1-14:心に燻るもの
文字数 5,052文字
部屋に戻されたユケイとリオは、連れられた場所をもとに研究所の構造を確認していた。この建物は管理棟、渡り廊下の先にあったのは研究棟と呼ばれており、出入口は研究棟の一階にあった。各部屋を開くには
いくつかの情報を整理したところで明日に備えて横になる。手錠のせいで窮屈に感じたが、リオの背中はすぐ静かになった。
部屋が消灯しても、ユケイは犬のぬいぐるみを弄んでいた。まぬけな顔は縦にも横にもよく伸びて、青い帽子は頭に縫いつけてあった。なんとなく枕にしてみたら、余計に寝心地が悪くなった。
ユケイは犬を腹に抱き、大きな溜息をついた。
シバを想うとさらに溜息がでた。助けが来ない。今はこの竜族と組んで自力で脱出するしかない。それにはまだ時間がかかりそうだ。明日が怖い。明後日も、その先もずっとずっと。
ユケイは心細くて堪らなかった。
「んー……記憶がないんだ?」
ふいにリオが呟いた。
「ちょっと聞いてみたい事があったんだけどなぁ……」
リオがくるりと振り返り、寝そべったまま頬杖をついた。
ユケイは慌てて背を向けて、潤んだ瞳をつむって隠した。
「キミの闘い方は誰に教わったんだ?」
「……別に、テキトーだよ」
「へぇ自己流なんだ。結構センスあると思うよ。ただ、その超能力にはしてやられたなぁ」
けらけらと笑う声を背に、ユケイは振り返らなかった。
暫しの沈黙のあと、リオが再び口を開いた。
「……闘いを交えて感じた。キミの闘い方は、オレの知ってるシミカによく似てる。あー……シミカってのはイルディスが……ええと、竜族が人の姿してる時の呼び方な。……ずっと忘れようとしてて、やっと忘れられたと思ったのに。んー……キミのおかげでまた思い出しちゃった。それくらい、キミとよく似たシミカなんだ……」
「ほーん……?」
「キミのお父さんはラダリェオっていうんじゃないか? って聞きたかったんだけど、分からないかなぁ……」
「ラダリェオ……? なんか変わった名前だね」
「ははは、そうだね。……そのシミカはオレの育ての親で、闘い方を教えてくれた師匠でもあるんだぁ」
だんまりになっているユケイをよそに、リオは溢れんばかりに語りだす。
「……竜族にはさぁ、種族によって色んな特技があるんだけど、オレの種族は腕力もなければ毒もない。爪も牙もショボいし、戦いの武器になるようなものは何もない。生き延びる為にひたすら逃げていたら素早さだけが取り柄になった、最弱の存在なんだ。
そこでラダリェオさんは言ってくれた。この何よりも速い逃げ足で蹴りを磨けば、何よりも速い脚技の使い手になれるって。オレは捨て子だったから、初めて自分に希望を見出したよ……。ラダリェオさんは厳しかったけど、真剣に鍛えてくれてね。オレは手に入れた力で生涯をかけて恩返しがしたかったんだ。それなのに……。
……あっ、何でキミにこんな話をしてるんだろうな。……おやすみ」
ユケイが振り向くと、その誰かを想っている寂しげな背中があった。
ぬいぐるみに顔を
ユケイもシバを想って無理やり目を閉じた。
ユケイについての研究はヒエイ博士が直々に担当するようだ。
博士が訪れると誰もが逃げるように部屋をあけ渡す。博士の助手は黒衣を纏っており、他の連中とは雰囲気が違った。
様々な機械が用いられ、ユケイの特殊能力に対する調査がはじまった。
曲刀だけでなく、ユケイは念じるだけであらゆる刃物を出現させることができた。体から離れると消えてしまうため、飛び道具には実用性がなかった。また刃物以外は出せないという謎の制限があった。共通するのは黒い刃物。
便利とばかり思い疑問も持たなかった特技だが、解明されるならユケイも少し興味があった。
無から物質が生成され、また無に還る現象は、あらゆる観測機器を通しても理解不能らしく、ヒエイ博士は心底頭を捻っていた。
ユケイの研究は難航したが、研究員達はその謎を楽しんでいるようだった。
建物を歩くたび、ユケイは設備に興味を持つふりをして寄り道をくり返した。
記憶がないとするユケイの行動は誰にも怪しまれなかったどころか、ヒエイ博士が可能な限り色々な場所を見せてくれた。博士はユケイに研究所を気に入ってほしそうだった。
脱走を企てているとも知らず、質問すれば誰かしらが答えをくれた。
そうして得られた情報は、管理棟の出入口は二階にある渡り廊下だけ。
カードキーは職員の全員が持っているが、研究棟の全ての設備を利用するにはAクラス以上のカードキーが必要である。廊下の天井には、いたるところに通路を遮断する降下式の隔離壁が備わっている、ということ。
研究棟の一階には別棟への入り口があり、そこは処理棟というらしい。あらゆる
ゴミ
を処分するための施設だそうだ。研究棟の地下については近寄らせてもらえず、何があるのか聞いても教えてもらえなかった。
考えるのはリオに任せ、ユケイは理解するのに徹していた。
今のところでは、研究棟一階の正面玄関が唯一の出口という結論になった。
そこまでの最短ルートも把握したが、警備については情報が不足している。重厚な防爆壁によって閉じられた正面玄関には、常に武装した人間が目を光らせている。職員は施設内の寮で寝泊まりしているので、あの扉が開く機会は一日に数回のみらしい。
なにか作戦を立てなければ突破するのは難しそうだ。
研究がはじまって三日目の夜。
本日の研究から解放されて部屋に戻ると、マットレスが置かれているのに気付いた。血臭かった毛布も新しいものに替えられていた。
もう暫く姿を見ていないが、リオはイブキの親切だと言った。
夕食を終えて眠る時間。
リオがマットに寝転がり、毛布をかぶって手招きしている。
「おいでユケイ。暖かいよ」
ユケイは離れた場所に座り込んだまま顔を逸らした。
「いい。それはおにーさんのために用意された物でしょ。オレのじゃないよ」
「んー……そんなこと気にしなくていいんだよ。あるものは一緒に使おう」
「いいったらいい!」
「遠慮するなよ~。おいでおいで~」
「……いいって言ってんだろ! ブッ殺すぞ!」
リオはひっと息をのみ、マットから降りてしまった。
「……さてはオレのこと嫌いか? じゃあこの寝床はキミに譲るよ。オレはキミに協力してもらってる身だし、こんなところで仲間割れしたくないからさ」
ユケイは犬のぬいぐるみに顔を
「……おにーさんが悪いわけじゃないけど、一緒に寝るのは嫌なんだよ」
「え~……別に何もないだろ? なんでか聞いてもいい?」
「聞かなくていい! とにかくオレはここでいいの!」
リオがいつまでも聞く姿勢でいるので、ユケイは話を逸らそうとした。
「ねーそんな事より、何でオレの名前知ってたの?」
「ん? ほら、船にいた時キミを呼ぶ声があっただろ? それを覚えてたんだ。あれは誰だったんだい?」
「あぁ……シバだよ! 今頃どうしてるかな。きっとめちゃくちゃ怒ってるだろうな……はぁ」
「怖い人なのか?」
「んーん。怖く見えるけど、本当は優しいんだよ」
「へぇ。恩人なんだっけ?」
「うん! オレはシバが大好きなんだ!」
満面の笑みを作ってみせたが、溜め息とともに口角が下がる。
「でもシバは変わっちゃったんだ。あんまり笑わなくなったし、優しいのが少しずつ減ってる。何でなんだろ。前はもっと、毎日が楽しかったのにな……」
伏した顔を、リオがそっと覗き込む。
「少しずつ減ってるんじゃなくて、少しずつキミの目が覚めてるんじゃない?」
「……ほーん?」
「んー……多分だけど、キミのところの人間は悪に分類されてる」
「なんで!? 何も悪い事してないのになんでだよ!」
「えっと……人間の善悪観はよくわからない。ただオレが乗ってた船は治安を守る為のものらしい。それに適視されたってことは、悪だったんじゃないかな」
「勝手に決めつけるなよ! ……シバは悪くなんかない……はずだ」
「……そういえば、前にキミが体を洗った時にちょっと気付いたんだけど。……どうしたの、そのお尻」
ユケイはドキとして、視線をあちこちにやった。
「なにが? オレのお尻、なんか変なの?」
「聞かせてよ。話したら少しは楽になるかも」
ユケイはぬいぐるみをはちきれんばかりに握りしめた。
「もういいよ。オレ知らないよ」
「なにか嫌なことがあったんだろ? 誰にも言わないからさ、吐き出してごらんよ」
ユケイはふつふつと怒りが込みあがってきた。
そんなことを言われても、言葉にすること自体が屈辱なのだ。
誰かに話せば楽になれるのかもしれない。しかし想像されるのは、目撃されたも同じである。誰にも知られずなかった事にしたいけれど、残った痕がそうさせない。本音をいえば救われたいのだ。しかし、差し伸べられた手を掴みたいのに、男としてのプライドがそれを許さないのだ。
苦し紛れに掴んだのは黒く鋭いナイフだった。
「い……いぃ……いいい加減にしろよ……てめぇ。大人しくしてれば調子に乗りやがって……! うるせぇんだよ……。何なんだよ……! 生意気なんだよ、弱っちいくせにぃっ!」
ナイフをわなわな震わせて、ユケイはずんと立ち上がる。
「わかってんのかお前よりオレの方がずっとずっと格上なんだ! お前はオレに生かされてんだ! その気になればいつだっておさらばだ! でもオレは我慢してやってる! これはオレの優しさだ! 一人じゃなにもできないくせに! 見捨てられたくなきゃ自分の立場をわきまえろ! 今! この場で! お前を唯一必要としてやってる……このオレが……必要……なら早く…………助けに来てよ!! なんでなんだよシバぁぁぁぁっ! うぁあああオレを見捨てるなああああああああ!!!!」
飛び掛かったのを抱きとめられ、ユケイは泣き叫んだ。
ナイフが落ちて消えてゆく。
優しい腕の中で、溜めた涙が無くなるまで泣き続けていた。
これは全て、シバに言われた言葉だった。
◇ ◇ ◇
湿った床、黒ずんだ壁。
薄暗い小部屋に揺れるランタンの明り。
波の音、白い吐息。
窓の外には吹きすさぶ雪。
ここは何処。なにも分からない。なにも覚えていない。
空っぽの頭を抱えて、部屋の隅でうずくまっている。
そこへ一人の男がやってきた。
見上げると手にはナイフが握られている。迫りくるのに怯えていると、男が掴んだのは硬いパンだった。男はナイフでパンを削ぎ、スープに浸して差し出した。
そして小さく口角を上げる。
「大丈夫だ。もう心配いらないぞ」
海原に漂う小さな漁船。身なりの汚い四人の船乗り。
中でも親しみやすかったのは、最も世話を焼いてくれるシバという男。
教わりながら一つ一つを思い出し、船の手伝いに励む日々。上手くできると褒められて、大きな手で頭を撫でてくれた。
ひがな一日釣りをして、色んな魚を食べ比べ、鳥を仕留めた日はご馳走。
空白の中に平和な日々が刻まれてゆく。明日を迎えるのがとても楽しい。
温かい居場所に安堵して目を閉じる。
皆が寝静まった夜にふと目を覚ます。
海を眺めて物憂げにしているシバの横顔。
「時々お前が羨ましいぜ。キレイさっぱり昔を忘れてよ……オレも今を楽しみてぇ」
シバは眠るとうなされて、夜中に起きるを繰り返す。
目元のくまは誰よりも濃く、白目はいつも充血している。もとからだと仲間達は笑った。気にするなと言ってシバも笑う。
でも嘘笑いだと気付いてしまった。
「(……オレ、どうしたらいいの……?)」
シバが殴られている。仲間達がねじ伏せられている。突然知らないヤツらがやってきて、船を荒らし、あちこちを壊し、金目のものがないと知るや大事な道具を奪ってゆく。
握りこぶしが震えた。もう隠れてなどいられない。
言いつけに背き、助けたい一心で飛びだした。
顔に両手に血しぶきを浴びて、恐怖し逃げゆく仲間達を越え、力無く横たわっているシバの背中へ手を伸ばす。
◇ ◇ ◇
「シバ……っ!」
肩を掴むと、振り返ったのは寝ぼけ顔のリオだった。
ユケイは周囲を見渡して、目を擦り、うなだれた。
「おはよー。……大丈夫?」
ユケイはマットの中央で毛布を被っていた。
リオはそれらの外にいて、大きなお世話だと思うも言葉が出ない。情けない姿を見られてしまったユケイは意地を張る気も起こらず、無言となってぬいぐるみを抱きしめた。
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