1-19:研究所からの脱出劇(1)
文字数 4,804文字
「お前達、なぜ部屋から出ている!?」
助手が懐を探るより速く、イナフの蹴りがそれを阻止した。遠目に見られて悲鳴が上がり、あっという間に騒然となる。
サイレン音に尻を叩かれ、イナフとユケイは駆け出した。
『竜族の収容違反が発生しました。これより安全隔離壁が作動します。全職員は速やかに緊急時マニュアルに従って行動してください』
耳を
警備員らが立ちはだかった。
掲げた警棒をバチバチと鳴らし、真正面から向かってくるのをイナフとユケイはするりとかわした。間際に押された起爆装置。しかし首輪はなんともない。
どうやら起爆装置のリモコンには首輪を認証する僅かな時間が必要であり、感知できる範囲も限られているようだ。
ならばと二人は疾風のように、何にも捕らえられぬ速さで管理棟の二階へ急いだ。
渡り廊下を目前にして隔離壁が動きはじめた。ゆっくりと
さらに地面がぐわんと揺れて、窓の景色が何故か上へと。なんと、この建物自体が緩やかに回転しながら降下してゆくではないか。
二重に
イナフはユケイの手を引いて、間一髪に飛び込んだ。
目が回るような感覚と、建物の揺れがおさまって、イブキが地下から出ると管理棟はパニックとなっていた。
竜族の収容違反などマニュアル上の心得のみで、経験のある職員などいないに等しい。すでに多くの来客が見えるが、冷静を欠いた職員達に彼らを気遣う余裕はなさそう。
博士の助手が倒れており、二人の仕業だと息を呑む。イブキはその助手からSクラスのカードキーを拝借すると、警備員の制止を振りきって人の波を逆走した。
先程の揺れは管理棟の緊急システムが発動したのだろう。窓の外の暗闇は、現在この建物が地中にある事を示している。次に軍隊が到着するまで管理棟は外界から隔離された状態だ。
本来ならこれで脱走が阻止されるのだが、イブキはイナフの素早さをよく知っていた。既に管理棟にはいないと察し、研究棟の地下に繋がる連絡通路へ向かった。
各所に下りた隔離壁がその都度イブキを足止めした。冷酷無情に聳えるそれは、大型竜をもしのぐという。脇には操作盤が備わっており、Sクラスのカードキーでのみ解除ができる。
上昇してゆく隔離壁。一刻を争う状況だというのに、動きが遅い遅すぎる。屈んで通れる隙間ができるなりイブキは先を急いだ。
暗い通路をひた走り、ただただイナフの安否を想う。
渡り廊下の半ばにて。
ヒエイ博士は政府の調査員とメディアの取材人に施設を案内しているところだった。そこへ突如と警報が鳴り、一行は足をとめた。
調査員がうろたえながら。
「博士、収容違反とは!?」
「大丈夫です。我々の安全は確保されて…………むぅっ!?」
管理棟の方向から二体の竜族が現れた。隠しておいたはずが何故。目を見開きつつ毅然と構え、ヒエイ博士はポケットに手を ーー!
イナフはさらに加速した。
複数の中で狙うはただ一人。めり込む程に地面を蹴って放った
無残な姿を見届ける間もなく、反対側の隔離壁が降下している。
イナフは圧倒的な速さでユケイの腕を引き、僅かな隙間に滑り込んだ。
そうして研究棟に着くや否や、左右に伸びた廊下にも隔離壁が下りはじめていた。ユケイは飛ぶように階段をくだり、イナフは上階へと急いだ。
ずしんと据わった堅固な壁が二人の行方を二分した。
取り残された調査員らは腰を抜かして愕然としていた。
取材人は無意識にもカメラだけは回し続けていた。あろうことか撮影は生中継であり、テレビ局は慌てて放送を中断させた。
イブキは研究棟の地下から、二階の渡り廊下に到着した。隔離壁を上げるもそこにイナフの姿はなく、あるのは悲惨な光景だった。
「博士……っ!?」
視界を窓の外へと逃がし、イブキは吐気を呑み込んだ。血の臭いに足が震えた。景色に集中しながら壁伝いにその場を離れてゆく。
午前だというのに外は暗く、酷いどしゃ降りだった。
背後から客人の声がした。
「えっ、ちょっと! 貴女は何処へ!? 我々は一体どうすれば!?」
「そこから動かないで下さい!」
ついてくるのを押しとどめ、イブキは再びひとり走った。次に向かうはエントランス。二人が立ち往生するとしたらその場所だと踏んだのだ。
ユケイはぬいぐるみを抱え、順々に降下してゆく隔離壁をくぐりながら一階の廊下を走っていた。
誰もが部屋の中へと隠れ、いやにガランとした廊下。なんか嫌な予感がしつつも作戦通りに突き進み、正面玄関に到着した。
しかし、そこには普段とは異なる頑丈そうな障壁が聳え立っていた。
封鎖に間に合わなかったというのか。
想定外となり、ユケイはどうしたらいいのか分からなくなってしまった。いくつかの通路は既に遮断されており、他に行ける場所はと周囲を見渡す。
どうやら残されている道は二つ。
処理棟と呼ばれる別棟への道と、その反対側にある、なにやら隔離壁が途中で止まっている道。
確かその先には地下があるとだけ知っている。
どちらの道も情報が乏しく、ユケイは足踏みしながら回った。
とにかくイナフを待つしかない。
ふいに放送が流れた。
『 区画3-27において竜族の隔離に成功しました。これより区画3-27に睡眠ガスを投入します。区画3-27内にいる職員は、最寄りの部屋に備わっている緊急キットからガスマスクを着用してください 』
ガスと聞いて、ユケイはぬいぐるみを鼻に押しあてた。しかし一向になにも起こらず、イナフの方だと覚った。
「ほーん!? おにーさん捕まってないだろうな!?」
うなり続けるサイレンが、焦る気持ちを助長する。
ユケイが一階に着いた同刻。
イナフは三階にて、例の部屋に到着していた。部屋のドアを蹴破り、叫ぶ女性職員を尻目に奥の小部屋へと。施錠された棚を破壊すると、そこにはいくつかのリモコンがあった。
記憶を頼りに、イナフは一つのリモコンを手に取った。黄色いボタンを長押しして首輪にあてがうと、円がパキンと開いて落ちた。
これで一安心と思いきや、首輪のランプが黄から赤へ。そして激しく点滅している。
あわや巻き込まれんところ、イナフは素早く飛び退いた。ふり返ると小部屋が焼け焦げていた。
砂煙が舞うなか、起爆装置を握りしめた女性職員と目が合った。
女性職員は喚きながら書類や文房具やらを投げつけてきた。構わず部屋を出たところで、イナフは狼狽えてしまった。戻る道は隔離壁によって阻まれている。窓には電流が通った鉄格子。
閉じ込められてしまったのだ。
隔離壁に体当たりしてみたが、やはりそれはビクともしない。操作盤のようなものに、いかにもな溝を見つけたが、カードキーを通してもブーという音が鳴るだけ。
そこに放送が流れた。
竜族の隔離に成功した為、睡眠ガスを投入するという。放送を聞いた女性職員は青ざめて、大急ぎでガスマスクを装着している。
その様子を見るにどうやらこの場所らしい。
なす術もなく天井から桃色のガスが噴射された。イナフは襟で鼻を押さえ、窓ガラスを割り意地でも耐えた。
ーー なんのために?
ふと、心臓の音を強く感じた。
イブキは放送を聞いて、イナフの場所を特定できた。ゆっくりと上がる壁をくぐり、三階の首輪倉庫へと向かう。
ついに問題の区画に到着した。
意を決して隔離壁を上昇させると、隙間から濃厚なガスが溢れてきた。ハンカチで鼻を覆い、煙の中に呼びかける。
「こっちよ!!」
声に応える足音があり、イナフが転がり出てきた。ユケイはいないと聞き、イブキは上昇中の隔離壁を下ろした。
ひとまず漏れたガスからイナフを遠ざける。
「た、助かった……ゲホッ……ゴホッ!」
幾らかガスを吸ってしまったのか、イナフは意識がもうろうとしていた。
「これを持っていって。隔離壁を開けることができるわ。ほら、起きて! しっかりしなさい!」
イブキはイナフの頬を思いきり平手打ちした。そして竜族に負けない強い眼差しで、Sランクのカードキーを握らせる。
「外に出たいのなら正面玄関はもう無理よ。緊急時は外側からしか開かなくなるの。……この状態でも出られる場所に心あたりがあります。
エントランスの道をまっすぐ行って、突き当たりを左へ。階段を一番下までおりて。あとは道なりよ。エレベーターがあるから、さらに最下層へ行くの。大きな扉はカードキーで開いて。長い一本道を奥まで行って、そこに換気口を兼ねた非常口があったはず……!」
イナフの体を支え、階段の踊り場へと導きながら。
「それと、貴方の体にはチップが埋め込まれている。どこへ逃げても隠れても、場所を特定されてしまう状態よ。
……この研究所からずっと東にいった森の何処かに、竜族の愛護団体の拠点があるらしいの。犯罪組織に指定されている過激派のものだけれど……竜族の貴方にならきっと力になってくれるはず。頼ってみたらどうかしら」
一連の行動はモニター室だけでなく、避難している同僚達にも目撃されていたが ーー 。
" おにーさんはお前の大事じゃないのかよ "
ようやく胸のつっかえが取れたのだ。
イナフへの恋が『愛』に変わった今、もはやイブキにとって全てを失うことなど問題ではなかった。
―― これまでは、上から目線の恋に過ぎなかった。
イブキはイナフを贔屓して、親切にしてきた。しかしイナフがそのアプローチに応えることはなかった。人間と竜族だから。異なる存在だから、想いが伝わらないのだと思っていた。
しかしそれは間違いだった。
イブキは愛する者を檻の外から眺めては、親切の見返りを期待しているに過ぎなかった。首に爆弾を提げておきながら、生存本能からくる服従を友好と履き違えて、研究者と被験者という関係に閉じ込めていたからだ。
その姿は竜族達に、イナフの目にどう映っていただろう。
イブキはようやく目が覚めた。
愛とは
愛とは
自由を与える
こと ーー 。「そろそろ軍隊が到着する頃だわ……! 彼らは処理棟の方角から来るはず。いいわね、反対側の地下から逃げるのよ! 壁の標識をよく見て!」
「いいのか……? 後で仲間に咎められるんじゃ……」
「気にしてる場合!? 貴方も私も引き返せない道へ踏み出してしまった。だったらもう、前だけを向いて行くしかないでしょう? 今まで研究に協力してくれて、ありがとう。……さようなら。どうか無事で」
イナフはよろけながもしっかりと立ち、体の感覚を取り戻したようだ。
「……ありがとうイブキさん。最後まで、本当にありがとう」
こんな風に見詰め合うのは、なんだか久しぶりだ。
イブキはふと、イナフの首輪がなくなっているのに気付いた。
立ち入り調査というタイミング。時間を指定して要求された水。脱走は計画的だったように思えた。
まさかヒロもグルなのだろうか。いや、ヒロは部屋が開くのを阻止しようとしていた。
これまで共にした日々の中で、イナフはずっと脱走の機会を窺っていたのだろう。理解に苦しくはない。研究所にいる竜族は皆、囚われの身なのだから。
けれど、もっと話していたいと思っていたのは、二人の時間が楽しいと思っていたのは自分だけだったのか。
去りゆく背中を見届けて、イブキは静かにへたり込んだ。
やがて同僚達が駆けつけ、その場に取り押さえられた。口々に責められるも、一片の後悔すら湧いてこない。
胸にあるのは燃え尽きたあとの静けさだけ。
こんな形でだが、想いを伝えることができて良かったと、イブキは思った。
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