1-3:宴の影にて
文字数 4,713文字
その日は船内の探索をきり上げて、シバの海賊達は新しい拠点に乾杯していた。
一階には展望デッキ付きの
長方形のテーブルにずらりと並んだ肉料理。
壁を埋めるは豊富な酒棚。捕らえた女をひざまずかせ、ジュークボックスの音量をあげる。
豪勢な船を手に入れて海賊達は上機嫌。酔って暴れて物が飛び交い、床は散らかり、その
船長シバはカウンター席で一人、グラスにワインを
かたや、隅の円テーブルにて。
トミーと下っ端達は食事を囲いながらも真面目な顔で話し合っていた。
「これから数日は掃除三昧になるな。せっかくの新居がそこらじゅうで血の臭いがしやがる」
「雨が降る前に、甲板に開いちまったあのデカい穴も塞がねぇと」
「確か地下三階に物置倉庫があったな」
トミーは笑顔で頷きながら、そこに使える道具があるか見てくると申し出た。すんなり頼まれ内心にやり。引っ越し荷物を運んだ際に、地下三階に非常口を見かけたのだ。そこにはボートの
あとは席を立つタイミングである。
兄貴達の騒ぎ声に、一同は溜息をついた。
相槌を打つ目の端でトミーはずっと気になっていた。
隅に積まれた木箱のうえに、小さな背中がぽつんとある。この宴会をもたらした主役にいまだ誰も関わろうとしない。
トミーは話のキリをみて、ユケイについて聞いてみた。
「ぇえと……あれって竜族ですよねぇ? 随分とそのぉ、頼もしい味方……ですねぇ?」
すると下っ端達はひそひそ声となって。
「……あれなぁ。実の正体は誰もわかってねぇんだよ」
「一応は味方だが、オレ達にとって安全な存在とは言い難い」
「とにかく異様に頑丈でよぉ。銃も刃物も爆弾も、なんなら毒もへっちゃらなのよ。そんな竜族いるもんか。かといって獣人にも見えないし……」
「なにより
不可解な能力
をもってやがる」「あんな得体のしれないもの、一体どこで手に入れたんだか」
「オレはその時いたぜ。あれはいつだかの、冬の夜だった……」
ひとりの男がしみじみと当時の出来事を語りだす。
◇ ◇ ◇
波に揉まれる小さな漁船。
吹雪がライトを横切るなか、甲板を駆ける四人の男。
一隻の船に身を寄せ合い、わずかに獲れる魚を糧に、細々と生きる世捨て人。
凍てつくような寒さだったが生け簀が空では休んでいられず。かじかむ指で魚網を放ち、その手応えに顔がほころぶ。
やがて船に揚げたのは値にもならない小魚と、ひとりの奇妙な少年だった。
真っ赤な髪、左頬には紫の模様。一糸纏わぬその四肢には錘がかけられていた。
男達は肩を落とし、死体を海に捨てようとした。すると少年は水とともに拘束具の鍵を吐き、まさかに意識を取り戻したのだ。
少年は起き上がることも話すこともできないで、体を縮めて凍えていた。
そんな様子を足元に、男達の意見は割れた。
眉をひそめる三人を背に、一人の男が歩み寄る。
防寒着を脱ぎ少年を包むと、真っ赤な瞳に涙がにじんだ。
◇ ◇ ◇
「……そんで、水系の竜族だー高値で売るぞーとかいって世話してたのが……なんやかんやで今に至るってわけ」
「おいおい、その売るって話しはどうなったんだ~?」
「もう三年も手放さないんだ、諦めな。……とにかく新入り、お前も死にたくなきゃあユケイには関わるなよ。……ほんと、シバにしか懐いてないからな」
話は打ち切られ、話題は船の修理についての愚痴となった。
トミーはぶるりと身震いしつつ、初期メンバーのひとりが下っ端に混じっているのが引っかかった。昔馴染みすら外野にやって、船長はユケイを独占している。理由はおそらく、地位転覆を防ぐため。素質あっての船長ではなく、ユケイの懐き具合が序列を決めているのだとしたら。
この集団、案外脆いのかもしれない。
カウンターに目をやると、二人の男が船長を呼び出しているのが見えた。
「……来てくれシバ。話がある」
シバの肩をたたいたのは顔に十字傷をもつ大男、副船長のザナル。
その隣には褐色の肌をしたガイコツのような男、操舵士のハドもいた。
誘いに乗って、シバは飲みかけのグラスを片手にデッキへと向かった。風の行く先を眺めると、黒い海原に明るい満月が浮かんでいた。
清々しいにも関わらず、ザナルは深刻な表情で言った。
「……なぁ、もうやめ時だとは思わねぇか?」
「やめ時? なにがだ」
「オレ達は十分に手に入れた。ここいらでユケイを用済みとしようや。あの錘がついた状態で、もう一度海に沈めるんだ」
ハドはザナルにつきながら無言で何度も頷いている。
不意の提案に驚くも、シバは鼻で笑い飛ばした。
「嫌だね勿体ない。あいつはまだまだ使える」
「ふざけるな。……今回は無事に済んだとはいえ、ネヴァサを敵に回すなんて馬鹿げてる。さっきまでハドと操縦室をいじってたんだが、通信機から女の怒鳴り声がした。必ず追いついて後悔させてやるって……。どういう仕組みか知らねぇが、こっちの位置がわかるらしい。……この船は早めに捨てた方がいい」
シバはデッキの手摺に寄りかかり、月光を帯びた水平線を眺めた。
「おいおいビビってんのか? お前らも見たろ、ユケイの戦いっぷりを。そのネヴァサの海賊船をたった一人で制圧したんだ。報復だろうがなんだろうが、返り討ちにしてやるさ」
「こう思ってんのはオレだけじゃねぇぞ。お前も分かるだろ、ユケイはちょっと強い竜族なんてもんじゃねぇ。本物の化け物だ。もしあいつがヘソを曲げれば、ここにいる全員皆殺しにされる。誰も制御なんてできない。考えを変えないってんなら、オレは降りるぜ」
「バカバカしい……。いいから飲んで落ち着けよ」
シバは肩を組もうとしたが、その腕は振り払われた。
「シバ……お前は最初、海で自由気ままに暮らしたいって、それだけが望みだったはずだ。少なくとも、だからオレはついてきた。……だがユケイを手に入れてからお前は変わっちまった。なぁオレ達は、お前のなにに付き合わされてるんだ!? 調子に乗るのもいい加減にしろ!!」
「……心配するな。ユケイは俺を裏切らない。絶対にだ」
「自惚れやがって。お前はいつか、自分の愚かさで痛い目をみるだろうよ……!」
親友の説得にうんざりし、シバは大きな溜息をついた。
「はぁーー……実に残念だ。お前こそは俺の一番の理解者だと思っていたんだが……どうやら勘違いだったらしい。おいユケイ! こっちに来い!!」
雑音で満ちる
ユケイがデッキに現れ、シバの隣につく。
なんのつもりだとザナルはたじろいだ。
「愚かなのはお前の方だ、ザナル。まるで状況が分かってない。俺の機嫌を損ねないよう、まずはその生意気口を制御すべきだったな。……ユケイ、こいつを殺れ」
「なっ?! おまッ……」
ザナルが一歩退いた瞬間。太い首がぶつんと千切れ、胴体共々デッキから落ちていった。
その水柱の音は
シバは親友が沈んだ場所に空のグラスを放り投げ、尻餅をついているハドを見下ろした。
「……で? さっきから黙ってるが、お前も同じ意見なのか……?」
赤い瞳に映ったハドは、顔を逸らして苦笑いを浮かべた。
「い、いや……。オレはお前に任せるよ……」
「……それでいい。引き続き、船の操縦はお前に任せる。よろしく頼むぜ?」
「オレは? ねぇねぇシバ、オレはー⁇」
右手を血で染めながら、ユケイはシバの袖を揺らす。
最凶の化け物が自分にだけ媚を売る姿が、シバには愉快でたまらなかった。
「あぁ、お前はオレの一番の相棒だ。これからも仲良くしような?」
「うんっ!」
シバはユケイの腕を掴み、ハドを残して高笑い。
デッキから
トミーは今だと席を立った。
倉庫を見てくると偽り、そそくさと一人、
船長とユケイが階段を上がっていったのを見届けて、抜き足差し足、真逆の地下へ。
途中、階段の踊り場に各階の案内図を見つけた。
どうやらこの船は『エル・フリーデン号』という豪華客船のようだ。それをネヴァサが強奪し、海賊船に仕立て上げたのだろう。薄暗いなか、細かい字と図に目を凝らす。
水面の高さにある地下三階の最後部に、緊急用の非常口があるようだ。
真っ先に目に入ったのは水上に繋がれている四隻のモーターボート。エンジンのキーと、ボートを繋いでいる鎖の鍵を探すべく周囲を探索してゆく。
何かの部品や小物があちこちに散乱している。壁沿いのスペースにはダイビングスーツや浮輪などの救命用具が揃っており、非常口の開閉ボタンを見つけることが出来た。ボタンには電気が通っている。
上手くいけば、今ここで脱出できるかもしれない。
静かにかつ迅速に動き、目ぼしい場所を片っ端から探っていく。
この緊張感と切迫感は、脱獄した時に似ていた。他人を欺き、騙し、陥れることのスリル。
成功した時の快感だけが、唯一生を実感させてくれる。
ついにエンジンのキーを見つけ、口元が緩んだ。
「ねーねー何やってんの?」
驚きすぎてキーを暗闇に落としてしまった。
弾かれたように振り返ると、入口に小さな人影が寄りかかっていた。廊下の明かりに逆光して、瞳の赤だけが鮮明に浮かんでいる。
「たまにいるんだよね、逃げ出そうとする新入り。オレそーゆーの見張るんだよ」
何もなかったはずの手に凶器の輪郭が現れた。これが不可解な能力というやつか。関心している場合ではない。
曲刀を片手にユケイが歩み寄ってくる。
「ひぃ! ちょっと待って! 別に逃げようとしてたわけじゃないんですぅ! 船を修理するからその道具を探しててぇ!」
トミーは腰を抜かし、這うようにして逃げ回った。
しかしすぐに追い詰められてしまう。
「嘘ついてんじゃねーよ、こそこそして。あーあ、いーけないんだー。シバに言いつけちゃおうかなーん」
首筋にあてられた刃に生つばを呑み、トミーは固まってしまった。
「それだけは勘弁してくださぁぁい……。何でもしますからぁぁ……」
凶悪な笑みがフッと消え、ユケイはきょとんと聞き返した。
「ほーん、何でもーーー?」
「はいぃ……できる範囲でお願いしますうぅ……」
「じゃあじゃあ、お前って外から来たんだろ? オレ船から降りた事ないから、外の世界に興味あるんだ! 色んな話を聞かせてよ! そしたら逃げようとしてた事は黙っててやるよ」
無邪気に提案している様で、見下ろす赤眼は脅迫している。
いつの間にか曲刀は跡形もなく消えていた。
「お前、名前なんていうんだっけ? あのね、オレはね、ユケイ!」
「存じ上げておりますぅ……。えー、トミーと申します、はいぃ……」
「トミー、オレの部屋においでよ! こっち、早く行こ!」
「あ、は、はいぃ喜んでぇぇ……」
ユケイに腕を引っ張られ、トミーはへなりと立ち上がった。
錘つきとは思えぬ力。抵抗しようものなら腕がもげてしまいそうだ。
ユケイは非常口の扉を閉めると、二つの取手に鉄パイプを差し込み、ぐにゃりと曲げて結んでしまった。酷い。酷すぎる。
来た道をつれ戻され、海賊船からの出口が遠ざかってゆく。
しかしこれは思わぬチャンスではないかと、トミーは思った。
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