第7話 いいお客様なのよ

文字数 4,198文字

 勤めたブティックの店長はやり手だった。パートの店員から始まり、あっという間に店長になったという。
 伝説の女、とよばれていた。バブルの頃は飛ぶ鳥を落とす勢い……

 私が入った頃はもう斜陽。高価な服を買う客は減った。なのに……
 また、宝石のイベントか。
 ここはブティック。宝石屋ではないのに。
 売り上げを作るために宝石を売る。
 
 客にイベントのDMを出した。
『○○様のために特別にお取り寄せしました。ぜひ、いらしてください』
 果たして何人来るだろうか? 
 来るということは買うということだ。
 買わされる、ということだ。
 イベントのない日は毎日来て、何時間も喋っていくくせに。電話をしても用事があるから、と来やしない。

「お手紙、わざわざありがとう」
 それでも、嬉しそうにやってくるものがほんの少しいる。
「店長。100万までだよ」
……充分です。
 アパートを持っている地主様に宝石を売りつける。メーカーで何年も売れないで残っているものを。何点か。

 この女、どんなにいいものを着ても宝石を付けても似合わない。
 うちの店で買ったって言わないでほしい。
 恥ずかしい。あの頭……いつも帽子をかぶっているが、あの薄い髪……
(すべて、店長の言葉)

 閃いた。
 ウィッグを販売した。何年か前に面白いほど売れたのだ。
 女は歳をとるとどうしても髪が薄くなっていく。店長も若い頃から染めて染めて髪を痛めつけてきた。
 20万以上するウィッグを私たちスタッフもお願いされた。
「ひとり1個売ってね」

 恐ろしい。売れなければ自分で買う……スーパーのレジと変わらない時給なのに。こういう世界に入ると抜け出せない。
 娘は言う。
「おかあさん、行かなきゃいいじゃん」
 
 ウィッグは思ったほど売れなかった。△△様は髪が多く必要ない。
「毛深いんだ。亭主が、毛深いのがいいって言うんだ」
 下品すぎてさすがの店長も口には出せない。
「なに上品ぶってるの? ヒッヒッヒッ」
 金はあるが、義理で買ってくれる女ではない。 
 長い髪は美容院で手入れしているからきれいだ。

 髪の薄い地主様はすでにウィッグを持っていた。気にしているのだろう。買ったはいいが自分ではうまく付けられない。
 店長はおだてて2個売りつけた。
「ほら、簡単よ。私も買うから。被り方教えるから」
 嘘だ。安い給料で買ってなどいられない。いずれ必要になるかもしれないが。
 あとひとつ売れないと、スタッフの誰かが買わねば……

 そのとき初めての客が入ってきた。場違いの、汚い年寄り。恐れもせず寄ってきた。
 メーカーの者も、店長もあとひとつはどうしても売りたかった。
 私の口が動いていた。
「お試しになりませんか?」
 女は声をかけられ喜んだ。
 まさか、と思ったが、とんとん拍子だった。
 まさか、と思ったがバッグから通帳や年金手帳を出した。
 私はコーヒーを入れ菓子を出した。
 クレジットを組ませた。年金受給者は簡単に通ってしまった。
 女はコーヒーをお代わりし、ウィッグを被って喜んで帰って行った。

 とりあえず売り上げは出来たが、後味が悪かった。どんどんいやな女になっていく。
「返品しにこないですかね?」
 しばらくは恐怖だった。やがて忘れた。

 そして1年もした頃、その女は息子とやってきた。汚れたウィッグを持って。
 私は後悔した。とりあえずふたりを座らせた。
「ローンが払えないんです。なんとかしてください」
 息子が言った。
 なんとかしろったって、もうおたくと信販会社の問題。うちの店はもう関知しない。
 息子は物静かだ。余計怖かった。精神の病気で生活保護者。母親はヘラヘラ笑っていた。
 しっかりしなければ。後始末をしなければ……
 コーヒーを出し、社長に相談した。
「支払いが滞ってる。これ以上遅れるとやばいことになる」
 やばい? 
 丁寧に説明した。月々の支払額を減らし、期間を伸ばしてもらった。

 

 どこぞの社長夫人。愛人に負けずと宝石を買いまくっていた。太っているから入る服はない。
 たばこを吸う。
 宝石店の若い女のスタッフが後を追って入ってきた。
「お願い。買って、買って」
 露骨に宝石店の女が口にする。
 タバコがなくなった。私は買いに走った。
 タバコを渡すと社長夫人は恐縮し、バッグを買ってくれた。宝石店の女が私を睨んだ。
 領収証を切った。作業着代として……
 
 旦那に事故で死なれ保険金で遊ぶ女。
 なんと、うちに来ていた電気屋さんの奥さんだった。小柄で童顔だがかなりの年だろう。
 ホストと旅行してきた、と自慢した。
 若いメーカーの男が来ると喜ぶ。こちらも買ってもらうために必死だ。
 膝をついて裾上げする。褒めまくる。ホストみたいだ。行ったことはないが。
 いい客だ。旦那のことを話すと泣く。いい人だったと。
 働き者で愛してくれた……空っぽ頭の妻は、旦那の残してくれた保険金を湯水のように使い果たした。
 金がなくなると買わない。買えない。それでも来た。コーヒーは出さなくなった。
 さんざん金を使わせておいて、金がなくなれば用はない。居座られても迷惑だ。同じ話を何度もする。聞いてやる暇はない。暇だが……
 やがて奥さんは来なくなった。地主様が言った。
「金を使い果たされた息子は店を恨んでるよ……怖いわねえ」

 
 すぐそばのスーパーの経営者夫人。初めから不穏な雰囲気だった。いつも店長とこそこそ話していた。
 いつも行く食堂の奥さんの悪口を言っていた。痩せててなんの魅力もない……
 ある日、夫人が真っ青な顔で入ってきた。
「店長どうしよう? バレちゃった」
 ただごとではないらしい。
「バレた。娘にも言いつけるって」
「とりあえず、謝っちゃえば……」
「なんで謝らなければならないの?」
 コソコソコソ。

 不倫が相手の奥さんにバレた? 修羅場。相手の男は……? まさか、あの食堂の旦那? あの、年寄りのなんの魅力も感じない……

 奥さんは家を出て行った。3人の子供を残して。食堂の夫婦は元の鞘に収まった。店は繁盛している。
 仲のよい夫婦の店。スーパーも繁盛している。ただ、主人は私たちを見ると嫌な顔をする。まるで私たちが悪いように見る。
 派手な女たちが妻をそそのかしたのだと。もう、そのスーパーには行けなくなった。

 
 売り上げはますます減る。
 今度は時計だ。
 以前はいくつも売っていた、メーカーの伝説の凄腕の店長は期待されたが……時代が違う。

 時計が5個売れた。社長は喜んだが店長はもうひとつ売りたかったようだ。
 クレジットを組んだひとりが癖のある客らしい。以前にもキャンセルをした。
 長い時間かけて考えていた。誰も勧めなかった。あとでキャンセルされるくらいなら。
 ところがその客は購入した。クレジットを組んだ。
 でもキャンセルが怖い……

 そのとき太った社長夫人が入ってきた。
 時計は店長からは勧めない。興味はあるはずだ。金も。
 社長夫人はコーヒーを飲むと立ち上がり時計を見た。メーカーの男性が勧める。さりげなく。
 腕にはめる。ロ○○○○をはずして。気に入ったようだ。
「店長、100万だよ。キャッシュだから。消費税なんて言わないでよ」
「社長にお願いしてみます」
 勿論OKだ。もっとまけても構わないのだ。
 社長夫人はバッグから封筒に入っている札束を出した。帯付きだ。
「確認して」
 私が数える。
 宝石店で使うつもりだったのだろう。あのスタッフに知られたら恨まれそうで怖い。

 翌日、案の定キャンセルの電話があった。予感していた店長は私に任せた。
 長い電話。
 主人がもっと安く手に入る、と。弁護士に相談する、とまで言い出した。
「2度と来るな。バカヤロー。DMも抹消して」 
 高額の商品をたやすく買えるわけがない。世のご亭主は知らないのだ。服や宝石の値段を。
 地主様は値札をすべて取らせ、わざわざスーパーの袋に入れて持ち帰る。

 
 あと、どんな客がいただろうか? 

 看護師の常連客。最初ワゴンを見ていたという。店長が声をかけると嬉しそうだった。
 冴えない、ブティックには似合わない女は毎日来るようになった。
 趣味もなく友人もいない。家では夫とも口を利かないと言う女は喋りまくる。夫のこと、嫁のこと、上司のこと。
 楽しい話ではない。聞くに耐えない悪口ばかりだ。機関銃のように吐き出していく。そしてその代償として高い服を買う。似合わないが。
 ワゴンの商品さえ躊躇していた女が、以前は座れなかった椅子に座り、ふんぞり返りコーヒーを飲む。『◯◯様』と呼ばれるのが嬉しくて服を買う。
 店長が取り寄せた1000円の菓子をもらい、高い宝石を買う。長いクレジットを組む。つけていく場所もないのに。

 
 学校給食の調理職員がいた。初めて見たときに着ていたコートは雑誌に載っていた。太った垢抜けない女が着ると同じものには見えないが。
 店長に褒められ気をよくした女は常連客になった。 
 ひとり暮らしの寂しい女はだんだん図々しくなっていった。
 花器を持ってきてカウンターに花を飾った。堂々と生ける。我が物顔にキッチンを使う。
 買ってくれれば文句はないが。
 その女は退職金の半分を2年で使い果たした。そして来なくなった。気が付いたのだろう。すべてを使い果たす前に。

 
 どこぞの女社長はワゴンの安いセーターを従業員にと、20枚ラッピングさせ箱代をサービスしろと言ってきた。
 ラッピングしている間にパチンコで5万円すってきた。
 2度と来るな、と思ったが営業用の笑顔はたいしたものだ。
 翌日女社長はまた来た。ラッピングに従業員が大喜びしたと。
「パチンコ行かないで服買ってくださいよォ」
 私の口から出た。宝石店の女がしたように甘えた。
 女社長はときどき顔を出すようになった。たいしていい客ではないが。

 
 店長がクレジットの明細を見て驚いていた。
 客に配ったお取り寄せの菓子。社長は経費を出さない。販促費が遅れている。
 賞与は君が1番多いのだ、と。
 売り上げがないと自分で買っていた。
 入金しておかなければ……やばいことになる。 
 おかあさんが残してくれた金に手を付けた……
 
 もうレジはゼロで締める。もうクローズだ。もう無理だ。

 給食調理の女が孤独死していた。地主様がどこからか聞いてきた。もうずいぶん経つ。去る者は追わず……ひどい女になってしまった。今にバチが当たる。同じように……
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