第2話 第13章

文字数 2,497文字

 それからマミと琴美は昼間の公園や夕方の買い物の際に時々すれ違い、一言二言交わす間柄となっていた。

 マミはこの性格上お母さん友達が多く、琴美もそんな中の一人であったが、琴美はその性格上誰と交わることもなく、マミがほぼ唯一の話し相手であった。
 そんな二人が会うと、どちらともなく相手の子供を抱く様になった、特に琴美が誠を抱くときには嬉しそうな笑顔が溢れるのをマミは微笑ましく眺め、
「ホントは男の子が欲しかったんじゃん?」
「ええ、まあ、いつかは」
「アタシもいつか女の子欲しいんだよね、ま、その前に相手いねえとだけど」
 悲しそうな笑顔を返す琴美である。

 真琴と誠、どちらもすくすくと育ち、まもなく一歳の誕生日を迎える頃。マミと琴美は家からやや離れた世田谷公園でお喋りをしていた。その日はどちらが誘う訳でもなく、梅雨明けの暑い日差しを避けたいと、木陰の多い公園に散歩に来たところバッタリと出くわしたのである。
「真琴ちゃん、マジでかわいいよね、アタシの周りの女の子の赤ちゃんの中ではダントツにかわいいよ。しかも良い服着せてんじゃん、いーなあ金持ち。」
 マミが真琴が着ている服をヒラヒラさせながら言うと、
「そんなことないわ。誠くんこそ、色白で、ハンサムじゃない」
 誠を愛おしそうに抱きながら琴美が呟く。

 大体二人の会話はマミが2喋って琴美が1呟く。もしくはマミが一方的に喋りまくるのを琴美が穏やかな笑顔で聞き入る、そんな感じだ。
 マミは数多いお母さん友達の中でも、琴美に一目置いている。それは病院の都市伝説のせいもあるが、彼女のちょっとした所作、特に子供に対する防衛本能に感服している。
 乳母車を押している時の目の動きが尋常じゃない。交差点、十字路、出入り口などでは何度も首振り確認をし、事実何度か目の前を通り過ぎる自転車との接触を避ける現場も目撃している。
 ビルの工事現場の下は決して歩かない。道路工事の側も必ず避ける。一方通行の道を何故か一方通行する。
「だって… 正面から車が突っ込んできたら、避けられない」
 凄い。なんて凄い女だろう。マミは琴美をちょっと尊敬している。街で見かけるとずっと目で追ってしまい、何なら後をつけてしまう。その結果琴美の防衛本能に気付いたのだった。
 ほぼストーキングである。で、実はその全てを琴美に気付かれていることは流石に知らない。

 琴美にしてみれば、実に厄介な相手である。つけられている! 緊張し周囲を警戒するとそこに必ずマミがいるのだから。
 初めは特に気にしなかったのだが、徐々に琴美の警戒心は上がっていく。自分の一挙手一投足を見られている! 現に、
「ねえ、琴美ちゃんてさあ、なんで一方通行の道路を逆に歩かないの? 歩行者じゃん、カンケーないじゃん?」
 そんな事まで監視されている!
 この春以降、琴美の心のアラームはオレンジに点灯している。

 そして、今日。アラームはレッドに点滅する。
「琴美ちゃん、知ってる? あの何ちゃらっていう新興宗教団体の話」
 琴美の脳内に警報音が鳴り響く。
「さあ。興味ないから」
 慎重に言葉を発したつもりであったが、マミの表情が強ばり、顔面が徐々に蒼白になっていくのを見て、天を仰ぐ。
 もうダメかもしれない。これ以上このままで居たら、悟られてしまうー

 琴美は用事を思い出したといい、名残惜しそうに誠を眺め、真琴を連れて公園を立ち去った。

 マミは全身汗だくであった。
 別に他意はなく、他の友人と時事ネタを話す感じで話を振ったのだが。
 琴美の顔がまるで能面の様になり、ドス黒いオーラが全身を覆っているように感じたのだ。この感じ、どこかで……
 ベンチで頭を抱え、必死で思い出すー そうだ、あの時と同じ感触…
 初めて誠一に会った時の、あの感じ!
 
 まるで生気のない目。人をモノとして見ているような目。無機質な目。そして背中を覆っている何とも言えない圧倒的な真っ黒のオーラ。
 その時の誠一と、さっきの琴美は全く同一であった。マミは脇の下に掌を入れると、汗がベットリとこびりついているのを感じ、軽く悲鳴をあげる。
 今まで深く考えまい、と決めてきたのだが、心を改め真剣に考えてみる。
 誠一は今どこにいるのか。店の人には親戚がどうのこうのと言って店を辞めたらしいが、両親は死別し親戚はいない、とマミは聞かされていた。
 あの5000万円はどうやって手に入れたのだろうか。少なくとも20歳前後の不幸な育ちの青年が所持できる金額では決してない。
 そもそも誠一はいつ三茶に来たんだっけ? 忘れもしない二年前の正月明け。じゃあそれまで何処にいたの? 本人曰く、池袋や新宿を転々としてた、と。
 どこで生まれたの? どんなふうに育ったの?

 …… 知らない。聞いたことはあるが、キチンとした答えをもらってない。
 マミの呼吸は荒くなり、滝のような汗が額に流れる。
 で? あの琴美? あの子、いつから三茶にいるんだっけ? 確か石川のバカ社長が新人の子に浮かれてるって噂が流れたのが… 二年前の…
『琴美ちゃん、三茶の前って、何処住んでたの?』
『池袋とか新大久保……』
『琴美ちゃんのお父さんやお母さん、孫見るの楽しみなんじゃん?』
『両親とは早くに死別しているから……』
『琴美ちゃんって実家どこ?』
『生まれてすぐに施設を転々としたので…』

 マミは汗まみれで震えが止まらない手で誠を抱き締めながら、恐ろしい仮説に辿り着いてしまった自分を呪った。
 そんなはず、ないじゃん!
 まさか、誠一くんが…
 まさか、琴美ちゃんが…

 その恐ろしい考えを忘れようと、誠を乳母車に乗せ、ヨロヨロと公園を後にする。
 不意に先程の公園のベンチでのシーンが蘇る。我が子を抱く時の表情、そして誠を抱く時の…
 マミは玉川通りの三宿交差点の信号待ちで、思わずしゃがみ込んでしまった。
 バー黒船でサキと飲んでいた時に漠然と思い浮かべた予感― 琴美ちゃんは誠一くんを知っていたのでは?

 その予感は半分だけ正解だったのだ。
 琴美と誠一
 なんちゃらっていう新興宗教団体
 若い男女のヒットマン

 そのままマミは意識が遠のいていった。
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