2)

文字数 4,248文字

 氏子は頭を下げた。
 逡巡は、グーゴルに目をやった。「グーゴル、何故来たのですか」
「スンズン、貴方の娘から横乃瀬駅に着いたと電話でした。連絡にと訪れました」
「随分、早いですね」
「1年前ですか、まるで昨日今日のようです。迎えへ行きますか」
「穴が開いていたのか霊力がかち合ってしまったのか。足跡を突き止めなければと思っています。今暫く動く気はありません」
「謎羅様は相当な力を持っていた方です。僅か15年で封が弱まるとは思えません」
「理由は分かっていますが、悔いる訳にはいきません」
 逡巡は、縄に触れた。縄から電気が通る感覚があった。
「俺の代わりに樹沙羅を迎えに行って下さい」
「今なら、タクシーで向かっている状態です。心変わりしたら本社に戻って下さい」
 グーゴルは踵を返した。
「娘さんが戻ってくるのに、いいのですか」氏子は、逡巡に尋ねた。
「実家なのですから案内は不要です。俺は調査を続けます」
 逡巡は神楽殿の奥へと向かった。
 氏子は、逡巡の後をついて行った。
 グーゴルは山道を下っていった。山道はアスファルトで舗装してあり、歩きやすかった。道の脇は木々が密生していた。枝から葉が茂っていた。道端にはくるぶし程の高さの草が密生していた。先には開通したばかりの列車が通る橋と、耕したばかりで水が張っていない田があった。
 山道を下っていくうち、白い民家が見えた。神楽殿のある場所と拝殿のある境内とは歩いて3、4分程離れていた。民家を通っていくうち、車止めがある参道と交差した曲がり角に出た。脇には用水路が通っていて、周囲に1メートル程の背丈の草が生えていた。草の先には、小さく黄色い菊の花が付いていた。
 グーゴルは参道に入った。アスファルトから白い砂利で舗装した道になった。暫く歩いていくと突き当りに出た。突き当りの脇に鳥居があった。鳥居は赤く塗ってあった。塗装が禿げている箇所もあった。脇には石灯籠が置いてあった。
 グーゴルは鳥居をくぐった。先は広く、右側に神楽殿があった。神楽殿は赤を基調としていて、壁が白く塗ってあった。舞台はグーゴルの頭より上の高さにあった。左側に拝殿があった。拝殿は古ぼけていて、柱は黒くなっていた。正面には比較的新しい造りの社務所があった。隣に集会所が有り、氏子が出入りしていた。集会所は赤い屋根にガラス張りの戸が一面に付いていた。戸は全て閉まっていた。
 氏子の1人がグーゴルの元に来た。「グーゴルさん、お帰りなさい」氏子の1人は、周囲を見回した。逡巡の姿がなかった。
「宮司は」
「逡巡は調査の為に神楽殿にいます。暫くしたら戻ります」
「分かりました。他に要件がありますか」
「警察が来まして、事情を説明してくれと言っていました」
「話しましたか」
 氏子の1人は頷いた。
「神社というのは誰でも入れる場所ですから、何かあった場合に何処まで責任が取れるか曖昧ですね」グーゴルは境内を見回した。氏子達に混じって幼い子供達がいた。皆同年代で固まって遊んでいた。
「管理に非があるのは仕方ないですが、警告をしていますから警察も過剰に責めないでしょう」
「私も同じです」
「ええ」
 氏子の元に、センティが駆けつけてきた。白いシャツに足首まである折り目の付いた黒いスカートを履いていた。肩まで伸びた黒まじりの金色の髪をリボンで結っていた。
 センティは、グーゴルの方を向いた。「パパ、もう戻ってきたの」
「逡巡を呼びつけるだけでした」
「でも、来てないわよ」
 グーゴルは、センティの言葉に疑問を覚えた。氏子の質問と同じ言葉で言えばいいのか。
「樹沙羅が来ますから、向かえに行って参ります」
 グーゴルは踵を返した。
 センティはグーゴルの言葉に驚いた。
「え、樹沙羅お姉様が来るの。なら私も一緒に行く」センティは、グーゴルの後をついていった。
 参道から交差点に来た。脇に草が茂っていた。信号もなく、車通りもなかった。
「まだ、来ないの」
「タクシーを使うとは言え、駅から遠いです」グーゴルは首にかけている懐中時計を手に取り、開いて見た。10時半を示していた。
 暫く経った。車通りはなく、春の温かい風が吹いている以外に変化はなかった。
 青いタクシーが来た。参道の前で止まり、後部座席のドアが開いた。樹沙羅は後部座席から降りた。黒いセーラー服に、足首まである折りの付いたスカートを履いていた。腰まである黒い髪は太陽光を反射し、艶やかだった。
「どうも、ありがとう」樹沙羅はタクシーの運転手に言い、ドアを閉めた。
 運転席のドアと同時に、後部のトランクが開いた。タクシーの運転手が降りてきた。
 タクシーの運転手はトランクに向かい、中からスーツケースを取り出した。樹沙羅はタクシーの運転手から、スーツケースを受け取った。
 運転手は運転席に戻った。運転席のドアが閉まり、タクシーは走り去っていった。
 センティは、樹沙羅の姿に涙を浮かべた。「樹沙羅姉様」センティは、樹沙羅に抱きついた。
 樹沙羅は、センティの抱擁に戸惑った。「セ、センティ」
「久しいです」グーゴルは、樹沙羅に挨拶をした。
 樹沙羅は、グーゴルの方を見た。グーゴルは穏やかな表情をしていた。「おじ様、お久しぶりです。父様は何処にいますか」
「山側の神楽殿で調査をしています」
 樹沙羅は、センティの方を向いた。「ねえ、センティ。神楽祭りは、本当にやるの」
「樹沙羅姉様」センティは樹沙羅の言葉に首を傾げた。「神楽祭りの手伝いをするから、戻って来たんじゃないのですか」
「違うわ」樹沙羅は、グーゴルの方を向いた。
「貴方は何処で祭りをやるのを知りましたか。私を始め、誰一人として貴方に話をしていません」
 樹沙羅は、センティの方を向いた。センティは気が抜けた表情をした。
 グーゴルは、センティを見て笑みを浮かべた。「センティ。貴方が伝えたのですか」
 センティは頷いた。「文通してたから。駄目だった」センティは、グーゴルに尋ねた。
「いえ、センティ」グーゴルは首を振った。「いえ、貴方は間違っていません」
 センティは、グーゴルの言葉に頷いた。
「祭りをやるならやるって、なんで氏子も父様も私に手紙を出さなかったのよ」
 樹沙羅はスーツケースの取っ手を持ち、森の方に向かっていった。
 センティは、樹沙羅の進行方向に驚いた。「樹沙羅お姉様、家と逆ですよ」
「いいのよ、父様に話を聞きに行くから」
 センティは、グーゴルの方を向いた。
「行きなさい。貴方には貴方の仕事があります」
 センティは頷き、樹沙羅の後をついていった。
 グーゴルは道を歩いていく2人を見ると、踵を返して参道を歩いて行き境内に向かった。
 樹沙羅は、森に向かって山を昇っていった。道は上り坂だった。
「樹沙羅お姉様。もしかして、山登りでもするんですか」
「まさか。神楽殿に行くのよ」
「神楽殿にですか」
「なんで今になって神楽祭りをやるか、聞き出してやるわ」
「今までは白鬚神社へ出張してたじゃないですか。やっちゃいけないルールはありません」
 樹沙羅は、立ち止まった。「その通りよ。でも、全部片付いていないの」
「お姉様」
「中断になった理由、氏子から話は聞いているわ。だからこそ終わってないって分かるのよ」
 樹沙羅は歩き出した。センティも後をついていった。
 樹沙羅とセンティは黙々と道を進んでいった。神楽殿のある原が見えた。周囲に比べて背の低い草が覆っていた。中央には黒くなった木で出来た神楽殿が建っていた。周囲は道と森が広がっていた。
 樹沙羅は原に入り、神楽殿に向かった。神楽殿の周囲は誰もいなかった。神楽殿近辺の草を刈り取った跡があり、土の色が見えていた。
「もう帰ったんじゃないですか」
「帰っているなら、境内にいるかすれ違ってるわよ」
 樹沙羅は、神楽殿の裏に回った。
 裏には氏子と逡巡の姿があった。
 逡巡は桜の樹を眺めていた。花が淡い色の葉に紛れて咲いていた。
「父様」樹沙羅は、逡巡に声をかけた。
 逡巡は振り返った。樹沙羅とセンティの姿があった。
「戻ってきたか。随分早いな」
「駅前なら、タクシーをすぐ拾えるから」
 逡巡は、樹沙羅が持っているスーツケースに目をやった。「戻ってきた直後に神楽殿に来るとは、性急なのは変わらないと見える」
 樹沙羅は、逡巡に詰め寄った。「父様、なんで神楽祭りを再開するの」
「してはいけないのか」
「納得出来ないわ」
「中断していた15年の間に収穫量が減っていてな、瘴気が漏れているのではないか、鼓舞が必要だと再開の声が強まっていた」
 樹沙羅は、不安げな表情をした。「力を戻す為に再開を決めたのね」
 逡巡は頷いた。「現に、子供が入る程に森を遮る結界は弱まっている」
 樹沙羅は驚いた。「子供が」
「昨日、子供が森に入り込み戻って来なくなった」
 樹沙羅は桜の木の下に近づき、注連縄に触れた。縄を通して電気が体に通る感覚を覚えた。
「他に手段がなければ、やるしかない」
「母様が帰幽した場所で、まだ何も終わってないのに」樹沙羅は、逡巡に食って掛かろうとした。
 センティは、樹沙羅を抑えた。「樹沙羅お姉様、抑えて下さい」
「やるなら、神楽殿じゃなくて別の場所でやればいいじゃない」
「神主さんが1人で決めたんじゃないんです、皆で決めたんです。だから責めても何にもなりません」
 樹沙羅は、一息ついてセンティから離れた。
「誰が舞をやるの」
「姪の京に頼んだ」
「何処にいるの」
「集会所で舞の練習をしている」
「分かったわ」
 樹沙羅は、踵を返して森から出ていった。
 センティは逡巡の方を向いた。「突然、申し訳ありません」センティは頭を下げた。
「何故、謝る必要がある」
「何故って」センティはたじろいだ。
「謎羅を失ったばかりか、原因となった神楽祭りを再開するのだ。私が樹沙羅と同じ立場なら殴っている」
 センティは悲しげな表情をした。「失礼します」センティは踵を返し、原から出て道に出た。
 樹沙羅は道を下っていた。
「樹沙羅お姉様」センティは樹沙羅の元に駆け寄った。
「神社に戻るのですか」
「ええ、荷物を置いて着替えないと。制服じゃあね」樹沙羅はセーラー服の襟を掴んだ。
 センティは眉を顰めた。「そのままでも大丈夫です、似合ってます」
「見た目はいいけど動きにくいのよ。汚したら学校に着ていけないし。センティも、正装を汚したら典礼に行けないでしょ」
 センティは頷いた。「ああ、なるほど。理解しました」
 樹沙羅とセンティは曲がり角に来た。2人は歩道に向かい、神社の境内に入った。
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