1-4:トミーの思惑
文字数 4,787文字
船内には自室に適した部屋がいくつもあるというのに、ユケイは地下一階の隅にある図書室を棲みかにしたらしい。
クモの巣だらけの照明が本棚の影を浮き上がらせる。時が止まった振り子時計。壁や床は色あせて、落ちた本が散乱していた。そこに積もった埃は厚い。
窓辺にある読書スペースにて、トミーはようやく腕を離してもらえた。そこには唯一の小窓があり、小さな机と椅子が月明かりを受けていた。
「ここ本がいっぱいあって気に入ったんだ! オレ字は読めないけど、本は好き!」
ユケイは本を物色して、とあるページを見開いた。
「絵を見ていろいろ想像するんだよ!」
「へ、へぇ……」
無邪気に笑う口元から鋭い牙が覗いている。
トミーも愛想笑いをして、化け物の機嫌を損ねないよう注意した。
「……でも、本当のことが知りたいな。これはなんの絵なの?」
やたらと光沢のある紙面。窓辺に照らして見てみると、それは風の国ウィンティカの旅行雑誌だった。発行日は五年前。
風の国とは世界随一の自然大国だ。様々な風景写真とともに、現地の歴史や観光スポットが紹介されていた。
一緒に覗き込んで、ユケイは答えを待っている。
「これは有名な観光地の写真ですねぇ……」
「かんこーち、って? しゃしん、って!?」
「え? ……観光地というのは、みんなが行ってみたくなる場所で……。写真っていうのはぁ、えぇー……カメラでパシャッと撮ったら出てくるやつでぇ……」
「なんで行ってみたくなるの? パシャッとってなに?? トミー説明ヘタっぴだね!」
楽しげだった表情が曇り、トミーはドキとしてあたふたと。
「とと、とにかくこれは本物を映した絵で、実際にある景色なんですぅ……!」
「ほーん。陸にはこんな景色がいっぱいあるの?」
ユケイの興味が尽きないので、トミーは写真に沿って森や山のこと、そこに住まう生き物の話をしてみた。
意外と会話ができる相手だ。分からない質問には嘘で答えたが、ユケイはすんなり信じてしまった。単純なやつだ。
それにしても、ユケイはあまりに何も知らない。
「ユケイ君は陸に降りたことがないので……?」
「そうなんだ。……ずっと前ね、気付いたらオレはシバの船にいて、自分の名前以外なにも覚えてなかったんだ。シバが優しくしてくれて、陸は危険でいっぱいだから船にいてもいいよって言ってくれた。でもタダ乗りは駄目らしいからお手伝いしてるんだ~、色々とね~」
あくびをするユケイを横目に、トミーはピピンときた。
約三年前、海に沈んでいたユケイを拾ったという話。そこに今、目覚めた時には記憶がなかったという情報が加わったのだ。
つまり、船長がユケイを手懐けた方法とは。
確信を得るため探りを入れる。
「なるほど~、それでユケイ君は海賊のお手伝いをしているんですねぇ……」
「海賊? 海賊って悪い奴らのことでしょ? オレ達は違うよ。海賊みたいな悪党を狙って海の平和を守ってる、義賊ってやつなんだ! 義賊は正義の味方なんだよ。知らないのーん?」
やはり都合のいいように教え込まれている。
トミーはにこにこしながら考えていた。
脱走者に目を光らせているユケイという障壁。逆に利用することができれば、脱出の足掛かりになるかもしれない。
船長にしか懐いていない。そんな言葉が背筋を撫ぜるがここで退くなと直感がいう。二人きりで話す
ユケイははっとしてトミーに雑誌を押しつけた。
「あっ、やべ! シバのところに戻らなきゃ。新しい船長室がめっちゃ散らかっててさ、お片付けしないといけないんだよ! トミーはここで待ってろよ。聞きたい事がたくさんあるんだから!」
去ってゆこうとする
「ユケイ君っ!!
「ほーーーーん……?」
ポカンとするユケイに、トミーは重たく語りかけた。
「
ユケイは明らかに傷つきながらも、強がって気にしない素振りをした。
「あっそ。別にいつものことなんだよ……。あいつらと仲良くする必要はないって、シバも言ってた」
まるで船長だけは自分の味方だと言わんばかり。孤立している状態で、きっと唯一の心の拠り所なのだろう。その想いが一方的ならばさらに都合がいい。
トミーは心配を装って、相手の心理に弱みを探した。
「そうですねぇ。でも、船長さんも酷いんですよぉ?? 先程なんて、お酒に酔った勢いでこぉんな事を言っておりました! これだけ大きな船を手に入れればもう十分だ。そろそろあいつは用済みだなぁ~と!」
踏みだした足を引っ込めて、ユケイはぐわっと振り向いた。
「シバはそんなこと言わないよ! さっきも一番の相棒だって言ってくれたもん!」
その表情には焦りが滲んでいた。
トミーは間をためて、真剣な空気を作ってゆく。
「残念ですが、
「そんなの、シバのことが大事だからに決まってる。大事だから守りたいんだ」
「なるほど大事な人だから。ではどうして、船長さんはユケイ君を戦わせるんでしょう? ユケイ君を危険に晒して、万が一の事があってもいいのでしょうか……!? 仮にそれがやむを得ないとして、船長さんは……感謝なんてしていません」
ユケイはなにか言い返そうとして、言葉に詰まってしまったようだ。
所詮その程度の関係なのだろう。
「船長さんが本当にキミのことを大事に思っているのか、確かめてみたくはないですかぁ?」
「…………確かめられんの? どうやって!?」
前屈みになるユケイに合わせてトミーもずずいと前にでる。
「簡単ですぅ。こっそり船を降りてみて、船長さんの反応をみるんです。もちろん、行き先のメモを残してね。もしユケイ君のことが大事なら大慌てで探しにくるはず。それが大事に思われている証拠だと思いませんかぁ?」
「なるほど……。もしシバが突然いなくなったら、オレだったら心配して探しちゃうよ」
「でしょうでしょう? 本当の事がわかれば、ユケイ君はもっと船長さんのことを信頼できると思うんですぅ。外の景色も見られて一石二鳥! 私と一緒にこの船を降りてみましょうよ。なぁに、一日空けるくらいです。……私はユケイ君の味方ですからねぇ、協力させて頂きますよぉ……?」
ドアの縁を握る手に力がこもっている。
ユケイは少し悩んだ後、力のない眼差しを返した。
「そんなことしなくたって、シバはオレを必要としてるよ。………………でもたまに分からない時あるから、ハッキリするなら嬉しいな」
トミーは密かにガッツポーズ。
この化け物、とことん純粋でいらっしゃる。
大事なシバ
との絆の脆さ、ありがたく利用させてもらおう。最後にひとつ、念押しを。
「いいですかぁ? 船を抜け出す計画は、二人だけの秘密ですぅ。くれぐれも船長さんには内緒にして下さいねぇ……?」
「……おっけー」
トミーはにへらと微笑んで、ユケイの不安に寄り添うとみせかけ操り糸を絡ませてゆくのだった。
ユケイが船長室に戻ると、そこには最後に見た時と変わらない光景があった。
足の踏み場もない程に、小物やゴミが散らかった部屋。掃除道具やゴミ袋は最初の位置から動いていない。一緒に片付けると思いきや、シバは立派な椅子に腰を据え、デスクに足を乗せてライフルの手入れをしていた。
物言いたげなユケイに対し、シバは目線もくれずに言った。
「奴はどうした」
「オレの勘違いだった。船を修理する道具を探してたみたい」
「ならいい。じゃあさっさとやれ」
「ひとりで……?」
「口答えするな」
ユケイはしょんぼりして、広々とした部屋に振り返った。
この船長室にはあらゆるものが揃っていた。
壁に埋まった大型テレビ、寝そべれそうな皮のソファー。キングサイズのふかふかベッドに、小キッチンや個室のトイレ。バスルームにはサウナつき。二重のカーテンをめくると、壁一面の展望窓が真っ黒のなかにユケイを映した。
関心するのはそれだけではない。
クローゼットを
ユケイは時折ふらつきながらもせっせと袋を満たしていった。
磨きあげた銃口に息を吹きかけ、シバがぼやく。
「まさかネヴァサの船長が魔族だったなんてな。……ったく、なにが賞金首だ。消えちまうんじゃ意味ねぇじゃねぇか」
「悪党が消えたのに、なんで意味ないの? しょーきんくびってなに?」
「……賞金首っつーのはだな、悪さをし過ぎて世界を敵にまわした奴らのことだ。そいつを
「なるほど。殺した証拠が残らなかったから、皆ガッカリしてたんだね」
右肩にズキンと痛みがはしり、ユケイはあの虎のことを思い出した。いまだに噛みつかれている気がして、振り払うように掃除に専念した。
世界中から恨まれて、殺した奴には賞金だなんて、考えただけでも恐ろしい。
どうして
はむしろこちらが聞きたい。賞金首に身を投じてまで、あの青い
シバは頭の後ろで腕を組み、ぼんやりと天井を眺めて言った。
「……それにしても妙だな。竜族と違って獣人は、人の姿に化けたりはできないはずだ。マジでなんだったんだ、あいつ」
その肩をつんつんして、ユケイはゴミ袋の山を背にドヤと胸を張った。
「今日はこんな感じでどう?」
「よーし、まあいいだろう。あのバカ共と違って、お前は働き者だなぁ」
「えへへ。オレが頑張れるの、なんでだと思う? シバの事が大好きだからだよ!」
「……気色悪いこと言ってんじゃねぇ。今日はもういいぞ。適当な場所で休んでこい」
シバは椅子をくるりと回して背もたれの向こうに隠れてしまった。
しかしユケイはその場に粘った。
「オレはいつだってシバの味方だから、これからもいっぱい頑張るね! ……頑張るからさぁ、ちょっとだけ船を降りて外の世界を見てみたいんだけど、いい?」
「駄目だ。前にも言っただろーが、陸には悪い人間しかいない。酷い目に遭うぞ」
「だよね。……もしオレが酷い目に遭ったら、シバは助けにきてくれる?」
振り向かない背中に、ユケイは小さく手を伸ばした。
聞くのに何故か、勇気を使った気がする。
「シバはオレのこと、大事……?」
もし大事だと答えてくれたら、どんなお手伝いでも頑張れるだろう。みんなに嫌われても、戦いで痛い思いをしても耐えられるだろう。
もし大事だと答えてくれたら、嬉し過ぎてシバの胸に飛び込みたい。そして優しく頭を撫でて、心配するなと言ってほしい。
初めて出会った、あの時のように。
ようやくシバが振り返った。
ユケイは思わず口角をあげたが、それはすぐに虚無に変わった。
―― そこには邪悪な笑みがあったから 。
「そんなに喋りたいならな、聞いててやるからケツでもかせよ」
シバが椅子から立ち上がり、ユケイをベッドに押し倒す。
ユケイは歯を食いしばってシバが満足してくれるのを待った。待っても待っても答えはもらえず、やっと解放された時にはどうしようもなく打ちのめされた気分だけが残った。
「(……やっぱ、確かめてみたいな……)」
暫く横になって休んだベッドは、冷たかった。
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