第4話 第3章

文字数 2,285文字

「それじゃあ孝、お盆はそう言うことでよろしくね」
 かつてない程の上機嫌で母の良子が孝に微笑む。
「お母様、私も久しぶりのハワイ、楽しみですわ。それに孝一にとって初めての海外。ああなんて楽しみなんでしょう」

 去年の事件以来、久しぶりの妻の笑顔。
 一人浮かない顔の孝は大きく溜息を吐き出す。どうせなら真琴も連れていってくれよ、心ではそう叫んでいるのだが、間違っても口には出せない。
 
 夏に入って、真琴が妻と母とちゃんと話をしているのを見たことがない。生きていく上で仕方なく、起きなさい、ご飯ですよ、お風呂に入りなさい、もう寝なさい、なんて声は聞くのだが、それ以上の所謂会話をしているのを見たことがない。
 だいぶ前、事件の直後くらいに虎男から聞いた話―
 ミカが真琴の首を絞め海に突き落としたー
 恐れてはいたが、まさか本当にそんなことをするなんて… いくら血が通っていないとはいえ、三歳の子供の首を締めて、海に突き落とすとは…

 自分一人では消化できなく、その話を母にすると、
「あら残念。そのまま死んじゃえばよかったのに。」
 と平然と言う母に恐れ慄いた。
 真琴は俺の血が半分入った、実の娘なんだ!
 そう怒鳴ろうとして、思い止まった。
 何を言ってもこの母には無駄だ。俺よりもミカの方を信用し信頼している。

 あの日も玄関のチャイムが鳴り、慌てて出ていくと真琴が一人ポツンと立っていて、どうしたのか聞くと海に落ちて男の人に助けてもらって、ここまで送ってくれた、と話す真琴に、
「ちょっと、お母さんはどうしたの? コウちゃんはどうしたの?」
 とそっちの心配をする始末。
 真琴を幼稚園でなく保育園に入れるのも母親と妻が決め、入園以降一切の行事関連は孝に押し付けている。

「ああ、いいよ。楽しんでおいでよ」
 心にもない事を言い、
「虎と呑んでくるよ」
 と言って家を出た。
 ああ、本当に真琴も連れていってくれたなら、毎日虎と飲み歩けるのに。毎日違う女を紹介してもらって、よろしくヤレるのに。
 だが、間違って真琴を一緒に連れていったらー今度こそハワイで真琴は行方不明となるだろう。孝はブルっと体が震え、首をふってその考えを否定した。
 親子水入らずってか、まあどこかディズニーランドにでも連れて行ってやるかな。
 
 久しぶりにバー黒船の暖簾を潜ると、いつもの呑んだくれ娘のマミとサキがいた。
「その後、キチガイ女の具合はどお? 真琴ちゃんは変なことされてないわよね?」
 サキが孝を殺しそうな視線で問い詰める。
「ああ、今度お袋とハワイに行くってさ。真琴は俺とお留守番だ。」
 マミが恐る恐る、
「真琴ちゃん、幼稚園どこ行ってんの?」
「あ、ウチは保育園。カモシカ保育園。」
「うわっ あの北朝鮮保育園!」
 それからサキが散々保育園の悪口をかました後、
「で、キチガイ女働いてねーのに、なんで保育園なんだよ?」
 孝は首を振りながら、
「保育園なら朝から晩まで世話してくれるだろ。だからじゃないかな」
 マミはフーと息を吐き出しながら、
「ウチの誠がさ。真琴ちゃんに会いたがってんだよ。保育園じゃ夜までいんだろ? だから最近公園で全然会えねえんだよな。なあ、何とかならんかバカ社長?」
 伝説の元ヤン女に迫られ、ちょっとビビった孝だが、
「お盆の時期、アイツらハワイ行く時期なら、大丈夫だよ」
マミはダンと立ち上がり、
「マジで? うわあ、誠喜ぶわー」

 ここで孝の悪知恵が作動する。ん、これって上手く行けば…
「そう言えば真琴も誠くんと会いたがっていたよ。良かったらお泊まり保育してくれない? なんちゃって〜」
「おおお、それいいじゃん! いいぜいいぜ、真琴ちゃんお泊まりしに来いよ! ただし、キチガイ女とクソババアには内緒で、な!」
 あああ、俺って天才? 神様、ありがとう! これで虎と! イケイケ女子と!

「ハア? 何それ。ま、私はいいけど。あなたちゃんと責任持ってやんなさいよ。それと、絶対あの後妻と母親にバレないように。家から外に出すんじゃないよ、いい?」
 貴子が面倒くさそうに吐き捨てる。でも拒否はしない、なんだかんだで真琴に同情しているのだろう。
「マコちゃんには黙っておきなさいよ。でないともしダメになったら、マコちゃんショックで立ち直れなくなるわよ」
 やはり孫第一なんだなアンタって。

 マミは軽く吹き出しながら、あいよっと返事をする。
 …ああ、成る程。誠が母譲りの汚い言葉を話さないのは、祖母のちゃんとした口調を真似ているからなのだ!
「それにしてもマコちゃんは毎日毎日真っ黒になるまで遊んで。ちょっとはお勉強とかさせなさいよ、でないとあなたみたいになっちゃうわよ」
 マミは誠が自分の様に特攻服を着て国道246を爆走する姿を想像し、恐怖した。
「いやっ それは… ダメだ、絶対、ダメ!」
「でしょ。あなた最近読み聞かせもしてないし。このままだと運動バカか、アンタみたいなヤンキーバカになっちゃうわよ。」
「や、やば… どーしよ…」
 貴子はハーと大きく溜息をついて、
「今度、いい幼児教室の話、お客さんに聞いといてあげる。あなたの周りのバカ主婦友達じゃそんな話でないでしょうから。」
 すみません、その通りっす… マミは母に頭を下げた。
「で。真琴ちゃん来た時はあなたが夕飯作りなさいよ、こっちの仕事来なくていいから」

 なんだかんだでよおく考えると、この母も何気に娘に甘々ではないだろうか。まあそれはさておき、母がそう言ってくれたので頭を下げ感謝の意を表し、マミは孝から聞いた真琴の好物である唐揚げの味付けがウチと違わないか、ちょっと心配になった。
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