1)

文字数 4,291文字

 春の夕暮れに太陽のしつこさはなかった。夜が降り始めていた。
 霧崎は、父符教会の駐車場に停めてあるパトロールカーの中で寝息を立てていた。
 運転席のタコメーターの上には、ピンク色の縁をした真新しい目覚し時計が置いてあった。時計の針が4時半を示した。目覚し時計のベルが鳴った。
 霧崎はベルの音に起き上がり、音のした方を見ると目覚し時計を手に取り、真上にあるボタンを押した。目覚し時計が鳴り止んだ。霧島は目覚し時計をダッシュボードに置き、窓から見える景色を見た。空が黄色がかっていた。霧崎の意識は明らかになっていた。
 霧崎は後ろを向いた。リアガラスを通して、グーゴルが段ボール箱を運び出しているのが見えた。段ボール箱は6箱あった。
 霧崎は驚いた。自分が求めた資料を相手に運ばせるのは失礼にも程がある。霧崎はドアを開け、キーを車から抜いた。急いでグーゴルの元に向かった。
 グーゴルは霧崎に気づいた。「目が覚めましたか」
「すみません、大変な迷惑をおかけしました。整理を手伝いましょうか」
「いえ、問題ありません。運び出しだけですから。作業が終わったら呼び出そうと思ったのです」
「運ぶだけでも手伝います」
「大丈夫です」
「好意は素直に受ける。違いますか」
 グーゴルは苦笑いをした。好意を断ると言うのは自身の信念に反する。「分かりました」グーゴルは了承した。
 霧崎は、トランクの鍵穴にキーを入れて回し、取っ手に手をかけて持ち上げた。中には何も入っていなかった。地面に置いてある段ボール箱を持ち上げた。力を入れず、簡単に持ち上がった。持ち上げた段ボール箱をトランクの中に入れた。
 霧崎は、次々に地面に置いてある段ボール箱を持ち上げてはトランクの中に入れた。置いてある段ボール箱を全て入れた。トランクの中が一杯になった。
「全て完了しました」グーゴルは、霧崎に話しかけた。
 霧崎はトランクを閉じ、キーを回して抜いた。「宮司の娘は」
「待たせています」グーゴルは踵を返し、礼拝堂の裏にある家に向かって歩いていった。
 霧崎は、グーゴルの後をついていった。
 グーゴルは玄関のドアを開け、中に入った。
 霧崎はグーゴルに続いて中に入った。樹沙羅とセンティが待っていた。
「遅い、タクシー呼んでもらおうかと思ったわよ」
「すまない、荷物を積んでいたんだ」
「樹沙羅お姉様に手を出さないで下さいね」
「俺は警察だ。まして妻子持ちだぞ」
 センティは、霧崎の反応に笑みを浮かべた。
「センティ、またね」
 樹沙羅は下駄箱に置いてある靴を手に取り、土間に置いて履いた。
 センティは頭を下げた。「はい、また会いましょう」
 霧崎はグーゴルに頭を下げた。「ご協力、感謝します」
 グーゴルは頭を下げた。
 霧崎はドアを開け、外に出た。
 樹沙羅は、霧崎に続いて玄関から出ていった。
 ドアが閉まった。
 霧崎はパトロールカーに向かった。運転席のドアにキーを入れて回し、ドアを開けた。
「助手席は地図が置いてある。後部座席に座ってくれ。送り先は八想神社の参道でいいのか」
「ええ」
 樹沙羅は後部座席のドアを開け、中に入るとドアを閉めてダッシュボードの周辺を見た。マイクの付いた無線機や、速度計測用のメーターがあった。
「随分、変な機械を積んでいるのね」
「凄いもんだろ。実は俺もよく分かってないんだ。機械類は苦手でな」
 樹沙羅は、ダッシュボードの上に乗っている目覚し時計に目をやった。5時を示していた。「変わった趣味ね」
「他が売り切れだったんだ」
 霧崎は運転席に入り、ドアを閉めるとキーを差し込んでエンジンをかけた。空いている手でマイクを手に取り、無線のスイッチを入れた。
「父符警察署の霧崎だ。八想神社近辺で子供が行方不明になった件について、状況を確認したい」
『了解。現時点で進展はせず、夕暮れのため捜索を打ち切り撤退する』ノイズ混じりの音声が流れた。
「了解した」霧崎は、無線機のスイッチを切った。
「妙に入れ込むのね、他にも調べる事件は沢山あるけど」
「子供を助けるのは当然だ、まして自分の子供ならな」
「自分の」
「森に入ったのは俺の子供だ。妻子持ちだと言っただろ」
 樹沙羅は、霧崎の言葉に驚いた。自分の子供が行方不明となれば、冷静さを欠くのは当然だ。
「ごめんなさい」樹沙羅は謝った。
「気にするな、恨みを買うのは警察の仕事だ」霧崎は窓から見える景色に目をやった。民家が大通りに民家が並んでいた。
「村では大宮から宮司が来て、森に住む化物を封じたと聞いた。だが大宮の父符神社に伝承はないと聞いている。近い所にありながら話が伝わっていないというのはおかしい。森の伝承は最近になって作った話じゃないのか」
「でも、瘴気も結界も実際にあるわ。姿ケ池に寄れる」樹沙羅は、霧崎に尋ねた。
「姿ケ池」霧崎は鸚鵡返しに尋ねた。
「路線の近くに池があるの。ボートがあるんだけど、分かる」
「父符に引っ越した時に子供を連れて行ったが、どうかしたのか」
「行ったら話すわ」
 霧崎は樹沙羅の言葉に疑問を持った。姿ケ池は父符市にある遊び場と聞いて出向いたが、田舎によくある貯水池とだったのを覚えている。
 パトロールカーは大通りを曲がり、姿ケ池が脇にある道路に出た。草木が生い茂っていた。姿ケ池の脇道に止まり、後部座席のドアが開いた。
 樹沙羅はパトロールカーを降り、ドアを閉めた。
 霧崎も続いて降りてドアを閉めた。霧崎はキーを運転席に入れて回した。
 姿ケ池の周囲には、柵があった。柵には釣り厳禁と書いてある錆びた看板が貼り付けてあった。脇道には池を一周出来る歩道があった。池にはボートが浮いていて、若い人達が漕いでいた。ボート乗り場には係員がいた。
 樹沙羅は歩道を歩いていった。貯水管理用の施設が建っていた。水面に浮かんで見えた。
 霧崎は、樹沙羅の後に続いた。
 樹沙羅は、曲がり角にある地蔵の前で立ち止まった。地蔵は座った状態で、色あせた赤い前掛けを首から駆掛けていた。顔や体の尖った部分が削れ、丸くなっていた。足元には30cm程の卒塔婆が立てかけてあった。
「地蔵が置いてあるだけじゃないか」
「何で、地蔵があるか分かる」
「何かの供養をしているからだろ」霧崎は適当に答えた。
「姿ケ池造成の後の出来事から、供養で置いたのが始まりって言われるわ」
「出来事」
「姿ケ池は大地の力の真上にあるの。造成の時に刺激をしたせいで力が暴走して度々氾濫を起きたわ。村人達は解決手段として人柱を立てたの。けど、人柱にされた人の恨みが姿ケ池に蔓延した。事態が悪化したのよ。最後は神社の巫女が人柱になって止めたの」
「次から次へと。人の命を何だと思ってるんだ」
「仕方ないわよ。おかげで氾濫しなくなったんだから」
 霧崎は、水面を見て顔をしかめた。「根拠のない迷信でか」
「迷信か伝説か分からないけど、巫女には代々力があるわ」
 樹沙羅は一息つき、片手をかざした。手の先に白い光の粒子が集まってきた。同時に水面が大きく揺らぎ、太陽からの光を乱反射して輝き始めた。水面のざわめきは大きくなり、更に水面が輝きだした。
 霧崎は水面を凝視した。水面の動きが樹沙羅の手に合わせて光を反射し、輝いていた。ボートが大きく由来だ。
 ボートに乗っている若者達は、水面の変化に驚いた。中にはボートが揺らぎに転覆するのではないかと焦る者もいた。
 樹沙羅は腕を水平に翳した。手の先から光の粒子が消え、水面が一瞬で平らになった。空が水面に映っていた。
 霧崎は顔をしかめた。人の動きに合わせて水面が動くなどあり得ないが、実際に目にしている以上、否定する理由はない。
「力があるのは分かった。姿ケ池と森とは何の関係がある」
「森に封じたのよ。今に至るまで、力を持った巫女が代々、舞で結界を守り力を止めているの」
「牧師によると、伝承とは事実に嘘や教訓を足したものだそうだ。伝承の異なる部分を嘘として取り除けば事実が残る」霧崎は胸ポケットに入っている警察手帳と万年筆を手に取り、メモ欄を開いた。「氏子は大宮から宮司を呼んだと言っていたが、父符神社にはない。宮司が外から来た点と使者の部分を消して考えると、近場の人間が封じたと考えるのが適切だな」
「ええ」
「旅人について調べれば、今に残る念というのが分かる。正体が分かれば対策出来るな」
 霧崎は地蔵の隣にある碑に目をやった。句が書いてあった。霧崎は句をメモに書き出した。
 樹沙羅は、霧崎の不可解な行動に眉を顰めた。
 霧崎は万年筆のキャップをかけ、警察手帳と共に胸ポケットにしまうと樹沙羅の方を向いた。樹沙羅は、霧崎の様子を見ていた。
「只の貯水池かと思ったが、重い話があるんだな」霧崎は踵を返した。「戻ろう」
 霧崎は、パトロールカーに向かった。樹沙羅は、霧崎の後をついていった。
 霧崎は姿ケ池を見回した。近くに木々が生い茂る丘があり、先に掘削機械によって山肌を露出した武満山があった。
「大地の力なんて、信じるの」
「今起きている状況から、逃げる気はない」
 2人はパトロールカーの前に着いた。霧崎はキーを運転席に入れて運転席のドアを開け、中に入った。
 樹沙羅は後部ドアを開け、後部座席に着くとドアを閉じた。
 霧崎はドアを閉じ、キーを入れた。エンジンがかかった。ブレーキとクラッチを踏んでギアを切り替え、アクセルを踏んだ。パトロールカーが動き出した。
 大通りに入り、進んでいく内に民家の密度が薄くなっていった。
 樹沙羅は窓から見える景色を眺めていた。霧崎は運転に集中していた。
 パトロールカーは大通りを曲がった。草木が多く民家の少ない道に入った。参道の前で止まった。周囲は暗くなっていて、山に向かう道は真っ暗だった。梟の鳴き声が遠くから聞こえていた。
「ありがとう。進展があったら連絡するわ」
「いや、いい。近いうちに来る。勘だがな」
 樹沙羅は後部座席を開けて降りた。ドアを閉じた。
 パトロールカーは去っていった。
 樹沙羅は参道に向かい、境内に入った。人はなく、集会所の窓も閉まっていた。社務所にも明かりはなかった。社務所に向かい、玄関のドアに手をかけて引いた。ドアが開いた。中に入った。
 玄関は暗かった。樹沙羅は手探りで壁をなぞり玄関のスイッチを見つけて押した。天井の照明が点灯した。
「父様、いないの」樹沙羅は声を上げた。何も反応がなかった。
 樹沙羅は不思議に思いながらも靴を脱ぎ、土間に上がった。樹沙羅は電話台の脇にあるスイッチを押した。照明が切れ、暗くなった。樹沙羅は自分の部屋に向かった。
 部屋のドアを開け、中に入った。暗くて何も見えなかった。
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