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文字数 5,572文字

 冬の冷気が抜け、暖かい空気が全体を覆っていた。夕方の日は黄金の光を放っていた。
 山道は広く、アスファルトで覆ってあった。脇には森が広がっていて、一角には原があった。原の中央には神楽殿が建っていて、奥に広がる森には3分咲きの枝垂れ桜が並べて植えてあった。桜と桜の間には注連縄で柵がしてあり、立入禁止の札が貼ってあった。縄の柵の向こうに森が広がっていた。森は太い木々や草が密生していた。
 桜と子供達が集まっていた。集まりの中にいる刹那は桜の木の元へ引き下がった。
 刹那は自身を囲っている子供達に比べて線が細く、綺麗な服を着ていた。
 子供達の中から獏が出てきた。刹那より背が低いが横幅はあった。「村に来た奴は皆、あの桜から先に入って奥にある物を取ってくる。お前もやるんだ」
「嘘よ。お父さんが、中に入っちゃ駄目だって言ってたじゃない」獏の前に、澗が食って掛かった。澗はおかっぱで、丈の短い服を着ていた。
「うるせえな、お前には関係ねえだろ。こいつは来たばかりで何も分からねえから、俺達が教えてやろうってんだ」獏は澗を払い除けた。「お前は、大人の言葉を真に受けてるのかよ」
 獏は立入禁止の札を手にし、剥がした。「俺だって出来たんだ。何ともねえよ」
「嘘言わないでよ」
「嘘じゃねえ証拠でもあんのか」獏は澗に強く当たった。澗はすくんだ。
 獏は拳を作り、身構えた。「なあ、霧崎って言ったよな。お前は中に入って奥にある物を取ってくればいいんだ」
 刹那は子供達を見回した。子供達は皆、刹那を睨んでいた。
「わ、分かったよ。取りに行けばいいんでしょ」刹那は縄の下を潜った。中に入る際、電気が体を通る感覚を覚えた。刹那は痛みで顔が歪んだ。
 子供達は、刹那を見てにやけた。入れる訳がない。飛び出した時の反応を見て笑ってやる。
 刹那は注連縄をくぐり抜け、森に入った。痛みは消えた。
 子供達はにやけから一転して驚いた。
「おい、本当に入れたよ」
「大丈夫なのか、あいつ」
「都会の奴はおかしいんだ」
 子供達はざわついた。
 刹那は振り返った。子供達が驚いている姿があった。
 刹那は驚いている子供達を理解出来なかった。何故、立入禁止の場所に入っただけで驚くのか。
 刹那は森の方を見た。足跡はなく、落ち葉が幾重にも重なっていた。
 子供達は、刹那を見つめていた。
 刹那は先を見ていた。
「本当に行く気かよ」獏は不安を覚えた。森に入るとは予想していなかった。
「おい、本当に入ってったよ」
「入れたのか」
 澗は漠の方を向いた。「戻って来ないかも。連れ戻さないと」
「お前が連れ戻して来いよ」
 澗は森の中に入ろうと縄を掴んだ。縄を通して電気が通った感覚と共に、森が拒絶する様に弾き出された。
「大丈夫か」獏は、澗の元に近づいた。
「澗ちゃん、痛くない」子供の1人が、澗に尋ねた。
 澗は起き上がった。生えている草がクッションになった為に衝撃は和らぎ、痛みはなかった。
 澗は縄の前に向かった。「霧崎君、もういいよ。戻って来て」澗は声を上げた。
 刹那は森の中で立ち止まっていた。自分の体程ある太さの木々が密生していた。葉が光を覆い隠していた。日が暮れかかっているのもあり、足元が良く見えなかった。鳥の鳴き声と、葉が擦れる音が聞こえていた。子供達の声はなかった。
「適当なの取って来て、戻って来ればいいんだろ」刹那は自分に言いきかせると頷き、前を見た。先は暗いが何も見えない程ではない。一直線に行くだけだ、迷う訳がない。
 刹那は不安を忘れようと走りだした。地面は柔らかく、走りにくかった。
 暫く走ると根に足を引っ掛け、倒れた。膝を擦り剥き、血が流れた。血は垂れて葉に付いた。
 刹那は痛みで目に涙を浮かべた。痛いが耐えて進まなければ、日が暮れてしまう。
 刹那は痛みを堪え、立ち上がろうとした。
 血が付いた落ち葉が音を立てて沈んだ。
 刹那は落ち葉の音に気づき、足元を見た。無数の蔦のような物体が落ち葉の隙間から這い出してきた。
 刹那は恐怖を覚え、引き下がろうとした。
 蔦のような物体は素早く飛び出し、刹那が動くより早く足に絡みついた。
「助けて」刹那は声を上げた。何もなかった。
 蔦のような物体は、次々と飛び出すように落ち葉の下から飛び出してきた。刹那の全身に絡みつき、体を縛った。刹那の首にも蔦のような物体が絡みだした。
 刹那は呼吸出来ず、苦しくなった。視界が暗くなった。意識を失った。



 刹那が森に入ったまま戻らないと通報が入ったのは、翌日になってからだった。
 刹那の母親は病弱で隣町の父符市にある病院に入院し、父親は夜勤だった為に身内で通報する者はいなかった。
 学校の担任が刹那が出席しなかったのを、一緒に帰った子供達に尋ねた。
 子供達は黙っていたが、澗が刹那が神楽殿の奥にある森に入り、戻って来ていないと話した。担任はすぐに警察に通報した。
 横乃瀬村には警察署がないのもあり、警察官が到着したのは日が昇りきった頃だった。
 警察官は現場に到着し、昨日刹那と一緒にいた子供達を現場に連れてきた。子供達は警察の指示でパトロールカーに乗って現場に来ていた。
 獏は泣きながら警察の質問に応じていた。
「勝手に中に入ったと言うのか」
「神社で遊んでたら、あいつが自分でやるって言って勝手に入ったんだ。皆言ってただろ、なあ」獏は嗚咽を漏らしながら、子供達に尋ねた。子供達は何も言わなかった。澗だけは獏の言葉に不快な表情をした。
 警察官は澗の反応を見逃さなかった。嘘をついている。
「何故中に入ったのか、教えてくれないか」警察官は澗に尋ねた。
「だから、アイツが勝手に行ったって」
「口を閉じてくれないか。お前に聞いていない」警察官は、割って入ろうとした獏を諭した。
 獏は警察官の言葉に引き、泣きじゃくった。「何で俺ばっかり悪者扱いするんだよ」
「霧崎君を呼び出して、度胸試しようって言ったんです。お父さん達から入っちゃいけない、入れないって言う桜の向こうに行かせて、何かを取って来いと言ったんです」
「何かとは」
「決まっていません。どうせ中に入れないのですから、何でもいいんです」
 警察官は澗の言葉に唸った。「なんでまた、中に入れと言ったんだ」
「獏が、都会から来た奴は生意気だって呼び出したのです」
 獏は澗の腕を掴んだ。「嘘言ってんじゃねえ。あいつが俺を呼び出したんだ。俺なら出来るって言ってよ。酷いもんだよな、俺達公園で遊ぼうって言ったのによ」獏は白々しく言った。
 警察官は獏の態度に呆れた。神社で遊んでいたと言った次に公園で遊んでいたと言っているのだ、獏という少年の言葉に矛盾があるは確かだ。獏の証言は信用に足りない。
 警察官の1人は、獏の腕を掴んだ。「じゃあ、中に入って戻って来なかった事実をどうして通報しなかった」
「獏が言うなって」
 獏は子供達を睨んだ。皆、萎縮した。「うるせえ、俺は言ってねえぞ。通報をまずいって言ってやめさせたのはお前だ」獏は、子供の1人に言いがかりを付けた。
 警察官は獏の頭を軽く叩いた。
「お前ら、いい加減にしろよ。誰が悪いかじゃない、なんでかを聞いてるんだ」
「だから、あいつが」
「さっきの言葉を忘れたのか」
「だから」
「言い訳をするな」警察官は高圧的に言った。
 獏は項垂れて黙り込んだ。何か言えば自分が悪いと責めるに決まっている。
 警察官はため息を付いた。もう子供達から証言を聞き出すのは無理だ。
「お前達は待っていてくれ」警察官は神楽殿に向かった。
 警察官の1人の霧崎は、奥で桜と縄を眺めていた。隣には土地を管理している八想神社の氏子が立っていた。
「急いで来たのですが、遅れてしまいました。済みません」霧崎は眠気を覚えた。こめかみを軽く叩いて堪えた。
「いえ、通報をしてから早い方です」氏子は森の方を見た。「森に入る人はいないと思っていましたが管理が甘く、ご迷惑を掛けました」
 霧埼は注連縄を見て渋い表情をした。「縄だけで立ち入りを阻止出来るとは思えません。危険だと分かっているなら、何故金網や鉄条網を張らなかったのですか」
 氏子は渋い表情をした。
 霧崎は氏子の表情を見て、驚いた。失言をしてしまったのか。
 氏子は、霧崎の浮かない表情を見て笑みを浮かべた。「気になさらずとも結構です。貴方の言葉は間違っていません。しかし先程の通り入れないのですから、注連縄以上の対策が出来ないのです」
「入れない」霧崎は、氏子の言葉に驚いた。縄以上の対策が取れないとは、どういう意味なのか。
「遙か昔、村を訪れた娘が邪悪な力で化け物を放った為、大宮が派遣した神主により森に追い込んで倒したと伝わっています。倒した化物ですが、死体は酷い死臭を放ち一帯を腐らせていった為、宮司は対策として桜で囲み封じたと伝わっています。故、村の者は誰一人として森に入ろうとしません」
「伝承を恐れて入ろうとしない訳か」霧崎は唸った。子供に怖い伝承を言い聞かせ、危険を促すと言うのはよくある話だ。
 霧崎の元に逡巡が来た。逡巡は髪に白髪が混じっていて、顎に生える無精髭と僅かに浮かぶ頬骨が苦労人と言う印象を与えた。小袖に渋い藍色の袴を着ていた。
 逡巡は霧崎に頭を下げた。「八想神社の宮司である八想逡巡と言います。近辺一帯の土地を管理しています」
 霧崎は、逡巡に頭を下げた。「父符警察署より来ました、霧崎と言います」
「森に子供が入ったと、氏子から説明がありました。本当なのかと耳を疑いましたが、状況からして嘘ではないですね」
「先程、伝承を聞かせていただきました。子供を近づけない意図でしょうが、余計な冒険心を煽るだけです。昔なら通じましたが、最近は通じるとは思えません」
 逡巡は、袖に手を入れて1枚の札を取り出した。札は和紙で出来ていて、朱印があった。
「伝承の真偽は置いておきまして、立ち入りが出来ないのは事実です」
 逡巡は札を器用に折って紙飛行機を作り、縄の先に向けて札を飛ばした。札が森に入った途端、火が付いて燃え尽きた。
「分かりましたか」
 霧崎は、顔をしかめた。
「森を囲む桜は霊木でしてね、結界になっています。故、森と相容れない霊的な存在は立ち入れません。霊力を持つ存在で立ち入り出来るのは、霊力が結界の霊力と合致した場合か除去した場合、結界の力以上の力で相殺した場合しただけと思われます」
「立ち入れない。氏子も言っていましたが、どういう意味ですか」
 逡巡は頷いた。「物理的と言う意味です。霊木を切り、結界を解けば立ち入りが出来ましょう。しかし、破れば封じていた森の瘴気が漏れて大地が枯れます」
 霧崎は呆れた表情をした。結界だの瘴気だのとオカルトじみた話を真面目にしている。村の人間は気が狂っているのではないのか。
「物理的も何も、やってみなければ証明も出来ません」
 霧崎は張ってある縄に手をかけて除け、勢いよく森に入った。見えない壁にぶつかり、勢いよく弾き飛ばされ仰向けに倒れた。
「大丈夫か」
 氏子は、仰向けに倒れた霧崎の元に向かった。逡巡も氏子の後を追った。
 霧崎は起き上がり、仕切っている縄の向こう側を見つめた。一体、何にぶつかったと言うのか。
「まだ、信じませんか」
「信じる気はない」霧崎は縄の下を丁寧に潜り抜けた。縄をくぐった瞬間から、服が青白い光を帯びてきた。体の中が熱く、全身に香辛料を塗りたくった感覚を覚えた。全身に汗が噴き出してきた。
 霧崎は森に立ち入ろうとした。痛みは強くなり、視覚も聴覚も薄らいでいった。次第に体の中から何かがはじけ飛ぶような痛みが混じってきた。
 霧崎は耐えきれず、よろけた状態で逡巡がいる側に下がった。服から放っていた青白い光は消えていた。痛みは完全に消えた。体中が脈を打っている感覚があった。
「分かりましたか、入れないと言うのが」逡巡は、霧崎を諭した。
 霧崎は、よろけた状態から立ち上がった。立ちくらみを覚えた。信じがたいが、実際に立ち入りは出来ない。宮司の言葉に嘘偽りはなかった。
「話した通りです。我々ですら立ち入れない程に強力な結界が張ってあります」
「結界か」霧崎は、徐々に苛立ってきた。何も出来ないままだと言うのか。
「身を持って分かったでしょう」
「ふざけるな。子供が中に入って出てこないんだぞ」霧崎は、逡巡に食って掛かった。
「おい、やめろ」氏子は、逡巡と霧崎の間に割って入った。
 霧崎はふらつき、膝を付いた。痛みは消えたが疲弊していた。
 逡巡は、霧崎の体を掴んで支えた。「結界が張ってあると言う事実を目の当たりにすれば、信じざるを得ません。危険を意味しているなら解除に躊躇いが出ます」
 警察官は霧崎の元に向かった。「霧崎、戻るぞ」
 霧崎は、逡巡を押して警察官の方を向いた。「子供達は」
「パトカーで学校に送る」警察官は、逡巡と氏子を見て渋い表情をした。「お前達は祭りの準備で忙しいからな」
「では、行かなくても良いと」
「上と相談してから連絡する。電話は引いているか」
「はい」
「なら、問題ない」
 警察官は霧崎を見た。霧崎は立ち上がった。足が僅かにふらついていた。警察官は霧崎の肩を貸した。霧崎は無意識に警察官の肩に絡んだ。
「見回りはしておく。何かあったら連絡してくれ」警察官はパトロールカーに向かった。
 逡巡は森の方を向いた。「子供が入ってしまうとは、時間稼ぎにもならなかったのでしょうか」
「日程を早めますか」
「15年ぶりですから周囲も余裕がなく、無理としか言えません」
 氏子は唸った。
 パトロールカーは、去って行った。
 グーゴルがパトロールカーと入れ違って逡巡の元に来た。薄い黄色の短髪に、黒を基調としたシャツと似た色のズボンを履いていた。
「おはようございます」グーゴルは穏やかな調子で氏子と逡巡に挨拶をし、頭を下げた。
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