1-15:揺るがぬ想い
文字数 3,358文字
床に降ろすと崩れるように座り込み、自分で動こうとしない。ようやく立ち上がっても項垂れてだんまりのまま。
それだけではない。ユケイは何故か、黒い刃物が出せなくなってしまったのだ。
ヒエイ博士はユケイが体調不良ではないと分かると頭を悩ませた。
なにが原因かを探っていたら一日が終わってしまうのだった。ユケイは次の日も同じ状態だったので、博士は苛立って研究室を出て行ってしまった。助手達は肩をすくめ、顔を見合せている。
ユケイの様子が落ち着くまで、研究は中断されることになった。
リオは極力サポートしたが、ユケイの無気力状態は日に日に悪化する一方だった。食事を口に運んでやり、寝かしつけまでしていたが、指をしゃぶりだす有様にとうとう異常を認めざるを得ない。竜医師から抗鬱薬が処方されたが、改善される様子もない。
夜になり、部屋が消灯してもリオは寝る気になれなかった。
ぐったりしているユケイを起こし、顔をつき合わせる。
「頼むよユケイ、気をしっかりもってくれ。キミが頼りなんだから」
「シバはまだ……? もう近くまで来てる……?」
「またそのシバって人のこと考えてる」
「……あの時オレがすぐに戻らなかったから、シバは怒ってるのぉ? ごめんよぅ……次はちゃんとするから……おさらばはやだぁぁ~~」
赤い瞳は暗く濁って、リオにはユケイが壊れかけているように見えた。
ユケイを蝕むそのシバとやら。恩人である以前に、これ程まで依存している理由を疑う。たとえ脱出できたとしても、ユケイをシバのもとへ返すのは如何なものか。
このままでは自身と同じ結末を辿る気がして、リオは黙っていられなかった。
「んー……なんだかキミとオレは境遇が似てそうだな。ラダリェオってシミカの話をしたの覚えてる? ここに捕まったせいでもう暫く会えてないけど、オレもそーやって大事に思ってたさ」
「……そうなんだぁ。じゃあ早く会いたいねぇ」
「いや、もう関わる気はない。……関わらない方がいいと思ってる」
「……なんで? 大事なのに?」
リオはユケイの隣に座り、諭すように語った。
「そう、大事だからこそだ。いつからだったかな、ラダリェオさんは変わっちゃってね。優しかったのが乱暴に……残酷になったんだ」
ユケイはぬいぐるみを引き寄せて、「それで?」と小さく呟いた。
「その時は何故だか分からなかったけど、変わらず支えていきたいと思ったんだ。孤独なシミカだったからね……オレがいてあげないとって。考えは何でも肯定したし、どんな望みも実現したんだ。汚い事も結構やった。それなのに、最終的には……殺されかけた。あの時は理解できなかったなぁ。
自分には何が足りなかったのか、何が駄目だったのかずっと考えていたんだ。不本意にもこの場所で過ごしているうちに頭が冷えて、やっと気づいたことがある。……大事すぎて、オレはそのシミカに狂ってたんだ」
「……どーゆーこと?」
語りながら、リオの瞳は過去を眺める。
「んー……情けない話だけど、オレは親に捨てられたのが凄くショックでさ。そんな時に現れて親代わりになってくれたラダリェオさんの存在は、オレにとって全てだったんだ。
一人立ちすることを拒んで、どうすればずっと傍にいてもいいのか考えてた。そこでラダリェオさんが置かれている境遇が厳しいものだと知ったんだよ。……助けたいって思ったんだ、本当に。大事なシミカだったから。
でもやってきた事は全然相手の為にならなくて、オレは必死になり過ぎておかしくなってたんだ。いつの間にか求められることを求める様になって、そんなオレがラダリェオさんを救えるわけがなかった。ふたりで破滅して、結局なにも解決しなかった。今でもオレさえ関わらなければ結果は違ったのかなぁって思うんだ。
……ユケイ、キミにも思い当たるところがあるんじゃないか? キミにはキミの問題がある中で、そのシバって恩人を大事に思って今まで頑張ってきたんだよね。
でもキミがしてきた事で、少しでもその人の状況は良くなったのかい? 嫌なことを我慢してまで得られたものは何だ? キミはきっと、よくやったよ。これ以上は自分の無力を認めて引き下がるのも、大事のうちだと思うんだ」
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ユケイの瞳から涙があふれた。
言い過ぎたと思い、リオは口調を和らげる。
「あー……まぁなんだ。この機会に冷静になって考えてみたらどう? 脱出はするとして、元居た場所へ戻るべきかどうか。キミ自身の為にもさ」
しかしユケイは間髪入れずに。
「考えるまでもないよっ! シバはオレに戻れって言ったんだ! だからオレはシバのところに戻る! だってだって、オレはシバが大事なんだから!!」
その真っ直ぐな勢いに、リオは気圧されてしまった。
記憶がないユケイは主人に依存するよう洗脳されているのだと思っていた。
しかし根底にあるのは『強い絆』なのかもしれない。
「大事なシバを取り戻したいのに……ずっとわかんないんだ……。オレ、どうしたらいいんだろう……」
リオは、逃げることで終わりにした自分が情けなく感じてしまった。
「んー……じゃあ僭越ながら、後悔したオレからアドバイス。その人は変わってしまう程、何かとの戦いに苦しんでいるのかもしれない。キミは武器になってあげるべきじゃない。戦うことを手伝ったら駄目なんだ。戦うのを止める手伝いをしないと。
その苦しみを理解して寄り添うこと。
それが一番の救いになるんじゃないかな。
キミに出来ることは多分少ない。全ては本人次第なんだから。重要なのは味方になることじゃない。敵にならないことだったんだ……。あぁ~……そうすれば良かったのかなぁ~って……」
成し遂げられなかった想いを吐き、リオは虚しく笑ってみせた。
先の見えない暗闇のなかで一つの灯りを見つけたように、ユケイははっと顔をあげた。
海を見詰める物憂げな横顔。気にするなと言った時の渇いた笑み。なにも見せない寂しい背中。そのラダリェオのように、シバも変わってしまう程なにかに苦しんでいるに違いない。
かつての温もりを追いかけ、いつしか気に入られることが全てになって、何でも言うことを聞いてきたが、それは相手を置き去りにして自分を満たしているに過ぎなかった。
このままでは誰も救われない。
「(待ってちゃ駄目だ……! 行かなきゃ!)」
嘆くよりまず、きちんと向き合いたいと思った。
何故変わってしまったのか、大事だから知りたいと思った。
ユケイは積年の疑問に対する新たな答えを見出だすことができた。
―― 黒、何も見えない黒。何も見ないための黒。
苦しみは人を盲目にする。
盲目な言葉に従っても共にさ迷い続けるだけ。
苦しみは苦しみを生み、連鎖してゆく。
複雑に絡んだ感情には解く手伝いが必要だ。
理解者の存在である。
たとえ寄り添うだけだとしても、それが純粋に救いとなる ――
ユケイはずびびと鼻をすすって。
「おにーさん、ありがとう。オレ……これから何をしたいか自分で決められたの、初めてかも」
リオは安堵したように溜息をついた。
「ん~……ラダリェオさんに似ているキミの助けになれたなら、オレもいい気休めになったかなぁ」
「そんなに似てんの?」
「ずっと傍で見てきたオレが言うんだ。……キミは将来、身長がぐんと伸びて体躯がデカくなるかもな。もしそうなったら、この会話を思い出してよ。出生についての手掛かりになるかもしれないよ」
リオに頭を撫でられて、ユケイはきょとんとした。
後日。
研究棟に連れられたユケイの調子は戻っていたが、曲刀は出せないままだった。出せる時と出せない時の違いは本人にもわからず、ヒエイ博士の見解では気分的なものが疑われた。
要は人間をナメているのではないかと。
喚いたり落ち着いたり、憂鬱になったかと思えば今はけろりとしている。そんな言動に振り回される度、ヒエイ博士は殺意にも似た苛立ちを覚えていた。
そこで博士は新たな実験を通してユケイを調教しようと考えた。リオがいなければ行動を制御できない状態では、
今後の計画
に差し支えるからだ。にこにこ笑顔を携えて、部屋のマイクに手を伸ばす。
「今日はユケイ君の皮膚の強度を調べたいんだ! ついておいで!」
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