1)

文字数 5,575文字

 霧崎の乗ったパトロールカーは、警察署の地下駐車場に停まった。
 霧崎はパトロールカーから降りた。トランクを開けて折り畳み式のカートを取り出し、段ボール箱を上に乗せた。エレベータに運び込み、2階のボタンを押した。ドアが閉まった。
 2階に着くと廊下を通り、部屋に入った。西日が差していた。デスクの隣に段ボール箱を積んだ。
 同僚達は、霧崎が運んできた段ボール箱を見て驚いていた。
「家宅捜索でもしてきたのか」
「何かやらかしたのか」
 霧崎は段ボール箱を下ろし、カートを引いて出ていった。暫くしてカートの上に段ボール箱を乗せて戻って来た。霧崎は積み上げた段ボール箱を開けて資料を取り出し、無造作に机の上に置いた。胸ポケットから警察手帳を取り出し、資料の隣に置いた。椅子に腰掛け、警察手帳に書いてあるメモと資料とを見比べながら1枚1枚を詳細に調べた。15年前に起きた事件や神社の文化に関連した記録が主で、姿ケ池をはじめとする村全体の文化について一切書いていなかった。
 同僚達は、霧崎を呆れと驚きが混じった表情で見つめていた。
 千葉が霧崎の元に近づいた。「引っ越し屋になったのか」
 霧崎は手を止め、席を立った。
「15年前に起きた事件の資料です」
「何処から手に入れたんだよ」
「事件の関係者から譲り受けました」
「資料を整理するなら、地下の資料室でやれ」
「すみません。精査してから資料室に持ち込もうかと思っていたのですが」
 千葉は資料の脇においてある警察手帳に目をやった。姿ケ池で書いた句が書き込んであった。警察手帳を手に取った。「変わった趣味だな、お前が作ったのか」
「姿ケ池にあった碑の句です。江戸時代に人柱になった人間を慰霊する句ではないかと」
「江戸時代の言葉遣いじゃねえよ」
 霧崎は、千葉の言葉に驚いた。
「江戸時代で一般人がやる短句ってのは、俳句か川柳が主だ。江戸時代の俳句は自然の光景を、川柳は動きや心境を詠んでいる。書いてある句は表現が稚拙で曖昧に過ぎる」
「曖昧ですか」霧崎は資料をめくり、句に関連する記述を探した。
「昔の句は言葉を縮めて内容を密にする。だからこそ文字数が少なくても表現が出来るんだ。書いてある句は言葉が記号的だ、内容が1つしかない」
 霧崎は手を止め、千葉の方を向いた。千葉は呆れ気味に霧崎を見ていた。
「詳しいですね」
「親父が俳人崩れでうるさかったんだよ。資料を置くスペースがないんだ、資料室に運ぶか持って帰れ」
 千葉は段ボール箱を軽く叩き、元の席に戻った。
 霧崎は警察手帳を胸ポケットにしまった。机の上に乗っている資料は全て段ボール箱に入れた。段ボール箱はカートの上に乗せた。眠気と疲労で持ち上げるのに苦労した。一杯になったカートを押し、部屋を出ていった。
 千葉は同僚達を睨んだ。皆霧崎の出ていったドアを見ていた。「お前ら、手を動かせ」
 同僚達は一斉に作業を始めた。
 霧崎はエレベータで地下に降り、地下の駐車場に来た。ナトリウム灯が全体を照らしていた。霧崎は停めてある車の元に向かった。ポケットに手を入れて鍵を取り出すとトランクの鍵穴に入れて回し、蓋を持ち上げた。カートに乗せた段ボール箱を持ち運ぼうとした。疲労が蓄積していて、持ち上げる力がなかった。霧崎は段ボール箱から手を離した。疲れが押し寄せてきた。
 千葉が霧崎の元に来た。「よお、手伝いに来てやった。疲れが溜まって積もうのも積めねえだろ」千葉は、トランクに段ボール箱を入れた。
「済みません」
「気にするな」千葉は、カートの上に乗っている段ボール箱を持った。「膨大な資料を調べるのは厄介だ。今日と明日は休んどけ。上には俺から言っておく」
「2日も休むだなんて、とても」
「家じゃねえんだ、風呂に入らねえ奴が居座ると臭くて迷惑なだけだ」千葉は、段ボール箱をトランクに入れた。入院している女房にも顔を見せないと心配する。職業柄いつ死ぬか分からねえんだ、動ける内に会っておけ」
「はい」
「積み終わったら着替えて帰れ」
 霧崎はカートに乗っていた最後の段ボール箱をトランクに積み、蓋を下ろした。
「戻るぞ」千葉はエレベータへ歩いていった。
 霧崎は、千葉の後をついていった。
「姿ケ池の句ですが、詳細は分かりますか」
「さあ、文字が分かっても歴史は疎いからな。図書館にでも行けば分かるんじゃないか」千葉は、エレベータのボタンを押した。「横乃瀬村にはねえよ、父符の産業館だ」
「分かりました、調べてみます」
 エレベータのドアが開いた。2人はエレベータに乗った。
 霧崎は2階のボタンを押した。ドアが閉じた。
 エレベータは上昇した。
 2階に着き、ドアが開いた。2人は廊下を歩いて部屋に戻った。
 霧崎はカートを置いて更衣室に向かい、普段着に着替えた。
「お先に失礼します」霧崎は警察署を後にした。
 霧崎は寮に戻った。段ボール箱を奥まった部屋にある机の脇に置いて出ていった。運んでは上に積む作業を繰り返した。積み終えると段ボール箱を開けて資料を取り出し、警察手帳と共に机に置くと椅子に座り、資料を調べていった。文字が眠気を誘発した。首を降って睡魔を払った。日が完全に暮れた。部屋の中央にある電灯の紐を引っ張り、電灯を付けてカーテンを閉めた。机に戻り、資料を調べ始めた。意識が朦朧となってきた。睡魔を振り払う意思すらも曖昧になった。間もなく意識が途切れた。



 霧崎は目を覚まし、窓を見た。カーテンを通して光が入り込んでいた。霧崎の曖昧な意識が明瞭になっていった。箪笥を開けて着替えを出し、カバンを持つと脱衣所に持っていった。服は二槽式の洗濯機に詰め込んであった。着替えとタオルを手に取ると玄関に向かった。靴を履き寮から出ると鍵をかけた。駐車場に向かい、車に乗ると街中にある銭湯に向かった。
 霧崎は駐車場に車を止め、銭湯に入った。番台に乗っている老女に金を払い、中に入った。服を脱いで棚に置き、体を洗って湯に浸かった。
 暫くして湯からから出ると着替えて銭湯を後にした。近場の定食屋で食事を取った後、車に乗りダッシュボードに乗っている地図を見た。産業館が市役所の裏にあるのを確認した。
 霧崎は車を動かし、父符市役所の裏にある産業館に向かった。白いコンクリートの直方体を積み上げた印象があった。
 霧崎は父符市役所の駐車場に車を止めた。車を降りると鍵をかけ、産業館の中に入った。カウンターが有り、奥で係員が事務仕事をしていた。霧崎は案内板を見て図書館の位置を確認して、図書室に向かった。
 図書室には
テーブルと椅子が並んでいた。誰もいなかった。壁に棚が有り、色あせた本が詰め込んであった。カウンターには司書がいた。隣にはカードを入れる棚があった。
 霧崎は司書の元に向かった。司書は霧崎の気配に気づいた。「御用ですか」
「すみません。姿ケ池にある碑の句が成立した年代を調べています」
「姿ケ池ですね、お待ち下さい」司書はカードを差し出した。
 霧崎はカードを受け取った。カードには『1』と書いてあった。
 司書はカウンターの奥に入っていった。
 霧崎はテーブルに向かい、椅子を引いて腰掛けて外の景色に目をやった。空は青く、所々に白い雲があった。
 次第に眠気が襲ってきた。
「1番の方」司書の声が響いた。霧崎はカウンターに向かった。司書は百科事典程の厚さの本とファイルを持っていた。本には細く切った色紙が挟まっていた。
「まず、姿ケ池の碑ですが」司書は本を開いた。細かい文に地図と写真が載っていた。
 司書は地図上で姿ケ池の端を指差した。「間違いありませんか」
 霧崎は司書が指差した所を見た。昨日、樹沙羅と向かった場所だった。「はい」
「村の記録によりますと昭和30年に姿ケ池や公園に関わった人々への感謝を記念して作ったと書いてあります」
「はあ」霧崎は曖昧に返した。「句の内容ですが、誰が作ったか分かりますか」
「内容ですか」司書は『横乃瀬村史』と書いてある本をめくり続けた。碑の記述があるページで手を止めた。
「村議会員としか書いていません」司書は項目を指差して霧崎に見せた。
 霧崎は内容を読んだ。村議会議員に関する記述があった。名前は書いていなかった。
「では、地蔵は」
「地蔵、ですか」
「碑の隣に立っている地蔵です。何故立ったか、分かりますか」
「目的、ですか」司書は本をめくっていった。暫くしてページをめくる手を止め、別の本を開いて調べ始めた。
「姿ケ池は造成後に氾濫が相次ぎました。犠牲になった多くの人達への慰霊の為に立てたと書いてあります」
 霧崎は司書の言葉と本の記述に違和感を覚えた。樹沙羅は氾濫を止める為に巫女が人柱になり、供養として立てたと言っていた。記述と証言が異なっている。「他に説はないのですか」
「他には」司書は本の記述を辿った。「いえ、何もありません」
「例えば、旅の娘が人柱になったと言った記録はありますか」
「いつ頃のですか」
「姿ケ池が造成した時です」
 司書は眉を顰め、本をめくって文字を拾おうとした。「姿ケ池に関する記録があるのは、碑を立てた件と氾濫で農民が犠牲になったという記述と伝承だけです」
「伝承、ですか」
「はい」司書は本を閉じて『父符路の民話』と書いてある本を手に取り、目次を見るとページを開いた。ひらがなが多かった。「大宮に娘が化物を放ったと言うので、神社の人間が派遣して討伐したと言う話です。他の文献にも似た内容が書いてあります」司書は、霧崎に本を見せた。
 霧崎は本の内容を読んだ。司書の言った通りの内容が記述してあった。樹沙羅の話は嘘なのか。
「分かりました」霧崎は渋々納得した。ないからと言って司書を責める気はない。
「姿ケ池が造成した時、近くに神社はありませんでしたか。聞いた話によれば、八想神社は近くの神社から移転したと聞いています」
「近くの、ですか。八想神社ではなくて、別の神社ですか」
「はい」霧崎は頷いた。近くの神社にいる巫女が入水したという話に、信憑性が持てるかも知れない。
「地図は置いてないんです。姿ケ池を造成した江戸時代半ばの地図は貴重なので、県の博物館に寄贈しています」
「閲覧出来ませんか」
「はい」司書は頷いた。
「仕方がないか」
「調べる内容は、以上になりますか」
「はい」
「資料は複写しますか」
「複写出来るのですか」
「はい、但し有料になります」
「是非、お願いします」霧崎は財布を取り出し、小銭を手に出すと司書に渡した。
「ありがとうございます」司書は本をカウンターの奥へと向かっていった。
 霧崎は後ろを向き、棚を眺めた。仮に樹沙羅の言葉が嘘だとすれば、瘴気の正体は伝承の通り化物の遺物となる。しかし、グーゴルの言動通り矛盾がある。
 暫くして、司書が紙を持って霧崎の元に来た。「以上になります。ありがとうございました」司書は、複写した紙を差し出した。
 霧崎は紙を受取り、内容を軽く見た。ざらついた紙に青い文字で本の内容が複写してあった。
 霧崎は司書に礼をし、図書館を後にした。
 駐車場に停めてある車のドアを開け、中に入り、紙を助手席に置いた。サイドミラーとバックミラーを見て状況を確認し、車を動かした。車は駐車場を出ていった。
 大通りに出た。人気は少なかった。霧崎は父符神社方面にハンドルを切った。大通りを進んでいき、秩符神社の通りを曲がって市街地へ入っていった。暫くして白く角ばった病院が見えた。
 車は病院の駐車場に入った。
 霧崎は空いている箇所に車を停めて降り、病院の中に入った。中は白を基調としたロビーが有り、長椅子に人々が腰掛けていた。端に置いてあるラジオから音声が流れていた。階段を登っていった。点滴スタンドを片手に持ち、看護師の後をついて歩いている患者の姿があった。病室に入った。
 霧崎は患者に目をくれず奥へ進み、1つのベッドの前に来た。ベッドの脇に立てかけてある票には『霧崎 正子』と書いてあった。正子はベッドに寝転んで本を読んでいた。脇にある机には本と新聞が積んであった。
「正子」霧崎は正子に声をかけ、丸椅子に腰掛けた。
 正子は霧崎の声に気づき、栞を挟んで閉じた。「今日は休みなの」
「ああ、今日は特別だ」
 正子は上半身を起こした。「刹那は元気にしてるかしら。動き盛りで大変じゃない」
「大丈夫だよ」
「だといいんだけど。慣れない田舎で馴染めないのかと不安で」正子は机に本を置き、新聞を手に取った。「子供が神社で行方不明になっているって話を聞いたわ。刹那にも気をつけるように言うのよ」
「分かったよ」霧崎は適当に答えた。行方不明になっているのが自分の子供だとは、とても言えない。
 隣にいる老婆が来た。手に菓子折りを持っていた。「霧崎さん、見舞いが来ているの」
 正子は老婆の方を向いた。テーブルに乗っている本を整理し、菓子折りを乗せた。「隣にいる人よ、よく話をしてくれるの」
 老婆は霧崎の方を見た。霧崎は頭を下げた。
「夫の霧崎一夫です」
「話は聞いてるわ。警察官でしょ」老婆は笑った。「奥さん、体調が良くなっているから予定より早く退院出来るかもね」
「本当ですか」
「ええ」老婆は頷いた。「近々、横乃瀬村で神楽祭りをやるわ。もしかしたら子供と一緒に行けるかもね」
 老婆の話に、霧崎は一瞬渋い表情をした。
「子供が行方不明になっているって新聞で見たわ。中止にならないの」
「大丈夫よ、中止のお知らせが来ないから」
 老婆は霧崎の方を見た。霧崎は眉を顰めていた。
「警察官なんでしょ、分かるんじゃない」
「いえ。伝承なら聞きましたが、他はよく分からないのです」
「伝承って」正子は、霧崎に尋ねた。
「姿ケ池に巫女が入水し、森に現れた化物を結界で封じて神社を移転したと地元で聞きました」
「池の洪水が酷かったからでしょ」老婆は霧崎の話に口を挟んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み