第11話 ないものねだり

文字数 2,822文字

夏の光が、カーテンを閉め切っていても強烈に体育館のフロアを焼きつける。空気は熱を帯び、息をするだけで肺がまるで火傷をしてしまいそうだ。そう、夏休みは、俺達バドミントン部にとって体育館を全面使えるというチャンスであった。一方、シャトルが風の影響を受けるので、体育館の窓を閉め切って練習するという地獄の我慢大会でもあった。
 俺たちは、熱中症対策もあり朝一番で体育館に集い、シャトルを追いかける。そして、練習後は部室棟の陰で時を忘れるようにボーっとする。それが俺達の夏休みのルーチンになっていた。
俺は、高校生の夏休みにやりたいことがあった。それは俺にとって未踏の領域である「デート」という奴だ。伊藤侑香さんとのSNSでのやり取りは、日常の小さな潤いであるものの、その関係をもう一歩進めたいという思いが、俺の中でじわりじわりと湧き上がってきていたのだ。
「あのさぁ、ちょっと、みんなの意見が聞きたいのだけど。」
「どうした、改まって。」と田中が話に乗ってきてくれた。
「俺さぁ、夏休みの間に伊藤さんと二人でどこかに出かけようかと思って、彼女を誘ってみようと思うのだけど……」
と言うと、間髪を入れずに田中が答えた。
「ん、つまり、それは、伊藤さんとデートをしたいと言っているのか?」
「伊藤さん?? お前、小川と付き合っているじゃないか? 伊藤さんってあの伊藤美羽か?」
 珍しく佐川が話に入ってきた。佐川は、G組からバドミントン部に入った二人のうちの一人で、中学時代はサッカー部でゴールキーパーだったらしい。ところが、意気揚々とサッカー部の練習に行ったら、ジュニアユース出身のキーパーが2人も居て、ここで戦うのは厳しいと感じたらしい。ただ、佐川は背が百八十センチを越えており、体もごつくて、顔もどちらかというと強面(こわもて)な感じ、声もおっさんのように低いから、俺達「普通」のメンバーの中では異質な存在だった。
「佐川、俺と小川は単に小学校から一緒というだけで、付き合っていないからな。それと、俺が言っている伊藤さんは、D組にいる伊藤侑香さんという子で、俺と音楽の趣味が一緒の子だ。」
 すると、田中がかなり神妙な顔で、
「お前、伊藤さんのこと好きなのか? もしかして、単にデートがしたいだけじゃないのか? それに……彼女を誘って、万一失敗した時のこともちゃんと考えているのか?」
田中にしては、ド正論のことを言ってきた。そして俺の表情を見て、
「やっぱり、そうか…… まあ、俺達に聞く時点でちゃんと考えていないよな! そうそう、これは、田村先輩に聞いた話だけど…… お前の様に一年の夏休みにデートに誘ったはいいが、上手くいかずに、夏休み後に妙な雰囲気になっている男女がクラスには必ず出てくるらしいぞ。」
確かに……俺達のSNSとのやり取りは、あくまでもSAUとクラスの話題が中心だった。仮にデートに誘ったとしても断られる可能性があることをちゃんと考えていなかった。
そして、田中がマウントを取ったかの如く話を続けた。
「それにな、俺達は普段“制服”という防具に守られていることを忘れているだろ!」
「えっ、制服って防具なんか?」と山ちゃんもようやく俺達の会話に入ってきた。
「そうだ、俺から言わせれば、制服は防具だ。俺達がナベのアドバイスでららぽーとに行った時、結局、眼鏡以外のアイテムがないことに気付いたのは、俺達は普段、“制服”という防具に包まれているからだ。そして、夏休みにデートに行くということ、それは防具を外して試合に臨む剣士やアメフト選手のようなものだ。中村、お前は自分の私服に自信があるのか? それだけじゃない、お前だって、伊藤さんの私服を見て()えてしまうこともあるのだぞ。」
「聞いたことある。蛙化現象ってやつだよな。確かにあり得るよな! ただ、俺はさぁ、田中とは違う観点だけど……」
と山ちゃんが語りだした。
「俺、実は、漫画よりも小説を読むのが大好きでさ。まあ、俺自身は恋愛経験がないのだけど。俺達のような友人って、性格や趣味、同じ部活とか、“同じ”ということでつながっているじゃん。それに対して、小説の中では恋愛って相手に対して自分に無いものを求めるように表現されているのだ。つまり、小説の世界での恋愛は“ないものねだり”なんだよ。今まで聞いていると、中村と伊藤さんって同じバンドが好きという“同じ”ということでつながっているように聞こえる。中村は、伊藤さんに求めるモノって異性以外にあるのか?」
 はっと、気付かされた。確かに伊藤さんは、小川と違っておっとりとしているが、俺もどちらかというとそんなにガヤガヤ(うるさ)いタイプでもない
 そして、更にナベが、
「山ちゃんの言っていること何となくわかるなぁ。俺さ、赤坂学院大に通っている4つ上の姉がいて、俺が言うのも何だけど、姉ちゃんは結構もててさ。背が高くてやせ型でモデルのようだとよく言われている…… でも、そんな姉ちゃんが付き合う男って、佐川みたいなちょっと(いか)つい感じの人が多くて…… 俺、不思議に思って、姉ちゃんに聞いたのさ、「なんで、姉ちゃんはちょっとマッチョ系というか、強そうなのがいいの?」と、そうしたら、姉ちゃんが「やっぱり、異性には、自分に無いものを持っていて欲しい。」って、つまり、山ちゃんが言った通り”ないものねだり”なんだよ。」
 俺はみんなが言っていることが、とっても正しいように思えてきた。俺は、伊藤さんが「好き」というよりも単に高校生の夏の思い出にデート気分を味わいたかっただけなのじゃないかと。そして、彼女に断られた時のことや、夏休み明けの学校生活など全く考えていなかった。ちょっと、へこんでいる俺を見て、田中が励ましだした。
「ごめん、ごめん。ちょっと言いすぎたよ。まあ、こういう時は、三番館のラーメン食べて初心に帰ろうぜ!」
「そうだな、よし、ラーメン食いに行くか!」
 佐川が不思議そうな顔で、俺達に尋ねた。
「なんで、あそこに行くと初心に帰ることになるのだ。」
「その話はラーメンを食べてからな。あっ、ノミさんようやく起きたね。」
 もう一人のG組のバドミントン部、能見君ことノミさんは練習で疲れ切って爆睡していた。その日のラーメンの味はというと、相変わらず安定感のある“ごく普通のラーメン”であった。
 夏休みが終わり、伊藤さんからの「おはよう」が、まだまだ暑い九月の朝に清涼感を与えてくれた。俺は、彼女との何気ない会話で今は十分だと感じていた。
 結局、俺はトッピング・プロジェクトもデートのお誘いも、「初志貫徹」出来なかった。でも、それでいい、無理に変わる必要はない。だって、それが今まで築いてきた「普通の俺」なんだから。
 そして、ベッドに入りふと思った…… 俺にとっての「ないもの」って何だろう? 目を(つむ)ると小川の顔が浮かんだ。確かに、小川と俺は違う人種だけど…… 小川はちょっとそういう対象とは違うよな……
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