#70 逮捕再び

文字数 12,842文字

 えっと?
 一瞬、思考が停止しかける。
 一日税が変更になって、フラマを抱いた男は死刑?
 そんな身勝手な法改正があり得るのかこの世界は?
 いや待て。落ち着け俺。
 俺はフラマを抱かない。情報が欲しいだけだから。
 そもそも呪詛的に抱くとか無理だし。
 ということで俺は安全――だといいのだけれど。

「母様、でもそれじゃフラマの客が辞退しても、ワタクシがフラマを抱けないではないですか!」

 ジャック様の抗議は途中で周囲の民衆の大歓喜にかき消される。
 そりゃそうだよな。三銅貨(エクス)浮くんだもん。街の人々はそりゃ喜ぶよな。

「今のうちにっ」

 フラマさんが俺の右腕を胸の谷間に挟んだままどこかへ行こうとするのを踏み留まる。

「ちょっと待って。このままフラマさんと一緒に行ったら、俺、死刑にされちゃうんじゃないの?」

「お兄ちゃん、そのフラマって人のこと抱くつもりなの?」

 レムは俺の左腕を抱き込んだまま、俺と一緒にぐっと足を踏ん張ってくれる。

「俺は情報が欲しいだけだ。抱くつもりなん」

 言い終わらぬうちに唇を無理やり塞がれる――視界に揺れる赤い髪に一瞬気を取られて反応が遅れたが、すぐに距離を取る。
 胸を押し当てられることへの耐性はだいぶついたみたいだけど、朝日を受けて赤く輝いたフラマさんの髪がルブルムの髪の色に少しだけ似ていたことには少なからず動揺した。
 しかも離れ際、フラマさんは囁いた。俺にだけ聞こえるような小さな声で。

「お願い。お金なら私が出すから」

 そのときのフラマさんの寿命の渦(コスモス)は、とても演技や嘘や冗談には見えなかった。
 漫画の主人公みたいな人なら、こういうシーンって普通はこの可愛いフラマさんの味方するんだよね。
 でも、俺の判断は違う。
 ルブルムの涙を思い出す。ディナ先輩の忠告を思い出す。ケティが「ストウ村で待ってる」と言ったときの表情を思い出す。レムの不安そうな悲しそうな表情がすぐ傍らにある。
 チェッシャーまでレムと同じ表情をしているし、それに死刑という危機まである。
 料金を出してもらえると言われても、出会ったばかりのフラマさんからのお願いの優先順位がどのくらい高いかなんて比べるまでもない。
 だいたい情報だけ貰えればいいんだ、俺は。
 そうなんだ。
 情報を貰えさえすれば、例えばラビツがもう旅立ったって情報をもらえらたとしたら、俺たちも今すぐこの街を出発したっていいんだ。
 放置プレイって単語が頭に浮かぶ。
 買って、何もしないっていうプレイって言い張ってみるのはどうだろう?
 あ、そうか。

「わかった。今日一日フラマさんを買う。でも抱かない。だからジャック様に監視していただきたい!」

「な、なんだと……ぐッ、むぅ……」

「お待ちください、リテル様! なんで寝室にジャック様を」

「ま、待てッ! 行くぞッ! ワタクシはこの街の治安部隊の隊長なのだから! 監視する義務を遂行するッ!」

 フラマさんの反論は民衆の歓喜の声に打ち消された。

「いいぞ! リテルーっ!」
「俺も見たいぞ!」
「俺の浮いた一日税、お前にやるぜっ! 料金の足しにしな!」
「いいね! アタシのもあげるよっ!」
「オレのもやるぜ! だから見せろ!」
「はーい! リテルへの援助はこちらだよっ!」

 チェッシャーがいつの間にか外套を広げて民衆の前へ。
 そこへ投げ銭が降り注ぐのを見たメリアンやジャック様の部下の皆さんまで同様に投げ銭を集め始めた。



 ベッドの上に山と積まれた銅貨(エクス)を数え終え、その合計額を告げると、フラマさんはその上に横たわった。
 既にズボンも上着も脱ぎ、身につけているのは裾がちょっと長めのシャツ一枚。
 露わになった太ももの付け根は見えそうで見えないポージング。
 ふくらはぎより下は完全に鳥の足――しかも水掻きがある水鳥の(あしゆび)な形状。
 ん?
 ちょっと待って。鳥種(ホルスッ)の半返りなら(くちばし)があるのが普通だよな。
 でもフラマさんの顔は完全な人の顔。
 彼女のこの寿命の渦(コスモス)と何か関係があるのかも?

「驚いた」

 フラマさんは上体を起こして俺を見つめる。
 その何気ない動作ですら目を奪われ――そうになるのをぐっとこらえる。
 紳士たれ、俺。

「私、安くはないのですけれど……星の月夜週(メンシス・ノクス・ネルテー)が終わるまでは独占できますわよ」

 えっと、今日は星の月夜週の三日目で、月夜(メンシス・ノクス)は二(セプティマナ)分あるから、あと九(ディエス)分!
 これはひとえに街の人々のご厚意のおかげだろう。
 銅貨(エクス)だけじゃなく、銀貨(スアー)金貨(ミールム)まで幾らか混ざっていたから。

「え、そんな延長みたいな制度あるんですか?」

「ま、待てッ! 一日税は今日で終わってしまうではないかッ!」

「あら、ジャック様は見ているだけのお約束でしょう?」

「ぐッ」

 部屋の入口付近で腕組みをして椅子に座っているジャック様は、苦々しい表情ながらも素直に黙る。
 ジャック様、俺の中ではもう「いい人」認定。
 死刑乱発するあんな母親に甘やかされている息子にしては何ともお行儀がいい。
 きっと父親であるボートー紅爵(ポイニクス・クラティア)様が立派なお方なのだろう。

「はい。では、期間いっぱい楽しみましょう」

 フラマさんに引っ張られてベッドの上に寝転ばされると、銅貨(エクス)の臭いと感触が背中にまとわりつく。

「俺は聞きたいこ」

 全部言わせてもらえず唇を塞がれる。
 なんなの俺の唇。
 どんだけ奪われてるんだよ。唇ビッチかよ。

「うわぅ!」

 フラマさんの手が俺の股間を揉みしだくように撫で始める。

「だ、抱かないって言っただろ」

「ふぅん。そう言えばまだ一度も私のおっぱい、触ろうとしてくださらないですものね。ねぇ、おっぱい目当てで私を探してくれたのでしょう?」

 フラマさんは俺の股間から手を放すと、今度は上にまたがった。
 膝立ちするフラマさんの股の間から、こちらを凝視するジャック様が見える。
 フラマさんの寿命の渦(コスモス)を見る限り、ジャック様に対しては嫌悪というより辟易って感じなんだよな。
 俺の代わりに股間がかなり盛り上がってくれているジャック様にはだんだん申し訳なくなってきた。

「ほら、触って」

 フラマさんは俺の両手を取り、絹製の上等なシャツの上からでもわかる彼女自身の大きな二つの膨らみの先端へと誘導する。
 大きさ、形、張り、何をとっても確かに噂になるようなご立派さ――でも罪悪感ゆえに揉む気にはならない。

「……んっ。じらすのが上手ね」

 そ、そういうつもりじゃないんですけれど。

「ね、抱くってどこまでが抱くなのかしらね。挿れなければ良いのかしら。ちょっと前のお客様も下に挿れるより胸で挟んでもらう方が良いってお願いされてね」

 胸で挟む? そ、それ、もしかしてラビツ?
 ここはうまく聞き出さなくては――言葉を選ぼうとする俺の頭に、フラマさんの胸の感触が、早鐘のように打つ自分の心音が、強制的にねじ込まれてくる。
 頬が、体が、熱くなりがならも、ここまで冷静でいられるのは、呪詛のおかげだけじゃない。
 ディナ先輩のとこで耐性を鍛えたおかげだろうな。
 頑張れ、紳士な俺。

「……ああ、俺の知り合いの兎種(ハクトッ)もそういう趣味だよ。傭兵をやっててね。今頃は仲間三人と一緒に北へ向かっているはずなんだけど」

「ふふ……同じ人だったりして」

 トロリとした笑みを浮かべながらフラマさんは、ごくごく自然にシャツを脱いだ。
 そのシャツを俺の顔の横に無造作に放ると、桃に似た甘い香りがほんのりと香る。
 いやいやいや、そこじゃなく!
 フラマさん、履いている。
 今の今までシャツに隠れていて見えなかったけれど、なんか紐パンみたいなのを。
 この世界(ホルトゥス)では、少なくともケティやルブルムやディナ先輩たちは下着をつけていなかったし、リテルの記憶の中にもパンツの類はなかった。
 でもこの。眼前の真っ白い絹の紐パンは、フラマさんの腰の左右でそれぞれ蝶々結びされている。
 フラマさんの股の間から見えるジャック様は、自らの股間を両手でぐっと押さえ、身を乗り出すようにしてこちらを見つめている。

「あら、ヒモパンを見るのは初めて? これを着けているのは貴族か高級娼婦くらいですものね」

「ヒモパン?」

 口に出して理解する。
 やっぱりこの世界(ホルトゥス)の言葉じゃない。
 リテルの記憶で翻訳された言葉じゃなく、響きはまるで日本語のような――ということはっ!

「あ、あのっ……こ、このヒモパンはどこでっ」

 フラマさんは優しく微笑むと俺の手を取り、自分の腰へと誘導する。

「ここ。ここで解くのよ。蝶結びと言ってね、紐を引くだけで簡単に解けるの」

 俺の知っている蝶結びとは違い左右の輪っかがそれぞれ二重になっていて、確かにこちらの方がより蝶っぽい――じゃなくて。
 フラマさんのヒモパンを結ぶ紐を解かされる前に慌てて手を引いた。

「きゃっ」

 俺の手をつかんでいたフラマさんもバランスを崩して上体がつんのめり、結果、柔らかくも弾力のある、そして何よりも温かい感触が俺の顔を包みこんで――って窒息する!
 慌ててフラマさんの体を持ち上げ、胸の谷間から自分の顔面を救出する。
 これ本当に危険。フラマさんの肌の吸い付く感じ、ガチで呼吸困難になる。
 空気に感謝しつつ大きな深呼吸をしている俺を見下ろしているフラマさんは微笑んでいる。

(うず)まるよりも見たい方、なのね」

 フラマさんは俺の顔の両脇に手をつき、肩を左右にゆっくりと振り始める。
 豊かで立派なものが、その先端が、俺の頬を撫でながら行き来する。
 待て待て。何で俺、先端で往復ビンタされてるの?
 あと、行動が大胆になるにつれ、言葉使いもくだけてきている気もする。
 というかこのままフラマさんのペースに巻き込まれていたら、肝心な事が全然聞けやしない。

「ぬ、ぬぅ……なんたる……ワタクシの乳房を……」

 入り口の方からジャック様の唸る声が漏れ聞こえた直後、フラマさんは俺の耳たぶを軽く噛んだ。
 思わず首をすくめた俺の手をつかみ、フラマさんは起き上がる。
 そして俺の手を引いたまま、ジャック様が座っている椅子のすぐ前まで移動した。
 フラマさんは俺よりわずかに背が高いので、その綺麗な背中にジャック様の顔が隠れて見えない。

「いいですか、ジャック様。これはあなたのおっぱいではありません」

「ぐッ」

 ジャック様とフラマさんのやり取りよりも、俺にはフラマさんの綺麗な背中が気になった。
 綺麗過ぎるからだ。
 有毛の先祖を持つ獣種は、半返りや先祖返りの場合、髪から尻尾まで背骨に沿って毛が生えていることが多い。
 これをたてがみ(コマ)と呼ぶ。
 マドハトの背中もそうだった。
 鳥種(ホルスッ)の半返りは嘴や趾を持ち、手は普通の獣種と同じで、たてがみ(コマ)もある。
 鳥種(ホルスッ)の先祖返りは頭部がまるで鳥である以外は半返りと同じ。
 先祖返りだとしても翼はなく、空を飛んだりもできない。
 返らずの鳥種(ホルスッ)は、爬虫種(セベクッ)同様、穴だけの耳で、手足は普通の獣種と同じでたてがみ(コマ)もない。
 ルブルムがカエルレウム師匠の蔵書から学んだことを『テレパシー』でわけてもらってからは、俺もこの世界に関する知識がだいぶ増えた。
 ルブルムが学んだのは、この世界(ホルトゥス)の獣種について統計的に網羅していた本。
 他のどこでも見なかったウォルラースの獣種、海象種(ターサスッ)でさえ載っていた。
 それだけ詳しい本の知識をもってしても、フラマさんはこのどれにも当てはまらない。
 それに寿命の渦(コスモス)の形も、アイシスでたくさん見かけた鳥種(ホルスッ)の半返りに近いは近いけどやはり違う。
 『魔力感知』の精度をあげてようやくわかることだが、時折寿命の渦(コスモス)の形がブレるのだ――二重に。
 もしかしてこのフラマさんも魔術特異症?
 だとしたら転生者なのだろうか。
 あと、さっきははぐらかされたけれど、ヒモパン開発者もきっと転生者、それも日本人――今も生きているのだろうか。会えるのだろうか。

「ほぉら」

 フラマさんが両手でそれぞれ俺の両手を左右から引っ張った。
 その手はフラマさんの胸へと誘導され、俺が彼女の後ろから胸をわしづかみさせられている体勢となる。

「私のおっぱいは今、リテルのもの」

「ぐッ……ああ……ワタクシの……ああ……ぐぬぅ」

 それにしてもこのふわりと香る甘い匂いは、ケティやルブルムやレムとはまた違った――まさか催淫効果がある?
 ふと、ようやく忘れかけていたトラウマが蘇りかける。
 パイア毒。
 鳥肌が立ち、反射的にフラマさんから離れてしまう。
 その際に見えたジャック様の表情を見てギョッとする。
 ジャック様があまりにも恍惚とした表情だったから。
 この香りにやられたのか、それともまさかNTR性癖の人?

「話を聞きたかったら協力して」

 フラマさんは小さな声でそう告げると再び俺の手をつかみ、さっきと同じ体勢に――いや違う。
 俺の右手が今度は、フラマさんの胸じゃなくヒモパンの上へと配置されている。
 ちょ、ちょっとそこは申し訳ない。

「んっ……あぁ……んんん……」

 フラマさんの吐息は紳士であろうとする俺がモジモジしちゃうくらい扇情的なのに、その鼓動や寿命の渦(コスモス)は俺よりも落ち着いている。
 ということは演技なのか。
 だとしたら、何か意図があるだろうフラマさんに協力すべきなんだろうけど。

「ぐッ……おおおおおっ……ぬぅん……ジャックよッ! 見ッ、見るだけだと約束しただろうッ」

 ジャック様はといえば、その声だけでも必死に我慢している感が伝わってくる。

「ね……こっちも、責めて」

 フラマさんの手が、俺の右手の指先をヒモパンの内側へと誘導する。
 その指先にはあの風呂場の勉強会でもさすがに触れはしなかった、人生で初めての感触。
 いやいやいや、ヤバいって。
 これは、その、紳士じゃないっ。
 テンパりかけてる俺の耳に、フラマさんがあえぎ声に混ぜて届けた言葉……。

「……奥まで……指、触れ、て……んっ……いい、のよ」

 いやさすがにそれはっ。

「フ、フラマさ」

 これ以上は無理ですと言おうとした俺の口を、フラマさんが肩で邪魔して言葉を途切れさせる。

「ワ、ワタクシも……むむっ……いやそこは……ぐッ……ワタクシの、フ、フラマッ! だ、だめだッ! だめだッ!」

 ジャック様に「ワタクシも」と言われ、名前を言いかけて止めたのがなんかそういう感じに聞こえていることに気付き、さらに恥ずかしさを覚える。
 俺は自身では指先を決して動かさないようにと堪えているのだが、フラマさんは俺の手の上から自分の手を動かし、まるで俺がフラマさんの体を貪っているかのように演出している。
 しんどい。
 童貞には荷が重すぎる。
 最初はドキドキしていたけれど、今は罪悪感しかない。
 紳士として、というよりは、股間が反応しないおかげで肉体的な衝動に呑まれることもなく、冷静に現状を俯瞰(ふかん)視できていて、そのことが余計に俺自身へ恥ずかしさを覚えさせる。

「あっ、リテル……もっとっ」

 フラマさんが悩ましい声を出し続けている。
 さっきから意識を集中させないようにしている指先は、とても口じゃ言えないような場所へ擦られ続け、演技に熱が入っているフラマさんも汗をかいてきているっぽく、湿り気に包まれている。
 フラマさんの体が次第に前かがみになってゆき、そのせいでフラマさんの肩越しにジャック様の表情まで見えてしまう。

「フラマがッ! ワタクシの前でッ! ぐぐッ ぬッ ああッ たまらんッ! たまらんたまらんフラマッ!」

 ジャック様の百面相が急に硬直した。
 口をだらしなくポカンと開け、どこか遠くを見つめている表情で。
 そしてこの鼻をつく臭い。
 ジャック様は賢者っぽい放心状態のまま、ぐらりと体勢を崩し、椅子ごと後ろへひっくり返った。
 フラマさんが大きくため息をつき、俺の手をつかむ力を緩めてくれる。
 俺はフラマさんから離れ、フラマさんの汗に濡れた右手をどこかで洗えないかと水の入った桶を探す。

「これが欲しいのかな?」

 フラマさんがどこからかおしぼりのようなものを出してきた。
 それを手渡されたとき、フラマさんの頬や耳が随分と赤いことに気付く。

「それにしても魔法か何かで勃たないように細工していらっしゃるの? 少し自信を無くしました」

「あ、いや。好きな子が居るから我慢してたんだ」

 フラマさんのプライドを傷つけないようにと、とっさにそう答えてしまったが、実際、精神力だけで耐えきれるものなのだろうか。
 この世界(ホルトゥス)で初めて意識を持ったあの朝に、ケティに対して自分がしたことを考えると、この呪詛がなければ死刑になるようなことを我慢できなかった可能性は高すぎる――そこまで考えて自己嫌悪に陥る。
 ケティへしてしまったことが、リテルに対して本当に申し訳なくて。

「まあいいわ。これでゆっくり話ができるわね」

 小声だった。
 フラマさんがベッドサイドへと移動するのでついて行くと、フラマさんはさっき脱いだシャツを再び着る。
 俺もおしぼりで手を拭くと、自分の着衣の乱れも直した。

「横、座って」

 口調もすっかりくだけている。

「はい」

 言われた通りに座る。

「本当に人探しが目的だったの?」

「そうです。もしもこの街を出ているのであれば、急いで追いかけようと思っています」

「あのおっぱい好きなお友達、何をやらかしたわけ?」

「言わないと、教えてもらえないのですか?」

「ううん。リテルにはお世話になったし、そんなことはないけれど……」

 じっと俺の目を見つめるフラマさん。
 その寿命の渦(コスモス)からは何も読み取れない。

「ま、いいや。リテルのお友達が出発したのは二日前。夜明けと共に出発したはず」

 ようやく。
 ようやくラビツの背中が見えてきた。
 さっき夜が明けたばかりだから、現時点でまるまる二日のビハインドか。
 二日前というと、俺たちが名無し森砦を出たあたり。
 やっぱり砦での足止めが響いてるなぁ――なんて言ってる場合じゃない。善は急げだ。

「ありがとう、フラマさん。じゃあ俺が買った期間は好きに過ごしてください。では」

 部屋の入口へと向かおうとした俺の手首をフラマさんがつかんだ。

「私も、一緒に……」

 その先は、廊下から響いてきた声にかき消された。

「ジャックッ! ワタクシの可愛いジャックッ!」

 姿が見える前から誰が来たのかすぐにわかった。
 そしてその予想はすぐに答え合わせができる。
 部屋の入口扉が開いたから。

「んまァ! ジャックッ! どどどどういうことなのッ!」

 さっき見たジャック様のお母様という人が、床に倒れている魂が抜けた状態の賢者ジャック様を見て叫んだ。
 それを合図とばかり、部屋の中へ人がわらわらとなだれ込んで来る。
 ボートー領の領兵の皆さんだ。

「この二人を逮捕なさいッ! 死刑よ! 死刑ッ!」

 反論する間もなく屈強な領兵の方々に俺とフラマさんは取り押さえられた。
 申し開きも仲間への連絡もさせてもらえず、俺たちは目隠しをされ、そのまま連行された。



 アイシスの牢屋は、フォーリーのよりはずっと綺麗で清潔感があり、そしてものすごく大規模だった。
 いやこんな風にあちこちの街の牢屋巡りなんかしたくはないのだけれど。

 そういや一日税の違反者は逮捕されるんだっけ。
 ただ、早朝ということもあるのだろうか、牢屋に囚われている人は、俺とフラマさん以外に誰も居ない。
 まさか、昨日の逮捕者はもう処刑済み?
 怖い考えが頭に浮かぶ。
 それにしても死刑って――魔法代償提出刑とは違うのかな?
 背筋がぶるりと震える。
 魔物に襲われた時とはまた違う恐怖、緊張感。
 自分一人ならば逃げるという選択肢もあるだろうけれど、ルブルムやケティ、カエルレウム師匠やディナ先輩にどんな迷惑が及ぶだろうか、という。
 しかも公的にはクスフォード虹爵(イーリス・クラティア)様のお使いであるルブルムのお供、なわけで――まさか虹爵様にまで迷惑がかかる?
 そんなことになったら、ストウ村のリテルの家族はどうなるのだろうか。
 全身から血の気が引いてゆく。

「ごめんなさい」

 隣の牢から、フラマさんの声が聞こえた。

「え?」

「ジャック様にはね、以前より言い寄られていましてね……でも、偉い人のお手付きになんてなったら、私がやりたいことを……いえ、やらなきゃいけないことを、出来なくなってしまうから……ずっと断り続けていて……お客様まで巻き込むなんて私、ダメね」

「いや、でも……そんな……」

 そんなことで死刑とか言い出す方が、という言葉は飲み込む。
 牢番に聞かれでもしたら、それこそもっと酷い目に――いや、死刑以上に酷い目ってなんだ?

(オナカスイタ)

 あぁ、ポーか。
 そうか今朝はまだご飯あげてなかったな。ごめんな。
 魔法代償を集中して、ポーにあげる。
 そうだ。
 ポーが手伝ってくれたら、牢番には聞かれずにフラマさんと会話できる?

(テツダウノカ)

 いやでも『テレパシー』という魔法を出会ったばかりのフラマさんへ教えるわけにもいかないよな。
 ありがとうな、ポー。
 今は止めておこう。

(ソウカ)

「……あの……」

 フラマさんの声が少し小さくなる。

「はい、なんでしょう?」

 念のために俺も声をひそめたが、他に人が居ない牢屋は広いとはいえ音が響く。

「リテル様の左手……もしかして訳ありなのでしょうか?」

「左手、ですか?」

 もしかしてポーのことが見えていた?
 いやでもレムールは『魔力感知』でも存在を確認することはできないし、レムールとの契約者じゃなければ見ることもできないはず。
 そしてフラマさんは見た目からはスノドロッフ村出身のようにも見えないし。

「リテル様、気づかれていましたよね。私の寿命の渦(コスモス)のこと……だから、リテル様ももしかしたらって思ったのですが」

 もしかしてってのは、フラマさんも転生者ってこと?

「もしかしてフラマさん、ご出身は……」

「お分かりでしたか。私の父は地界(クリープタ)出身なのです」

 地界(クリープタ)――って、え?
 そっち?





● 主な登場者

有主(ありす)利照(としてる)/リテル
 猿種(マンッ)、十五歳。リテルの体と記憶、利照(としてる)の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
 ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。アイシスでも牢屋に収監。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。猿種(マンッ)、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
 リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。

・ラビツ
 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
 アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。

・マドハト
 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種(アヌビスッ)の体を取り戻している。
 元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。変な歌とゴブリン語とゴブリン魔法を知っている。地味に魔法勉強中。

・ルブルム
 魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種(マンッ)
 魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。

・アルブム
 魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種(ラタトスクッ)の兎亜種。
 外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。

・カエルレウム
 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種(マンッ)
 ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。

・ディナ
 カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
 アールヴを母に持ち、猿種(マンッ)を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。

・ウェス
 ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種(カマソッソッ)
 魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。

・『虫の牙』所持者
 キカイー白爵(レウコン・クラティア)の館に居た警備兵と思われる人物。
 『虫の牙』と呼ばれる呪詛の傷を与えるの魔法の武器を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。

・メリアン
 ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間。
 ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種(モレクッ)の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。

・エクシあんちゃん
 絶倫ハグリーズの次男でビンスンと同い年。ビンスン、ケティ、リテルの四人でよく遊んでいた。犬種(アヌビスッ)
 現在はクスフォード領兵に就く筋肉自慢。ちょいちょい差別発言を吐き、マウントを取ってくる。ルブルムたちの護衛となった。

・クッサンドラ
 ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種(アヌビスッ)の先祖返り。ポメラニアン顔。
 クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。エクシ同様、護衛となった。

・レム
 爬虫種(セベクッ)。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
 同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。

・ウォルラース
 キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
 ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種(ターサスッ)の半返り。

・ロッキン
 名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵(エクウェス)。フライ濁爵(メイグマ・クラティア)の三男。
 現在はルブルムたちの護衛として同行している。婚約者が居て、その婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。

・チェッシャー
 姉の薬を買うための寿命売りでフォーリーへ向かう途中、野盗に襲われ街道脇に逃げ込んでいたのをリテルに救われた。
 猫種(バステトッ)の半返りの女子。宵闇通りで娼婦をしているが魔法を使い貞操は守り抜いている。リテルに告白した。

・フラマ
 おっぱいで有名な娼婦。鳥種(ホルスッ)の半返り。淡いピンク色の長髪はなめらかにウェーブ。瞳は黒で口元にホクロ。
 胸の大きさや美しさが際立つ痴女っぽい服装だが、所作は綺麗。ラビツに買われていた。父親が地界(クリープタ)出身。

・ジャック・ボートー
 ボートー紅爵(ポイニクス・クラティア)の近親者と思われる河馬種(タウエレトッ)。フラマを買いたい。
 頭は禿げ上がっているが二十代の前半くらいに見える。太っていて、フリルが多めの服を着ている。根は真面目そう。

・お母様
 ジャック・ボートーがお母様と呼ぶ河馬種(タウエレトッ)。ジャックよりも二回りは大きい体躯。
 袖やズボンが極彩色のフリルまみれ。溺愛する息子のために一日税の内容を変更した。

・レムール
 レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界(クリープタ)に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
 自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。



■ はみ出しコラム【魔物デザイン クー・シー】
 以前の魔物デザインは、【魔物まとめ その一】(#47 のはみ出しコラム)にて紹介した魔物についてそれぞれ詳細を説明するというものだった。
 しかし「魔物まとめ その二」をはみ出しコラムとして成立させられるほど魔物の登場を待ってからさらにその後、詳細な魔物デザインを解説するというのは二度手間でもあるため、今後は、魔物まとめなしに魔物デザインのみのご紹介とする。

 さて、今回はクー・シーである。
 メガテン好きな人ならば「カーシー」の方が馴染みがあるだろうか。

・ホルトゥスにおけるクー・シー
 元々は異世界の獣でホルトゥスには移住者(イミグラチオ)として定着している。
 暗い緑色の体毛は長いうえにモジャモジャで、これまた長い尻尾をグルグルととぐろを巻いて背中に乗せている。
 四本の足は牛よりも太くて大きく、飛ぶように走るというか、走るように飛ぶ。
 矢は、浮いているならではの回転避けで、モジャ毛に絡まって止まったりする。
 妖精に飼われていることも多く、放牧している雌山羊や雌羊や雌牛を追い立ててさらってゆくこともある。とにかく乳製品好き。

・地球におけるクー・シー
 スコットランド高地地方の妖精犬であるクー・シーは、暗緑色をしているという点で、他のケルト圏における妖精の猟犬とは異なっていた。大きさは二歳の雄牛ほどもあり、毛がもじゃもじゃで、長い尻尾を渦巻き状に背中の上に巻いていたり、あるいは、平たく編んで垂らしたりしていた。脚はとても大きく、その幅は人間の足くらいあって、よく泥や雪の中にその足跡が見られたが、音を立てずに滑るようにしてまっすぐに歩いた。獲物を追うときは、たえず吠えるのではなく、三度ものすごい声をあげた。その声ははるか沖合いの船まで届くほどであった。
 妖精犬はたいていブルーの内部につながれていて、だれかが侵入するときだけ解き放たれた。時には女たちについて出かけて、人間界の雌牛を探してはその乳を搾り、あるいは牛を妖精丘のシーヘンに追い込んだりした。
 クー・シーは単独で彷徨するのを許されることもあり、岩の裂け目で寝泊まりした。

・ブルー
 ブルーとはゲール語で妖精丘(ノウ)の内部を意味し、英語のバラー(borough)と語源は同じである。
 一般的には多数の妖精が共同生活をしている場所を意味し、一家族だけの住居ではない。ブルーを外側から見たのがシーヘンである。

・シーヘン
 妖精丘(ノウ)を、外部から見た際に言うゲール語の名称。もし妖精丘が円柱に支えられていれば、その内部はブルーと呼ばれる。

・妖精丘
 イギリス、アイルランド各地に残る先史時代の遺跡、住居跡の円形土砦(ラース)城砦(フォート)、埋葬地跡の土塚(バロー)土まんじゅう(マウンド)円丘(トムラス)石塚(ケアン)支石墓(ドルメン)などは妖精の出没する場所と言われ、ボーナ谷にある回廊式埋葬所んぼトムラスなどは妖精国の入り口であると今も信じられている。
 一説に、先史時代に洞窟に住んでいたと言われる、背が低く浅黒いイベリア人の記憶が妖精の映像を作りあげたといわれ、古代の遺跡で見つかる石器時代の石の矢じりは「エルフの矢」と呼ばれて、妖精が人間や動物に射かけた矢だとも言われている。
 妖精丘は特にシーヘン、またはノウと呼ばれ、スコットランドではノール、アイルランドではクノックで、妖精丘の内部はブルーンと呼ばれる。
(クー・シー、ブルー、シーヘン、妖精丘、ともにキャサリン・ブリッグズ編著 平野敬一、井村君江、三宅忠明、吉田新一 共訳『妖精事典』より)

・クー・シーのデザイン
 今回は、主人公たちが街道にて遭遇するワンダリング・モンスターとして、一体で行動し、さほど攻撃力の高くない魔物をいろいろと探した。
 前出の『妖精事典』を端から端まで読んでいるうちに、ビジュアル的にも知名度的にもぐっと来たのがクー・シーだった。
 メガテンのモンスターデザインは原典となる神話・伝承をかなり大切にしているため、少なくとも自分の中でコモン化していたイメージと実際の妖精の描写とがあまり乖離せず、文字だけで表現する小説内に登場させても、メガテン好きな読者さんがいらしたとして、さほど面食らわせずに読んでいただけるかも、と採用した。
 クー・シーを登場させることを選んでから、その住処=妖精丘(ノウ)の存在を作中に書くことになり、そこから移住者(イミグラチオ)となっている設定を決めた。
 そのため、他のクー・シーや、その飼主となる妖精が存在することも後決めで設定し、そこから追跡してきての復讐夜襲というエピソードが出来上がった。
 原典のクー・シーには矢に対する防御力など特に言及はないのだが、もじゃもじゃの毛を想像したときに何かを絡みつかせたくなり、飛び道具として弓矢がスタンダードな世界であればこそ、これで矢を絡め取ったら面白かろうと設定を加えてみた。
 ちょうど主人公のメイン武器が弓矢であるため、主人公が攻撃に対して工夫をするきっかけともなり、クー・シーにはとても感謝している。
 ちなみに、妖精丘の名前をクー・シーの地元であるスコットランドの呼び名「ノール」にしなかったのは、地域を限定してしまうことで登場する魔物を限定せざるを得なくなることを避けるためである。
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