4)

文字数 5,496文字

 警察署の中は空いていた。人は少なく、カウンターには待機している警察官の姿があった。
「俺はキーを置いていく、お前は千葉の所に行って来てくれ」
「会うのが嫌なだけだろ」
「半分はな」
 警察官は、カウンターの奥に向かった。
 霧崎は警察官の後ろ姿を見ると、警察官が向かった先と別方向にある階段を昇っていった。
 階段を昇った先に扉があった。霧先は扉を開けて中に入った。
 中は事務机が並んでいた。机には書類と、黒いダイヤル式の電話が置いてあった。所々歪んでいるロッカーが、間仕切り代わりに置いてあった。警察官達は電話応対や事務仕事をしていた。壁にはカレンダーが画鋲で止めてあった。『1966(昭和41)年 4月』と書いてあった。
 霧崎は奥にある千葉の席を見た。席は荒れていて、電話が書類で埋もれていた。千葉は椅子に恰幅の良い体で腕を組み、椅子に寄りかかって寝ていた。
 霧崎は自分のデスクに向かい、椅子を引いて座った。書類とファイルが積んであった。端には、妻と子供の写真が写真立てに入れて飾ってあった。
「外回りの感想は」隣の机で作業をしている警察官は、霧崎に尋ねた。
「縄で囲っていて、中に入ろうにも入れない。手品じゃないのか」
「やっぱりそうか」
「知ってるのか」
「知ってるも何も、地元育ちなら皆知ってる」
「いつから話があるんだ」
「ずっと昔からだ。俺も子供の時に入ろうとしたんだが、駄目だった」
「何故、出る時に言わなかった」
「聞かれなかったからだ」
 霧崎は渋い表情をし、机の端に置いてあるファイルを手に取って開けた。
「嫌な顔をするなよ」警察官は、霧崎の肩を揉んだ。
 霧崎は机の端にあるつけペンを手に取り、ファイルの書類に報告を書き始めた。
「田舎ってのは、胡散臭いが事実な伝承が沢山あるんだ。真に受けるな」
「適当に流せと言うのか」
「怒るなって。千葉みたいになるぞ」警察官は、千葉の机に目をやった。
 霧崎は筆を止め、千葉の方を見た。千葉の姿はなかった。
「誰みたいになるって」霧崎の後ろから、低く濁った声がした。
 霧崎は後ろを向いた。千葉が立っていた。
「おい、だべるのが仕事か」千葉は霧崎の方を見た。霧崎は千葉から書類に目を移した。
「霧崎、俺に話をする前に報告書を書き出すのか」
「寝ていましたから」
「お前は起こすって頭はねえのか」千葉は、霧崎の頭を叩いた。「まずは俺に報告だ」
 霧崎はつけペンをホルダーに置き、立ち上がった。「はい、昨日子供が行方不明になったと知らせを受けて横乃瀬村に向かいまして」
「向かうまでの話はいらん。現地で何があったか話せ」千葉は、霧崎の話を遮った。
「はい、八想神社の神楽殿に向かって宮司に会い、縄で囲った結界なので中に入れないと言われました。実際に中に入ろうとした。痛みと共に意識が飛ぶ感覚がありました」
「入ろうとしたのか」千葉は驚いた。「縄は切ったのか」
「いえ」
「縄で結界を仕切っているなら、切れば入れるかも知れないんだぞ」
 霧崎は千葉の質問に渋い表情をした。
「言い言え」
「あ、許可なく縄を切るというのは」
「人の命がかかってるんだ、縄位すぐに作り直せる」
 霧崎は、千葉の言葉に屈した。千葉の言う通り、切れば結界が消えて入れるかも知れない。縄を切ったのなら、後で謝ればいい。
 千葉は笑い出した。「確定でない限り動かなったのは賢い判断だ。ミイラ取りがミイラになるだけだからな。まずは周辺を調べるんだ」千葉は、霧崎の肩を軽く叩いた。「八想神社は15年前から神楽祭りが中断している状態だ。再開する矢先に躓いては、村の者も不本意だな」
「15年前、何があったのですか」
「宮司の奥さんが、神楽殿で舞をしている途中で亡くなったんだ。以後宮司は今年まで中断を決めた」
 霧崎は、千葉の言葉に驚いた。「調査結果は残っていませんか」
「お前、興味があるのか」
 霧崎は頷いた。森で子供が入って戻ってこない現在の状況と、15年前の事件とは関連性もない上に時代も違う。しかし、両方とも神楽殿で起きた出来事だ。森に関する手がかりが落ちている可能性は否定出来ない。
「資料室に行けば、落ちてるかもな。だが」千葉は頭を掻いた。「ごたごたがあったからな、処分したか散在したか分からんぞ」
「15年前の出来事を知っているのですか」
「氏子から聞いた話だ。だから、俺も話があった程度しか知らん」
「分かりました。資料室へ行ってきます」
「資料室に行く前に、報告書を書いてからにしろ」千葉は霧崎に強く言った。
 霧崎は仕方無しにつけペンを手に取り、素早く殴り書くように報告書を書き始めた。
 千葉は自分の机に戻った。
 パトロールカーで一緒にいた警察官が部屋に戻ってきた。
「夜勤明けなのにまだ残ってるのか。若いのは熱心だな」
「仕事だ。解決を見るまでやるしかない」
「限界に来ても気付いてないのがいるからな。事情は分かるが無理するな。ふらついたらすぐ帰れ」
「とてもじゃないが、信用出来ない」
「俺達が田舎者だからか」
「田舎者かどうか以前に、他人に任せる気がないだけだ」
 警察官は舌打ちをした。「分かったよ、勝手にやってくれ」警察官は、自分の席に戻った。
 霧崎は報告書を書き終え、ファイルを閉じると持って席を立って千葉の机に向かった。
 千葉は居眠りをしていた。
 霧崎は、千葉の机にファイルを置いた。非常口のドアに向かった。ドアノブに手をかけ、開けて出た。非常階段があった。壁は白く塗ってあった。
 霧崎は階段を降りていった。地下2階まで降り、金属製のドアの前で立ち止まった。ドアノブに手を掛けて開け、先に進んだ。廊下があった。天井の蛍光灯が薄い光を放ち、床を照らしていた。床は蛍光灯の光を反射していた。空気は冷たく、静かで誰もいなかった。
 霧崎は廊下を進んでいった。蛍光灯の光が弱くなっていた。『資料室』と書いてある札が掲げてある部屋の前に来た。
 霧崎はドアに手を掛け、開けた。自分がいた部署と同程度の広さの部屋で、金属製の棚が並んでいた。棚の中にはファイルと仕切りが入っていた。下には段ボール箱が置いてあった。蛍光灯の明かりは薄く、足元は暗かった。入り口のカウンター席には華奢な女性の係員が書類を整理していた。霧崎と係員以外、誰もいなかった。
 係員は、霧崎に気づいた。「どうぞ、記帳してから入って下さい」
 霧崎は、カウンターに向かい置いてあるリストに目をやった。日付が飛び飛びになっていた。脇にはインク瓶に入っているつけペンがあった。
 霧崎はつけペンを手に取り、名前と所属、日付を書いた。「15年前の横乃瀬村で起きた事件について調べているのだが、捜査資料は置いてあるかな」
「15年前ですと、奥の方に置いてあります。只」
「只」
「人手不足で整理出来ていない状態です。更に断片的な資料しかありません」
「全くないよりマシだ」霧崎は、つけペンを元の場所に置いた。
 係員は席を立ち、目録がある棚に向かった。係員が手で持てない程の厚さの書類が、閻魔帳に挟む形で目録として保存してあった。
 係員は1冊の目録を手に取り、机に持ってきた。挟んである書類は他の書類に比べて薄く、挟まっている紙も黄色味がかっていた。
 係員は目録を開いた。調査資料の大まかな概要が書いてあった。
 霧崎は昭和26年と太字で書いてある箇所を開いた。日付と共に起きた事件について大まかな内容が書いてあった。霧崎はページを開き続け、4月の箇所を開いて神楽殿という文字を探した。
 記述の中に、神楽殿と言う文字があるのを見つけた。霧崎は書いてある箇所の周辺を見た。神楽殿で巫女舞をしていた八想謎羅と言う女性が突然倒れ、亡くなったという記述があった。資料として当時の証言者の名前と大まかな内容、医者の記録や見解について書いてあった。
「神楽殿で起きた事件を調べている。資料は何処にある」霧崎は見ている箇所を指差し、係員に訪ねた。
 係員は霧崎が指差している箇所を見た。神楽殿で巫女が倒れた件に関する記述だった。
 係員は席を立った。「案内します」係員は奥へと向かった。
 霧崎は係員に続いて、奥に向かった。資料室の奥に向かっていくうち、照明が暗くなり足元においてあるダンボール箱も多くなってきた。一部は埃をかぶっていた。
 係員は立ち止まった。
 霧崎は棚を見た。ファイルもなく、黄色くなった紙を紐で乱雑に束ねていている状態で入っていた。足元に転がっている段ボール箱は埃をかぶっていた。
「酷いな」
「一番古いですから」
「一番古い」
「ええ」係員は頷いた。「15年前から前はGHQが管理していましたから。ここから前の資料は引き継ぎの際に混ざっていまして、何処に何があるかよく分かっていません」係員は、奥の棚を見た。大量の段ボール箱が積んであった。「資料の整理を誰もやらないので、放置状態になっています」
「いい加減だな」
「私は戻ります。調べ終わったら声を掛けて下さい」
 係員は元の場所に去っていった。
 霧崎は、棚に置いてあるファイルを見た。昭和26年4月と書いてあるラベルがあった。霧崎は日付を確認し、ファイルを開いた。書類をめくりながら、神楽殿の記述のある部分を探した。神楽殿の記述のある部分を見つけた。
 霧崎はページをめくった。当時の状況に関する絵が書いてあった。絵は稚拙で、子供が書いた落書きの方が上手い位だった。記述も大まかな概要しか書いていなかった。
 霧崎は次のページを見た。亡くなった謎羅の検死の結果と戸籍の写しがあった。死因は心臓麻痺で過剰な運動が原因と記してあった。戸籍謄本には家族構成に夫の欄に逡巡、娘に樹沙羅の名前があった。樹沙羅は1歳(女)と記述してあった。
 霧崎はため息をついた。子供を産んですぐに妻が急死したのだ。自分ならば憤っている。
 霧崎は書類をめくった。氏子や逡巡の証言について書いてあった。文字は書きなぐった文体で、何が書いてあるのか一見しただけでは理解出来なかった。
 霧崎は、供述を1文字1文字読んでいった。謎羅は元々体が弱く神社の境内から余り外に出なかった。子供が産んだ後で衰弱していたにも関わらず、宮司が強行して神楽殿に立たせたと言う氏子の証言が書いてあった。
 証言者の中に、カタカナの名前があった。グーゴル=フェマクスと書いてあった。欄には詳細な住所と電話番号が書いてあった。現在でも電話回線を引いている家庭は少なく、連絡をする際には他人の家に行って電話を借りるのが一般的だ。まして昭和26年当時に電話回線を引いているというのは珍しい。グーゴルという人間に会って話を聞けば、15年前に何があったのか分かるかもしれない。
 霧崎は胸ポケットから警察手帳を取り出し、開いた。何も書いていない真っ白なメモ欄があった。
 霧崎はポケットに挟まっている万年筆を取り、キャップを外して書き留めた。一通りメモを取り終えると万年筆にキャップをかけ、手帳を閉じてペンと一緒に胸ポケットに入れた。
 霧崎は取り出した資料を全て元の場所にしまい、カウンターに向かった。
 係員は霧崎の方を向いた。
「調査が終わったので、出ます」霧崎は、資料室のドアを開けて出ていった。
 係員は霧崎を見て、軽く頭を下げた。
 霧崎は非常階段に向かい、ドアを開けて昇っていった。頭から血が抜ける感覚を覚え、軽くふらついた。
 霧崎は2階のドアの前に来るとドアを開け、中に入り席に付き警察手帳を開いた。メモを取ったページは僅かにインクが滲んでいた。
 霧崎は、机の上においてある電話のダイアルに手を入れた。
 霧崎の隣にいる警察官は、メモを覗き見た。「霧崎、お前電話番号の桁違うぞ。いつの奴だ」
「資料室にあった奴だ。昭和26年の」
「26年って、電話の管轄が今と違う。電話帳で確認しろよ」
「電話帳は何処にある」霧崎は、隣の警察官に訪ねた。
 隣の警察官は、後ろの棚を指差した。「奥の棚にある」
 霧崎は隣の警察官が指差した棚に向かった。辞典程の厚さをした、青い表紙の電話帳が置いてあった。
 霧崎は電話帳を手に取り、席に戻ると電話帳を開いて横乃瀬村の項目を開いた。家主の名前と電話番号が隙間無く並んでいた。
 霧崎は家主の欄を目で追って『グーゴル』という名前を探した。2、3ページ程めくって見つかった。片仮名である為に見逃しにくかった。
 霧崎は机においてある電話の受話器を取り、耳に当てるとダイアル穴に指を掛けて電話番号の数字を回した。
 受話器から呼出音が鳴った。暫くして、電話に出る音がした。
『モシモシ』片言な女性の声がした。
「もしもし、すみません。父符警察署の霧崎一夫と言います」
 受話器から、驚き混じりのため息が聞こえた。突然警察だと言えば、相手は驚くのも無理はない。
「貴方を怪しんでいるのではありません。15年前、横乃瀬村の八想神社にて巫女が亡くなる事件があったのをご存知ですか」
『15年前の神社で、デスか』
「はい」
『夫のグーゴルが神社の人とよく話をしていました。夫のグーゴルに聞くのが良いマス』
「夫に代わって貰えますか」
『神社に出向いていマス』
「神社ですか」
『ハイ、神社に連絡を取るとよいデス。電話もありマス』
「分かりました、ありがとうございます」
 霧崎は受話器を元の場所に置くと、電話帳を開いて八想神社と書いてある箇所を探した。暫く探すと八想神社の項目を見つけた。電話番号が書いてあった。
 霧崎は顔をしかめ、ダイアル穴に手を入れて回して電話をかけた。
 受話器から呼出音が鳴った。
 暫く経った。呼出音が消えた。『もしもし』受話器から、若い男の声が聞こえた。
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