1-5:不思議な少女
文字数 4,696文字
澄んだ朝焼け空を背に、ユケイの錘が外された。
甲板の手すりにひとり立ち、鋭く睨むは野蛮な船。もう風向きなどお構いなし。シバの巨大な黒船は波をきって獲物に迫った。
「今回は生け捕りだ。船員の補充をする。反抗的な奴は始末しろ」
「……わかった。シバが言うなら」
悪党は不意打ちをくらった様子で見張りだけが騒いでいた。接近具合を見計らい、ユケイは敵地に飛び込んだ。そして腰を抜かしている男達を一人、また一人とねじ伏せてゆく。
乱暴に、凶暴に、黒い刃を血で染めながら。
ユケイは時折り虚しくなる。
「(何をやってるんだろう。オレはただ……)」
銃弾を浴び、怒声を聞き、忌み嫌われて、血にまみれ。歩み寄るたび受けた屈辱。
肩にまとわる痛みが囁く。
―― お前はどうしてこいつに従ってるんだ?
「(シバを取り戻したいだけなのに……)」
追った分だけ離れてゆく一筋の光を求めるように、ユケイは刃をふりあげた。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_3ed0b1f5e295bfafa7329afae181a814.png)
黒船の甲板に八人の男が並べられた。
シバの手下達は新入りを囲ってからかい、下働きの役割を与えていった。
しかし新入りには観念していない様子がある。
シバが顎で促したので、ユケイは一人を見せしめにした。これで新入りはラッキーセブンになったと笑うのはシバだけで、ユケイの惨たらしい殺し方は誰をも震えあがらせた。
ユケイは目を瞑り、枷をつけてくれるシバの手の感触を味わった。
黒。何も見えない黒。
その温もりに触れるたび、光に満ちていたあの頃が、目蓋の裏に甦る。今は辛くて悲しいけれど、もっともっと頑張れば、昔のシバに戻るだろうか。
濁った赤の瞳には冷たい背中が映っていた。
「(オレ、どうしたらいいの……?)」
シャワー
ユケイはそそくさとボロ着を纏い、タオルを首に引っかけてシャワー
陽が射す廊下を歩きながら、ユケイはトミーとの計画について考えていた。
もしもシバに必要とされていなかったら。その先は頭が考えたがらない。けれどこのうやむやをはっきりさせたいとも思っている。
ユケイは大きな溜息をつき、図書室の扉を開いた。
しんと静まりかえった部屋。そこにトミーはおらず、渡した本が窓辺の床に落ちていた。
ユケイは本を拾い上げ、舌打ちした。
「逃げやがったな。……殺そ」
「こっ、ここでぇ~す! 私はいまぁ~~す!」
出現しかけた曲刀が消え、ユケイは声のする方へ。
倒れて久しい本棚の奥で縦長の収納庫が揺れている。戸が開くと埃が放たれ、中からトミーが現れた。なにやらげっそりしている様だが、ユケイは思わず顔が緩んだ。
「ほーん? そんなところで何してたの?」
「うう……ずっと待っていたんですからねぇ……? 朝帰りの風呂上りなんてあんまりですよぅ」
ユケイはにししと笑って、トミーの体中についた埃や蜘蛛の巣をはらってあげた。
聞けばあの後、数人の船員がこの図書室に押し入って来たらしい。トミーは隠れてやり過ごしたが、奴らは物々しい様子でユケイを探していたという。
ユケイの頭にはてなが浮かぶ。
「オレがシバと一緒にいた時でしょ? あいつらがオレに用なんてあるのかなぁ。案外トミーを探してたんじゃない? だってほら、新入りなのに船の修理サボり中じゃん。でもオレと一緒にいればきっと大丈夫。そんなことより続きを読んでよ!」
本を差し出すユケイに対し、トミーは口をもごもごさせて、ガシッと肩を掴んで返した。
「と、ともかくっ! 色々と邪魔が入る前にッ、計画を実行するのは今夜と致しましょう……!」
「えっ、今夜ぁ!?」
只ならぬ気迫に圧され、ユケイはしぶしぶ本を引っ込めるのだった。
心の準備もまだのうち、早めに実行しなければ計画が破綻してしまうらしい。
理由は長々説明されたが小難しくて右から左へ。今夜を逃すと永遠に真実を知れなくなるという脅し文句が強い印象となって、ユケイは首を傾げながらもトミーの後についていった。
やって来たのは地下三階にある武器倉庫。
船を降りた時、陸には魔物が出るから装備を整えなくてはならないとかで。弱っちい奴は大変だなと思った。
その倉庫には銃砲類から拷問器具まで様々な武器が納められていた。ユケイは読んで欲しい本を片手に、入口に寄りかかりながらトミーの様子を眺めていた。
トミーは服の下に厚手のチョッキを着たり、銃や刃物を仕込んだりと忙しそうで、なかなか介入の余地がない。あまりに退屈なので、ユケイも適当に部屋の中を歩いてみた。
色んな剣を持ち比べ、弾丸の箱をじゃらじゃら鳴らし、トゲのメイスをつんつんして、一番奥までやってきたがトミーの物色は続いている。
「トミーまだー? 早くしろよもぉーー」
「も、もう少々お待ちをーっ……!」
ユケイは錘をぶらつかせ、背後の壁にドスンともたれた。するとまさかに壁が抜け、さらに奥の空間へと転んでしまった。その衝撃で残りの壁もボロボロと崩れ、扉の枠組みが露となった。
奥の部屋への入口が埋められていたのだ。
武器庫の明かりが幾らか伸びるも、その全容は闇のなか。冷たい空気が頬を撫ぜる。
「こ、これは……! 隠し部屋ってやつですか」
トミーが懐中電灯を持って駆けつけた。
窓も照明もない部屋で、ライトが捉えたのはぽつんと佇む冷蔵庫だった。鎖で頑丈に巻かれており、不気味な冷気を放っている。
ユケイは肩を竦ませたが、トミーはずんずん近づいていった。
コンセントは壁のプラグに刺さっており、冷蔵庫は稼働しているようだった。
トミーは興味津々といった様子で。
「わざわざ部屋を埋めてまで、怪しいですね。開けてみましょうよ。きっと凄いお宝に違いありません……! それを船長さんに渡せばユケイ君のお手柄ですねぇ……?」
「ええオレが開けんの? まぁいいけど……」
にへら笑顔に促され、ユケイは怖さを断ち切るように太い鎖を千切ってみせた。
そして扉に手をかける。
足元に広がる冷気。庫内の灯りが中身を照らした。
「うわっ!」
「ヒィっ……!?」
そこに冷やされていたのは、全裸で蹲っているひとりの少女だった。
死体かと思ったのもつかの間。少女はゆっくりと目蓋を開き、ゆっくりと頭を動かし、唖然としているユケイ達に顔を向けたではないか。
薄水色の瞳には生気がなく、その表情はあまりに無機質。
「あ、女が隠れてた。女は捕まえなくちゃ」
動揺しながらも、ユケイは役割を思い出して少女を冷蔵庫から引きずり出した。その肌は氷のように冷たく、思わず手を放してしまう程だった。
トミーが恐る恐る言った。
「この子は……竜族のようですねぇ」
少女の尖った耳と細い瞳孔は、竜族の典型的な特徴だ。
すらりとした肌は青白く、水色の長髪はツーサイドアップに結われていた。少女は意識があるものの、横たわったまま動かない。
「竜族ならシバに渡すよ。シバは竜族が好きだって、誰かが言ってた」
「そ、そうなんですねぇ……。……あっでも、まずはお部屋に連れて帰って安全を確認してみませんかぁ? 隔離されていたくらいですぅ。特殊な能力を持っていたら、船長さんに迷惑がかかってしまいますよぉ。私なら竜族について詳しいので、一度お部屋で見させて下さい~」
「ほーん、なるほど。竜族っていろんな能力があって危ないとこあるもんね。トミーは物知りだなぁ。じゃあ一旦お部屋に持って帰る!」
ユケイは少女を抱きかかえ、トミーを追って部屋を出ようとした。
ーー その時。
「…………ェデ ぃ…………く……ん……?」
「え?」
少女がなにか呟いたような。
ユケイは耳を傾けてみたが、気のせいだったのか少女は腕の中でぐったりしていた。
図書室の窓は光に満ちて、読者スペースを照らしていた。
冷え切っている少女を温められると思ったが、椅子に座らせて手を離した途端、床に倒れてしまうのだった。
痛がる様子もなく、起き上がろうともせず、その体勢を恥じらいもしないで、眼球だけがユケイを追って動いている。
仕方ないので床に座らせ、陽のあたる壁に
ユケイは少女の顔を覗き込んだ。
「裸で寒くない? 何であんな所にいたの? 意地悪されて閉じ込められてた?」
返事を待っても少女は視線を返すばかり。
ユケイは負けじとその瞳を見詰め返してみた。
すると次第に、僅かな見覚えが湧いてくる。
思い出せない記憶の何処かで、以前に会っている気がしてならないのだ。
しかしこの感覚はぼんやりしすぎて捉えどころがなく、空腹の方が確かだった。
ユケイは溜息をつくと、すっくと立って扉に向かった。
「夜までまだ時間があるよね。腹減ったから何か取ってくる。三人分ね」
「あっ、私もお供しますぅ……!」
「すぐ戻るからいいよ。トミーはそいつの名前とか聞いといて」
ユケイはトミーを押し戻し、首を捻りながら
少女とふたり残されて、トミーはぼりぼり頭を掻いた。
冷蔵庫の中身がこれだとは、正直期待外れである。それでも少女を持ち帰らせたのは船長の注意を引きつけておけそうだと考えたからだ。渡すなら脱出の直前がいいだろう。
その為だけの存在であり、名前などどうでもよかった。
とはいえ、竜族について詳しいと
その様子は相変わらず。まるで壊れたお人形だ。
竜族の生態は体色から推測する事ができる。
青ならば水生の可能性が高い。そして服すら与えられなかったところをみるに、以前の持ち主の性奴隷かなにかで、精神を病んで無気力になっているのではないか。元々この船は犯罪組織のもの。竜族など道具に等しいだろう。
ユケイに聞かれたらこの辺りを適当に答えればいいと思った。
しかし冷蔵庫に閉じ込め、部屋を埋めてまで隔離していたのは少し気になる。竜族の種類や能力はあまりに多様で、人類はこれを把握しきれていない。もしかしたら危険な能力を持った兵器的な存在の可能性もある。
が、なんだって構わない。被害を被るのは船長だ。
それより脱出の準備である。トミーは手に入れたものを再確認した。
海図、コンパス、小型望遠鏡、携帯食料。防弾チョッキの裏には護身用のナイフと銃。弾がいくつか。決め手はこの、遠隔操作型の爆弾だ。
トミーはつくづく自分の悪運に酔いしれた。あの武器庫で必要なものが全て揃ったからだ。
トミーの考えるシナリオはこうだ。
今夜、ユケイには少女を連れて船長のもとへ行ってもらう。船長が少女を相手にしている隙に、ユケイと地下三階の非常口へ向かい、扉を解放してもらう。別々のボートに乗り、ユケイのボートには爆弾を仕掛けておく。船を出てなるべく距離を取ったところで起爆し、ボートを破壊する。ユケイは錘でたちまち沈み、後はひたすら陸を目指して逃げるのみ。
その瞬間はきっと素晴らしい解放感を味わえるだろう。口の端から笑みがこぼれた。
あと問題なのは、今どの辺にいるのかだ。
窓から覗くかぎり水平線に陸らしき影は見当たらない。
こちらの事などお構いなしに外の世界は平穏そのもの。光が
ふいに扉が開かれて、トミーは肩を跳ね上がらせた。
昨晩の男達が脳裏を過る。
現れたのはお盆に山と積まれた食料。
ユケイがにぱと微笑んで、トミーは胸をなで下ろした。
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