第8話 君の名は

文字数 1,989文字

 伊藤さんとの帰り道は、田中や加藤と帰るのとは全く違うリズムを刻む。駅までの道中の全てがまるで俺達を恋人同士のように彩っているように見えた。
「伊藤さん、西船橋だと何中だったの?」
「私は、印内中。」
「あっ、じゃあ、B組の渡辺君と一緒だね。」
「渡辺君のこと知っているの? 私は高校でコンタクトに変えたけど、渡辺君は高校から眼鏡かけていたから、凄く勉強したのかなぁ~って思っていたの。でもね、渡辺君とは中学では一回も一緒のクラスになったことがないから、実は良く知らないの。」
 俺は勿論、渡辺が眼鏡をかけ始めた本当の理由を知っていた。しかし、彼の名誉のために、知らぬふりをすることにした。
「そうか。渡辺、中学では、メガネっ子じゃなかったのか!」
「中村君は、SAUではどの曲が一番好き?」
「そうだなぁ…… 一番好きなのは、“いつか見た夕陽”かな」
「えっ、本当、私も!私も! いいよね。 私、実は春休みに高校入学祝で姉とSAUのライブツアー行った時に、アンコールでもう1回歌ってくれたの。」
 伊藤さんの目は輝き、彼女の声は春風に乗って俺の心を揺さぶってきた。
「いいなぁ、俺も行きたかったな。じゃあ、クリアファイルはその時の?」
「そう! 私ね、双子なの。でも、双子と言っても二卵性だから、顔とか性格は全然似ていないのだけど、音楽の趣味は一緒でね。高校入学記念で、一緒に行ってきたの! そうだ、もし、良かったら、ライブDVD買ったから貸してあげようか?」
「えっ、悪いよ。そんな。」
 本音を言うと、正に喉から手が出るほど、とてつもなく借りたい自分がいた。
「大丈夫、私達、もうどの曲が何分から始まると言えるぐらい見たから。それにSAU自身を知らない人も多いから、同じ音楽を好きな人がいて、今、凄~く嬉しいの!!」
 その時だった、ふと誰かに見られているような(あや)しい視線を感じた。周りを見渡したが、誰もいなかった。そして、伊藤さんは、西船橋に着くと、
「じゃあ、また来週!」 と言ってニコッと笑って電車から降りて行った。
 たとえ異性でも、好きなものが一緒だと、何か物凄く親近感が湧く。俺は、まさにスキップを覚え始めた少女のようなランランとした気持ちで風呂から上がり、グループチャットを見た。すると、 
「えっ、なんだ、これ。」
 そこには俺と伊藤さんの写真がスクープ映像というタイトルで貼られていた。そして、俺が既読になったのを見て早速チャットがざわつき始めた。
渡 「浮気現場 発見」
田 「スマホ忘れたとか、下手な嘘をついて」
山 「中村君、足は速くなくても、手は速いのですね……」
とメッセージが続々と入った。
中 「待て、聞いてくれ、スマホを忘れたのは本当だ!」
山 「本当かなぁ? で、誰よ」
田 「そうだよ、誰だよ」
中 「いや、田中、伊藤さん。伊藤侑香さん。ほら、同じクラスの」
渡 「俺、同じ中学だったけど、小川さんとはタイプが違うよなぁ」
山 「女性の守備範囲は、広いのだね~」
田 「いや、待て、伊藤さん えっ、居る? こんな子!!」
渡 「田中、そこじゃねぇだろ」
田 「知らねぇぞ、俺、この子」
中 「いるって、月曜みてみろよ!」
田 「いや、居ないって」
 俺は、スマホを取りに行って、偶然、伊藤さんと会い、好きなバントが同じだったので、もっと話がしたくて、たまたま一緒に帰ったことを皆に告げた。

 月曜日、偶然、船橋駅で会った田中と渡辺の3人で学校に向かっていた。山ちゃんは、両親が共働きで、弟が私立の中学に行っており、家族みんなで同じ時間に家を出るらしく、俺達よりかなり早く学校に来ているらしい。
「あっ、中村君」
 振り向くと伊藤さんが微笑んでいた。
「おはよう。」
「おはよう。金曜日話したライブDVD持ってきたの。」
「あっ、渡辺君おはよう」
 田中がちょっと威圧的に「おはよう」と声をかけると、伊藤さんは少し気まずそうに
「中村君、バドミントン部の子?」
(ささや)くように俺に尋ねてきた。 俺と渡辺は、そこに何とも言えない空気が流れているのを感じた。渡辺は、笑いをこらえるのに必死で、顔を下に向けて答えようとしない。仕方なく俺が
「あっ、あの、えっと、同じクラス。同じクラスの田中君」
「えっ!?」
 伊藤さんは、顔を真っ赤にして、気まずそうに小走りで行ってしまった。そして、ある程度の距離を取ってから、振り向いて
「あっ、中村君、DVDを返すのはいつでもいいからね。」と言って、去っていった。
 早速、渡辺はグループチャットに書きこんでいた。
渡 「田中こそ、伊藤さんに認識されておらず W」
山 「えっ、さんざん自分は知らないと言っていたのに」
 俺は、自分たちがそんなに目立つわけではなく、周囲の認知度が高い訳では無いことを再認識しなければならないと感じた。そして、田中は自分のことは棚に上げて物事を言うタイプだということを知った。
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