1-13:繋がれたふたり
文字数 4,720文字
ぱちくりとした瞳のなかで、赤く染まった自分にぞくり。
ユケイはロゴドランデス族だ。リオのなかでそれは間違いなかった。この状況でそいつらは、自然と出るのを待つような性分ではない。
リオは無意識にも浮かせていた右足を地につけた。
「同じ鍵がもう一つあるってことだ。今はイブキさんを待とう」
ユケイは頬を膨らませ、窓にぴたりと張りついた。
しかし、イブキはなかなか戻って来なかった。
先に食事の時間がきて、現れたのは別の職員だった。男は純粋に食事を持ってきただけで、イブキや博士については知らないと言う。
真面目にとりあってもくれず、話も聞かずに行ってしまった。
ユケイは機嫌を悪くしていた。部屋をぐるぐる回って、窓に八つ当たりをはじめた。
分厚いガラスは一定のヒビが入ると更に強固となる仕組みだ。割れないとわかり諦めたのか、ユケイは大人しくなった。
イブキが戻らないまま夕食を摂る。
配給者を問い詰めたが、やはり相手にされず。リオはイブキのことが心配になってきた。
そのまま部屋が消灯して、ユケイはうがーと足踏みしていた。
予想外の忍耐力だが、そろそろしびれを切らすに違いない。急襲されても反応できるよう、リオはユケイから最も離れた場所で身構えていた。会話もないまま時間だけが過ぎ、やがてユケイは眠ってしまった。
しかしリオは夜通し警戒を怠らなかった。
無機質な照明が朝を告げ、リオとユケイは食事についた。
トイレの度に確認するのもいい加減うんざりだ。
配給口に替えの包帯が入っていた。そこからイブキの匂いを感じとるに、何かしらの理由で戻って来れないのだと察した。
天井の視線は何かを期待しているらしい。
自分で包帯を替えながら、リオは
問題
の答えについて考えていた。いつかは襲ってくるユケイに対し、制御できる実力を示せとでもいうのだろうか。軍人達にも言ったはずだ。たとえ相手が子供でも、それは絶対に不可能だと。
ユケイに目をやると床にうずくまっていた。首が重たいらしく、時々ああしている。
その丸太のような首輪では満足に休めないだろう。毛布を渡してやると、それで楽な姿勢を手に入れたようだ。疲れていたのか、ユケイはひたすら寝はじめた。四六時中そわそわされるよりずっといい。
こうして何も動きがないまま、消灯してまた一日が終わる。
あれから三日が経ったであろう夜。
いつ始まるとも知れぬ闘いに神経を尖らせ、疲れきっていたリオはついに睡魔に負けてしまった。血塗れた手が迫る一瞬の夢から目覚めると、ユケイが目の前に立っていた。煮えを切らしたような表情に、リオは息を飲み込んだ。
油断した途端にこれだ。やはりロゴドランデス族と手を取ることはできないのか ――。
リオは死を覚悟した。
が、暗がりによく見るとユケイは毛布を抱えていた。
「ど、どうした……?」
「別に……。毛布いるかなって」
「キミが使いな。それがないと眠りにくいだろ」
「おにーさんこそ全然寝れてないじゃん。なんかピリピリしてるから話しかけ難いし。オレのこと船まで送る約束あるんだから、体大事にしてよ!」
毛布を受けとめて、リオは呆然とした。
ユケイは反対側の壁際にもどり、背を向けて寝そべった。
「今は回復することを考えなきゃ。いざって時に動けないと困るよ。……てゆーかその怪我、オレのせいなんだよね。ごめん」
「え……」
騙されるな。と、リオの知識は言った。
ロゴドランデス族は残酷で、嘘つきで、そこに利があろうものなら
「んー……気にするな。あと少しもしたら杖なしで歩けるようになるさ。……キミだって痛かったろ? オレの方こそごめんね」
「別に。全然効いてないよーだ」
そんなロゴドランデス族にも変わり者がいたことを、リオは思い出してしまった。
血臭い毛布についた
「(ラダリェオさん……)」
通じるものを感じて目蓋を閉じると、すっと眠りに入ってしまった。
鍵を飲んでから四日目の朝。
リオが恐れていたことは起こらなかった。
部屋の外に待ちわびた気配が戻り、リオとユケイは窓に張りついた。
申し訳なさそうにしているイブキを背に、ヒエイ博士は満面の笑顔。
『驚かせてすまなかったねぇ。実はあの鍵、ただのラムネなんだ。本物の鍵はここにある』
博士は悪戯っ子のように笑うと、銀色の鍵を揺らしてみせた。
「イブキさんラムネって!?」
『大丈夫。リオが飲んだものはお腹の中で溶けてなくなったのよ』
「なんだよ……くそ。馬鹿にしやがって」
配給口に鍵が投げられ、リオはユケイの首輪を外してやった。
ユケイは首を鳴らしたり腕を回したりして、体の調子を確かめていた。
『これでユケイ君にとってのリオ君がどんな存在か、よーくわかったよ。さっそくだけど知りたいことが山盛りなんだ! 準備をするから朝食を食べて待っていてくれたまえ』
博士を横目に見送り、イブキはおずおずと部屋のマイクを取った。
『リオ……その、ずっと不安だったでしょう。三日間ここへは近づくなと博士に言われてしまったの……。何もできなくて、本当にごめんなさい……』
ユケイがぐわっと振り返り、割れんばかりに窓を叩いた。
「おっせーんだよバカ! ずっと待ってたんだぞ! 何でなんだよ! 何であんなヤツの言いなりなんだよ!! おにーさんのこと大事じゃないのかよ!!!?」
イブキははっとして、顔を伏して行ってしまった。
「逃げんな! 待てったらー!」
「やめろ。イブキさんを責めても仕方がない。彼女は自分の役割に忠実なだけだ」
ユケイの肩に手を添えて、リオはにへらと微笑んだ。
「あのさ……正直に言わせてくれ。実は組もうなんて言っておきながら、キミのことを全然信用してなかったんだ。キミにとってオレの存在は不可欠じゃないどころか、鍵のおかげで不要にすらなっただろう? だから絶対に腹を抉られると思ってた。オレの偏見によるとこれは絶対だった。でも、んー……キミはオレが知ってる奴らとは違うんだって分かったよ。疑ってごめんね」
「うっわなんだそれ! 言ったじゃん、オレがやっつけるのは悪党だけだって! おにーさんは悪党じゃなくて、悪党に捕まってるだけなんでしょ? だから保留だよ」
「保留かい……」
夢と重なるその面影が、気のせいではないように思えてきた。
「改めて仲直りをしよう。脱出の間までよろしくな、ユケイ」
リオはユケイの頭に手を伸ばした。
髪に触れて撫でてみても、ふたりの間に闘いは起こらなかった。
朝食を食べ終えて一息ついた後、遂にユケイは部屋から出ることを許された。
しかしそれには厄介な条件があった。
扉のポケットに入れられたのは、鎖の長い一組の手錠。
片方はユケイの左手首に、もう片方はリオの首輪に掛けるよう指示された。リオの命が新たな枷となり、ユケイは迂闊に動けなくなってしまった。
部屋の扉が開かれると、性悪な老人が白衣の連中を背にして微笑んでいた。
「よしよし、ちゃんと装着してくれたね。それじゃあついて来てくれ!」
松葉杖のリオにも容赦なく、電気警棒を持った男が追い立ててくる。
ユケイは廊下を歩きながら、連なる窓に目をやった。
格子の向こうに見える景色はどこまでも続く緑の丘。いつかの本で見た場所ではなさそうだ。
知らない陸地のどこかで一人。シバはまだ、助けに来ない。うつむいていると、リオが密かに手を握ってくれた。
僅かに交わした視線のなかで、脱走計画のはじまりを分かち合った。
まずは同じ建物の一階にあるシャワー室に連れてこられた。
リオが隣にいて設備の使い方を教えてくれた。洗剤に髪用と体用があるのは初めてだ。ユケイの髪は大量の血を含んでおり、流しても流しても血溜まりが絶えなかった。それを全面のガラス越しに見て、白衣の連中は引いていた。
老人だけはにっこりとして、なんだか嫌な感じ。
身なりを改めると、次は検査をするのだという。
大きな渡り廊下をゆき、別の建物へと移る。内装は無機質な白で統一されており、左右に伸びる廊下にはたくさんの部屋が並んでいた。それを順々に巡っては、あらゆることが行われた。
身長や体重を測ったり、つばやおしっこを取ったり、足の速さや腕力なんかも試された。
結果がでるたび白衣の連中は興奮していた。ユケイの身体能力は大人の竜族をかるく上回るものらしい。そんなことを知って何になるというのだろうか。ユケイにはわからなかった。
奇妙な繋がれ方をしているユケイとリオは注目の
同伴している連中がそれらを追い払い、検査とやらは順調に進みがらも一日の殆どを費やしたのだった。
最後の部屋で、ユケイは爪と牙を丸く整えられてしまった。
不満顔でいると「いい子にしてて偉いね」と犬のぬいぐるみを貰った。ふわふわの白いボディに青い帽子を被ったまぬけ顔。ユケイはそれを小脇に抱え、老人の手招きに応じた。
老人は少しお話をしようと言って、建物の一階に案内した。
その道中で、出入り口と思われる場所を発見した。リオの言った通り、頑丈そうな門に警備も厳重だ。ぐずぐずしていると電気警棒が背中をつついた。
ユケイとリオは指定の入口に追い込まれるなり鍵を掛けられてしまった。部屋には透明な窓を境にして一対の椅子が向かい合っていた。老人は仕切りの向こうで一人、偉そうに腰をかけている。もう一つの椅子はユケイのものらしいが、リオを座らせてあげた。
交わした笑顔を断ち切るように、博士がぱんと手を叩く。
「今日のところはお疲れ様。改めて挨拶をしよう。私はこの施設の責任者でね、博士と呼んでくれたまえ。キミの新しい主人だよ」
「ほーん……?」
「ここはねぇ、竜族のことを調べている場所なんだ。良い子にしていれば決して悪いところではないからね」
「オレ竜族じゃないよ? 人間だよ?」
「なるほど? キミはどうやって何もない所から刃物を出せるんだい?」
「えーと、手に持ってるイメージをすると勝手に出てくるんだ。体から離れたら消えちゃう」
ユケイが試しにやってみせると博士は驚きながらも喜んだ。
「ユケイ君のお父さんとお母さんは何処にいるのかな?」
「知らない。オレ、昔の記憶が無いんだ」
視界の端で、リオがはっと顔を上げた。
「ほほーう? 記憶がなくてどうやって生活してきたんだい?」
「シバが助けてくれた。言葉とかも全部、一からシバが教えてくれた」
「そのシバというのは何者だね? 海賊団の調教師か何かかな?」
「ちょーきょーし? 詳しくは知らない。確かなのはただの船乗りで、正義の味方で、恩人で……オレの大事な相棒だよ」
博士の表情が冷めたせいか、ユケイはリオに背中をつつかれた。
「……まぁいい。とにかくキミは何も知らずにやってきたわけだ。しかしここに来たからには、きっと夢から覚めるだろう。これから知るであろう多くの真実に押し潰されてしまわないことを願うよ」
博士が椅子から立ち上がる。
ユケイは仕切りに駆けよって、去りゆく背中を引きとめた。
「オレのこと調べるのは終わった? もう船に帰っていい!?」
「いーや、今日のは健康診断みたいなものさ。明日から本格的に研究を始めるからね。まずは無から物質を出現させる、君の不思議な能力について調べたいんだ。……あぁ~楽しみだなあ!」
ぞくりとするような笑みを浮かべ、博士は行ってしまうのだった。
(ログインが必要です)