないと、眠っていない時には思っていた。

それでも食べれるようになると、夫が「パン作ってあげようか?」と言うので作ってもらい、それしか食べたくない日々が続いたので、休んでいる毎朝、それしか食べれないなーと「食べたい」と呟いた。
甘えまくっていたのだ。

普通の人なら「ふざけんじゃねー!」と言うようなこともこの人はやってくれる。
一応文句は言うけど、こっちが聞いて不快になるような言い方は絶対しなくて、聞いてて「その通り、私はひどいことをしてるよねー」と思って笑える言い方をする。

そして私は「この人がいなかったら間違いなく死んでる」と思った。
夫も「オレがいて良かったでしょ」と恩着せがましくない感じで何度も言うので、「良かった」と私も何度も言った。

ものすごく感謝を伝えたいけど恥ずかしいので「オットセイ(←今考えた夫の仮名)は神様が私を生かすためにくれた天からのプレゼントだー!」と言った。

ふざけたけど、本当にそうなんだよなーと思う。

よくよく考えてみれば普段元気なら私が毎日やってることなんだ、ということは置いといて…。


そして仕事に復帰すると、ロッカーの中にお菓子がいっぱい「早く会いたい」というメッセージとともに入っていて、うわぁー!と嬉しい気持ちでいっぱいになった。
こっちがあげなきゃいけない立場のはずで、これを私が受けとるときには会える日のはずなのに仕事仲間がわざわざ書いてくれたんだーと心に沁みた。

そしてその後別の日に、今度はのど飴がこっそり入れられていた。
みんなに「声が…」と言われていたので、一体誰が入れてくれたのかわからず、「優しい人を探しています」とプラカードを持って探したい気持ちだった。

どうしてもお礼が言いたい。

お土産とか、みんなに入っていそうな場合は誰かに聞けば「ああ、あの人のお土産だよ」とわかるけれど、これは明らかに私に向けられた善意だ。

なので、「のど飴入れてくれた?」と違う人に聞いてしまった場合、ちょっと気まずい。
私の職場はわりとそういうことをしてくれる人がたくさんいて、誰なのか見当がつかない。

私はものすごく考えてから「この人じゃないか」と何となく思った人に聞いてみると、一発で当たり、お互い「当たった!すごい!」と言った。

その相手は20歳ほど年下で、特別仲良くしてるというわけではない。
私はその善意を与えてもらえる側として認識されたことをとても嬉しくて幸せなことだなぁと思ったけれど、今回は、私もそういうことをこっそりとできる人になれたらいいな…と思った。

優しさというのはこうやって循環するんだろうな、と、器の小さい私はこの年になって学んだ。

人は1人では生きていけないというけれど、まあ、健康でさえあればとりあえず生きてはいけると思う。
けれど、優しさは生きてく上でやっぱり必要なものなんだなぁと感じた。
うまく言えないけど、人はそういう、目に見えないものにも生かされている。

人はというか、私はそういうものに生かされているんだー。
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