#22 この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ
文字数 6,480文字
中街へと踏み込んでまず明るさに驚いた。
薄暗く路地の多い外街とは違い、整然と伸びる広い大通りだけで構成されている印象を受けた。
通りの両側には外観の似た立派な塀が高さを揃えて聳 え、それでいて一定距離毎に設置されている篝火 の間隔は外街よりも短く、ここが巨大な建物の回廊かと錯覚させるほど。
立っている警備兵さんたちの人数も中街より多く、怪しい奴が入り込んだらすぐに見つかるだろうなと、ゆうに二アブス はありそうな塀を見上げたが、のんびり眺めている暇などなかった。
馬車 は颯爽と直進する。
慌てて走り出す俺を、後部の鎧窓から半身を乗り出したルブルムが「がんばれ」と応援してくれる。そして知る。俺って応援され耐性低いのな。
不意に溢れそうになった涙をぐっとこらえて、『魔力感知』の方へ意識を逸らす。がっつりではなく、ほんわりとした『魔力感知』。出掛けにカエルレウム師匠に教えていただいた、感知していることを逆感知されにくいやり方。自分の気持ちを切り替えるためにも『魔力微感知』って呼ぶことにした。
その『魔力微感知』を保ちながら疲れにくい走り方を探す。リテルの体は土の上を走るのに慣れているせいか、こういう石畳の上を走ると足首とかかとに負担がかかる――そうか。
俺 の、アスファルトの上を走るあの感じの方がいいんだな。
だんだんペースをつかめてきた。
馬車 を追いかけながら、横目に幾つもの篝火と何人もの警備兵さんたちと、それから個性的な門を見送る。
道幅はそこそこあるのに圧迫感強めの壁は統一感があり、通りから見えるところでそれぞれの住人の個性を発揮できるのはこの門部分のみっぽい。
わずかな隙間もなく重厚な門もあれば、華美な装飾が施された門や、機能性だけを感じさせる無機質な門、門自体はシンプルな鉄柵で中の手入れされた庭園や素敵な屋敷が見えるようになっているもの、両開きではなくスライド式で壁に収納する門など、バラエティに富んでいる。
「リテル! 着いたみたい!」
そんな笑顔のルブルムが乗る馬車 が停まった場所の真ん前にある門に、俺はたじろいだ。
門自体はシンプルで軽そうな鉄柵の門なのだが、その門にはなぜか無数の棘が付いている。棘の一つ一つは恐らく半クビトゥム ほどはある。あの門の前に立っているとき後ろから押されたら命の保証はなさげな感じ。
こんな拒絶感を漂わせている場所に住み、男は馬車 に乗せないと言っているディナ先輩ってどんな人だよ。
「君はここで待つように、とのことだ」
馬車 から降りてきた御者さんは、そう言いながら腰に下げていた剣を抜く。一瞬、ドキリとしたが、「敵意を感じなかった」というのを初めてリアルに実感した。
寿命の渦 は体と魂とをつなぐもの。体の動きや魂の動きの影響を受ける、というのがなんとなくわかった感じ。
ということは『魔力微感知』のふんわり感知がよかったのかな?
そういやスポーツ・トレーニングでも周辺視野の方が全体をうまくとらえられるって聞いたことがあった――いやでも、それならあえてニセの寿命の渦 を感知させて騙すって方法も――思考が止まらない俺をよそに、御者さんは剣の先を棘の門に設置されているスリット状の隙間へと差し込む。
御者さんは体重をかけ、さらに剣を押し込んでゆく……と、門が少しずつ開いてゆく。
剣先に刃こぼれみたいなのが見えたのって、もしかして鍵?
馬車 が通れるほどの隙間が開くと、御者さんは馬に近付き首を軽く叩いた。馬車 は再び動き出し、門の内側へ。俺一人を残して。
そこで御者さんがいったん門を閉めようとした。
ルブルムが慌てて馬車 を降り、門の隙間を抜けて俺の隣まで駆け寄ってきた。御者さんの門を閉めようとしていた手が止まる。
「私は、リテルと一緒に入る」
御者さんはため息を一つつくと馬車 へ再び飛び乗り、奥の方へ行ってしまった。
「ごめん、ルブルム。気を遣わせちゃって」
「気は遣ってない。リテルに聞きたいことがあるのだ」
好奇心旺盛な目だ。
「どんなこと?」
「リテルはなぜ、あの三人が悪い企みを持っているとわかったのか?」
ふーむ。それかー。
何と伝えたものか。海外経験あるのはリテルじゃなく利照だからな。しかも元の世界の話だし。
「うーん。わかっていたわけじゃない。ただ、用心していただけ。本当に親切なのだとしたら、こちらが不要だという素振りを見せたら引いてくれるはずだと思うんだよね。しつこく絡んできたということは、親切や笑顔というのは表面上だけで、隙を見て荷物を盗んだり……ルブルムを連れ去ろうとしたり、そういう悪いことを企んでいるかもだから。あくまでも可能性だけど」
「連れ去る目的は私がホムンクルスだからか?」
「いやそうじゃなくて――というか再びカエルレウム師匠のもとへ戻るまではそのことを口に出すのはやめておこうよ。そういうんじゃなくとも」
可愛い女の子は、という言葉を発せずに口をつぐむ。ルブルムにそれを告げるのが気恥ずかしいのもあるが、可愛い女の子が拐 われて娼館へ売り飛ばされるかも、というのは地球での価値観だ。
リテルの記憶を確かめると、こちらの世界 では娼婦も娼夫も自ら望んでなる職業の一つのようだ。さすがにリテルの知識は、ビンスン兄ちゃんやテニール兄貴にちらっと聞いたレベルなので詳しいことはわからないのだが。
そもそも命を売れば誰にでも簡単にお金を用意できるこの世界 では借金の形 なんていう考え方もないし、そういやこういう世界観ではありがちな奴隷もいない感じなんだよね。
魔法が誰にでも使えるという背景の中では「無理強いをしてストレスを溜めさせる」ということ自体を自然と避ける傾向があるようで、死ぬほどツライ目にあうのをガマンしていた人が文字通り命を燃やして魔法を発動させて復讐してしまう……という事件は度々起きているっぽい。
事件の詳細までは時間がなかったらから詳しくは聞けてないけれど、カエルレウム師匠からその話を聞いた時、地球の銃社会を思いだした。力の弱い者が存在しにくい、抑止力としての魔法。ホルトゥスは一種の理想郷なのかもな。
「それは了解した。では、何のために」
「何かあってからだと遅いから。何かが起きる前にルブルムを守ることを考えたんだ」
「私を……守る?」
ルブルムが真っ直ぐに俺を見つめる。近くにある篝火がルブルムの瞳に炎を映す。その赤い髪も含めて暗闇の中の火のように俺はしばし見惚れた。
カエルレウム師匠に世間知らずのルブルムを守ってほしいとはお願いされてはいるけれど、そうじゃなくても俺 はルブルムを守りたいと感じている。
「もちろん、お前自身からも守る、そういうことだよな?」
声の方へと振り向き、体が強張った。
俺の喉元へ、剣の切っ先が向けられていたから。しかも――これ初めて感じるけど殺意と呼ぶべきであろう威圧感と共に。
「なぜ即答できない?」
剣先が揺れたかと思うと頬が熱くなる。遅れて痛みが――え? 俺の頬、切られたの?
ちょっと待って? 何この人?
フードを目深に被っていて、顔の半分以上は隠れているが、見えている部分だけではかなりの美形。身長的にはルブルムよりも、もしかしたらアルブムよりも小柄かもしれない。
「ルブルムは魔法を使うな!」
ルブルムは集中しかけていた消費命 を解除したが、俺と剣先との間に自身の体をねじ込もうとする――そうか。ここは公道だから、魔法を使ったらマドハト同様に魔法代償 徴収刑が適用されてしまう。
驚愕からフリーズしかけていた思考の遅れが現実に追いつく。
この人がディナ先輩とやらなのか、ディナ先輩の部下なのかは知らないし、リテルの知識でも街の中でいきなり斬りかかるのは犯罪行為――にならないパターンは――自衛のため。ここはディナ先輩の家ということは、その家に属する者であれば自衛と言い訳ができる――そのためにわざわざ俺を馬車 に乗せずに別行動させたのかも。
いろいろと腹に据えかねる所はあるが、この場合に俺が取るべき最善の方法は敵意も悪意もないことを示さなければならない。
「誤解です」
ホルトゥスでの「降参」は、両手を挙げる所までは同じだが、さらに背中を向ける。
自分に向けられた理不尽で狂気的な刃に対し背中を向けるのは言葉にならないほど怖いが、紳士として降参ポーズを見せた。
ディナ先輩がカエルレウム師匠と連絡がついているのであれば、ラビツの顔を知らないルブルム一人ではカエルレウム師匠のミッションに失敗してしまうことも理解しているはず――いや、もしかして既にラビツを見つけ出している? だとしたら、ヤバいんじゃ。
張り詰めていた背中に、何かが触れたのを感じる。だが痛みはない。
「ディナ先輩! リテルは私と同じ弟子です!」
叫び声の近さから、触れたのは恐らくルブルムだとわかる。そしてやっぱりこの人がディナ先輩か。何で俺に対してこんなにも憎しみをぶつけてくるのか。今までの情報から考えられるのは相当な男嫌いか、さもなくば……。
「どうなさいましたか!」
状況を見かねたのか、何人かの警備兵さんたちが走って寄ってきた。
「この男が」
「リテルは何も悪くない!」
ディナ先輩の声を遮ってルブルムがまたもや叫んだ。
「行こう、リテル。ディナ先輩は頼れない。このままではカエルレウム様の依頼に失敗してしまう」
ルブルムが俺の手をつかんで引っ張ろうとする。
「お前! よくもルブルムをたぶらかしたな!」
なんだこの話にならないクレイジーなテンション。警備兵さんたちも困っている気配。
だが思考を止めるな、俺。これがもし何らかの試験だとしたら、正解があるはず。
「ルブルム、気持ちはありがたいけど、俺から離れてディナ先輩の方へ行ってくれ。多分、それからじゃないと話をしてもらえない気がする」
「わかった」
ルブルムが大人しくディナ先輩の方へ移動すると、御者さんが警備兵さんたちに何やら囁 き、警備兵さんたちは持ち場へと戻ってゆく。
篝火の火がパチッと爆ぜる音だけが聞こえる中、俺は降参ポーズを継続する。
『魔力微感知』では三人――ディナ先輩と御者さんとルブルムが敷地の内側へ入ったっぽいことが把握できた。
門の閉まりかける音が聞こえる。もしも門が閉まったら、ここに留まる理由もないだろう。明日の虹爵さまの面会時間までどこかで時間を潰して――マドハトが閉じ込められている領兵さんの詰め所に泊まれるか聞いてみようか。
「おいっ、お前!」
ディナ先輩の声が聞こえた。さっきよりも落ち着いている声が。
● 主な登場者
・有主 利照 /リテル
猿種 、十五歳。リテルの体と記憶、利照 の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種 、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種 の体を取り戻した。
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。街中で魔法を使い捕まった。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種 。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。笑うようになった。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種 の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種 。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌いっぽい。
・御者
ディナに仕えているらしいフードの人。肌は浅黒く、冷たさを感じる目をした女性。
■ はみ出しコラム【性知識】
ホルトゥスにおいては、精子と卵子という概念は一般的に広まっている。
精子はそのまま精子 という表現があるが、卵子は卵核 という言葉が用いられている。
精子 は陰嚢において作られ、女性の子宮にある卵核 に到着して受精する。その後、獣種によっては多胎児の周りに殻が形成される。
上記知識は、都市部においては口コミにて、地方においては監理官により啓蒙され広められる。
ホルトゥスには様々な避妊方法が存在しており、以下のものが知られている。
・殺精子 剤
酸味の強い果実「シートルス」が主に使用される。シートルスは強い酸味で知られており、この搾り汁は他の甘い果実ジュースに混ぜて飲まれることもあるが、娼館においては主に殺精子 剤として用いられる。
シートルスはフォーリー近辺では栽培されておらず比較的高価なため、飲料としての使用よりは避妊に用いられる方が圧倒的に多い。
場合によっては蜂蜜も混ぜて使われる。
・封穴具
地球において避妊具のペッサリーは膣に挿入するゴム状の避妊具だが、ホルトゥスにおいては、女性器に挿入し精子 を防ぐための器具全般を指す。
最も一般的なものは、スポンゴスであり、トイレで局部を洗浄するために使用するのと同じ海藻である。子宮頸部へと挿入して使用する。多くの場合、殺精子 剤をたっぷり含ませて併用する。
また、シートルスそのものを半分に切ったものを詰める場合もあるという。
珍しいところでは、地球における子宮内避妊用具の効果を目指して作られたと思われる銅製の封穴具 が一部の貴族の間で使用されているが、こちらについても呼称は封穴具 である。
・クーヴェル
ゴムが普及していないホルトゥスにおいては動物の腸や膀胱を用いて男性器をカバーする。
シートルス果汁に浸してから装着することもあるが、クーヴェルは避妊具としてよりも性病防止のために用いられることが多い。
・避妊魔法
避妊魔法自体は幾つか存在するが、魔法使用に関して寿命を消費することは一般的にも知られているため、自ら覚えて使用する者は基本的に居ない。
非常に高価だが、避妊魔法が封じられた魔石 は魔法品として流通している。しかし回数がかさむと魔法代償 を魔術師組合で補充(購入)しなければならないため、この魔法品を所持・使用するのは富裕層や貴族に限られる。
最も有名な避妊魔法は『卵核の防壁』である。
・外出し
射精前に男性器を抜く方法。いわゆる膣外射精である。最も安価な避妊方法。
・洗浄
排尿および水による洗浄。膣外射精に失敗した場合に使われる避妊方法。
・堕胎薬
正確には避妊ではないのだが、娼館においては妊娠初期段階で秘密裏に用いられる。
堕胎という行為自体が殺人罪としてグレーゾーンであり、国や領主によっては禁じている場所もある。フォーリーにおいては堕胎屋は非合法となっている。
堕胎薬のレシピは堕胎屋毎にオリジナルの門外不出で、場合によっては母体にも害を及ぼすことがある。
また、堕胎屋では、妊娠予防薬も販売されているが、どの堕胎屋の妊娠予防薬がどれほどの効果を持つのかが調査された記録はない。
多くの堕胎屋においては、自ら販売した妊娠予防薬が効かずに妊娠した場合、堕胎薬を格安にするサービスを行っている。
・堕胎魔法
堕胎屋の中には魔法で堕胎を行う者も居る。
避妊魔法と異なり、堕胎魔法については場所により非合法扱いとなるため、市場には出回らない。
※ 娼館
娼婦と娼夫の割合は、フォーリーを始めラトウィヂ王国内では7:3くらいが一般的である。
避妊技術がまだ不完全であるため、リスクを自分の体に抱えてしまうことを恐れる女性による娼館利用は、男性による娼館利用に比べて少なく、需要にあった供給となっている。
薄暗く路地の多い外街とは違い、整然と伸びる広い大通りだけで構成されている印象を受けた。
通りの両側には外観の似た立派な塀が高さを揃えて
立っている警備兵さんたちの人数も中街より多く、怪しい奴が入り込んだらすぐに見つかるだろうなと、ゆうに
慌てて走り出す俺を、後部の鎧窓から半身を乗り出したルブルムが「がんばれ」と応援してくれる。そして知る。俺って応援され耐性低いのな。
不意に溢れそうになった涙をぐっとこらえて、『魔力感知』の方へ意識を逸らす。がっつりではなく、ほんわりとした『魔力感知』。出掛けにカエルレウム師匠に教えていただいた、感知していることを逆感知されにくいやり方。自分の気持ちを切り替えるためにも『魔力微感知』って呼ぶことにした。
その『魔力微感知』を保ちながら疲れにくい走り方を探す。リテルの体は土の上を走るのに慣れているせいか、こういう石畳の上を走ると足首とかかとに負担がかかる――そうか。
だんだんペースをつかめてきた。
道幅はそこそこあるのに圧迫感強めの壁は統一感があり、通りから見えるところでそれぞれの住人の個性を発揮できるのはこの門部分のみっぽい。
わずかな隙間もなく重厚な門もあれば、華美な装飾が施された門や、機能性だけを感じさせる無機質な門、門自体はシンプルな鉄柵で中の手入れされた庭園や素敵な屋敷が見えるようになっているもの、両開きではなくスライド式で壁に収納する門など、バラエティに富んでいる。
「リテル! 着いたみたい!」
そんな笑顔のルブルムが乗る
門自体はシンプルで軽そうな鉄柵の門なのだが、その門にはなぜか無数の棘が付いている。棘の一つ一つは恐らく
こんな拒絶感を漂わせている場所に住み、男は
「君はここで待つように、とのことだ」
ということは『魔力微感知』のふんわり感知がよかったのかな?
そういやスポーツ・トレーニングでも周辺視野の方が全体をうまくとらえられるって聞いたことがあった――いやでも、それならあえてニセの
御者さんは体重をかけ、さらに剣を押し込んでゆく……と、門が少しずつ開いてゆく。
剣先に刃こぼれみたいなのが見えたのって、もしかして鍵?
そこで御者さんがいったん門を閉めようとした。
ルブルムが慌てて
「私は、リテルと一緒に入る」
御者さんはため息を一つつくと
「ごめん、ルブルム。気を遣わせちゃって」
「気は遣ってない。リテルに聞きたいことがあるのだ」
好奇心旺盛な目だ。
「どんなこと?」
「リテルはなぜ、あの三人が悪い企みを持っているとわかったのか?」
ふーむ。それかー。
何と伝えたものか。海外経験あるのはリテルじゃなく利照だからな。しかも元の世界の話だし。
「うーん。わかっていたわけじゃない。ただ、用心していただけ。本当に親切なのだとしたら、こちらが不要だという素振りを見せたら引いてくれるはずだと思うんだよね。しつこく絡んできたということは、親切や笑顔というのは表面上だけで、隙を見て荷物を盗んだり……ルブルムを連れ去ろうとしたり、そういう悪いことを企んでいるかもだから。あくまでも可能性だけど」
「連れ去る目的は私がホムンクルスだからか?」
「いやそうじゃなくて――というか再びカエルレウム師匠のもとへ戻るまではそのことを口に出すのはやめておこうよ。そういうんじゃなくとも」
可愛い女の子は、という言葉を発せずに口をつぐむ。ルブルムにそれを告げるのが気恥ずかしいのもあるが、可愛い女の子が
リテルの記憶を確かめると、
そもそも命を売れば誰にでも簡単にお金を用意できる
魔法が誰にでも使えるという背景の中では「無理強いをしてストレスを溜めさせる」ということ自体を自然と避ける傾向があるようで、死ぬほどツライ目にあうのをガマンしていた人が文字通り命を燃やして魔法を発動させて復讐してしまう……という事件は度々起きているっぽい。
事件の詳細までは時間がなかったらから詳しくは聞けてないけれど、カエルレウム師匠からその話を聞いた時、地球の銃社会を思いだした。力の弱い者が存在しにくい、抑止力としての魔法。ホルトゥスは一種の理想郷なのかもな。
「それは了解した。では、何のために」
「何かあってからだと遅いから。何かが起きる前にルブルムを守ることを考えたんだ」
「私を……守る?」
ルブルムが真っ直ぐに俺を見つめる。近くにある篝火がルブルムの瞳に炎を映す。その赤い髪も含めて暗闇の中の火のように俺はしばし見惚れた。
カエルレウム師匠に世間知らずのルブルムを守ってほしいとはお願いされてはいるけれど、そうじゃなくても
「もちろん、お前自身からも守る、そういうことだよな?」
声の方へと振り向き、体が強張った。
俺の喉元へ、剣の切っ先が向けられていたから。しかも――これ初めて感じるけど殺意と呼ぶべきであろう威圧感と共に。
「なぜ即答できない?」
剣先が揺れたかと思うと頬が熱くなる。遅れて痛みが――え? 俺の頬、切られたの?
ちょっと待って? 何この人?
フードを目深に被っていて、顔の半分以上は隠れているが、見えている部分だけではかなりの美形。身長的にはルブルムよりも、もしかしたらアルブムよりも小柄かもしれない。
「ルブルムは魔法を使うな!」
ルブルムは集中しかけていた
驚愕からフリーズしかけていた思考の遅れが現実に追いつく。
この人がディナ先輩とやらなのか、ディナ先輩の部下なのかは知らないし、リテルの知識でも街の中でいきなり斬りかかるのは犯罪行為――にならないパターンは――自衛のため。ここはディナ先輩の家ということは、その家に属する者であれば自衛と言い訳ができる――そのためにわざわざ俺を
いろいろと腹に据えかねる所はあるが、この場合に俺が取るべき最善の方法は敵意も悪意もないことを示さなければならない。
「誤解です」
ホルトゥスでの「降参」は、両手を挙げる所までは同じだが、さらに背中を向ける。
自分に向けられた理不尽で狂気的な刃に対し背中を向けるのは言葉にならないほど怖いが、紳士として降参ポーズを見せた。
ディナ先輩がカエルレウム師匠と連絡がついているのであれば、ラビツの顔を知らないルブルム一人ではカエルレウム師匠のミッションに失敗してしまうことも理解しているはず――いや、もしかして既にラビツを見つけ出している? だとしたら、ヤバいんじゃ。
張り詰めていた背中に、何かが触れたのを感じる。だが痛みはない。
「ディナ先輩! リテルは私と同じ弟子です!」
叫び声の近さから、触れたのは恐らくルブルムだとわかる。そしてやっぱりこの人がディナ先輩か。何で俺に対してこんなにも憎しみをぶつけてくるのか。今までの情報から考えられるのは相当な男嫌いか、さもなくば……。
「どうなさいましたか!」
状況を見かねたのか、何人かの警備兵さんたちが走って寄ってきた。
「この男が」
「リテルは何も悪くない!」
ディナ先輩の声を遮ってルブルムがまたもや叫んだ。
「行こう、リテル。ディナ先輩は頼れない。このままではカエルレウム様の依頼に失敗してしまう」
ルブルムが俺の手をつかんで引っ張ろうとする。
「お前! よくもルブルムをたぶらかしたな!」
なんだこの話にならないクレイジーなテンション。警備兵さんたちも困っている気配。
だが思考を止めるな、俺。これがもし何らかの試験だとしたら、正解があるはず。
「ルブルム、気持ちはありがたいけど、俺から離れてディナ先輩の方へ行ってくれ。多分、それからじゃないと話をしてもらえない気がする」
「わかった」
ルブルムが大人しくディナ先輩の方へ移動すると、御者さんが警備兵さんたちに何やら
篝火の火がパチッと爆ぜる音だけが聞こえる中、俺は降参ポーズを継続する。
『魔力微感知』では三人――ディナ先輩と御者さんとルブルムが敷地の内側へ入ったっぽいことが把握できた。
門の閉まりかける音が聞こえる。もしも門が閉まったら、ここに留まる理由もないだろう。明日の虹爵さまの面会時間までどこかで時間を潰して――マドハトが閉じ込められている領兵さんの詰め所に泊まれるか聞いてみようか。
「おいっ、お前!」
ディナ先輩の声が聞こえた。さっきよりも落ち着いている声が。
● 主な登場者
・
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。街中で魔法を使い捕まった。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。笑うようになった。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌いっぽい。
・御者
ディナに仕えているらしいフードの人。肌は浅黒く、冷たさを感じる目をした女性。
■ はみ出しコラム【性知識】
ホルトゥスにおいては、精子と卵子という概念は一般的に広まっている。
精子はそのまま
上記知識は、都市部においては口コミにて、地方においては監理官により啓蒙され広められる。
ホルトゥスには様々な避妊方法が存在しており、以下のものが知られている。
・殺
酸味の強い果実「シートルス」が主に使用される。シートルスは強い酸味で知られており、この搾り汁は他の甘い果実ジュースに混ぜて飲まれることもあるが、娼館においては主に殺
シートルスはフォーリー近辺では栽培されておらず比較的高価なため、飲料としての使用よりは避妊に用いられる方が圧倒的に多い。
場合によっては蜂蜜も混ぜて使われる。
・
地球において避妊具のペッサリーは膣に挿入するゴム状の避妊具だが、ホルトゥスにおいては、女性器に挿入し
最も一般的なものは、スポンゴスであり、トイレで局部を洗浄するために使用するのと同じ海藻である。子宮頸部へと挿入して使用する。多くの場合、殺
また、シートルスそのものを半分に切ったものを詰める場合もあるという。
珍しいところでは、地球における子宮内避妊用具の効果を目指して作られたと思われる銅製の
・クーヴェル
ゴムが普及していないホルトゥスにおいては動物の腸や膀胱を用いて男性器をカバーする。
シートルス果汁に浸してから装着することもあるが、クーヴェルは避妊具としてよりも性病防止のために用いられることが多い。
・避妊魔法
避妊魔法自体は幾つか存在するが、魔法使用に関して寿命を消費することは一般的にも知られているため、自ら覚えて使用する者は基本的に居ない。
非常に高価だが、避妊魔法が封じられた
最も有名な避妊魔法は『卵核の防壁』である。
・
射精前に男性器を抜く方法。いわゆる膣外射精である。最も安価な避妊方法。
・洗浄
排尿および水による洗浄。膣外射精に失敗した場合に使われる避妊方法。
・堕胎薬
正確には避妊ではないのだが、娼館においては妊娠初期段階で秘密裏に用いられる。
堕胎という行為自体が殺人罪としてグレーゾーンであり、国や領主によっては禁じている場所もある。フォーリーにおいては堕胎屋は非合法となっている。
堕胎薬のレシピは堕胎屋毎にオリジナルの門外不出で、場合によっては母体にも害を及ぼすことがある。
また、堕胎屋では、妊娠予防薬も販売されているが、どの堕胎屋の妊娠予防薬がどれほどの効果を持つのかが調査された記録はない。
多くの堕胎屋においては、自ら販売した妊娠予防薬が効かずに妊娠した場合、堕胎薬を格安にするサービスを行っている。
・堕胎魔法
堕胎屋の中には魔法で堕胎を行う者も居る。
避妊魔法と異なり、堕胎魔法については場所により非合法扱いとなるため、市場には出回らない。
※ 娼館
娼婦と娼夫の割合は、フォーリーを始めラトウィヂ王国内では7:3くらいが一般的である。
避妊技術がまだ不完全であるため、リスクを自分の体に抱えてしまうことを恐れる女性による娼館利用は、男性による娼館利用に比べて少なく、需要にあった供給となっている。