1-12:利害の一致
文字数 5,039文字
今が朝なのか夜なのかもわからないまま、ユケイは冷たい床に横たわっていた。眠っては覚め、また目を閉じては同じ景色に目覚めるを繰り返した。
いつものボロ着は奪われて、代わりに白い半袖の上着と、黒の短パンを着せられていた。窓から覗く連中は見物しては立ち去るばかり。
鎖が届くギリギリの位置にシンクが備わっていたので水だけは飲めたが、お腹が減って力がでない。きちんと閉めなかった蛇口から水滴の音が響いている。無機質な音にまどろみながら、ユケイはひたすら後悔していた。
シバに戻れと言われた時、
あれからどれくらい時間が経ったのか。戦いはどうなったのか。シバとリズとトミーのことを想うと、この何処かもわからない場所にいる場合ではなかった。
しかしどうにも身動きがとれず、威勢を張るのも限界が近い。
「(シバ……オレはここにいるよ。お願い、助けにきて……)」
肩を抱いてうずくまり、ユケイは再び目蓋を閉じた。
『キミ、起きて。起きなさい……!』
冷たい声に起こされて、ユケイは腕から目を覗かせた。
窓の外に立っていたのはマイクを手にした白衣の女。その後ろには竜族の青年がいた。素早い蹴りをくりだすアイツだ。
ユケイはよろりと立ち上がり、曲刀を向けて睨んでみせた。
扉が少し開かれて、青年だけが入ってきた。
決着でもつけるのかと思いきや、青年は苦笑いを浮かべるのみ。その体は包帯だらけで、左腕にはギプスを、浮かせた右足には松葉杖をついていた。なんのつもりか知らないが、悪党が来たことに変わりはない。
ユケイは構わず先手を打ったが首輪の鎖がビィンと張りつめ、振るった刃が届かない。投げてもそれは空中で消え、白衣の女に警告された。
『やめなさい! リオを傷つけたらタダじゃおかないから!』
ユケイは竜族の青年の名前を思い出した。
リオは扉の前から一歩も動かず、手にしていた食器のプレートを床に滑らせて寄こした。
「んー……ちょっと落ち着きなよ。ほら、お腹空いてるだろ?」
プレートには赤々とした生肉が乗っていた。
まるで動物扱いだとも思ったが、酷い空腹には逆らえなかった。白衣の女とリオに見下ろされながら、ユケイはそれを鷲掴みにした。
生肉はとても柔らかく、悪意のない上質なものだった。
食べ終えて拍子抜けしていると、リオが溜息まじりに言った。
「……キミの世話係を任された。……暴力反対ってことでよろしく」
「世話係りなんかいらない。船に戻りたいんだ。オレどうしたらいいの?」
「……どうにも出来ないさ。ここに捕まったら、諦めて大人しくするしかない」
「シバのことが心配なんだ! せめて今どうなってるのか教えてよ!」
それに答えたのは白衣の女。
『貴方の船は各国の海上保安部隊によって改めて追跡されるわ。ご主人が捕まるのも時間の問題です。でも……勘違いしないで。貴方は犯罪組織によって違法に所有されていたの。それを我々が保護したのよ』
「あー……とりあえず、今まで悪い人間に利用されてたってことだよ」
ユケイは思わず目を見開いた。
「か、勘違いはそっちの方だ! シバは悪い人間なんかじゃない! 悪い奴と戦ってるんだ! オレはそれを手伝ってただけ。それなのに突然お前らが襲ってきたんだ!!」
『他人の物を盗み、罪のない命を奪い。麻薬や魔物の密売、人身売買や竜族を悪用するのが良い事だと教えられてしまったのね……』
「確かに奪ったし、殺した。マヤクとかは知らない。でもそれは悪党をやっつける為にやったことだ! オレ達は悪党しか狙わない義賊なんだ! 遭難した人とか、悪党に襲われてる船は助けるよ。感謝されて食べ物とか燃料を分けてもらえるから、陸に補給しに行ったことがないんだ。シバは正義の味方だよ! オレ達は何も悪いことなんてしてない! 信じてよ!!」
しかし、窓越しに見下ろす女は哀れむ表情を変えなかった。
それから何を言ってもまったく相手にされないまま、白衣の女は去ってしまった。リオは扉に
ふと、部屋の空調がよくなっている事に気づいた。丁度いい温度に保たれて、照明も消えて夜の雰囲気となった。
ユケイはリオに警戒しつつ、極力離れて寝そべった。
窓の外だけはいつまでも明るく、部屋は薄明るかった。
あれから何時間が経ち、何度寝返りをうっただろう。静かすぎる空間では心の声が鮮明に聞こえた。シバ達は無事だろうか。ここは一体どこなのか。どのように船に戻ればいいのか。
不安が胸に渦巻くなか、トミーの声が甦る。
『これだけ大きな船を手に入れればもう十分だ。そろそろあいつは用済みだなぁ~と!』
心臓がうるさく音を立てている。
ユケイは仕事に失敗したのだ。果たして助けは来るのだろうか。
もしもこのまま見捨てられたら、
あの映像
のような目に ――。「……なぁ、組まないか」
ユケイは弾かれたように顔をあげた。
扉の前に居座ったまま、リオが目線だけをくれている。
「ここから出たいだろ。オレもなんだ。でもこの首輪のせいでどうする事もできなかった」
その黒い首輪には、青信号が灯っていた。
ユケイの右手首と両足首にも同じものがかせられている。
「無理に外そうとすると爆発する仕組みだ。そうでなくても人間達はこの爆弾のスイッチを持ち歩いてる。だから姿を変えることもできないし、人間様のご機嫌を窺わなきゃならない」
「知ってる。オレのも一個爆発して凄く痛かった。でも我慢すれば取れるよ?」
「んー……それはキミだからだろ? オレなら首がふっ飛んで死ぬ」
「ほーん? おにーさんも捕まってたの? ってゆーか、ここは一体何処なの?」
「ここは竜族の研究所。オレだけじゃない。ここにいる竜族はみんな捕われの身だ」
「けんきゅーじょって?」
「詳しくは知らないけど、竜族について色々と調べているみたいだよ。……手荒な方法でね」
「……ん? 何でオレ竜族と一緒になってんの? オレ人間なんだけど……」
リオは一瞬きょとんとして、鼻でふふっと笑った。
「人間だって? さすがにそんな嘘が通用するとは思えないなぁ」
「嘘じゃないよ?」
「……えっと、話が逸れたな。ここから出るための考えがあるんだ。興味ない?」
ユケイは訝しむも、少しだけ身を乗りだした。
「……とりあえず聞きたい」
リオは小さく頷いて、廊下の様子を窺いながら。
「まずは逃げる直前まで従順を装おう。そして悪いけど、オレの言うことだけを聞いてくれ。そうすればオレとキミはセットになって行動できるかも」
「ふんふん……それから?」
「問題は三つあるんだ。一つ目は首輪の解除方法。二つ目は脱出ルートを決めること。全ての窓に付いている格子には電気が流れているし、出入り口は厳重に警備されてる。三つ目は、施設内でなにかと使われているカードキーを手に入れたい」
それは協力というよりもリオにとっての問題に感じられた。ユケイは自分が都合よく利用されるのは気に食わなかった。
「ふーん、情報ありがと。オレは首輪なんて気合で何とかするから関係無いかな。従うふりをしてこの鎖が外れる時がきたら、出口を探してめちゃくちゃに暴れてやる。そしたら仲間を呼ぶために何処かを開くだろうから、そこを力づくで突破して逃げるよ。……大体、オレはおにーさんのせいで捕まったんだぞ。なのに何で手伝ってあげなきゃいけないのん?」
「そうなるか……。んー……じゃあさ、キミはもうひとりで飛べるのかい?」
「飛べるわけないよ。竜族じゃないんだから」
「ならこうしよう。一緒に脱出できたら、オレはキミを背中に乗せてキミの船まで飛んでいく。どうだい?」
「ほんとに? それなら凄く助かるよ!」
互いのことは不明のまま、ふたりの利害が一致した。
ユケイとリオは研究所からの脱出を企て、夜通し作戦を練るのだった。
朝を告げるように照明が点き、ユケイは思わず顔を反らした。いつの間にか眠ってしまったようだ。
リオを探すと、扉の傍で横になっている背中はまだ起きる様子がない。
計画は大分まとまっている。
リオからの提案は溢れんばかりで、まるで以前から考えを温めていたようだ。ユケイは意見も質問もなく理解するので精一杯だった。
リオに従っていれば上手くいくのではないか。
眠り足りずにまどろんでいると、ふいに扉が解錠されてユケイは素早く反応した。
半開きの扉から顔を覗かせたのは、リオを連れてきた白衣の女だった。
「おはようリオ。……大丈夫?」
女は部屋には入らずに、膝をついてリオを起こした。
湯気が立つタオルでリオの顔や首周りを拭いてゆき、血が滲んだ包帯を替え、ふかふかの毛布を差し入れる。
温かそうな飲み物を受けとって、リオは表情を和らげていた。つられて女も微笑んでいる。
リオが大事にされている様子を見て、ユケイはそっと顔を逸らした。
リオはユケイにも飲み物を分けようとしたが、そっぽを向かれてしまった。いくら呼んでも応えないので、仕方なしにイブキと向き合う。
「昨日は遅くまで起きていたでしょう。たくさんお話しができたみたいで、よかったわ」
「えっ……何で分かるんだ?」
「リオのことが心配でずっと見ていたのよ、あれで」
イブキが天井の角を
一見そこには何もないが、小さなレンズを見つけてドキリ。リオは目を泳がせた。
「へぇ……じゃあイブキさんも一緒に話を聞いてたんだ」
「いいえ、音声までは拾えないの。どう? 少しは打ち解けられた?」
「そうだといいなぁ……」
リオは密かに胸を撫で下ろした。
「もうすぐヒエイ博士がいらっしゃるわ。聞かれた事は何でも答えて。言いたい事がたくさんあると思うけど、今はどうか我慢して。……お願いね、リオ」
部屋の外に新たな気配が訪れた。
イブキは慌てて部屋を閉じ、博士に愛想をふりまいていた。
『博士、こちらがリオです。昨晩から世話係を任せております』
ヒエイ博士はにこやかに頷いて部屋のマイクを受け取った。
『おはようリオ君。その子の状況を教えてくれるかな?』
リオはのっそり立ち上がり、約束を破った老人を見据えた。
「……名前はユケイ。今は落ち着いてるし、少しだけど話もできた。とにかく血の臭いが酷いな。このままでは可哀想だから体を洗ってやりたい。ここから出してくれないか」
ユケイは博士に向かって舌を出していた。
リオはドキとしたが、博士はそれをよしよしと見ている。
『ほっほう、なるほどねぇ……。でも、はいそうですかと思惑に乗ってあげる程、私は親切ではないんだな~。これからユケイ君に関する色々なことをリオ君に手伝ってもらいたいと思っているんだ。その前にちょっとしたテストをしよう!』
ヒエイ博士は白衣の内ポケットから鍵を取り出すと、部屋の配給口に投入した。
『それでユケイ君の鎖を壁から離すことができるよ。やってあげて?』
イブキが狼狽えているのを横目に、リオは博士の言うとおりにした。
壁際から解放されたユケイは配給口を覗いたり、窓から廊下を覗いたりしていた。
『お次はこれね』
続いて与えられた白い鍵は、先程とは重みも質感も異なるものだった。
『首輪の鍵だ。ユケイ君、今まで窮屈だったよね。その首輪、結構重たいんだよね。早く楽になりたいよねぇ……? リオ君、その鍵を飲み込みなさい』
誰もが博士の言葉に耳を疑った。
『飲み込んで。ほら、どうしたの』
ヒエイ博士は首輪の起爆装置に手を掛けている。リオはイブキに拒否を訴えたが、イブキはおずおず目を逸らす。
カウントダウンが始まっては、リオは鍵を飲むしかなかった。
『さぁこれでユケイ君の鍵はリオ君のお腹の中だ。ここで問題。ユケイ君が鍵を手に入れるには、一体どうしたらいいでしょうか! ふたりで考えてみてくれたまえ。……また来るね~!』
ヒエイ博士はスキップしながら去ってしまうのだった。
ユケイが酷く困惑している。
「えーっ?! じゃあうんこと一緒に出てくるのを待てってこと!?」
「今なら何とかなるか……!」
リオは急いでシンクに向かい、喉に指を突っ込んだ。
いくらやっても鍵は出てこず、助けを求めてイブキに振り向く。
『待ってて! 鍵にはスペアがあるはずなの! どういうことなのか博士に聞いてくるから!』
イブキは慌ててそう言い残し、博士を追って行ってしまった。
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