2)

文字数 7,200文字

 掃き出し窓から光が入り込んでいた。中央のテーブルにはテーブルクロスが敷いてあり、片手で持てる程の大きさの段ボール箱が2、3個置いてあった。
「どうぞ、お座りください」グーゴルは、ドアの方を向いた。「ミリア、客人です。コーヒーを持って来てください」
「はい」遠くから声がした。
 グーゴルはドアを閉めてテーブルの中央に来ると、椅子を引いて座ると段ボール箱を手に取って開けた。
 霧崎は、椅子を引いて座った。「15年前、神楽殿で巫女が亡くなったと聞いています。詳細を教えてください」
 グーゴルは段ボール箱から黄ばんだ紙を挟んだノートを取り出し、開いて霧崎に見せた。「当時の調査メモです」
 霧崎は覗き込んだ。ノートは英語と日本語が混ざった状態で書き込んであり、現場の白黒写真が貼り付けてあった。
 グーゴルは、霧崎の表情を見て笑みを浮かべた。「読めませんか」
「英語というのは苦手です」霧崎は渋い表情をしてグーゴルを見た。
「私も日本の言葉は読めません。周りの人間に助けてばかりです」グーゴルは、霧崎の手元にあるノートを引き寄せた。「写真だけでも十分かと思います」
「個人として調査をしていたのですか」
「GHQに従軍していました。宗教や文化が関わって居た為、私も同行し調査しました」
「GHQですか」
「ええ」グーゴルは頷いた。「私はアメリカにいました。知人に日系の方がいましてね。彼を通して日本の文化を聞き、興味を持ちました。戦後に日本に渡る従軍者募集の知らせがあった時、タイミングが良いとして志願してきました。私の勝手で来たのです。妻には迷惑をかけました」
 霧崎はグーゴルを見て感心した。アメリカから日本は僻地だ。態々来るとは並ならぬ決意があったと見える。「日系の方とは、今は」
「戦争の折、隔離されました。今は分かりません」
 霧崎は渋い表情をした。気まずい質問をしたと気付いた。
「別れは常にあります」グーゴルは、霧崎を気遣った。「15年前はGHQが警察の代わりとして機能していました。私は日本に来た理由から、アドバイザーとして共に調査に当たりました」
「資料はGHQに渡らなかったのですか」
「纏めを行っている最中、管轄が日本の警察に移行しました。混乱から資料の返却も押収もなく放置したままになったのです」
 グーゴルは段ボール箱の中を漁り、ファイルを取り出すと霧崎に差し出した。
「検死の結果です。宮司の妻は急激な運動による、心臓麻痺で死亡したのが判明しています」
「調査資料で見ました」霧崎はグーゴルの言葉に返した。「私が知りたいのは、森と神社との関係です。今回子供が入り込んだ件と15年前の件と何かしら繋がっていると考えています」
「森と神社とは不可分です。祭りも、森に関連しています」
「森にですか」
「ええ」グーゴルは頷いた。「宗教施設とは特定の存在を崇める施設であると同時に、領域の拠点として建つ場合もあります。神社も例外ではありません」
 霧崎は眉を顰めた。グーゴルの言葉の意味が理解出来なかった。
「八想神社は、森を守る拠点として移転した神社です」
「移転した」霧崎は鸚鵡返しに言った。
「ええ。理由は不明ですが伝承からすると、森を守る拠点として移ったのです」グーゴルは手元にある本のうち、メモがはさんである個所を開いた。漢字の羅列が記述してあり、山が周りにある姿ケ池近辺の光景が挿絵として載っていた。はさんであるメモは英語で書き込んであった。
「森を守る、ですか」
「神楽祭りは結界の大本となる大地の力を鼓舞し、維持し続ける為に行ってきました。森には神社や村にとってまずい何かがあるのでしょう」
「伝承によれば、森には怪物の死体があると聞きました」
「私も聞きました。しかし、誰一人として立ち入った人はいません。仮に死体があったとしても既に腐食して骨になっているか、跡形もなくなっています。死蝋化しているというのもありますが、保管状態が特殊な場合に起こりうる状態で、野ざらしになっている死体が残っているとは私にはとても思えません」
 霧崎は、グーゴルの話に相槌を打った。意外に冷静な判断をしている。「では、別の何かがあると」
「はい。あるいは意図的に隠しているかです」
「隠している、ですか」
「嘘と言うのは事実を覆い隠す為につきます。加えて大抵の伝承は物語としての論理性、見栄えする演出と何かしらの教訓を足して存在します。脚色や嘘を外して事実を突き止めるのが民俗学の基本となります。しかしながら、村に伝わる伝承は何処までが嘘か分からない状態です」
 霧崎は頷いた。結界や瘴気が事実として存在する。となれば何処までが嘘で何処までが事実なのか分からないのは当然だ。
「子供が入り込んだという記録はありますか」
 グーゴルは首を振った。「いえ。15年前は逆に近づけなかったようです」
「近づけなかった」
「ええ。終戦後GHQの統制で、日本的なイベントは全て中止しました。祭りが中断している間、大地の力が弱まり瘴気が漏れ出し周辺の草木や作物が枯れていきました。森の近くに住む者が病に倒れる者が現れました」
 グーゴルは、段ボール箱からアルバムを取り出して開き、霧崎に見せた。白黒写真で枯れている作物や、やせ細った年寄りをおぶっている農民の写真があった。
「現に、今でも森近辺には誰も住んでいません。避難したのです」
 霧崎は、写真のうち農民達の足元を見た。足元に生えている草は白黒写真であるが、みずみずしさがなくなり枯れているのが分かった。
「私はスンズンと相談しました。スンズンは村人や大地に気力を取り戻すのが重要だと判断し、神楽祭りの開始を求めました。私は他に方法がないと判断し、上層部と交渉しました。GHQは1度だけという条件で神楽祭りを起こしました」
「結果、巫女が死んだと」
 グーゴルは頷いた。「以降は結界が復活し、瘴気は止まりました。効果はあったようです」
「では何故、子供が復活した結界を越えて入れたのですか」
「結界というのは人が条件を付け、そぐわない対象を排除する仕組みになっています。仲間内にあるルールを知らないが故、仲間外れになるのと同じです」
「答えになっていない気がします」
「結界を越えるには、結界が示す条件に照合している場合があります。仲間に入る為に必要なルールです」
 ドアが開いてミリアが入ってきた。ミリアは盆の上に湯気が立つコーヒーの入ったカップと、鮮やかな色のついたクッキーを入れた皿を持っていた。
「話中、済みませんデス」ミリアはテーブルの前に来ると、中央にカップと皿を置いた。
「いえ」霧崎は頭を下げた。「家族で日本に来たのですか。随分苦労したのではないでしょうか」
「グーゴルは日本に興味がありマシテ、一人でも行くと言うので二人で来たのデス」
「日本語は通訳やスンズン、神社の方ですね。多くの人にも教えてもらいました。調査が終わりGHQが解散した頃は娘が出来た直後でしたから、日本に残りました」
「本当にタイミングが悪いデス。でも皆優しいですし娘は適応シテマスから、良かったです」
 ミリアは、グーゴルの方を向いた。「警察が来る前にネギから連絡が有りました。センティが樹沙羅を連れて帰ってくるソーデス」
「樹沙羅。宮司の娘さんですか」
「よく知っていますね」グーゴルは、霧崎に尋ねた。
「はい、調べました」
 ミリアは笑みを浮かべた。「凄いです、小言も言えません」ミリアは礼をし、部屋から出ていった。ドアが閉まった。
 グーゴルはカップを手にして中のコーヒーを飲んだ。
「そろそろ来るようですね」
 霧崎は、グーゴルの話に興味を持った。宮司の娘に会えれば、神社について詳細な話を聞ける。
 グーゴルは、皿にあるクッキーを手に取り、割って片方を霧崎に差し出した。「どうぞ、お食べください」
 霧崎はクッキーを受け取った。僅かに暖かかった。
「安心して下さい。毒は入っていません」
 霧崎はクッキーを食べた。見た目より柔らかく、噛み砕く度に甘味が染み出してきた。
「話を戻します」グーゴルはクッキーを見つめた。「欠けたクッキーを元に戻すのは、欠けた部分をはめるしかありません。しかし、欠けた部分は貴方が食べてしまいました」
「食べて下さいと言ったからでは。戻せと言っても無理です」
 グーゴルは笑みを浮かべた。「ええ、結界も同じです。片方に対して片方を失った以上、当てはめず戻せません。しかし、たった一つだけクッキーを合わせる方法があります」
「何ですか」
 グーゴルは欠けたクッキーを手で削り、皿に置くと別のクッキーを取り出して割った。割ったクッキーも欠けたクッキーと同じく手で削った。ある程度平たくなった処で、欠けたクッキーと割ったクッキーを合わせた。僅かなずれがあるが、元の形に近い状態に合わさった。
「互いに合わせるまで削り込めば擦り合わせは可能です。結界も同じで、神楽祭りが15年間中断していた為に変化し、順応しやすい子供の霊力とかち合ってしまったと見えます」
 霧崎は、渋い表情をした。子供が中に入ったと言うのは朝に聞いた。話が一周した。
 呼び鈴が鳴った。
「来ましたね」
「待って下さい。私が出ます」霧崎は、席を立った。
「大丈夫です。ミリアが応対します」
 霧崎は不快な表情をした。何もせず会わずに通り過ぎてしまえば、宮司の娘から話を聞けなくなる。
 ドアの向こう側から、駆けてくる力強い足音が響いた。
 居間のドアが開き、樹沙羅とセンティが現れた。
「おじ様、こんにちわ」樹沙羅は、快活な声で言った。
 センティは、霧崎とグーゴルが対面している状態を見て驚いた。「済みません、警察の人と話をしている時に」
「気にしないでいい」霧崎は気さくに言い、樹沙羅の方を向いた。樹沙羅と霧崎の目があった。「確か、君は宮司の娘だったな。神楽殿や周囲の森について何でもいい。知らないか」
 樹沙羅は霧崎の質問に面食らった。自分も警察から話を聞きだそうとしていたが、逆に質問を受けると思っていなかった。「森、ですか」
 グーゴルは頷いた。「彼は、森に入った子供を助けたいとして捜査しています」
 樹沙羅は眉を顰めた。「いえ。子供については何も。元々遠くの学校の寮にいて、戻ってきたばかりだから何も分からないわ」
 霧崎は渋い表情をして、ぬるくなったコーヒーを飲んだ。熱さが抜け、酸味のあるぬるま湯となっていた。
「15年前について、何かあったのですか」
「何故ですか」グーゴルは、樹沙羅に尋ねた。
 グーゴルは、段ボール箱からファイルを取り出して開いた。
「神楽祭りを行う前、瘴気が森から漏れていたのは知っていますね」グーゴルは、樹沙羅に尋ねた。
 樹沙羅は頷いた。「ええ」
「神楽殿は森に有ります。となれば、神楽祭りは瘴気が漏れている中で行われました。体が弱っている人間を瘴気に当てれば、死ぬのは必然です」
 霧崎は、グーゴルの話に目を丸くした。態々体を壊す場所で行うのは、死ねと言っているのも同然だ。
「母様は最初から分かっていた」樹沙羅はつぶやいた。母様は、全部知った上で神楽祭りに望んだと言うの。
「自殺行為ですよ」センティは強く言った。
 霧崎は、頭の中で何かに当たった。神楽祭りを推したのはスンズンだとグーゴルは言っていた。ならば、宮司の逡巡が神楽祭りを推し、舞を踊らせたのだ。
「まさか」霧崎は、思わず声を上げた。「誰かが意図的に舞をさせたと」
 樹沙羅は霧崎の言葉に黙っていたが、体が僅かに震えていた。明らかに動揺していた。
 グーゴルは、段ボール箱から紐で綴ってある書類を取り出して開いた。
 樹沙羅と霧崎は、書類を見た。神楽の内容と関わる人間の分担が載っていた。
「主催は宮司か」霧崎は顔をしかめた。「分かっているなら、逮捕するなり取り調べるなりすればいい。死ぬのが分かっていて行っていたなら、立派な殺人だ」霧崎は強く言った。
「無理ですよ。仮に事実だとしても、説明出来るんですか」センティは、霧崎を宥めた。
「神楽祭りはスンズン一人で決めたのではありません。GHQを含め、全ての組織が決定したのです。殺人だとするなら、関わった人間全てが共犯になってしまいます」
 霧崎はグーゴルに反論を言い出せなかった。グーゴルの言った通り、犯罪だとするなら了承した人間全てを犯罪者として扱うしかなくなる。結果、犯罪者の村としてレッテルが貼り付き存続出来なくなる。態々自らを陥れるような行為を率先する訳がない。ならば何故、神楽祭りをしたのかという疑問が湧く。次に瘴気が漏れているからという答えになり、そして巫女が死に、何故仕向けたのかという疑問になる。霧崎は愕然となった。何処に輪を抜ける手段があると言うのか。
「神楽祭りは、大地の力に呼応しやすい八想家の女性が舞をする決まりがあるの。父様は代々の規則に従っただけよ」樹沙羅は小さな声で言った。
「でも、今回は別ですよね」センティは樹沙羅に尋ねた。
「私が遠くの高校に行ったからよ。直系が近くにいないんだから仕方ないでしょ」
「結界が復活してから安定したと言っていましたが」
「結界の性質の変化です」
「変化」
「15年前は瘴気が漏れていました。他の存在を否定し自身の色に染めていたといえます。今回は逆で漏れていない代わり、外の者を取り込んだのです。性質が変わったのは15年前の神楽祭り以降です」
 霧崎は、グーゴルの言葉に反応した。「クッキーの割れ目が変わったのか。割れ目を削る手段が神楽祭りなら、推した宮司が何か知っている」
「でしょうね」グーゴルは頷いた。
 霧崎は笑みを浮かべた。輪を抜ける手段を見つけた。
「クッキー、ですか」センティは、皿に乗っているクッキーを見た。
 グーゴルは笑みを浮かべた。「私と彼との話です」
 霧崎は立ち上がり、樹沙羅を見た。樹沙羅は僅かに俯いた。「一緒に来てくれ」
「父様から全てを聞き出す気」
「当たり前だ、無理にでも話させる」
「無理矢理話させた言葉に真はありません」
「なら、いつ話すと言うんだ」
「スンズンは同じ状況にしないよう、神楽祭りの前に全てを話します。自ら話すまで待って貰えませんか」グーゴルは頭を下げた。
 霧崎は渋い表情をした。「話をしている間にも、子供が辛い思いをしているんだぞ」
「焦っても何もありません」センティは、霧崎に強く言った。警察官なのに子供じみた態度を取るとは大人げない。
 霧崎は、センティの言葉に苛立った。「何だと」
「センティ、止めなさい」グーゴルはセンティを諭した。
「御免なさい、パパ」
「でも、センティの言う通りよ。焦っても何もないわ。私なんか15年も引き摺っているんだから」
 霧崎は項垂れた。
「貴方も宮司に聞いても無駄だと分かっているから、私の所に来たのではないですか」
 霧崎は僅かに笑みを浮かべた。「ごもっともです。トサカに来ていたようです」
「感情が先走るのはよくある話ですが、抑えるのも重要です。他にも資料があります。更に調べてみましょう」
「まだあるのですか」
「倉庫に溜まっています。処分がてら持っていっても構いません」
「十分です。感謝します」
 グーゴルは立ち上がった。「では、私は警察の方と倉庫に向かいます」グーゴルは居間を出て行った。
「帰りはいつ頃になるんだ」霧崎は、樹沙羅に尋ねた。
 樹沙羅は、センティの方を向いた。
 センティは驚いた。「私ですか」
「いえ、遊びに行くって言ってたから。いつ返して貰えるのかなって」
「私は誘拐犯じゃないです」センティは呆れ気味に言った。「夕方までです」
「分かった」
「何で、私が帰る時間を聞くの」
「警察署への戻りついでだ、送っていく」
 樹沙羅は不快な表情をした。
「俺は妻子持ちだ。加えて夜勤明けで、寝てない上に余り食べてない。何もする気が湧かないよ」
「食べていないから、クッキーを全部持っていてもいいですよ」グーゴルは笑みを浮かべた。
 霧崎は苦笑いをした。「全部食べても満たされないと思います」
「資料は詰め込んだ当人にしか場所が分からず、余計な人員はかえって邪魔です。暫く休んでいて下さい」
「はあ」霧崎は曖昧な返事をした。
「貴方は一人ではありません。体を調えるのも立派な義務です」
「飯食いに行ってから、駐車場で休ませてもらう」霧崎は気だるそうに言った。
「では、終わったら呼びに行きます」
「はい」霧崎は素直に返事を返した。
「タクシー代が浮くからいいけど、何か胡散臭いわね」
「下心はない」
「嫌な意味じゃないわよ。犯罪に関する考えじゃないから、安心なさい」
 霧崎は唸った。子供と言うのは何を考えているのかよく分からない。「近くに飯屋はあるか。父符に来てから1月も経ってないんだ、まだ場所がよく分からなくてな」
「国道沿いに行けば、大抵何かあるわよ」センティは適当に言った。
 霧崎は眉を顰めた。
「適当にも程があるわよ」センティの言葉に、樹沙羅は呆れ気味に言った。「大通りを歩いて行くと、父符神社が見えるわ。参道の商店街で食べるといいわ」
「分かった。感謝する」
 霧崎は部屋を出て行った。
「私も資料を整理する必要がありますから」グーゴルは席を立った。
 グーゴルはドアを開けた。「ミリア、後片付けをお願いします」グーゴルは、廊下の奥に向かって言った。
「はい」遠くからミリアの返事が聞こえた。
 センティはクッキーの入った皿を持った。「皿は私の部屋に持っていきますね。樹沙羅お姉様も私の部屋に来て下さい」センティは居間を出ていった。
 樹沙羅は部屋に誰もいないのを確認し、ドアを閉めてセンティの後をついて行った。
 霧崎は玄関に向かった。土間にある靴に足を入れた。
「大して役に立てないようで、申し訳ありません」
「気になさらず」霧崎は頭を下げた。
 グーゴルも頭を下げた。
 霧崎はドアを開けた。「また戻ります」霧崎はドアを開けて出ていった。
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