第2話 第7章

文字数 1,451文字

「あんた。『スナック雅』んとこのマミちゃん、知ってるよねえ」

 冷徹な母の声に孝はブルっと震える。
「ああ、あのヤンキーだろ。知ってる知ってる」
 知ってるどころか。俺は知ってるぞ、ウチの親父がスナック雅の貴子ママに言い寄って、そんでアンタが店に怒鳴り込みに押し入って、警察呼ばれて大騒ぎになったじゃねえかよ…
 孝が深いため息を吐きながら、真琴を優しくあやす。
「マミちゃん、こないだ男の子産んだんだってさ、」
「へー。」
 そんなの知ったこっちゃねえわ。そんなことより真琴が可愛くて仕方ない。孝は幸せの絶頂にいる。

「だけどさ、旦那が赤ちゃん一目見てから、失踪したんだってさ。ざまあみろってんだ。」
「ふーん。」
「しかもさ、その赤ん坊が未熟児でさ、こないだやっと退院したんだってさ。人の夫に色目使うクソ女にやっとバチが当たったってか。出来損ないの娘に未熟児の孫って。」
 孝が良子に振り返り、
「未熟児って… なんか障害とかなきゃいいね。」
 五体満足、健康そのものの真琴を見つめ、孝が呟いた。
「知らないね。それよりさ、また警察来たよ、夕方。」
 ビクっと身体を動かした琴美に孝も良子も気づかない。
「ああ、またか。アレだろ、若い男女二人組、部屋借りてないかってやつだろ?」
「そうそう。一体それがなんだって言うんだろ。」
「聞いても教えてくれないんだろ?」
「そうなんだよ。ちょいと教えてくれてもいいのにさ。」
「俺、去年聞いたんだけどさ、」
 
 真琴を琴美に預け、孝は良子の前にやってきて、
「去年? 一昨年? あったじゃん、なんとか真理教が色々やらかして警察に突っ込まれたって事件」
「ああ、あったあった。日本のあちこちで毒ガスばら撒いたって事件ね。」
 琴美が真琴を守るように抱くのに、やはり二人は気付いていない。
「そのなんちゃら教団にさ、特殊部隊みたいなのがあって、そこの暗殺部隊みたいなのが色々事件起こしてたんだって。」
「それ週刊誌で読んだよ。でもそれホントなのかい? なんか高校生くらいの子供がやったとか書いてあったけどさ」
「若林組の虎が言ってたんだけどさ、」
「ああ、あのチンピラ。で?」
「そのヒットマン? って、若い男女二人組だったんだってさ」

 突如、真琴が大声で泣き出した。
 孝は慌てて椅子から立ち上がり、ソファーに座る琴美と真琴の元へ行き、
「どうちたの、真琴ちゃーん、あれ、オムツかな? おっぱいかな?」
 予想を遥かにぶっちぎる子煩悩ぶりに、良子は呆れつつも嬉しそうな笑顔で夕飯の支度にかかるのであった。

 この子が誠一との子であったなら
 真琴を産んで以来、琴美がそう思わない日は無かった。
 母としての本能により、真琴に対してそれなりの愛情を感じる琴美であるが、誠一の面影を全く感じさせない安らかな我が子の笑顔に、全ての愛を捧げることは到底できなかった。
 ただ、誠一と別れて以来、ポッカリと開いた心の穴は、真琴が塞いでくれていると感じている。これまで孝に対して繕いの笑顔しか見せなかったものだったが、真琴を産んで以来、心からの笑顔を孝に対して向けられるようになったからだ。

 誠一と離れ離れになり、一年半が過ぎた。誠一のいない生活にそれなりに慣れてきている。それでも未だに、誰もが寝静まった夜に目が覚めると、誠一の温かい胸が恋しくなり、その代わりに孝の胸にそっと顔を埋め深く目を閉じる。

 あとどれくらい、耐えられるだろうか。

 誠一のいない自分に、あとどれくらい我慢することができるのであろうか。

 今夜も眠れぬ夜と、なりそうだ。
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