3)

文字数 4,537文字

 リアカーは参道に入り、道路に出た。
 神楽殿までの道路は上り坂になっている為、押している氏子達や樹沙羅に重くのしかかった。リアカーの速度が落ちた。会話で盛り上がっていた氏子達は黙っていた。
 リアカーが神楽殿の近くに着いた。警察官が多数いた。氏子達は押すのをやめた。リアカーは止まった。氏子達は額に汗をかいていた。
 警察官が氏子達に近づいた。「荷物ですか」
「神楽祭りで使うんだ」
「手伝いますか」
「大丈夫だ。中に入れてくれ」
「分かりました」警察官は下がった。
 氏子達や樹沙羅はリアカーを押した。リアカーは神楽殿に入って行った。獣道で石や草により重くなった。
 樹沙羅はリアカーを押しながら周囲を見回し、逡巡を探した。警察や他に荷物を整理している氏子がいた。逡巡の姿はなかった。
 リアカーは神楽殿の前に着いた。リアカーは止まった。氏子達は神楽殿の扉を開けた。
 氏子達は荷物をリアカーから下ろし、神楽殿の中に運んで行った。
 樹沙羅は両手で段ボール箱を持ち、神楽殿の扉の前に来た。中は暗く、舞台裏に至る階段があった。中に入った。氏子が手渡しで荷物を渡し合い、隅に整理していた。樹沙羅は、氏子に荷物を渡した。氏子は荷物を受け取った。
「15年も放置しているかと思ったんだけど、意外に埃を被ってないのね」
「神楽殿は武満山の入口に近い。山開きに使う荷物も入れてるんだ」
 樹沙羅は、山開きを思い出した。毎年4月の中ごろに山開きを行っていた。「忘れてたわ」
「言ってなかったっけか」
「父様は、山開きは修験道の関係で男しか出来ないって言っていたわ」
「八想神社と修験道は関わりが深いからな」
「実際には関係なしに年中、作業員が山に入ってるけどな。じゃなかったら形が変わるまで削れねえよ」
「仕方ないわよ、石を売らなかったら村がとっくになくなってるわ」
「村の前に、山がなくなっちまうかもな」
 樹沙羅は神楽殿から出て、手で持てる程度の荷物を抱えて神楽殿の中に運んでいった。荷物を神楽殿の奥に運んだ時、古い紙が茶箱の上に乗っているのを見つけた。紙には墨で神楽の演目が書いてあった。
 樹沙羅は、紙を手にとって演目を読んだ。演目の内容に違和感を覚え、紙を胸ポケットに入れた。
 氏子は、樹沙羅を見た。樹沙羅は周りを見ていた。「突っ立ってないで、荷物を渡してくれ」
「は、はい」樹沙羅は、手元にある荷物を氏子に渡した。
 氏子は荷物を受取り、棚の空いている箇所に置いた。
 樹沙羅は神楽殿の外に出た。他の氏子達と同じく、リアカーに積んでいる荷物を持った。神楽殿の中に荷物を運び入れた。
 荷物の搬入を終え、リアカーの荷物がなくなった。氏子達はリアカーを押し、神楽殿から境内に向かった。
 リアカーが出て行った直後、荷物が積んである別のリアカーが入ってきた。
 樹沙羅と残った氏子は、荷物を神楽殿の中に搬入する作業を再開した。
 日が昇り切った。荷物の搬入が終わった。
 氏子は神楽殿の扉に南京錠をかけた。
「結構多いのね」
「村じゃ一番でかい祭りだからな、父符の人間も沢山来るから、椅子や電気コードも用意しないといかん」
 樹沙羅は周囲を見回した。木製の電信柱が道の脇に立っていた。
「後は祭りの2、3日前に運び出すだけだ。ありがとう」
 氏子は神楽殿を回り、道路に向かっていった。
 樹沙羅は一息ついた。そよ風が吹いた。樹沙羅の首に冷たさを覚えた。樹沙羅は、首を手で撫でた。汗で濡れていた。
 樹沙羅は氏子の後を辿って神楽殿を回った。警察官を見かけた。
「すみません。父様、ではなくて宮司は何処にいますか」
「家に戻ったんじゃないかな」
「分かりました、ありがとうございます」
 樹沙羅は警察官に頭を下げ、道路に向かった。境内まで向かう道で、氏子達がリアカーを運びながら談笑しているのが見えた。氏子達のいる方と逆の方を向いた。アスファルトで舗装した山道があった。脇には草木が生えていた。草は黄色い花を付けていた。
 樹沙羅は氏子達がいた方を向いた。氏子達はいなくなっていた。境内への方向へ歩き出した。
 交差点に出た。道路を曲がり、用水路にかかる橋をまたいで参道に入った。先にある鳥居をくぐった。境内に入った。
 氏子達がリアカーを集会所の裏にある物置に運んでいた。
 氏子達は集会所の入り口にも集まっていた。集会所の窓は開いていた。
 樹沙羅は集会所に向かい、中に入ると周囲に目もくれずにホールに向かった。
 氏子達が自分で持ち込んだおにぎりを食べながら、神楽祭りの衣装や配置など、禰宜から貰った資料を元に話し合っていた。
 ランドセルを背負った京が駆けつけてきた。
 京は周囲を見回した。樹沙羅の姿を認めて駆けつけてきた。「樹沙羅さん、こんにちは」京は頭を下げた。
「こんにちは」樹沙羅は、京に頭を下げた。
「舞を教えてくれるんでしょ」
「舞、ね」樹沙羅は神楽殿での出来事を思い出し、胸ポケットから紙を取り出して京に見せた。「分かる」
 京は紙を手に取り、書いている内容を見た。39座の演目が墨で書いてあった。
 樹沙羅は、紙の項目を指差した。「神楽舞の演目は35座あるんだけど、書いてある演目は39になっているの。空いた4座、以前教えてもらった」
「35」京は首を傾げた。「樹沙羅さんは、39個全部知ってるの」
「ええ。父様が教えてくれたわ」
「あたしは分かんないな。だって4つ位しか教えて貰ってないもん」
「ありがとう」樹沙羅は、近くにいる氏子に近づいた。「神楽祭りだけど、演目は全部でいくつあるのかしら」
「演目は35だよ。うち巫女舞が4つだったかな」
「35、39じゃなくて」
「長いのと、疲れるって言うんで巫女舞を簡略化したって聞いてる」
「ありがとうございます」樹沙羅は氏子に頭を下げた。昨日、京の舞を教えていた時にやり方が異なっていた。京に教えた舞の演目数と、自分が知っている演目数との違いから舞の動きが異なっているのではないのか。
「ついでに聞きますが、15年前の演目数は」
「宮司様が再開記念で演目数を多くしたらしいんだ。実際には負担を増やしてしまっただけだったが、謎羅様が亡くなるなんて誰が予想していたと言うんだ、宮司様を責める気になれないよ」
 樹沙羅は、氏子の話に驚いた。母様が帰幽するのを父様は知っていた。ならば何故、演目数を増やすという負担を加えたのか。母様の帰幽と関係があるのか。
 樹沙羅は頷いた。「分かったわ。貴重な意見ありがとう」樹沙羅は京から紙を取り上げ、胸ポケットに入れた。
 京は、樹沙羅の元に向かってきた。「樹沙羅さん」
「ごめんなさい、舞の指導ね。じゃあ、今日はセンティもいないから、最初から教えるわ」樹沙羅は京の手を取り、レコードプレイヤーの近くに連れて行った。
「じゃあ、まず最初の演目から舞ってみて」
 京は、樹沙羅の言う通りに舞を始めた。



 日が暮れた。夕方の赤い日差しが空を覆い、緑の山は黒く染まり始めた。
 京は氏子達と共に集会所の外に出ていき、境内から去っていった。
 樹沙羅は京達を集会所の前で見送った。
 逡巡が、氏子と入れ違う形で鳥居をくぐり、境内に入ってきた。集会所の前に立つ樹沙羅の姿を認め、近づいてきた。「すみません、遅くなってしまいました」
 逡巡は手に持っている袋から鍵束を取り出し、集会所に向かった。
「質問あるけど、いい」樹沙羅は、逡巡に尋ねた。
 逡巡は足を止めた。
 樹沙羅は胸ポケットに入れている紙を取り出し、逡巡に差し出した。
 逡巡は、樹沙羅から紙を受け取り一通り眺めた。「集会所を閉め終わったら話します」
 逡巡は集会所の扉に向かい、鍵をかけた。
 樹沙羅は、逡巡の様子を見ていた。逡巡は紙を樹沙羅に差し出した。「八想神社で行う神楽は全部で35座。うち4つが巫女舞でしょ。なのに書いてある演目は39座ある。4座多いわ。氏子の人も座数を多くしたって言うし、単に再開記念で増やしたんじゃないでしょ」
「削除した舞は通常行う舞と異なります」
 樹沙羅は驚いた。
「通常の舞は大地の力を鼓舞し安定する効果があります。が、追加している舞は自らの魂を大地の力と同化し、手元に呼ぶ為の舞です」逡巡は一息ついた。「謎羅は力を殆ど失っていました。故に通常の手段では力を寄せることは出来ません。残った手段は追加した舞を持って大地の力と自らの魂を同化し、強固な結界を作り瘴気を防ぐしかなかったのです」
 樹沙羅は、逡巡の言葉に顔をしかめた。母様は人柱になったのだ。
「急に力を失うなんて、考えられないわ。だって元々ある力よ」
 逡巡は俯いた。
「父様」樹沙羅は逡巡に迫った。
 逡巡は渋い表情をした。「樹沙羅。貴方を産んだからです」
 樹沙羅は、逡巡の言葉に驚いた。
「子を宿した時点で、貴方に力を渡したのです。故に謎羅は力を失いました」
「私を産んだせいで母様は」
 逡巡は頷いた。
 樹沙羅は俯いた。自分を産んだ為に力を失い、帰幽したのだ。全ては自分のせいだ。
 樹沙羅は手を見つめ、握りしめた。白い光の粒子が、微かに手へと集まっていた。
「気にする必要はありません。八想家は子を宿して代々力を継承し、維持してきたのです」
「母様は、私のせいで一時しのぎの為に帰幽した」樹沙羅はつぶやくき、境内の外へ駆けていった。
 逡巡は樹沙羅の様子を見ていた。樹沙羅は境内から去っていた。いつかは話さなければならなかった。時期が早すぎただけだと、自らの心に言い聞かせた。
 樹沙羅は神楽殿への道を駆けていた。自分は母様から受け継いだ力がある。同じ力があるのなら、ほころびの出来た結界に応え、再構築が出来るかも知れない。もう悲劇を繰り返さなくて済む。母様から受け取った力で、母様の悲願を達成してみせる。神楽殿の前に付いた。興奮と疲労で息が上がっていた。神楽殿の周辺は暗かった。
 樹沙羅は神楽殿の裏に向かった。獣道は暗く、時には草が道に被さっていた。幼い頃から歩いた道なので自然と覚えていた。迷わずに注連縄の前に来た。森を囲っていた。広間にあった鳥のさえずりもなく、静まっていた。
 樹沙羅は注連縄から先に手を差し出した。見えない壁が手を遮った。
 樹沙羅は見えない壁に手を触れると、息を整えて手に意識を集中した。白い光の波紋が手の先から壁全体に流れた。手に針が刺さる痛みを覚えた。
 樹沙羅は顔を僅かに歪ませた。結界を維持する為に母様は命を落とした。受け継いだ力で結界のほころびを埋めれば、もう子供が中に入る必要も人柱を捧げる必要もない。誰一人として犠牲にならなくて済む。終わりにするんだ。
 痛みは次第に手の全体にまで伝わってきた。樹沙羅は痛みに耐えきれず、見えない壁から手を離した。波紋が消えた。樹沙羅は、痛みのある手を庇って押さえた。
「力が結界に作用しても、謎羅の魂と大地の力によりもう固まっています。作り直すより手段はありません」後ろから、逡巡の声がした。
 樹沙羅は振り返った。懐中電灯を持った逡巡の姿があった。懐中電灯は光を放っていた。
 樹沙羅の額から汗が流れた。「力を失ったから、たった15年でほころびが出たのよ。力を継いだ私が補完しきゃ、誰がべつの結界を戻せるの。また誰かを犠牲にしなきゃいけなくなるわ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み