第9話 あの人はいま…

文字数 3,552文字

ヘルシンキのスオミラジオ局は、騒然としていた。
「あのシモ・ヘイヘはモシン・ナガンだけで542人のロシア兵を倒したが、顎に重症を負って、継続戦争には参加できなかった。しかし、このスヴェン・イルマリネンは両方の戦争に参加して、スオミ短機関銃を含め1,000人以上の敵を射殺した」
「なんだってそれが、スオミ軍にも戦友にも知られてないんだ?」
「それが、その若者が目立つのが極端に嫌いで、自分の戦果を数えることすらしなかったんだ。このことはたまたま僚友がラジオ曲の知り合いにしゃべって分かった」

そこで、スオミラジオ局の番組制作者は、この大スクープを、ロシアの機嫌を損ねずに、特別番組にする方法をただちに考えた。

まず、情報提供者(インフォーマント)を局に呼んで、スヴェンの戦果を記録したノートを見せてもらった。丹念に日付と時刻が書かれたその記録が一級品の証拠と判明すると、その証拠を添えてすぐさま報償を与えるよう軍に強く提言した。

スオミ軍最高司令官としてスオミ内戦、冬戦争、継続戦争、ラップランド戦争を指導し、戦時中リュティ大統領の後継として大統領も勤めたマンネルヘイム元帥は、スヴェン・イルマリネンをヘルシンキの新古典主義建築であるスオミ国会議事堂(写真)に呼んで、居並ぶ議員の見守る中、その功績を称え、マンネルヘイム十字章勲一等章を手ずから授与した。



副賞として、シモ・ヘイヘと同様に、ヘルシンキ近郊のエスポーに素晴らしい農場が与えられた。

今まで知られていなかった英雄の出現に、議員たちは惜しみない拍手を送った。マンネルヘイム十字章勲一等章を軍服に佩用(はいよう)したスヴェン・イルマリネンは、あまりの恥ずかしさにひと言もしゃべれなかった。金色の髪と水色の瞳を持ちすらりとしたスヴェンと堂々たるマンネルヘイム元帥のツーショットは、ヘルシンキ日刊新聞のトップを飾り、スヴェンはサングラスなしではスオミ国のどの通りも歩けなくなった。戦争中は狙撃のために身を隠し、平和が訪れた今も有名人になってしまったため、行動するのがままならなくなった。

ヘルシンキの小さなアパートに独りで暮らしていたスヴェンは、国から農場をもらって、そこで誰にも妨げられずに、射撃を教えたり、ベリーを育てたりして今後を過ごせることになった。

その農場は垣根を巡らし、マンネルヘイム元帥が個人的に任命した4人の兵士によって、スヴェンをメディアから守った。

ヘルシンキのスオミラジオ局は、スヴェンに正当な報償が与えられると、政府のロシアとの友好政策に従って、スヴェンを友好の象徴にする番組を計画した。

ヘルシンキのアパートで見知らぬ住人とエレベーターに同乗することすら避けていたスヴェンは、もちろんラジオ番組への出演なんて言下に断った。マンネルヘイム元帥に勲章を授与されただけでも手が震えた。戦争は終わった、何をいまさら表に出る必要があろう?

ところがスオミラジオ局の記者は、戦果を記録したノートを提供したスヴェンの僚友から、この並外れた狙撃手が戦争中に木の切れ端からナイフ一本で森の動物や、みずうみの白鳥やアザラシを作っていたことを聞いた。

「スヴェンは塹壕戦の時期いろんな動物を木で作っていて、戦友はクマやウサギやリスなど各種の動物の彫刻をもらいましたが、白鳥とワモンアザラシはよくできたので冬戦争中のロシアの恩人に戦争が終わったら渡したいと話していました。そのロシア兵は、敵のスヴェンにフィールドキッチンで白身魚と野菜のスープを振る舞ってくれたそうです」

それだ! スオミラジオ局のディレクターにはピンと来た。ラジオ局の記者たちは、ロシアの輜重(しちょう)兵について調査し、今は戦争前と同じようにサンクトペテルブルク郊外の森でロシア料理店を営んでいるイヴァン・シーシキンに辿り着いた。

「あなたが動物の彫刻を渡したいと思っているのは、このシーシキン氏ではないかと思われます」
と番組ディレクターがスヴェンに言うと、内気なスオミ人の元狙撃兵はパッと顔を明るくした。

「実はこのシーシキン氏をラジオ局で手を尽くして探し当てました」

それでスヴェンは心ならずもラジオ番組への出演を承諾した。


「あの人はいま」というスオミラジオの人気番組は、特にこの戦後間もない時期、戦争で離れ離れになった親子などの家族や友人や恋人をラジオ局のスタジオで引き合わせて、スオミ人たちの涙腺を底の底まで絞り出していた。テレビがまだ普及していなかったので、顔が見えないのが残念だった。しかし、愛する人の声は聞き間違えようがなかった。

ラジオ局の机にスヴェン・イルマリネンは司会者と向かい合って座り、司会者はスヴェンの経歴や戦果を簡単に紹介した。

それから、がっしりした体型の、少し赤ら顔で大柄のロシア人がゆっくり部屋に入ってきて、スヴェン・イルマリネンの前の席に座った。

スヴェンは思わず席を立った。あの雪の日に飢えかかっていた自分を救ってくれたロシア人の姿がそこにあった。

「やあ、久しぶり」
とイヴァン・シーシキンは微笑みながら言った。

スヴェン・イルマリネンは、感激してポケットから木でできた白鳥とアザラシを無言でシーシキンに渡した。二人ともまだ若く同じ24歳であった。

「俺にくれるのかい? これはきれいな白鳥とアザラシだな、スオミにいるんだな」
とシーシキンは滑らかなスオミ語で言った。これもまた、テレビでないのが残念至極である。

「君がウハーを振る舞ってくれなければ、僕は行き倒れて死んでいた。それくらい空腹だったんだ。敵の僕に食糧を恵んでくれた君に心から感謝する」

普段こんな長いセンテンスを口にしないスヴェンには、驚くべき出来事だった。しかも、スヴェンは両方の瞳から、滝のようにボロボロと涙を流していた。スヴェンには幸いしたが、テレビもネットもない時代、大いに残念なことであった。しかし、スタジオの隅から、こっそりカメラマンが番組の様子を撮影していたのをスヴェンは知らない。

「では、その懐かしい味を皆で味わってみましょう」
と言う司会者の言葉とともに、シーシキンも立ち上がり、小さな鍋が置かれた台車を机のところまで引いてきた。そして脇に掛けた小さなアルミ製コップにウハーを盛って、スヴェン、司会者、自分の前に置いた。コップにはアルミのスプーンが挿してあった。



(ウハー「ロシア・ビヨンド」より転載)
ウハー(ロシア語:уха)とは、白身魚と野菜を食材に使用したロシア料理のスープである。その名称は、古スラブ語で「煮汁」「スープ」を意味する「ユハ」の語に由来する。Wikipedia

「ああ、あのときの味だ」
スヴェンはまだ涙を流しながら、涙と一緒にウハーを飲み込んた。
司会者はシーシキンに、白身魚と野菜のスープ、ウハーを味わいながらこの料理について質問し、シーシキンは愛想良く丁寧にその質問に答えていた。

戦争が終わり、独立を保ちたいスオミにとっては、格好の友好を示す番組となった。

机のイヴァンの前で、可愛らしい白鳥とアザラシの小さな木の彫刻が一部始終を眺めていた。

キジ島(キジとう、キジー島、キージ島、ロシア語: Кижи、カレリア語: Kiži)は、ロシア連邦カレリア共和国のオネガ湖に浮かぶ島。キジ島は、ロシア正教会の美しい木造教会建築群で知られる。1960年、島全体が木造建築の特別保存地区に指定され、ロシア全土から様々な木造建築が移築された。1990年、これらの建築群がユネスコの世界遺産に登録された。ロシアでも有数の観光地である。

キジ島へはペトロザヴォーツクから高速船で行くのが一般的である(1時間強。冬季はオネガ湖が氷結し運休)。

ペトロザヴォーツクと言えば、継続戦争中の1941年から1944年までフィンランド領であった。その期間、従来のフィンランド語名のペトロスコイに代え、オネガ湖のフィンランド語名"アーニネン"(Ääninen)にちなみ、「アーニネンの城」という意の、"アーニスリンナ"(Äänislinna)と改名されていた。



(プレオプラジェンスカヤ教会)Wikipediaより

島全体が世界遺産に指定されており、ロシアの美しい木造建築が移築されている、日本で言えば名古屋の明治村のような歴史建築が見られる。どの建物も素朴で素晴らしいが、プレオプラジェンスカヤ教会(写真)のような「木のたくさんのねぎ坊主」が一番目を引く。

スオミラジオ局はロシア政府の許可を取って、スヴェンとイヴァンをこの素朴で美しいキジ島に招待した。

二人はキジ島を歩いて回り、美しいねぎ坊主や教会などの建築を堪能した。

「今度はサンクトペテルブルク郊外の俺の料理店に来てくれ」
とイヴァン・シーシキンが言えば
「僕のエスポーの農場にも歓迎する」
とスヴェン・イルマリネンは応じた。







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