4)

文字数 4,898文字

 木々が日光を遮っていた。幹には無数の蔦が巻き付いていた。草が一面に茂っていて、地面の色が見えなかった。獣道すらなかった。
 霧崎は、状況を見て唖然とした。一歩を踏み込むのに迷いが生じる程だった。
「雨が降っていたら引き返していたでしょうね。晴れている分、まだ進めます」
「奥に行きましょう」樹沙羅とグーゴルは丁寧に草を踏みながら進んでいった。
「おい、待ってくれ」霧崎は、平然と進む2人の後をぎこちない動きでついていった。
「生物の調査なんて言わなければ、立ち入りが出来ませんでした。素直に感謝します」霧崎はグーゴルに話しかけた。
「いえ。本当ですよ」
「本当ですか」
「森を調べるという点です」グーゴルと樹沙羅は大股で奥へと進んでいった。霧崎は2人の後をついていった。地面が見えず歩きにくかった。
「本当にきついな」
「弱音を吐いても仕方ありません。神楽殿の森も、同じ状況ですよ」
「分かるんですか」
「人が立ち入っていないのですから、同じでしょう」
 霧崎は大きく息を吐いた。「訓練のつもりで行くか」
 奥へ進んだ。日が差さず、深緑の植物と木々が全てを覆い尽くしていた。
 グーゴルは立ち止まり、かがんで草を払った。草の下に階段らしき岩が並行で並んでいた。岩は所々欠けていた。面が平たかった。
「体調を崩しましたか」霧崎はグーゴルに尋ねた。
「見て下さい、何かしらの施設があったのは確かです」
 霧崎は、グーゴルの目線の先を見た。平面の岩が苔の間から露わになっていた。
「施設ですか」
 グーゴルは奥へと歩いていった。樹沙羅と霧崎は後をついていった。
 丘についた。傾斜があった。
 グーゴルは草ごと丘の土を踏んだ。固い感触がした。更に1歩を踏んだ。再び固い感触がした。階段だ。
「階段ですね、人の出入りがあったようです」
「施設があったのか」
「そのようです」
 グーゴルは丘を登っていった。霧崎と樹沙羅は後に続いた。
 グーゴルは丘を登り終えた。膝丈の草が生い茂る中、枝垂れ桜の巨木が1本立っていた。枝から樹緑色の葉と共に淡い色の花を付けていた。花は、神楽殿に咲いている桜より密度があった。
 霧崎と樹沙羅も丘を登り終え、グーゴルの元に来て桜を見た。
「綺麗」
「結界を守る桜の予備と言う意味での、念の為だったのでしょう」
 霧崎は桜の木の元に移動し、未だ瑞々しい落ち葉を拾って眺めた。
「神楽殿にあるのと同じか、よく分からないな」
 樹沙羅は桜の木の元に移動し、幹に軽く触れた。触れた所が僅かに光り、光の粒子が樹沙羅の手に集まっていった。同時に人々が棒で殴りつけ、罵倒している光景が幻覚や幻聴となって現れた。
 樹沙羅は恐怖で手を離した。幻覚や幻聴が消えた。軽くめまいを覚え、ふらついた。
「大丈夫か」霧崎は樹沙羅に声をかけた。
「ええ」樹沙羅は桜を見上げた。桜が取り込んだ念だろうか。
「桜は力を吸い上げる性質があるから」樹沙羅は軽く首を振った。「大丈夫よ」
「吸い上げる、か」霧崎は桜に触れて撫でた。樹皮の感触以外は何も感じなかった。瘴気は草木を枯らす性質を持つ。にも関わらず吸い上げているはずの神楽殿の桜は1本も枯れていない。瘴気以外の力を選んで吸収しているのか。仮に正しいとすれば、フィルタがなければ濾し取れない。フィルタとは何だ。
「まさか」霧崎はつぶやいた。結界をふるいに置き換えるなら、瘴気である小石は引っかかるが細かく砕けば通過する。
「瘴気というのは、随時変化しているのか」
「自然物である限り、変化しているでしょうね」グーゴルは霧崎の質問に答えた。
 霧崎は顔をしかめた。変化しているなら、細かく砕いた瘴気も発生する可能性がある。正確に濾し取るなら、ふるいも変える必要がある。結界も対応していなければ濾し取れない。
「何か関係があるの」
「桜は、草木を枯らす瘴気も吸収するのか」
 樹沙羅は霧島の言葉に口をつぐんだ。
「なら、桜はとっくに枯れている。桜も命だからな。どうして枯れないんだ」
「言われてみれば」
「結界がフィルタになっているのではないのか。森の内側から張ってあるなら矛盾はない」
「内側から」樹沙羅は驚いた。森の内側から結界があるというのは始めて聞く。
「桜が自ら結界を張っていると。なら至る所結界だらけになるのではないですか」
 霧崎は頷いた。グーゴルの言う通り、桜が結界を張る性質があるなら、桜並木は結界だらけで誰一人として立ち入れない。
「桜の結界を内側から何かが増幅しているんだ。但し根拠はない」
「根拠はあるわ、人柱よ。人柱は魂を固定して災いを守る。大地に固定した魂が、桜の結界を増幅しているのよ。内側から結界を強めて止めている」
「しかし、君は念と共に消えていくと」
「瘴気と同じで、大地の力と融合しているのよ」
 グーゴルは顔をしかめた。「瘴気を相殺する結界を作る存在、が森の中にいると言うのですか」
 霧崎は頷いた。
「瘴気の変化に対応して桜の結界が変化するんだ、自ずと立ち遅れる。結界が変化している間、一時的に弱まったのが15年前と今ではないのかと」
「放ったらかしにしておけば、結界が変化して元に戻るんじゃない」
「無理でしょう。対応出来ていても、瘴気は別の形に変化しています。桜はかなりの年数が経っている上に外からの結界も弱まっているのです、限界は近いのかも知れません」
「森の中に人が宿っているとしたら、一種の警告なのかもしれない。もう限界だ、助けてくれと」
「警告ですか。子供を引き入れたのでしょうか」グーゴルの言葉に霧崎は渋い表情をした。結界が変化している最中で不安定だったから、刹那と波長が偶然合致したのだと仮定していた。偶然と言う要素を抜けばグーゴルの言葉に一理ある。だが、中にいる存在が人間の自我を持っているというのか。
「中では結界と戦っている何かがあるんでしょ。力を与えて強くすれば瘴気は打ち消せるかも知れない」
「力の主は何処にいるか分かるのか」
「入らない限り分からないわ。だからやるしかない」
「中に入る手段は」
「神楽祭りよ。大地の力が鼓舞する程の均衡が崩れた状態で押せば、結界は簡単に崩せる。しかも鼓舞した力で修復出来るわ。森に入って力の中心に入って、瘴気に対抗している力を増幅し、消し去るだけよ」
「貴方は」グーゴルは、霧崎に尋ねた。
「整理しよう。宮司は人柱と桜でもって瘴気に変化した大地の力を封じた。以後内側にいる存在は瘴気に対応して結界を変化し、桜に瘴気が流れるのを阻止してきた。桜は外からの結界を司っている。二重の結界で瘴気が外に漏れないようになっていた。だが、伝承の時代から今に至るまで、外の結界を桜だけで守るには限界があった」
「力の不足を補填する為に、神楽祭りがある」
 霧崎は、樹沙羅の言葉に頷いた。「だが、大地の力は自然だ。強まる時もあり、弱まる時もある。均衡が崩れて瘴気が漏れたのが15年前。均衡の崩れを神楽祭りで取り戻したが、僅か15年で崩れ去りつつある」
「確かに」グーゴルは頷いた。
「瘴気の正体は宮司ではない。嫌っている村人の為に自ら人柱にはならない。となれば旅の娘か村人の念が姿ケ池から飛んで来たと見える」
「両方とも、巫女が人柱で封じたわよ」
「封じる前に飛んできたとしたら」
「姿ケ池にあったから封じたのよ。飛んでいたらもう姿ケ池に力はなくなる。人柱を立てる意味はなくなるわ」
 霧崎は気難しい表情をした。樹沙羅の言う通りなら、人の念以外が森に存在する。大地の力を瘴気に変えた力がだ。
 霧崎は咳払いをした。「何にせよ、大地の力が瘴気になり、戻らなくなっているのは確かだ。まるでがん細胞だ」
「何、がん細胞って」樹沙羅は鸚鵡返しに尋ねた。
「大学で軽くしか聞いてなかったが、体に悪さする細胞で無限に増殖して体を蝕んでいく。取り除く以外に対処はない」
「大本を取り除かない限り、終わりはない。森と同じね」
「神楽祭りの時に結界を破って入り、根を止めるしかない」
 樹沙羅は頷いた。「もう要はないわ。帰りましょう、整理する時間が必要だわ」
 樹沙羅の言葉にグーゴルと霧崎は頷いた。3人は踵を返し裏山から去っていった。草が踏みつけで凹んでいる箇所を辿っていった。
「大量に塩とお守りとお酒、持って行った方がいいかもね」
「何故だ」
「お祓いよ。瘴気が満ちている所に行くんだから、当然でしょ」
「行くって、遠足感覚だな」
「遠足だと割り切らないとやってられないわよ。帰幽するかも知れないんだから」
 霧崎は樹沙羅を見た。真剣な表情で前を向いていた。
 光が差し込んできた。出入り口に来た。年老いた男は扉の隣で待っていた。
「もう戻ってきたのか」
「意外に踏み込めませんでした。問題なく調査は終わりました。ご協力感謝いたします」グーゴルは頭を下げた。
 年老いた男は頭を下げた。
 霧崎は服に付いた草を払い落としていた。所々に草の汁が付いて緑色になっていた。
「協力感謝します」霧崎は頭を下げ、庭に回り込んでいった。
 グーゴルも、霧崎に続いて出ていった。
 樹沙羅は頭を下げた。「ありがとうございました」
「いえ」
 樹沙羅は家の門を通って出ていった。霧島とグーゴルは門の外で待っていた。
 霧島とグーゴルは、車に向かって歩いていった。
 樹沙羅は、霧島の後をついて行こうとした。気配を覚え、振り返った。家の先に森が広がっている光景があった。近くに化学工場があった。
 樹沙羅は暫くの間、森を見つめた。桜の木に触れた時に見えた映像、聞こえた音は何を意味していたの。
「置いてくぞ」霧崎の声が響いた。
 樹沙羅は霧崎とグーゴルの元へ駆けていった。



 翌日、霧崎は父符警察署に出勤した。休み明けで体は軽かった。
 霧崎は部屋に入った。「おはようございます」
「ああ、おはよう」
 同僚達の挨拶が響いた。
 千葉はデスクに座っていた。霧崎の姿を確認して立ち上がった。霧島に近づいた。「昨日は休めたか」
「え、ええ」
「唐突な話になるが、お前は八想神社神楽殿の捜索から外した。当然、神楽祭りの近辺警護も外れる」
 霧崎は驚いた。「何でですか」
「時間が経過しすぎたんだ。生存者の捜索ではなく死体の回収に切り替わる」
 霧島はたじろいだ。千葉の言う通り、時間が余りに経過しすぎている。普通の人間なら死んでいる。
「最悪、お前が第一発見者になるかも知れん。いくら死体を見慣れているとは言え身内、特に自分の子供の死体を見て平然としてる奴はいない。最悪立ち直れないかも知れない。だからこそ、お前を外すと決めたんだ」
「俺は警官になった身です。覚悟は出来ています」
「自分の子供が、腐った姿に変わり果ててもか」
 霧崎は、千葉の質問に口を結んだ。
「勇気や威勢なんてな、事実の前には何の役に立たねえんだ」
 部屋全体が沈黙した。換気扇の音がうねりを上げて霧崎の耳に入っていた。
 霧崎は重い口を開けた。「でも、自分で決着しなければなりません。全てを終わらせる為に」霧崎は震えた声で言った。千葉の言う通り変わり果てた刹那を目の当たりにするかも知れない。身も心も弱い正子は神経衰弱で命を落とし、自分は警察を辞めるかも知れない。だが、全てを終わらせなければ新たな犠牲者が出る。今更千葉の言葉に納得して引く訳にいかない。
「最後までやると言うんだな」千葉は霧崎に尋ねた。
 霧崎は唾を飲み込み、頷いた。「引けば捜索の為に自分に関わった、全ての人の好意が無駄になります」
 千葉はデスクに戻った。置いてある紙に万年筆で書き込むとブロッターでインクを吸い取り、霧崎に差し出した。『確約書』と殴り書きがしてあった。
「最悪の結果でも辞めないと誓え。只でさえ人員不足なんだからな」
 霧崎は千葉から紙を取り、踵を返してデスクに向かった。胸ポケットに入れていた万年筆を手に取り、キャップを外して名前を力強い調子で書いた。書き終えると、千葉に紙を差し出した。
 千葉は何も言わず、紙を受け取った。霧崎の表情を見た。決意に満ちた表情だった。
「よし、戻れ」千葉は霧崎に強く言った。「お前が持っている資料から拾い出した役に立ちそうな箇所を報告書に纏めろ。終わったら俺に出せ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み