第8話 ラップランド戦争

文字数 2,324文字

モスクワ休戦条約によると、スオミは

⚫モスクワ講和で失った土地に加えてペッツァモ(ドイツ軍がニッケル鉱床を持っていた)を譲渡しなければならない

⚫ハンコ岬の代わりにポルッカラを軍事基地として貸与しなければならない

⚫3億ドルの戦争賠償金を支払わなければならない

⚫ドイツの資産をロシアに譲渡しなければならない

⚫ドイツ人をスオミから追放しなければならない

⚫譲渡したカレリアの地域から持ち去った資産を補償しなければならない

⚫4万2,000もの兵士を削減しなければならない

⚫ファシズム組織を解体しなければならない

⚫戦争犯罪人を処罰しなければならない

と、継続戦争の和平では、冬戦争よりさらに厳しい条件を呑まされた。

スオミのリュティ大統領は、個人的にドイツの外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップと、スオミはドイツの了解なしには単独和平を結ばないと約束した。リュティの約束以降、スオミはドイツから急降下爆撃機と対戦車兵器を得た。そのおかげで、7月のタリとイハンタラの激しい防衛戦争において赤軍の攻撃を防ぐことができた。戦いは比類のないものであり、ノルマンディー上陸作戦と同程度の兵力が投入された。

前線や状況が落ち着いた後、リュティは退陣し、ドイツと締結した条約は色あせた。国会は臨時法により、新しい大統領にマンネルヘイムを選出し、マンネルヘイムはロシアと講和交渉を開始した。9月初めの休戦で国家間の軍事行動は終わった。

ロシアの要求を受け入れると決断する前に、スオミ大統領カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムはアドルフ・ヒトラーに次のような丁寧な手紙を書いた。
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過去の数年において、私たちがドイツ軍を侵略者や圧制者として扱うことを導いた出来事はありません。私たちはスオミ北部におけるドイツ軍の現地民と当局に対する態度は私たちの歴史に正しく誠意を持った関係のユニークな例として書かれると信じています。今回の戦争が勝利の冠をあなたにもたらすことがなくても、どのような形であれドイツという国は今後も存続するでありましょう。しかし、たった400万人のスオミでは敗戦で国自体が亡くなってしまうことは十分ありえます。私は我が人民を戦争から連れ出すことを自らの責務であると考えています。私はあなたが寛大にもスオミへ与えた武器をドイツ人への攻撃に転換することができませんし、そうすることもありません。私は、たとえあなたが私の態度を非としたとしても、私と全てのスオミ人と同じように、事態を重大化せずに以前の関係を打ち切るよう望み、努力することへの望みを保持しています。



ドイツ人がムオニオに残した標識:「兄弟愛を示さなかったことに感謝します!」

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戦争の結末で、カレリア人に加えラップランドの住民が特に苦しんだ。

継続戦争期、ロシアのパルチザンは東側国境近くの村を突然攻撃。1944年7月ロカ村が攻撃され、パルチザンは一晩で21人も殺害した。そのうち8人は子供だった。

休戦条約によると、スオミは20万人ものドイツ軍兵士をスオミから追い出さなければならなかった。ドイツ軍が自分から出ていこうとしなかったため、スオミは彼らを国から追い払う必要があった。

スオミ軍とドイツ軍の間で行われた戦闘はほんのわずかであった。

ドイツ軍が使用した焼土作戦により大破壊が起こった。ドイツ軍はかつての戦友国への報復を望んだため、撤退する際にラップランドの地をほとんどすべて焼き払った。

ラップランドから撤退するときに、ドイツ軍兵士は村を焼き、道に地雷を仕掛け、橋を爆発した。戦後、ラップランドの人々はゼロから生活を始めなくてはならず、すべてを新たに建設しなければならなかった。

戦争は、最後のドイツ軍兵士がキルピスヤルヴィからノルウェー側へ移動した1945年7月終わりに終結した。

スウェーデンに避難していたラップランドの住民がスオミに戻ったとき、彼らの目の前には悲惨な光景が開けていた。家はただの廃墟になっていたのである。


戦争責任裁判法廷において、1946年2月21日、リスト・リュティ元大統領(末尾写真)は10年間の禁固刑に処せられた。ナチス・ドイツに協力したことが主な要因だった。

しかし、リュティ元大統領は、スオミを救うため、言わば自分が悪者になってマンネルヘイムに大統領職を譲り、マンネルヘイムがロシアとの和平交渉に当たった。そのため、スオミの人々のリュティに対する感情は悪くなく、それどころか尊敬されている。

リスト・ヘイッキ・リュティ(フィンランド語: Risto Heikki Ryti、1889年2月3日 - 1956年10月25日)は、20世紀のスオミの政治家、弁護士、銀行家。

スオミ銀行総裁を務めるなど戦間期のスオミで要職を務め、1939年の冬戦争が勃発した翌日に首相、1940年12月にスオミ第5代大統領に就任、継続戦争末期まで戦時政府を率いた。

1944年の継続戦争終結に先立ち、ソ連と、同盟国であったナチス・ドイツの双方を外交的策略で欺くことによって、結果的にスオミの対ソ連単独講和と国家の独立存続を実現させた。その「策略」の責任者として第二次世界大戦後、戦争犯罪人として告発され、禁錮10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。汚名を負って救国を成し遂げた功労者としてスオミ人に尊敬の念をもたれ、その死に際しては国葬をもって送られた。スオミで最も偉大な人物ランキングはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムに続いて堂々の第2位である。




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