第13話 スヴェン、スオミを去る

文字数 1,663文字

「エスポーの農場は兄に譲ろうと思う」
夜が明けない前からスヴェンはイヴァンに言った。
「勲章までもらって何だけど、スオミでこれからすることが思いつかない」
「君の料理店を手伝うよ、いいだろう? 僕は君のお客さんたちが大好きだよ」

あまりに唐突な申し出にイヴァンは仰天した。彼はぎこちなく踊るスヴェンを見て一目惚れした。そしてその晩のうちに想いを遂げた。スヴェンは人間じゃなくて、本当は若いけれど寂しい1頭のアザラシなんじゃないかと思った。

ランチの時間が終わって最後のお客さんを見送り、イヴァン・シーシキンは厨房を片付けていた。
スヴェン・イルマリネンは木のテーブルと長いすを一つ一つ拭いて、それから床をモップで隅から隅まで磨きあげた。

そのとき郵便配達人が来て、イヴァンに一通の手紙を渡した。それは、日本からの国際郵便だった。

イヴァンは厨房を片付けてしまうと、スヴェンがピカピカに磨きあげた床のきれいに拭かれたテーブルの前に座った。
「やあ、きれいに掃除してくれてありがとう」
とイヴァンは隣に座ったスヴェンに言った。
「僕は料理はできないから、君のお客さんが気持ち良く食事できるようにしたいんだ」
とスヴェンは返事した。
イヴァンは手に取った国際郵便を丁寧に手で開封した。

イヴァンは黙って手紙を読んだ。
スヴェンも黙ってその様子を見ていた。英語だったので、スヴェンにも理解できるはずだが、失礼だと思ってのぞき込んだりはしなかった。
「これは凄い話だよ、ある意味冒険だ」
とイヴァンは手紙を読んで言った。
「俺は昔、ある料理の国際コンテストに出て優勝したことがある。日本の有名ホテルの料理長がそのことを覚えていて、ぜひ日本のホテルにロシア料理の店を開いてくれと言うんだ」
「労働ビザも暮らす所も用意すると書いてある。俺だけじゃなく、俺の家族にも」
そこで初めてスヴェンはイヴァンに来た手紙を遠慮がちにのぞき込んだ。
「家族、つまりスヴェン君のことだよ」
とイヴァンは言ってスヴェンの無駄のない身体を抱きしめた。
「君と一緒に行けるなら、俺はこの話を受けたいと思う」
イヴァンはスヴェンの顔を見ながら言った。
「村のお客さんたちには不便をかけるが、きっと分かってくれると思う」
話が本決まりになった後、出発前に、イヴァンはお客さんすべてを招待して「閉店大感謝祭」を行おうと考えた。
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「日本てどんな所なんだ?」
スヴェンは何も思いつかなくて尋ねた。
「四季がハッキリしていて…もちろんスオミにもロシアにも四季はあるが、このホテルがロシア料理店のオープンを要請している春には、桜の花が美しく咲く」
「そうなんだ…」
スヴェンはイヴァンが見せてくれた日本の写真集の桜の花に見入った。



「ちゃんと料理店を営業できているから、俺は今のロシア政府に何か言うつもりはないが、日本の方が自由な気がする。河岸を変えてみるのもいいかも知れないな」
とイヴァン・シーシキンは言った。


イヴァンのロシア料理店の話が、スヴェンという同性パートナーも含めて日本のホテルと本決まりになった後、イヴァンに見せるためと、兄に農場の権利を譲って今後をお願いするために、スヴェン・イルマリネンは、スオミのヘルシンキ近郊のエスポーに来た。

「スヴェン、お前が国からもらった農場を譲り受けるなんて申し訳ない。何かあったら、いつでも戻ってきてくれ」
とスヴェンの兄ミッコは言った。

スヴェンが旅立つので、メディア対策に国が用意した兵士たちは去っていた。

農場はミッコによってもうきれいに整備されており、牛たちが緑の牧場で幸せそうに草を食んでいた。
その一方で牛舎では搾乳ロボットが乳を搾るという技術革新ぶりで、ミッコには農業の才能があるとスヴェンは思った。イヴァンもミッコの説明を聞きながら、感心して農場を見学していた。

「農場のことは兄さんにお任せすれば、何も心配ないな。わがまま言って申し訳ないが、後を宜しく頼みます」
スヴェンは兄に言って、深く頭を下げた。

【完】


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