第10話 スオミの対ロシア外交

文字数 2,692文字


画題「攻撃」。イートゥ・エスト作。

スオミは大国ロシアを相手に「冬戦争」、冬戦争での失地回復のための続きの戦争「継続戦争」(ここでナチスドイツと部分的に同盟、昔からスオミには親独の歴史があったという)、継続戦争の交渉で昨日の同盟国ドイツとの戦争を余儀なくされる「ラップランド戦争」、また遡っては1917年にロシア革命が成りロマノフ王朝が倒れてスオミが「独立」した後、ロシアの息のかかった「赤衛軍」とマンネルヘイム将軍の率いる「白衛軍」との激しい独立のための内戦も戦った。

フィンエアーに乗りながら、白衛軍が赤衛軍の女性兵士を捕まえたり、赤衛軍の捕虜をじゃんじゃん処刑する陰惨な内戦時代の映画を見た。スオミ現地ではこの内戦の展示を戦争博物館で見た。スオミ人はこの内戦について酷く辛そうに語った。スオミ国民に尊敬されているマンネルヘイム元帥の評判まで落としかねなかったそうだ。

繰り返しになるがラップランド戦争直前に、マンネルヘイム元帥は、勲章を手にスオミに来たドイツのカイテル元帥に、リュティ・リッベントロップ協定は、リュティが大統領を辞任したので白紙になるとあからさまに伝えた。カイテルはこの直接的な物言いに度肝を抜かれたが、マンネルヘイムはドイツの軍人たちにも尊敬されていたので問題にはならなかった。しかし結局、継続戦争の和平をロシアと結ぶに当たり、以前の同盟国ドイツとラップランド戦争を戦うことになる。それでも、誕生祝いにスオミまで来てくれたヒトラーに、マンネルヘイムは大変丁寧な書簡を送ってフィンランドの立場を説明した(エピソード『ラップランド戦争』の「マンネルヘイム大統領のヒトラー総統への手紙」を参照)。ドイツ軍とフィンランド軍の間には、親しい関係が存在した。しかし、ユダヤ人迫害にほとんど加担していないのは、スヴェン・イルマリネンが既に述べている通りである(『フィンランド 武器なき国家防衛の歴史 なぜソ連の〈衛星国家〉とならなかったのか』三石善吉、明石書店、第4章参照)。

第二次世界大戦後、なぜスオミが、ほかの東欧諸国のポーランドやハンガリーやブルガリアや、バルト諸国のエストニアなどと違ってロシアの衛星国にならなかったかの理由は、ひとえに以下に示すケッコネン大統領やパーシキヴィ大統領の外交戦略による(マンネルヘイム元帥の戦争と講和の手腕によるところも大きい)。

1)東の隣国ロシアと友好関係を維持すること
2)しかしスオミの国の主権は譲り渡さない
3)戦争でなく外交でロシアに対するスオミの主権を維持する

具体的には、
⚫IMF国際通貨基金に加入。
ロシアとの関係が大きく改善されていたので、妨げにならなかった。
⚫NATO西側軍事同盟は、当然不参加。
⚫東側の軍事同盟ワルシャワ条約機構には不参加。
⚫国連にはスターリン没後の1955年に加盟。
と言った具合である。

それでもロシアは頻繁に内政干渉してきた。スオミはその都度できるかぎりの譲歩をしながら粘り強く外交を行い、占領や衛星国になる危機を回避した。

1960年9月3日のケッコネン大統領の60歳の誕生日にフルシチョフ第一書記と朝5時まで二人でサウナに入っていたり、1975年7月にはヘルシンキでの欧州安全保障協力会議終了後、レオニード・ブレジネフ書記長と、ジェラルド・R・フォード米大統領と三人で公邸でのサウナを楽しんだりしたケッコネンの「サウナ外交」は有名である。また、1978年にはロシアの国防省ドミトリー・ウスチノフとの温かいサウナ交渉でロシア側の合同軍事演習案を断ることができた。こうしてケッコネンによって「サウナ外交」が冷戦期におけるスオミの親ロシア外交の要石(かなめいし)となった。

スオミはロシアとだけてなく、世界のさまざまな国々と「サウナ外交」を展開して紛争解決など優れた業績を残し、2008年ノーベル平和賞を受賞したマルッティ・アハティサーリ国連特使も有名である。

世界各国のスオミ外交公館には必ず職員用・ゲスト用の二つのサウナが備えてあり、世界的に有名なのがワシントンDCにあるスオミ大使館のサウナ倶楽部である。日本の南麻布にあるスオミ大使館には二つのサウナがあり、日本人ゲストを招いてサウナを共にし、その後は食事をしながら親睦を深めている。

従って「フィンランド化」(ソ連の言いなりのスオミ国)は、間違った概念、誤った用語である。

それでも、2022年2月末ロシアがウクライナに全面侵攻すると、スオミはNATO加盟に舵を切り、2023年4月4日、スウェーデンに先立ちスオミは31番目の加盟国となった。

パーシキヴィ大統領とケッコネン大統領の1,340キロメートルを陸上国境で接するロシアとの「親ロシア外交」はもはやない。今後のスオミの国際政治から目が離せない。
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ムーミンも面白いし、フィンランドデザインや建築も素晴らしい。だが、できるだけ「熱い戦争」をせずに外交をしてきたマンネルヘイム大統領や(元々冬戦争の開戦に反対した)、パーシキヴィ大統領、ケッコネン大統領はスオミらしくて素晴らしい。

そしてやはり、冬戦争を戦い、領土を取られ、慎重果敢なマンネルヘイム元帥は「強国に追従することは、強国に逆らうのと同じぐらい危険である」の名言の通りロシアに追従することなく、失地回復を夢見て「継続戦争」を戦った。

ロシアとの戦いでは、老兵も若者もおびただしいスオミ人の命が奪われた。映画『ウィンター・ウォー』(冬戦争)、映画『アンノウン・ソルジャー』(継続戦争)では3分ごとにスオミ兵がロシアの攻撃でぼろ雑巾のように倒れ見るのが辛い。そして最後の防衛戦である映画『タリ・イハンタラ1944』(ドイツ軍の武器と協力を得て善戦、それでもスオミ兵の死体が累々と横たわる)では負けたものの善戦した。だからソ連に占領されなかったというのもあるだろう。絶対あると私は思う。

以下、マンネルヘイム元帥の言葉から。

(意見を求めてきたリュティ大統領へ語った言葉)

我が軍は健在だ。講和の機会は軍が作ってみせる。貴方は毅然と無条件降伏を拒絶してほしい。
大統領、気をしっかり持ってほしい。無条件降伏を受け入れれば、未来永劫我が国民は塗炭の苦しみを味わうことになる。絶対に受け入れてはならない。
(「まるちょん名言集」ウェブサイトより転載)

スオミ人の多くは、いま戦争になったら、国土を防衛する決意ができている。徴兵制もある。女性兵士もいる。やはりSISU(フィンランド魂)がある。だから私はスオミが好きだ。


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