第6話 みな愛しい

文字数 1,360文字

 施設の90歳を過ぎた女性。染めてないのに髪が真っ黒。髪だけ歳を取らない。


 入居して8年目の女性、色黒かと思っていたら白かったのね。
 紫外線を浴びないと、肌がきれいになる。


 ボリュームありすぎて、やまんばのような髪が、短くなっていた。
「髪切ったんですね?」
「切らないわよ」
「……」
 髪も染めるのをやめるとボリュームが出てくる。羨ましいくらいの方がいる。


「先生、トイレ行きたいんです」
「行ってきたばかりでしょ?」
「行ってないわよ」


「牛乳飲んでません」
 からのカップが置いてある。
「飲んだでしょ」
「飲んでないわよ。なんにももらってな〜い」
 隣の方が、
「私、泥棒なんかしません」


 ごはんはユニットで炊く。それを若い子は中高に盛る、ということを知らない。不味そうに盛る。
 前にいた女性の職員は、茶碗も汁椀も箸もおかずも、右も左も前後もおかまいなし。
 配られた認知症の年配者は無意識にだろうが位置を直す。


 入ったばかりの、専門の学校を出た女性が、においに耐えられず1日で辞めたそうだ。
 隣のユニットの若いお嬢さんは慌てて洗面台に走った。
「アーン、唾が付いた」
 このお嬢さんも辞めていった。


 私は最初、周辺業務で入った。
 朝食のあと、早番の職員さんが順番に排泄介助をする。ひとりで10人を。私はその間見守る。なにもできないが。
「おねえさん、うん○」
 男性は叫んだ。私には無理だ。
「おねえさん。もっちゃう」


 クスノキさんは90歳を過ぎているが、この方は食事を摂らない。食べるのは息子さんが買ってくるコーヒー牛乳と甘い煎餅。それ以外は食べない。
 食べたい時間に部屋から出てきて杖で床を叩く。
 私はコーヒー牛乳と煎餅を2枚出す。食べると杖をついて部屋に戻りベッドに横になる。
 朝食のパンはジャムをたくさん塗ると、ほんの少し召しあがるときもあった。
 おかずと味噌汁は手をつけない。それでいて悪いところはなかった。


 ツゲさんは髪の量が多い。前髪が伸びる。目に掛かる。目をふさぐ。素直な髪は分けても戻る。気になってしょうがない。職員に言えば、
「家族になにか持ってきてもらいましょうか」
 悠長に構えている。実行されない。家族は理美容も申し込まない。
 私は家にあったプラスチックの髪留めを持っていき、前髪を分けて留めた。
 普段は食事さえ人任せ、手を動かすこともないツゲさんが、翌日髪飾りを食べた。ガリガリと。 
 ツゲさんには自歯がある。職員が手袋をして、取れるだけ取ったが、見事に粉々に噛み砕かれていた。しばらくは便の観察だ。
 休み明けに知らされて驚いた。
 謝った。勝手に持ってきたことを。お咎めはなかったが。
 職員は家族にも電話を入れてくれ、ツゲさんの髪はカットされた。
 2度と、2度と余計なことはすまい。たとえ目が塞がろうが、なにがどうしようが……


 今日はスタッフの写真を撮る日。
 いつもより早く起きて、念入りに顔作らなきゃ。
 化粧水にクリームを多めに付け、髪を先にブローした。そして分け目にポンポンと粉の手軽な白髪染め。
 …‥そして口紅を紅筆で丁寧に。

 写真を撮る前に気が付いた。
 若見え〜のファンデーション塗ってくるの忘れた。顔が明るく見えるお粉も……アイメイクも。

 口紅以外すっぴんで写真を撮りました。


【お題】『噓でしょ?」から始まる物語
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