3)

文字数 8,501文字

 グーゴルはドアが閉まったのを認め、靴を手に取り踵を返して廊下を歩いて勝手口に向かった。勝手口は薄暗く、くたびれた箒やちりとり、バケツが脇に置いてあった。壁にはキーを駆けておくフックが付いていた。
 グーゴルはキーの一つを手に取ると靴を勝手口の土間に置き、履いてドアを開けた。先には白塗りの小屋があった。物置小屋の扉の前に来た。キーを鍵穴に入れて回し、キーを抜いてドアを開けた。中は暗く、重なっている段ボール箱の群れと棚があった。ダンボール箱には英語で記述したラベルが貼ってあり、中には冊子の切り抜きやノートが入っていた。棚の中にも同じ物が詰まっていた。グーゴルは、ラベルを確認しては段ボール箱を区分けし始めた。
 霧崎は、駐車場に置いてあるパトロールカーに向かうとキーを差し込んだ。ドアを開けると助手席に置いてある地図を開き、父符神社近辺を見た。教会が接している大通りの先に父符神社があった。正面入口は交差点になっていて、先には参道と書いてあった。霧崎は地図を助手席に投げ、ドアを閉めた。車で行くか考えたが、私用でパトロールカーを使う気にならず、今の状態で運転すれば居眠りして事故を起こしかねないのでやめた。
 霧崎は大通りを歩いていった。警察官の格好は目立っていて、すれ違った人達は皆振り返って霧崎を見ていた。霧崎は気に留めなかった。空腹と眠気から来る気だるさが、周囲を意識する余裕を与えなかった。父符神社の前にある交差点に来た。参道に人通りがあり、土産物屋や飲食店が並んでいた。
 霧崎はそばののれんが掛けてある店に向かい、扉を開けて中に入った。漆喰風の壁紙が貼ってあった。奥に畳の座敷があり、手前に椅子とテーブルの席があった。座席にはカバンを脇に置いた客が固まって座り、そばをすすっていた。端の席が空いていた。
 エプロンを着た女性店員が霧崎に気づき、近づいて頭を下げた。「いらっしゃいませ、警察の方ですか」
「今は只の飯ですよ」霧崎は店員に気さくに答え、空いている椅子の席に座った。
 店員は厨房のカウンターに向かい、氷水の入ったピッチャーからコップに冷水を入れ、霧崎のテーブルに置いた。
「もりそばを」
「はい」店員はエプロンのポケットから伝票を取り出して霧崎の注文を書き込んだ。
「話を聞きたいんだが、いいかな」霧崎は、店員に尋ねた。
「何でしょう」
「父符神社には、立ち入り出来ない森というのはあるかな」
「森、ですか」店員は、霧崎の質問に眉を顰めた。「確かに立ち入り出来ない箇所はありますが、森みたいな場所はありません」
 中年女性が、厨房のカウンターから顔を出した。「神社に用でもあるのかい」
「横乃瀬村の八想神社の森が立ち入り出来ないと言ってたんだ。同じような森が父符神社にもないのかと思ってね」
「神社の森ってのは皆同じだよ。森を守る為に神社があるんだからね」
「物理的に入れないと言うのは。例えば結界を張っているというのは」
「拝殿の奥に柵があって、入れなくなってるよ」
 霧崎は唸った。結界を知っているのは八想神社近辺だけらしい。「横乃瀬村には、大宮から来た神主が怪物を追い込んだと言う伝承があると聞きました。似た伝承はあるのですか」
「いや」中年女性は首を振った。「知らないね」
 霧崎は頷いた。「大宮とは、方向が違いますしね」
 中年女性は笑った。
 観光客や霧崎は驚いた。
「大宮って、大宮市だと思ってるのかい。横乃瀬から見た大宮ってのはここだよ。大宮ってのは地域の中心になる神社を言うんだ」
 霧崎は眉を顰めた。
「そろそろ行きますがいいですか」店員は霧崎に尋ねた。「構いません」
「はい」店員は頷き、厨房へと去って行った。
「何かあったのかい」
「いえ」霧崎は首を振った。「横乃瀬で変わった伝承を聞いた物ですから」
「伝承なんて適当だから、余り真に受けるんじゃないよ」中年女性は顔を引っ込めた。
 霧崎は眉を顰めた。
 暫く経った。店員がせいろそばと伝票を持ってきた。つゆの入った入れ物と薬味の入った皿も一緒に沿えてあった。
 霧崎はテーブルの中央にある箸入れから割り箸を取り出して割り、薬味を一度に入れてもりそばを啜った。噛み応えが強く、つゆの味は濃かった。後からわさびの辛味が鼻に刺さった。そばを食べ終えると伝票を手に取り、レジスタのある台に向かった。
 店員は、霧崎の行動を見てレジスタのある台に向かった。
 霧崎は伝票を店員に渡した。
「ありがとうございます」店員は伝票を受け取り、レジスタに打ちこんだ。レジスタの引き出しが開いた。
 霧崎はレジスタの表示窓に映っている数字を見て、胸ポケットから財布を取り出して札を出して店員に渡した。
 店員は釣りを渡した。「ありがとうございました」
 霧崎は財布に釣りを入れ、胸ポケットに入れると扉を開けて出て行った。日が傾き始めていた。参道を歩いて大通りに向かった。先には、父符神社の赤い鳥居があった。
 霧崎は時計屋の前に来た。ショーウィンドウに青い縁のベルが付いた目覚まし時計が置いてあった。霧崎は顎に手を当てて目覚し時計を見つめた。暫くして、時計屋の扉を開けて中に入った。










 カグラマツリ……(2)








 社務所の玄関に置いてある電話が鳴った。
「はいはい、今お待ちを」
 禰宜が電話の音を聞きつけ、電話台へ駆けつけた。受話器を手に取り、耳にあてた。「もしもし」
『もしもし、父符警察署の霧崎と申します』受話器のスピーカーから、霧崎の声が聞こえた。
「警察の方ですか」禰宜は驚いた。「神楽殿で子供が入り込んだ件についてですか」
『いえ。グーゴルという人に連絡を取ろうと彼の自宅に電話をしたのですが、神社にいると聞きまして。電話した次第です』
「グーゴルさんに、ですか」
『はい』
「分かりました。今境内にいますから、呼び出します。暫くお待ち下さい」禰宜は、受話器を電話の隣に置き、玄関においてある靴を履いて外に出た。
 境内では氏子達が祭りの準備をしていた。グーゴルの元に氏子が集まっていた。グーゴルはスケジュールの書いた紙を見ながら、氏子に指示を出していた。
 禰宜は、グーゴルの元に近づいた。「グーゴルさん、警察から電話が入っています」
「警察からですか。何用ですか」
「連絡が取りたいと言っていました」
 グーゴルは禰宜の言葉に首を傾げた。子供が森に入った件で神社や場所を尋ねるなら、部外者の自分より禰宜の方が詳しい。
「スンズンではなく、私を指名しているのですか」
 禰宜は頷いた。
 グーゴルは踵を返し、禰宜と一緒に社務所に向かった。ドアを開けると靴を脱いで土間から床に上がり、電話台に置いてある受話器を手に取った。
 禰宜はグーゴルの隣に来た。
「もしもし、グーゴルです」
『父符警察の霧崎です。グーゴルさんですか』
「はい。ご用件は何ですか」
『神楽殿について調査をしていたのですが、追っていくうちに15年前に神楽殿で事件が起きていたのが分かりました』
 霧崎の言葉にグーゴルは一瞬、眉を顰めた。15年前に神楽殿で起きたと言えば、謎羅が死んだ事件以外にない。
「祭りの途中で亡くなった件ですか」
『ええ。今回起きた事件と関係あるのではないかと思いまして、連絡しました』
「15年前なら、神社にいる人間の方が詳しいかと思います」
『仰る通りです。しかし、事件の当事者は悲劇から避ける傾向があり、証言も曖昧になりがちです。ですから近い立場の人から聞く方が確実かと判断しています』
「なるほど、納得です」グーゴルは頷いた。「父符教会と言うのはご存知ですか」
『教会、ですか』
「私の家です。地図にも載っていますから辿り着けます。現地で資料を元に話をしましょう」
『資料があるのですか』
「はい」
『ありがたい話です』
「今すぐ準備する必要がありますから、切ります。よろしいですか」
『父符教会ですね』
「はい」
『分かりました、ご協力感謝します』電話が切れた。
 グーゴルは受話器を持ったまま、電話の白いフックを押した。電話が切れた。
「警察からの用と言うのは」禰宜は、グーゴルに尋ねた。
「15年前の出来事について調べているので、話を聞きたいと言った程度です。何も問題ありません」グーゴルはダイアル穴に指を入れて回し、電話をかけた。
 受話器から呼出音が鳴った。『もしもし』女性の声がした。
「もしもし、私です。ミリアですか」
『貴方ですね』受話器のスピーカーから、安堵の息が聞こえた。『サッキ、警察の人が電話に出てね。神社に回してって言っておきマシタ』
「電話が来ました」
『警察に捕まるのデスか』
「違いますよ。過去にあった出来事について調べているらしく、家で警察の方と話をします。怪しい話ではなく、客として雑談を交わす程度です。物置にある1951年と書いた段ボール箱から、適当な書類を居間へ運んで下さい」
『何でもいいのですか』
「はい。無理なら不要です」
『出来るだけやるわ』電話が切れた。
 グーゴルは受話器をフックに掛け、禰宜の方を向いた。「今から我が家に向かわねばなりません。私は自分の車で家に行きます。センティに戻る時にはタクシーを呼ぶよう言って下さい」
「はい」
「宜しく頼みます」
 グーゴルは土間で靴を履くとドアを開けて社務所を出て行った。
 禰宜はグーゴルの後を追い、土間においてある履物を履くと外に出た。ドアを閉めた。
 禰宜は、境内にいる氏子の元に向かった。「失礼します。グーゴルさんの娘さんが何処にいるか教えてくれませんか」
「センティさんかい。樹沙羅様と共に集会所に行ったよ」
「ありがとうございます」禰宜は礼をした。
 氏子達も禰宜に合わせて礼をした。
 禰宜は集会所に向かい、ドアを開けて中に入った。玄関からフローリングの廊下が延びていた。廊下の脇にドアがあり、開っ放しになっていた。ドアの先のホールから舞楽や足音が聞こえていた。
 禰宜は履物を脱ぎ、ホールに入った。軽いスポーツが出来る程の広さがあった。村の女性達が集まり、雑談をしながら小道具の整理をしていた。隅に置いてあるレコードプレイヤーから舞学の音が流れていた。
 京は丈の短い白いワンピースを着て、ホールの端で扇子を広げて舞を踊っていた。樹沙羅は中年女性と共に京を指導していた。センティは二人の様子を見ていた。
 樹沙羅は京の腕を取った。「今の動きじゃ、次の動作に入りにくいわよ。伸ばして」樹沙羅は京の腕を掴み、伸ばした。
 中年の女性は樹沙羅に近づいた。「何やってるの」
「違うわよ。縮めたら見栄えが悪いし次の動きに無駄が出るわ。適当に教えないでよ」樹沙羅はレコードプレイヤーに近づくと針を上げた。プレイヤーから音が消えた。レコードは回転を止めた。
 京は呆然とした状態で、樹沙羅の様子を見ていた。
 センティは禰宜の存在に気づいた。「揉めているのですか」
「樹沙羅お姉様が、何かにつけて振りがおかしいと言っていまして」
「樹沙羅様の目からすれば、京様の舞は欠点が目立つのでしょう」
 樹沙羅は京の元に近づいた。「今になって、急に神楽祭りの開催が決まったの」
「え、ええと」樹沙羅の質問に、京は戸惑った。「力が弱まったからと聞いてますが、他は分かりません」
「力ねえ」樹沙羅は頷いた。「京。練習の時もだけど、舞の時に気分が悪くなったら無理しないで降りなさい」
「降りるって、止めるって意味」京は樹沙羅に尋ねた。
「15年前に神楽殿でね、母様が舞の途中で帰幽したの。慣れない運動をすると心臓麻痺を起こすわ」
 京は不安げな表情をした。
「樹沙羅、京を脅かすんじゃありません」中年女性は、樹沙羅の間に割って入った。
「大丈夫よ、普通に体を動かしている分には問題ないから」中年女性は、京に優しく声を掛けた。
「センティさん」禰宜は、センティに声をかけた。
「何ですか」
「お父さんですが、先程警察と話をすると言って家へと向かいました。ですから、家に戻る時はタクシーを使うよう伝えてくれと言っていました」
 センティは、警察の言葉に驚いた。「パパが警察に」
「いえ、別に犯罪を犯した訳ではないです。別の事情で話を聞きたいと仰っていました」
「事情とは、子供が戻ってこない件ですか」
「いえ。15年前の出来事についてです」
 樹沙羅は、禰宜の話を聞きつけた。「15年前ですって」樹沙羅は京から離れ、禰宜の元に来た。
「15年前」樹沙羅は驚いた。「15年前って、神楽殿で母様が帰幽した時じゃない」
「はい。警察の管轄が変わった頃ですから、資料が散在しているのでしょう。改めて関係者から話を聞きだしていると見ています。既に終わっていますから、もう新しい情報は出ませんよ」
「終わってないわよ」樹沙羅は、禰宜の言葉に苛立った。「既に終わっているなら、今になって聞き出すの」
「分かりません。警察側にしかない何かがあったからでしょうか」
 樹沙羅は、禰宜の適当な言葉に呆れた。出ないと言っておきながら何かがあったとは矛盾している。もしかして、15年前の事件の真相に関わる情報を見つけたのではないのか。
「樹沙羅さん」京は、不安な表情をして樹沙羅に声を掛けた。
「ああ、そうだったわね」樹沙羅は京の頭を撫でた。「今、用が出来たから後で教えるわ」
「途中で投げ出す気なの」中年女性は、樹沙羅に突っかかった。
「仕方ないじゃない、用が出来たんだから。後はお願い」
「もう」中年女性は呆れた。子供というのは気まぐれだ。
「じゃあ、後でね」樹沙羅は京に声をかけた。
 京は頷いた。
「まさか、話を聞き出す気ですか」
「当然でしょ」樹沙羅は毅然とした態度で言った。「曲がりなりにも身内なんだから、無関係じゃないでしょ。向こうにとっても好都合でしょ」
 禰宜は、樹沙羅の話に押され、眉を顰めた。樹沙羅様は当時まだ1歳だ。いくら身内でも自我のなかった人から話を聞き出すのか。
 樹沙羅はセンティの方を向いた。「センティ、今から貴方の家に行くわよ。貴方も、私の家に遊びに行こうって言ってたわよね」
 センティは樹沙羅の言葉に驚いた。「え、ええ」
「なら全部解決済みじゃない」樹沙羅は、禰宜の方を向いた。「タクシー会社に連絡して」
「樹沙羅様、駅でタクシーに連絡したのでは」
「止まってたのを拾ったのよ。よろしく頼むわ」
「はい」禰宜は渋々了承した。
「ありがとう」
「お金は」
「大丈夫、まだ財布にあるから」
「足りなかったら、私が出します。言い出したのは私ですから」
「流石センティ」樹沙羅はセンティに抱きついた。
 センティは樹沙羅の行動に驚いた。「あ、樹沙羅お姉様」
「参道の道路に呼んでおいて。ほら、今すぐ行くわよ」樹沙羅はセンティから離れ、手を取った。
 樹沙羅は京の方を向いた。京は呆然とした状態で樹沙羅を見ていた。「続きは戻ってきたらね」
「う、うん」京は曖昧に返事をした。
「じゃあね」樹沙羅はセンティを連れてホールを出ていった。
「忙しいと言うか、自分勝手と言うか。相変わらずのはねっ返りね。女の子なんだから大人しくして欲しいわ」中年女性は呆れ気味に言った。
「タクシー会社に連絡を取りに行ってきます」禰宜は踵を返して集会所を出ていった。
「私は」京は首を傾げた。
「私が教えるわ」中年女性はレコードプレイヤーの元に向かい、針をレコードの音溝に動かした。レコードが周り出し、舞楽がスピーカーから若干のうねりが混じった状態で流れ出した。



 樹沙羅とセンティは境内を抜け、山道を走って道路に出た。道路は氏子達がまばらに通っていた。車通りはなかった。
 脇の畑にはロゼット状の草が密生している代わり、茎が伸びている草はなかった。
「いつまで待つんでしょうか」樹沙羅は、センティに尋ねた。
「タクシー会社が何処にあるかに寄るんじゃないかな」
「近くにタクシー会社はないですから、時間がかかりますよ」センティは曖昧に言った。
「焦りすぎたかな」
「樹沙羅お姉様は間違えてません。運転手に待たせる方が失礼ですよ」
「確かにね」
 暫くして十字路の先から、青いタクシーが来て、樹沙羅の前で止まった。運転席のドアが開いた。運転手は車を降り、後部座席のドアを開けた。「どうぞ」
「随分、早いわね」樹沙羅は、タクシーの運転手に尋ねた。
「近くで無線が入りましたから」
「無線ね。私達も使えれば、誰かに電話を頼まなくて済むのに」
「大きすぎて持ち運べませんよ」
「残念だわ」
 樹沙羅とセンティは後部座席のドアを開け、タクシーに乗った。運転手は後部座席のドアを閉めた。次に運転席に座ると運転席のドアを閉めた。
「何処までですか」
「父符教会までお願い」
「父符教会。大通りのですか。はい分かりました」
 運転手はアクセルを踏んだ。タクシーが動き出した。



 父符教会は、大通りと重なる高架線を越えた所にあった。礼拝堂の前には駐車場があった。入り口には掲示板が立っていて、教訓らしき言葉と説教のスケジュールが書いた紙が貼り付けてあった。
 パトロールカーが、駐車場に入ってきた。
 運転席に乗っている霧崎は、教会の礼拝堂と奥にある住居を見た。礼拝堂の壁は白く、直方体に屋根がついた構造になっていた。屋根は赤く、天辺に白い十字架が立っていた。洋風の赤いブロックの壁をした2階建ての家が、礼拝堂の裏に建っていた。家の前に新聞受けを兼ねたポストが立っていた。
 パトロールカーが教会の敷地に入ってきた。車場の空いている場所に前向きで止まった。
 霧崎はサイドウィンドウから駐車場を見た。4、5台程入るスペースで、車は1台も止まっていなかった。霧崎は車を降り、礼拝堂奥にある家に向かった。ドアの脇に呼び鈴のボタンがあった。霧崎はボタンを押した。「すみません、父符警察の霧崎です」
 暫くしてドアが開き、ミリアが出てきた。ふくよかで、ウェーブのかかった肩まである金髪をしていた。「はい、ケーサツの方ですか」
 霧崎はミリアの姿に驚いた。自分より背が高く、同僚より体格が良い女性を目の当たりにした経験はなかった。
「何か付いていますか」ミリアは、霧崎に尋ねた。
「いえ。電話をしました、父符警察署の霧崎と申します」霧崎は冷静になり、改めて自己紹介をした。
「あ夫のグーゴルから話を聞いています。私はミリアと言いマス」
「夫のグーゴルさんは居ますか」
「いえ、戻ってきていません」ミリアは首を振った。
 霧崎は頷いた。警察署から距離のある神社にいたのだから、自分より時間がかかるのは当然だ。
「済みません。早く来すぎたようです」
「問題ありません。迷惑でなければ家で待っていて下さい」
「大丈夫です」時間まで外で待ちます」
「大丈夫なら、家で待っていればいよいと思いマス」
 霧崎は、ミリアの返答に眉を顰めた。大丈夫という言葉を否定の意味ではなく、了承の意味で受け取ってしまったのだ。
「大丈夫という意味ははい、という意味ではなくてですね。ええと、時間は自分で潰せますからお気遣いは結構ですという意味でして」霧崎はミリアに説明した。言葉というのは漠然とした状態で使っているので、他人に説明するのは難しい。
「結構なら、家に入ればいいでしょう」
「結構というのは、不要ですという否定の意味でしてね」
 ミリアは眉を顰めた。「日本語というのは難しいですね」
「ですから、車の中で待っています。グーゴルさんが来ましたら外でお会いします」
「はい」
 霧崎は礼をした。「お気遣い、感謝します」霧崎は踵を返し、パトロールカーに戻った。
 ミリアは、霧崎の姿を見るとドアを閉めた。
 霧崎は、運転席のドアを開けて中に入ると運転席に座った。目を閉じて何度か深呼吸をした。次第に意識が沈んでいった。
 ガラスを叩く音が耳に入った。霧崎は意識が戻り、目を開けた。
 サイドウィンドウに、車内を覗き込むグーゴルの姿があった。
 霧崎は驚き、サイドウィンドウの下についているレバーを回して窓を開けた。
「あ、すみません。眠ってしまったようで」
「私は先程戻ってきたばかりです。教会に来る警察官は予め話をした人しか来ないでしょうから、すぐ分かりました」
「ドアを開けます。下がって下さい」
 霧崎はレバーを回して窓を閉め、ドアを開けて運転席から出た。「失礼しました。改めて父符警察署の霧崎です」
 グーゴルは頭を下げた。「父符教会で牧師をしています、グーゴルと申します」
「日本語が上手いですね」
「ありがとうございます」
 霧崎は車のキーを抜き、車のドアを閉じた。キーをキー穴に入れて回し、ズボンのポケットに入れた。
「失礼ですが教会の方は、皆結婚していないと思っていました」
「私は牧師ですから結婚出来ます。結婚出来ないのは神父です」
「別なのですか」霧崎は驚いた。宗教に疎い霧崎にとって、神父も牧師も同じだと思っていた。
「話せば長いです。貴方は私の過去を聞きに来たのですか」
「いえ」
「本題に入りましょう。中へ」
 グーゴルは家に向かった。
 霧崎は、グーゴルの後をついていった。「寝てしまいまして、本当に申し訳ありません」
「睡眠は、時間を潰す最も合理的な方法です。何も恥じる必要はありません」
「はあ」霧崎は曖昧に返事をした。
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