#82 黒き森の伝説

文字数 13,328文字

 その日はそれから誰とも何とも出会わずに街道を進んだ。
 移動の間に、レムの要望からいったん『テレパシー』でつないだあと触れている手を離しても通話がつながったままになる魔法『テレフォン』を作った。
 レムはレムのお母さんから電話の存在を聞いていたのと、マドハトは俺の言うことを何でも素直に受け入れるためにイメージしやすかったようだが、既に『遠話』を何度か使用しているルブルムは理解するのにちょっと苦戦していた。
 『テレフォン』は通信時の情報量を抑える代わりに接続時間を長くしてみたが、情報のやり取りが多くなると接続時間が短くなることもわかった。
 待ち受け時間が通信量で減ってしまう感じ。

 で、その『テレフォン』での会話内では、やはりさっきのスマコさんの話題になった。
 レムは、元の世界からこの世界(ホルトゥス)へ来る人の割合が、日本だけやけに多いんじゃないかと考察した。
 まあ今の所は四人中三人が日本人だからなぁ。
 転生の条件はまだわからないけれど、その条件に位置的なものがあるのかもしれない。
 ムニエールさんのお師匠さんが持っている記録にあった二例ってのも、出身がわかるのであれば知りたいところ。
 ただ、俺が一番集めたい情報は、向こうからこちらへ転生する条件ではない。
 こちらへ転生して魔術特異症となった状態からどうやって分離できるのか、なのだ。
 調査の優先順位は間違えないようにしなければ。
 それに実際、資料はそこまで当てにできないとも考えている。
 俺みたいに親しい人以外には隠していたり、レムのお母さんみたいに亡くなってしまったりする例もあるだろうから。
 転生者は実はもっと多いのかもしれないな――「転生者」か。

 実はこの「転生者」というのもスマコさんの話を聞いてから違うような気がしてきている。
 ムニエールさんは、スマコさんが目覚める前、チケさんであった状態から、魔術特異症を感じていたと言っていた。
 ということは、目覚める前から魂がこちらの世界(ホルトゥス)にあったということだよね?
 それって転生じゃなく、半分こっちに居たってことじゃないのかな。
 キタヤマさんのときはホルトゥス側のナイトさんがちょうどお亡くなりになったタイミングでこっちに来たって話だったけど、それって転生というよりは転移っぽい印象なんだよね。
 まあ、状況を指す言葉を取り替えたところで本質がわからないのであれば進展にもつながらないし、しばらくは「転生者」という表現そのままにするけれど。

 あとは、さっきの立ち回りについて。
 ムニエールさんがトレインを回復する魔法を使う可能性もあったからルブルムは即座に反応できなくて、みたいな話をしてきたので、俺にはムニエールさんの寿命の渦(コスモス)から「攻撃する意志」のようなものを感じたという話になった。
 そこで三人には、以前教えた『魔力感知』の応用を教えることにした。
 寿命の渦(コスモス)に感情や「行動しようとする」気持ちが現れることを。
 さらにはメリアンやレーオ様くらいになると、その「行動しようとする」気持ちだけで模擬戦みたいなのをやっていたって話も。
 相手の感情や行動の意志が事前に分かれば、こちらもほんの少しだけ早く動き出すことができる。
 俺なんかは実戦経験がまだまだ足りていないけれど、その「ほんの少し」の重要性は十分に理解できている。

 メリアンが使った『戦技』についても話が及んだ。
 最初は「あれどうやったんだろうね?」ってとこから。
 ただ、『戦技』を使う者は基本的に『戦技』について話さないものらしい。
 俺たちが「魔法を使うことを知られないようにしろ」とディナ先輩に言われていたのと同じ理由っぽい。
 だから『戦技』の内容についても尋ねるのは無礼なことのようだ。
 それでも一般論として明らかなのは、何千回と繰り返し練習した技を出す構えから出さないのに出したのと同じ結果を得る、みたいなのが『戦技』なのだということ。
 なんだか禅問答みたいでよくわからない。

 『テレフォン』の効果時間終了後、それぞれが『魔力感知』を練習しているのがわかったので、もう一度だけ招集をかけ、『魔力感知』していることが相手に悟られにくい『魔力微感知』も教えた。
 何かあったとき、それぞれが生き残りのために最善の行動ができるように。
 言葉では教えにくい「感覚」でも、『テレパシー』や『テレフォン』を使うと言語化せずにそのままイメージを送信できるのがとても便利。
 俺は俺で過去の自分の魔法や、射撃や攻撃の最もうまくいった瞬間を自分自身への『テレパシー』で再確認しつつ、ショゴちゃんは快調に距離を稼いだ。



 日暮れの少し前、少し早めの夕飯を、ニュナムからギルフォドまでに三つある共同夜営地の一つ目「ニュナム一・マンクソム二・ギルフォド三」で取った。
 ちなみに、今日の主食はレンズとスモークチキンのニンニクが効いたスープ。
 レンズというのはレンズみたいな形の豆のこと。
 ディナ先輩のとこで氷のレンズを作ったときに「庶民は光を屈折させるレンズのことは知らないから、レンズと言えば普通に豆のことを思い浮かべるだろう」と言われたのを思い出す。
 さっさと食べ、さっさと片付け、それから夜通し街道をひた走る。
 ニュナムへの一日道(ディエム・レンジ)を過ぎたので整備された石畳は終わっているのと、ほぼ新月に近い暗さなのとであまりスピードは出せない。
 そんな状況でも夜に走らせることができるのは、ショゴちゃんに付属の灯り箱(ランテルナ)が、ニュナムまで使っていた馬車(ゥラエダ)に比べると格段に数が増えているおかげ。
 ショゴちゃん本体の四隅に一つずつ、(ながえ)の先端、馬をつなぐ(くびき)付近に一つずつの計六つ。
 油の消費量は多いものの、これだけ灯すことができると夜でもけっこうなんとかなるものだ。
 そもそも馬は暗いところでも目が見えるらしいし。
 動物の顔に灯りをかざして目の奥が光ると、その動物は夜でも目が見えやすいとメリアンに教えてもらったが、確かに馬の目は猫の目みたいに光を受けて光っている。

「この分だと、三日かからずに着けるかもですね」

 地元が近くなってきたせいか、馴染んできたせいか、ロッキンさんが最近はよく会話に参加してくれる。
 個人的にはそういうフラグっぽいことは言わないで欲しいんだけど。

「いや、もしかしたらあいつはマンクソム砦に寄っているかもしれない」

 メリアンが突然、そんなことを言い出した。

「マンクソム砦? 街道から外れるけど」

 ルブルムが聞き返す。
 ギルフォドがまだギルフォルド王国領だった頃、ラトウィヂ王国側の最前線はルイース虹爵(イーリス・クラティア)領の城塞都市ゴルドアワだったが、それとはまた別にライストチャーチ白爵(レウコン・クラティア)領に近い場所にも一つ、マンクソム砦というものが築かれていた。
 マンクソム砦は王国直轄地で、名無し森砦に比べて規模が大きく、魔術師組合の支部も設置されているほど。
 なぜここがそれだけ力を入れられているかというと、ジャ・バ・オ・クーの危険な洞窟(ペリアン)に対する防衛拠点ともなっているからだ。

 ジャ・バ・オ・クーは、洞窟の深い場所が地界(クリープタ)に通じているとも噂される、魔物出現率の高い場所。
 この世界(ホルトゥス)には「ダンジョン」なんて言葉はないけれど、あえて言うならダンジョン的な場所なんだろうな。
 かつてはニュナムからの街道はマンクソム砦に直通だったのだが、ラトウィヂ王国がギルフォドを手に入れてからは、マンクソム砦の手前で街道が分岐し、ギルフォド方面へも街道が整備された。
 しかもその新街道の、ギルフォドからの一日道(ディエム・レンジ)終了地点からもマンクソム砦へつながる道が新しく作られ、この辺りを三角街道と呼ぶ者もいるとか。
 現在向かっている共同夜営地の二つ目「マンクソム一・ニュナム二・ギルフォド二」と、その先の共同夜営地「マンクソム一・ギルフォド一・ニュナム三」という名前からも距離感が測れる。

「マンクソム砦って、砦というよりは賑やかな街って聞いたことある。その……娼館とかも多いって」

 レムの知識は書物に記載されていないような情報を含んでいてありがたい。
 まあ、ラビツの婚約者であるメリアンの前であえて言うことでもない気はするが。
 けれど今回はその情報のおかげでマンクソム砦を見過ごせなくなった。

「三角街道だから、すれ違いを避けるなら二手に分かれる、とかですかね?」

 ロッキンさんは気楽に言うけれど、危険な洞窟(ペリアン)が近いから魔物も出やすくなるって危険性を考えると、戦力の分散は避けたいなぁ。
 もしも二手に分かれるとなると、ショゴちゃん組と騎馬二頭組とで、ラビツの顔を知っているのは、ここでは俺とメリアンだけだから――そういえばカエルレウム師匠は呪詛解除の呪詛はできたのだろうか。
 思ったよりもこんな遠くまで来ちゃったけど、今度はラビツたちを連れて帰らないといけないのだ。
 ラビツに対して足止めを宣言できるのは、クスフォード虹爵(イーリス・クラティア)の正式な書状を持っているルブルムだけ。
 あとはメリアンがラビツを止められるならば、ってとこか。
 となると皆をショゴちゃんに残して俺とルブルムだけ騎馬ってのは現実的じゃない。
 だいたい、ロッキンさんやエクシ(クッサンドラ)はルブルムの護衛だから、離れるってのも問題あるだろう――となると、騎馬の方はメリアンほか一名ってことになる。
 しかもほか一名だなんてメンバー的にはマドハト確定じゃないか。
 心配だ。
 メリアンに迷惑かけないかとか、体が丈夫でないこととか。
 マドハトは最近、自分でいろいろ考えて行動するようになった。
 でもその前のゴブリン時代が長かったせいか、やはり思考が面白に流れやすい。
 頻繁に連絡取れれば軌道修正も可能だろうけれど、さっき作った『テレフォン』だって、どのくらい離れても通じるかまでは確認していないし、だいいち魔法発動時は『テレパシー』同様に触れ合う必要がある。
 『テレフォン』の、まったく通信しないでの待機時間は一ホーラ(時間)くらい。
 とてもじゃないけれど現実的じゃない。
 以前作った『長通知』と『短通知』だって、一ディエスで半日しかもたない。最低でも二、三日はもたせたいと考えると、コストが現実的ではない。
 あ、そういやゴーレムの遠隔操作範囲ってどのくらいあるんだろう――と、ゴーレムを取り出してみて気付く。
 ゴーレムの本体に使用しているあのロービンからもらった卵石にヒビが入っていることに。

「それ、もしかして本物のドラコーンの卵?」

 ルブルムが俺の手の中を覗き込む。
 ドラコーン――ルブルムからもらったカエルレウム師匠の本棚の知識を思い出してそれが、ドラコ(ドラゴン)のことだと結びつく。
 その写本は古いものだったからドラコーンって古い表現で記述されていたけど、このへんの言葉ではドラコの方が通りがいい。
 というか、どうして俺はこの卵石をルブルムにちゃんと見せていなかったんだ。
 ロービンからは「魔術師が喜ぶもの」って聞いていたのに。

「ロービンがくれたんだ。彼自身もお父さんからもらったって言ってたよ」

「使い魔にするの?」

 ルブルムが「使い魔」という表現を使ったことで、カエルレウム師匠の蔵書内の情報をまた思い出す。
 魔術師は強い信頼関係にある自分以外の生命体と『使い魔契約』を行うことができる。
 『使い魔契約』は、俺とポーとを結びつけている契約とはまた少し違うもの。
 ポーのように肉体を持たない存在との契約との相違点は、『使い魔契約』は「もう一人の自分」とも言えるべきつながりであること。
 互いの位置の把握や感覚の共有や消費命(パー)を預けることは今の俺とポーとでも可能だけど、使い魔は寿命の渦(コスモス)を共有するのに近い感じの記述があった。
 使い魔が傷つけば契約者本人が、契約者本人が傷つけば使い魔が、互いの寿命の渦(コスモス)も一緒に傷つくことになるという。
 なのでよほどの信頼関係が成り立たないと『使い魔契約』は成功しないとも書いてあった。
 対象の生物が卵生の場合は卵から育てる魔術師も少なくないと。
 ドラコーンの卵は、産み落とされたあと、仔が生まれても良い環境が条件を満たすまでずっと石に擬態して成長を止めておくという記述についても思い出す。

 この「思い出す」ってのが微妙だよな。
 ルブルムのように自分で学んだ知識ではないから、「思い出そうとしてから」でないとすぐには知識と紐づかないのかも。
 改めてドラコとドラコーンについて思い出そうとしてみる――あー、ドラコだと出てこないけど、ドラコーンだと思い出せる。
 ドラゴン周りの文献は古い写本が多いから、現在の一般的なラトウィヂ語をキーワードに思い出そうとしても引っかからないことが多いんだな。
 で、その内容は――ドラコの卵は熱ではなく魔法代償(プレチウム)を与えて孵化をうながすって。
 ああ、そういうことか。
 ゴーレムは日々、維持だけでも魔法代償(プレチウム)を消費するって聞いていたから、毎晩、寝る前にゴーレム起動用の紅魔石(ポイニクス)消費命(パー)を補充していたんだけど、紅魔石(ポイニクス)に格納した分の減りがやけに早いなとは思ってたんだよな。
 最近は、寝る前だけじゃなく、朝昼晩のポーに魔法代償(ごはん)をあげるときにも補充していたくらい。
 それでこの卵ドラコちゃんがみるみる成長したってわけか。

「使い魔契約するときって、カエルレウム師匠に許可をいただく必要ってある?」

 と、聞いてから気付く。

「あ、俺、『使い魔契約』の魔術は教えてもらってないや」

 そう。今の俺にあるのは知識だけ。
 そういう魔術で契約をする、っていう。

「大丈夫。私、知っているから教えられる。カエルレウム様は、よく考えて使いなさいって教えてくれたから、禁止はしていない」

 確かに。使い魔を攻撃されたら、俺の寿命の渦(コスモス)まで減っちゃうんだもんな。

 やにわに、ルブルムが俺の手を取り消費命(パー)を集中する――伝わってくる。『使い魔契約』の魔術が――なるほど。こんな感じの魔術なのか。

「ありがとう、ルブルム。伝わった」

「あとは、孵化を待つだけ。魔法代償(プレチウム)は一度に多くあげ過ぎてもダメで、少しずつずっと続けるのがいいって書いてあった。ドラコーンの親は、卵の周りに魔石(クリスタロ)をたくさん置くんだって」

 魔石とドラゴンにそんな関係があったのか。
 それならドラゴンの卵石を持っていたロービンが、魔石(クリスタロ)を産出するスノドロッフの近くに住んでいるのも偶然ではないのかも。
 俺は上がるテンションをぐっとこらえつつ、紅魔石(ポイニクス)消費命(パー)を補充し、再び鞄へとしまった。

「そうそう。使い魔との意思疎通で気づいたんだけど、『遠話』って、距離が離れていても発動に必要な魔法代償って変わったりするの?」

「変わらない。どちらかが発動すると相手の持つ『遠話』が反応して、その反応が消える前に相手も発動すれば『遠話』が通じる」

「そしたら、『遠話』までの複雑なことしないで最初の相手へ反応送るだけくらいなら、単純な魔法にできるんじゃない?」

「その思考で作られた魔法はある。二本の枝を交差するように重ねて『発見報告』という魔法をかけると、片方の枝を折ったとき、もう一方の枝も折れる。私やアルブムが寄らずの森を見回りして、魔物の発見をカエルレウム様へお知らせするときに使った」

「それだっ!」

 詳しく聞くと、上に置いたほうの枝が発信側で、下に置いた方の枝が受信側。
 効果時間は一日ほどしかないようだが、魔法が切れる前に発信側に同じ魔法を重ねてかければ、効果は継続するらしい。
 ちなみに『遠話』が格納されている魔術師免状も、『遠話』を使わなくとも、一ヶ月に一ディエスは魔法代償(プレチウム)を消費しているんだって。
 家電でいう待機電力みたいなものか。

 ともあれ連絡手段を確保できたことで方針が決まった。
 ショゴちゃんは共同夜営地の二つ目「マンクソム一・ニュナム二・ギルフォド二」からマンクソム砦を目指し、騎馬二人はその先の共同夜営地「ギルフォド一・マンクソム一・ニュナム三」へ先回りして待機。
 もしも騎馬組が先に遭遇した場合はラビツを足止めしてもらいつつ、馬の尻尾の毛を結び付けた枝を折る。ショゴちゃん組は同じ枝が折れたらそこから最短の方法で共同夜営地「ギルフォド一・マンクソム一・ニュナム三」へと向かう。
 逆にショゴちゃん組がラビツに遭遇した場合、ルブルムの持っている書状を見せ、布の切れ端を結び付けた枝を折る。騎馬組はそれを確認したらマンクソム砦へと向かう。
 そしてショゴちゃん組が、ラビツたちがマンクソム砦を出発済であることを確認した場合、端を片方削ってある枝を折る。騎馬組はその時点でギルフォドへと先行してラビツを探す。
 この作戦を実行するにあたり、俺はルブルムと相談し、メリアンとレムに本当のことを話すことにした。もちろん全部ではないが。

 ラビツ一行が呪詛にかかっているということ。
 それが、肉体の接触によって感染すること。
 現在、カエルレウム師匠が呪詛解除の方法を研究していること。
 ラビツ一行にはその後、それまでの道中にて肉体の接触を持った人たちの特定に協力してもらいたいということ。
 メリアンは苦笑いしながら聞き終えた後、一言「よくわかった」とだけ答えた。
 さて問題は、こっちの方だな。

「マドハト、日暮れが近づいたら『発見報告』をかけ直す枝はどれか覚えたか?」

「リテルさま! 大丈夫です! 尻毛のやつです!」

 まあ間違ってはないけど、なんだろう。この若干湧き上がる不安は。

「お兄ちゃん、私が行くよ。ロッキンさんとエクシさんと居るから、護衛を外したことにはならないでしょ?」

 結果的にレムの申し出を有り難く受けることにした。
 ということで騎馬組のメリアンとレムには仮眠を多めに取ってもらい、目的の「マンクソム一・ニュナム二・ギルフォド二」へ到着したのは、翌日の昼過ぎ。
 騎馬組は、夜営に必要そうな荷物を一部、馬へと移してもらう。
 その間にショゴちゃん組は昼食を用意。
 献立は玉ねぎとえんどう豆とレンズのスープ、アーモンドミルク風味。
 それからジャガイモを焚き火の中に埋めて蒸したやつ幾つかと塩を小分けした小袋とをお弁当としてメリアン達に渡しておく。
 出発直前、甘えてきたレムをハグして、頑張れって応援した。

 メリアンとレムが出発した後、食事の片付けをしてから再びショゴちゃんに乗り込む。
 そのタイミングでルブルムがこっそりハグを要求してきたのは内緒。
 御者は順番で行い、御者を終えたら仮眠を取ることに決める。
 マンクソム砦はここからは馬車(ゥラエダ)で一日ほどの距離なので、ショゴちゃんを夜通し走らせれば明日の朝には着ける計算。

 途中、マンクソム砦からニュナムへと向かう定期便馬車とすれ違ったくらいで他には特に何かに出会うこともなく、順調に日が暮れる。
 その辺りからだんだんと周囲の森が濃くなってゆく。
 樹々が他の場所より葉の量が多くこんもりと茂っているうえに木と木の間隔が密になっているのか全体的に暗くて奥が見通せない感じ。
 街道は馬車が余裕ですれ違えるほどに広いのだが、両脇の森は高さもあるせいで空が細い。
 それよりもさらに細い双子月からのささやかな光など、とてもこの道までは届かない。
 ショゴちゃんの灯り箱(ランテルナ)、六つ全てに油を補充したが、馬の鼻先より向こうは闇が待ち構えているようにしか見えない。
 フツーの異世界モノだったらこんなときは魔法で明るい光でも用意するのだろうが、明るさと効果時間と要求される魔法代償(プレチウム)とを比較してみると、とてもじゃないけど魔法の光の常時発動は無理。
 当然、馬車の速度も落とさざるを得ない。

「昼間と夜とじゃ移動速度、ずいぶんと変わってしまいますよね……もしかして、あの夜営地で夜営して早朝出発してもそんなに変わらなかったりしたかもですね」

 ロッキンさんが珍しく弱気なことを言い出した。
 そのときは軽く流したんだけど、ロッキンさんの御者の番が近づくにつれ、あきらかに溜息が増えていっている。
 たまりかねて尋ねてしまった。

「ロッキンさん、もしかしてマンクソム砦に何か嫌な思い出でも?」

 上下の兄弟も皆、騎士としての修練を積んでいるって言ってたっけ。
 例えば、マンクソム砦に兄弟がいて、その兄弟とは仲が良くないとしたら――なんて妄想が(はかど)る前に、あっさりと回答が返ってきた。

「ああ、そんなに知られていないのですか。マンクソム砦付近の黒き森の伝説は……」

 黒き森というのは、ここいら一帯を占める森の名称だが――少なくとも、ルブルムからもらった記憶の中にヒットするものはない。

「どんな伝説なんですか?」

「昔、黒き森に、地界(クリープタ)から移住してきた魔人集団が居たそうです。シュラットという、全身を毛に包まれた感じの格好をしていたって言われてます」

 シュラット――カエルレウム師匠の蔵書記憶の中に情報を見つけた。
 元々は地界(クリープタ)の住人だが、こちらの世界(ホルトゥス)に時折居着く。
 人型で、全身を毛に覆われている。森に棲み、伐採の邪魔をする。
 なるほどなるほど。
 ロッキンさんの話は続く。

「そいつらは勝手にホルトゥスに棲み着いたというのに、開拓の邪魔をかなりしつこくしてきたそうで……マンクソム砦を作るには邪魔だとして大規模な討伐戦が行われたんです……その後、黒き森の中に街道を通して、マンクソム砦は完成したとのことなんですが……その……夜になると、殺されたシュラットたちが黒き森に現れるって噂がありまして……私の故郷では、子供が遅くまで寝ないでいると、殺されたシュラットが黒き森からさらいにやって来るよ、という伝説が……」

 なるほど。ストウ村でいうマンティコラみたいな存在なのか。
 そしてロッキンさんがちょっと照れくさそうにしているのは、夜の暗き森で御者をするのが怖いって白状したも同然だからかな。
 とはいえ、そこは怖かろうが順番が来たら御者はやってもらいますけれど。

 そのとき、ショゴちゃんが突然減速して、停まった。
 表情が強張っているロッキンさんと目を見合わせ、御者席へつながる扉を開ける。

「マドハト! なんで止まった?」

「リテルさま、何かいるです! 道を塞いでいるです!」

 マジか?
 寿命の渦(コスモス)は全く感じないのだけど――え?
 目視したそこには、確かに何か居るのが見える。

 あんな話をしたからフラグを立てちゃったんじゃないの?





● 主な登場者

有主(ありす)利照(としてる)/リテル
 猿種(マンッ)、十五歳。リテルの体と記憶、利照(としてる)の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
 ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。猿種(マンッ)、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
 リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。

・ラビツ
 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
 アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。ギルフォドへ向かっている可能性が大。

・マドハト
 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種(アヌビスッ)の体を取り戻している。
 元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。

・ルブルム
 魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種(マンッ)
 魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。

・アルブム
 魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種(ラタトスクッ)の兎亜種。
 外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。

・カエルレウム
 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種(マンッ)
 ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。

・ディナ
 カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
 アールヴを母に持ち、猿種(マンッ)を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。

・ウェス
 ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種(カマソッソッ)
 魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。

・『虫の牙』所持者
 キカイー白爵(レウコン・クラティア)の館に居た警備兵と思われる人物。
 呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。

・メリアン
 ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
 ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種(モレクッ)の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。

・エクシ(クッサンドラ)
 ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種(アヌビスッ)の先祖返り。ポメラニアン顔。
 クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。

・レム
 爬虫種(セベクッ)。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
 同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。

・ウォルラース
 キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
 ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種(ターサスッ)の半返り。

・ロッキン
 名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵(エクウェス)。フライ濁爵(メイグマ・クラティア)の三男。
 現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。

・ナイト
 初老の馬種(エポナッ)。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山(キタヤマ)馬吉(ウマキチ)
 2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。

・トレイン
 折り紙の兜に似た兜を被った猿種(マンッ)。オンボロ馬車(ゥラエダ)五人組のリーダー。矛を使う。
 先のウォーリント内戦で王弟側に傭兵としてついた。チケの戦死をメリアンのせいにして決闘を申し込み、破れた。

・チケ(スマコ)
 トレインたちの仲間であったチケの中にずっと存在していたもう一つの寿命の渦(コスモス)が、ウォーリント内戦中にスマコとして目覚めた。スマコは日本の神戸出身。今は亡き人。

・ムニエール
 眼鏡をかけた初老の山羊種(パーンッ)魔術師。普段は馬種(エポナッ)偽装の渦(イルージオ)している。
 スマコから聞いた情報から『カマイタチ』という魔法を作った。今回の事件を機にトレインから離反した。

・レムール
 レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界(クリープタ)に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
 自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。

・ショゴウキ号
 ナイト(キタヤマ)がリテルに貸してくれた魔法的機能搭載の特別な馬車(ゥラエダ)。「ショゴちゃん」と呼ばれる。

・ドラコ
 古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。
 その卵は小さく、手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償(プレチウム)を与えられるまで、石のような状態を維持する。

・シュラット
 元々は地界(クリープタ)の住人。人型で、全身を毛に覆われており、森に棲み、伐採の邪魔をする。
 かつてマンクソム砦を築く際、黒き森に居着いていたシュラットが大量に討伐された。


■ はみ出しコラム【魔物デザイン シュラット】
 今回は耳馴染みのない魔物――いえ、作中設定ではコミュニケーションが取れる魔物なので「魔人」とカテゴライズされますが、シュラットについて解説します。

・ホルトゥスにおけるシュラット
 元々は地界(クリープタ)の住人。人型で、全身を毛に覆われており、森に棲み、伐採の邪魔をする。
 かつてマンクソム砦を築く際、黒き森に居着いていたシュラットが大量に討伐された。
 フライ濁爵(メイグマ・クラティア)領においては、そのとき殺されたシュラットたちが夜になると黒き森に現れると噂され、子供が遅くまで寝ないでいると「殺されたシュラットが黒き森からさらいにやって来るよ」などと躾にも利用されている。

・地球におけるシュラット
「Wood sprite」としての Schrat
The Waldschrat is a solitary wood sprite looking scraggily, shaggily, partially like an animal, with eyebrows grown together, and wolf teeth in its mouth.
Waldschrat は孤立した木のスプライトで、ごつごつしていて毛むくじゃらで、部分的に動物のように見え、眉毛が生え、口にはオオカミの歯があります。
The Austrian Schrat or Waldkobold (pl. Schratln) looks like described above, is small and usually solitary. The Schratln lovfe the deep, dark forest and will move away if the forest is logged. The Schrat likes to play malicious pranks and tease evilly. If offended, it breaks the woodcutters' axes in two and lets trees fall in the wrong direction
オーストリアの SchratまたはWaldkobold (pl. Schratln )は上で説明したような外見をしており、小さく、通常は単独で行動します。シュラトルンは深くて暗い森が大好きで、森が伐採されると立ち去ります。シュラットは悪意のあるいたずらをしたり、邪悪にからかうことが好きです。気分を害すると、木こりの斧が真っ二つに折れ、木が間違った方向に倒れてしまいます。
(Wikipedia、和訳はGoogle翻訳より)

・シュラットのデザイン
 後述の『妖精事典』で、森に棲みそうな存在を探していた。そこで見つけたのがウッドワスである。
 だが、「ウッドワス」といういかにも英語っぽい名前では、現在設定している世界観にそぐわないため、「Woodwose」で検索をかけてみた。この手の魔物は地方によりそれぞれ呼び名が違ったりするので。
 そこでまずヒットしたのが「Wild man」という野人そのものに関するWikipediaページ(日本語ページはない)。
 その中で見つけたのが以下の記述。

Old High German had the terms schrat, scrato or scrazo, which appear in glosses of Latin works as translations for fauni, silvestres, or pilosi, identifying the creatures as hairy woodland beings.

(Google翻訳)古高地ドイツ語にはschrat、scrato、またはscrazoという用語があり、ラテン語の著作の注釈にfauni、silvestres、またはpilosiの訳語として登場し、この生き物を毛むくじゃらの森林生物として識別しています

 この「schrat」にリンクが貼ってあったので飛んだ先が https://en.wikipedia.org/wiki/Schrat (こちらも日本語ページなし)。
 そこには「カーニバルの衣装としてのシュラット」の画像まであり、その内容を見た感じかなり良さげだったので採用した。
 シュラット自体には、木の妖精・家の妖精・夢魔といった様々な側面がある。その中でも「木の妖精」として記載されている内容を採用することにした。
 森の伐採を嫌がったり、木こりの邪魔をするあたりが欲していた魔物イメージにぴったりだったので。
 ただ、一点だけ地球のシュラットと変更した点があり、それは「usually solitary」のところ。通常は単独行動を好むという部分だけ、群れで生息するように変更した。
 なぜそのような変更を加えたのかは、次話のはみ出しコラムにてお話できるはず。

・ウッドワス(Woodwose)
 「森の野人」の意。ウッドワスは、イースト・アングリア地方の教会の彫刻物や装飾品にしばしば見られる。仮装行列や山車にも登場し、グリーン・マン(スコットランドの昔話などに登場する強大な魔法使い)が木の葉で覆われているように、前進が毛で覆われている。
(キャサリン・ブリッグズ編著 平野敬一、井村君江、三宅忠明、吉田新一 共訳『妖精事典』より)
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