第11話 ロシア料理店で

文字数 4,172文字

サンクトペテルブルク郊外の森の中にイヴァン・シーシキンのロシア料理店はあった。
しばらく夏の森を歩くと、そのログハウスの前に出た。可愛らしい赤い屋根と、玄関ポーチの周りの木の柵があって、地面からポーチへ中央に小さな木の階段があり、それを昇ると扉があって中の席へと続いていた。

イヴァンが木の扉を開けてスヴェンを中に招き入れると、中にあるたくさんの木の大きな机の席に、ぎっしりと村人たちが座っていた。その人数にスヴェンは驚いた。赤ら顔のロシア人、色の白いロシア人、背の高いロシア人、背の低いロシア人が狭い部屋の中に50人ぐらい集まっていた。ほとんどは男性だったが、可愛らしいスカーフをした女性もひとりいた。

「いつも俺の料理店に来てくれる村の人たちだよ」
とイヴァンは紹介した。
「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」
スヴェンは言って会釈した。

お客のロシア人たちの前には既に温かいボルシチ、ウハー、シャシリク(串焼き肉)が配られていて、ウォッカと一緒にもう楽しく飲んだり食べたりしていた。

その前に主賓のスヴェンと接待役のイヴァンの細長い木のテーブルがあり、二人はそこへ座った。そこにも同じ温かい料理が置かれていた。

「皆さん」
イヴァンは立ち上り、同じく起立したスヴェンのグラスにウォッカを並々と注ぎ、村の人たちに向かって言った。

「こちらは私の友人のスヴェン・イルマリネン氏であります」
ロシア人たちはみんな揃って拍手をした。
「イルマリネン氏のスオミ国とわがロシアは長らく交戦状態にありましたが、今や和平が成り、友好国となりました」
また拍手。
「戦争の終結を祝い、スオミ国のかつての敵を友として迎えることは、私の大きな喜びとするところです」
さらに盛大な拍手。
「スオミとロシアの友好を祝して、イルマリネン氏に乾杯の音頭をお願いしたいと思います」
割れるような拍手。
スヴェンは緊張したが、腹をくくった。彼は平和を心から喜んでいたし、素朴なロシアの人々を前にして心が熱くなった。
故郷のラウトヤルヴィには、スヴェンが小さいときからロシア人が買い物に来ていたので、スヴェンもロシア語ができた。

「シーシキンさん、皆さん」
スヴェンは腹の底から声を出した。
「元敵国の私に暖かい言葉と拍手をありがとうございます」
「私は戦争中、ロシアの兵隊を射殺する狙撃兵でした。たくさんの兵士を殺しました。あなたがたから見れば、罪深い犯罪人です」
「しかし交戦中、ロシアの高官を射殺した後、私は雪の中で道に迷っていました。その私の命をこちらのシーシキン氏のウハーが救ったのです」

ロシアの高官を俺たちはちっとも好きじゃないぜ! と村人たちの中から声が上がった。お偉方は俺たちを徴兵して戦争に送り込み、戦場にも十分な武器を与えないし、銃後の家族に豊かな食料も与えず戦わせたんだ。そして、捕虜になってから国に返されても犯罪人としてシベリア送りになった。あんたのやったのは、俺たちや俺たちの家族にとって良いことだったのさ。

スヴェンは沈痛な面持ちでその村人の言葉を噛みしめていた。もちろん辛い思いをしたのは両方の国の人々だった。

「スオミでも、強大なロシアの軍事力の前に、たくさんの兵士が、老いも若きも倒れました」
「しかし両国の政治家たちの外交努力により交渉が行われ、和平が成りました」

「先日私は、ロシア政府の許可を得て、キジ島の素晴らしい木造建築をシーシキン氏と共に鑑賞しました」
「ロシアはさまざまな民族から成る、長い歴史と文化を持つ素晴らしい国です」
「建築のみならず、シーシキン氏が作られるこのロシア料理も卓越した文化であります」

「スオミ国の歴史はロシアの歴史に長さと複雑さで及ばないかも知れませんが、カレワラなどの叙事詩や、森とみずうみに代表される美しい自然もあります」
「そのような素晴らしいロシアとスオミは、戦争ではなく、仲良くして、お互いの文化を心の底から味わうべきです。戦争でお互いの国の貴重な人命を失うのは、得策ではありません、それは絶大なる無駄であります!」

村人たちの大きな拍手。シーシキンもスヴェンが美しい顔を火照らせてロシア語で熱弁を振るうのを驚きを持って見詰めていた。そう、この元敵国の伝説の狙撃手は、すらりと高い背に強い体幹を持ち、鈍く光る金色の髪と水色の瞳を備え、トルストイのような白い上下の簡素な服をまとい、大変美しいことにシーシキンは今初めて気づいた。シーシキンは好きな女性がいなかった訳ではないが、結婚はなんだか面倒くさくて今の今まで独身だった。独りなのはスヴェンも同じだった。国で勲章までもらって、言いよる女性がいなかったとはシーシキンは思わなかった。とにかくこの端正で内気なスオミ人の中には、間違いなく熱い血潮がほとばしっていた。

「スオミとロシアの末永い友好を祈念して、ここに乾杯をしたいと思います」
スヴェンは前置きして、

「ロシアとスオミの平和と友好に乾杯!
Приветствую мир и дружбу между Россией и Суоми!」

とロシア語で叫んだ。

シーシキンと村人たちもスヴェンに唱和した。

シーシキンはスヴェンとグラスを打ち合わせ、手の届かない村人たちに向けて高くグラスを掲げた。

そして、村人たちはそれに答えてグラスを掲げ、自分たち同士でも打ち合わせた。

シーシキンも、そしてスヴェンも、村人たちも一気にウォッカのグラスを飲み干した。
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その場にいた赤いスカーフをしたただひとりの女性が立ち上がり、手にしていたロシアの野の花の花束をスヴェンに渡した。感激したスヴェンは、その女性をハグして、両側の頬にキスをした。色白で小柄の若い女性は頬を真っ赤に赤らめ、村人たちからはどよめきが起こった。

机の上に花束を置いたスヴェンに、村人たちが次から次へと飲めや食えやとウォッカや料理を持ってきた。

そのとき、突然料理店の扉が開いた。そして、大きな鮭を両手に持った熊が入ってきた。それは昔子グマのとき、シーシキンが助けた熊だった。熊は怪我を治してもらった恩義を忘れず、毎年お礼に魚や木の実を持ってくるのだった。それは料理店の客の村人たちにも知れていた。

「いつもすまないね」
とシーシキンは熊から立派な鮭をもらって優しく言った。
その後に子グマたちが、集めた木の実を木の皮に入れて持ってきた。
「おお、チビちゃんたちもありがとう」
とシーシキンは子グマたちに声を掛けた。

熊はおみやげを置いていくと、静かに扉から出ていき森に帰っていった。

スヴェンは密かに胸ポケットの拳銃に手をやっていたが、熊が友好的だったのですぐにそれを忘れた。
Калинка
カリンカ(ガマズミ属、セイヨウカンボク、写真)



Wikipediaより
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それから料理店の中では、二人の普通サイズの(巨大なのもある!末尾写真)バラライカ奏者、アコーディオン奏者も飛び出してロシア民謡「カリンカ」を演奏した。テーブルは隅に片付けられ、村人たちは指笛や足を激しく鳴らしながら、みんな、歌い、踊った。スヴェンにキスされた女性も、村人のひとりと踊った。

イヴァンは上手にロシア風に、スヴェンもイヴァンを見ながら見よう見まねで踊った。

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Калинка
カリンカ
Wikipediaより


Калинка, калинка, калинка моя!
В саду ягода малинка, малинка моя!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ

Ах, под сосною, под зеленою,
Спать положите вы меня!
Ай-люли, люли, ай-люли, люли,
Спать положите вы меня.

ああ!マツの根方に、緑色をしたその下に
私を横たわらせ眠らせておくれ
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
私を横たわらせ眠らせておくれ

Калинка, калинка, калинка моя!
В саду ягода малинка, малинка моя!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ

Ах, сосёнушка ты зелёная,
Не шуми же надо мной!
Ай-люли, люли, ай-люли, люли,
Не шуми же надо мной!

ああ!緑なす若いマツの木よ
私の上でざわめかないでおくれ
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
私の上でざわめかないでおくれ

Калинка, калинка, калинка моя!
В саду ягода малинка, малинка моя!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ

Ах, красавица, душа-девица,
Полюби же ты меня!
Ай-люли, люли, ай-люли, люли,
Полюби же ты меня!

ああ!美しい娘さんよ、若い娘心よ
どうか私を好きになっておくれ!
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
どうか私を好きになっておくれ!

Калинка, калинка, калинка моя!
В саду ягода малинка, малинка моя!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
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踊りながらイヴァンは、スヴェンに、スヴェンは娘さんではないが、若く美しいスヴェンに、

どうか私を好きになっておくれ!
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
どうか私を好きになっておくれ!

と願いながら、伝説の狙撃手スヴェン・イルマリネンと踊った。




Wikipediaより、バラライカ。


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