1.読心術

文字数 6,074文字

 あの日の朝。いつもと違って、先生がやってきても教室のざわめきは収まらなかった。
 というのも、見慣れぬブレザーの制服を着た男子生徒が、担任教師のあとから続いて入ってきたのだった。ちょっとした異分子にみな落ち着きがない。
 女子が「誰?」「かっこよくない?」「留学生?」「どう見ても日本人でしょう」と、ささやき合っているのが聞こえた。ちょっぴり声が弾んでいるのがなんだか悔しい。格好良くゆるめたネクタイをきちっと締め直してやりたいくらいだった。
 この辺の中学生はみんな学ランだから、私立の中学か、もっと遠いところからやってきたのだろう。9月ももう終わりという中途半端な時期に転校してくるのはめずらしかった。

 荻原(おぎわら)(かける)

 担任は黒板にそう書いて彼を紹介した。
 それでも教室内が静かにならなかったのは、彼のたぐいまれなるその容姿にあった。背が高く、すらっとしていて、流行りのスイーツ映画に登場しそうな、今風の美少年顔。同い年と思えぬほどの落ち着きがありながら、田舎町には滅多にいないあか抜けた印象もある。壁ドンでもされたら間違いなく惚れてしまうだろうが、なにもしゃべらなくても彼は女子の心を惹きつけていた。そして、なにもしゃべらなくても男子からの反感をかってしまったのである。
 罪深い男ってのはこういうことを言うんだなぁと、ぼくはみょうに感心してしまった。顔見知りの男子に、学生服を着ているだけでおしゃれだと思えるような男はいない。
「荻原翔です」
 名を名乗って軽く頭を下げるだけの自己紹介。女子の黄色い囁きにもどこ吹く風。男前が板に付いた荻原は、やっぱりぼくら男子からしてみれば気に入らない存在だった。
 ともかく、話をすることが苦手なぼくは一度も荻原と言葉を交わしたことがなかった。
 一ヶ月ほど経って、荻原に関して聞き捨てならないみょうなウワサを耳にしたのである。

「なぁ、荻原のこと、聞いたか?」
 給食の時間、なんの脈略もなく、熱い男、金成がいった。すでにトレイの上の食事をすべて平らげ、牛乳パックにストローを突きさしているところだった。
 金成は野球部員であるが、部活動以外のところでも情熱のかたまりで動いている。
 たとえば体育祭。中学生のぼくらにとって、炎天下の体育祭は楽しいなんてものではなく、自分の色の団長が優勝旗をもらっているときでさえ、早く終わってくれと思っていた。みんな疲れ切り、体育祭から解放されたことにホッとしているほどだったというのに、ぼくの隣にいる子供じみた友人、金成は優勝のうれしさのあまりボロボロに泣いていた。
 大衆の中で一番最初に拍手する人をぼくは初めて目撃した。そう、金成だ。ただでさえデカイのに、応援団員でクラスの先頭に立っていた金成はかなり目立っていた。キャッチャーミットの下で鍛え上げられた分厚い手のひらで、勢いよく叩きはじめれば、誰からともなく拍手がわき起こった。
 存外、熱い男なのだ。
 いや、熱い男でなけりゃ、野球部なんてやってられないとぼくは思っている。青春の一ページに収めておきたいだけなのなら、あんなハードな練習はこなせそうになかった。
 なのに、正反対の優男、荻原に関心を寄せるのは意外ではあった。
「荻原のやつ、透視ができるとかぬかしてるらしい」
「そうなの? ぼく、荻原と親しくないし、よくわかんないけど」
 といってぼくは食パンにジャムを塗りたくった。給食の時間は短いからさっさと食べなきゃならない。
「オレだって親しくないよ」
「まぁ、そうだけど。透視ってのは封筒の中の文字が読めるとか、そういうこと?」
 金成は牛乳を吸い込みながらうなずいた。吸うというより、パックを握りつぶして押し出しているようにも見え、あっという間に紙パックが鉄くずみたいにくしゃくしゃになった。
「そうそう、テレビでよくやってるようなあれだよ」
「透視っていうか、それ、手品じゃないの?」
「あたりまえだろう。透視なんて本当にできるわけがない。ウラがあるに決まってる。チヤホヤされていい気になってんだよ」
 とげとげしい悪意のある言い方だが、金成は本人の前でも平然という。当然ケンカも多くなるが、金成なりの正義の基準が、ぼくは嫌いではなかった。
「いい気になってるかは知らないけど、確かに、モテすぎだよね」
「だから、いい気になってマジックなんかやってるんだって」
 金成が強く断言すると、「そんなことないんじゃない?」と、目の前に座る吹雪さんが遠慮気味に口を挟んだ。
「透視っていうの、ウソじゃないと思う」
 なんだか、吹雪さんらしくないと思った。吹雪さんはぼくよりもずっとおっとりとしているが、班員をまとめるだけの信頼があるしっかり者だ。理知的なイメージのある彼女が透視を信じるなんて意外だった。
 金成はうんざりとした調子でいった。
「女子は暗示にかかりやすいんだよ。マジックってのは心理操作だって聞いたことがあるぜ?」
「試してもないくせに」
「じゃあ、どんなことをやったっていうんだよ」
「わたしも、詳しくは知らないけど……。だけど、荻原くんはいい気になんかなってないと思う」
 ああ、そうなのか。本当は透視かマジックかなんてのはどうでもよくて、「いい気になってる」ってのが引っかかったわけだ。
 吹雪さんは色が白くてかわいらしい子だ。体育祭の時は肌が焼け、ほほが赤くなっているのを見て、こっちがドキドキしてしまうほどだったが、今ではさわれば溶けてしまいそうなほど白い肌に戻っていた。それがまた、ほほを紅潮させて荻原をかばうのだ。
 そして、周りの女子達も同調して、そうよ、言いがかりよね、なんていっている。
「なぁんだよ。ムキになって。なぁ?」
 金成に問いかけられて、つい「そうだよ」と同意してしまった。吹雪さんがムッとしてくれたらまだ良かったのだけど、寂しそうな表情するから、ぼくも悲しくなってしまった。透視能力のないぼくにだってそれぐらいのことはわかる。吹雪さんは荻原に気があるってことが。

 どんなネットワークになっているのか、次の昼休み時間、ぼくらは大勢の女子に囲まれ、矢継ぎ早に責めたてられた。
「荻原くんのこと、意地悪しようとしてるでしょ」
「ホントなんだから」
「見てないからそういうこというのよ」
 かつてないほどぼくの周りに女子が集まったはいいが、どの目も友好的ではなかった。荻原よりぼくのほうが長いつきあいなのにひどい扱いだ、と思いつつ、金成が「荻原教団」といっていたのを思い出して納得していた。荻原教祖にマインドコントロールされる女子……。
「ちょっと、きいてるの!」
 ぼくはビクッとしながら、遠巻きに見ている吹雪さんを見やり、
「だって、ぼく、見てないんだもん。だから見せてくれたら――」
「なにいってんの。そのつもりよ」
 と、一番近くにいた体の大きな女子に腕をガッチリつかまれ、ぼくは引きずられるように荻原のいるところへ連れていかされた。さすがに、金成にはにらみを効かせただけだったが、金成は不平を言わずに集団にくっついてきた。
 荻原は窓際の一番後ろという特等席で、ひとりぼんやりとグラウンドを見下ろしていた。ひとりでぽつんとしていたって、悲壮感もなく堂に入ったいい男だ。なにも突拍子もないことをやり出さなくたって、充分注目を浴びれる人なのに。どうしてこんなにウソ臭いことをやったりするんだろうか。
 金成はずかずかと大きな図体を揺さぶり、荻原の前に立ちはだかると、まずはあいさつ代わりにガツンといった。
「男子には能力が発揮できないってわけじゃないよな?」
 なにに怒っているのか相手に通じてないみたいだが、胸ぐらをつかまなかったのは上出来だ。
 包み隠さない敵意で挑む金成に対し、荻原は臆することなく口を開いた。
「オレのことを信用してくれる人の方がやりやすいことは確かだけど」
「どういう意味だよ」
 それには答えずに荻原は、
「斎木――だっけ?」
 と、ぼくに聞くのでうなずいた。一ヶ月もいてまだうろ覚えかよ、というのはもちろん心の声だ。目立たなくて、一度も言葉を交わしたことがなかったぼくを知っていただけでも、まぁ、とりあえずは恥ずかしい思いをせずに済んだ。「ええと、きみは誰だっけ?」なんて女子の前でいわれたら、ぼくはもうそれだけで心が折れてしまうだろう。
「じゃあ、斎木は好きな色を思い浮かべて。オレがそれを当てる。で、金成はオレが妙なマネをしないか見ている。それでどう?」
「……あ?」
 あまりの手際の良さに金成は一瞬放心状態だったが取り直し、「オレも斎木も節穴じゃねぇぞ。女子と違って、失敗したってお前のことかばったりはしないからな」と、毅然と振る舞った。
「それはありがたい」
 荻原は意味ありげな笑みを浮かべて立ち上がると、ぼくを頭一個上から見下ろした。スマートなせいか、大きいというイメージはない。デカさでいったら、キャッチャーをしている金成だって負けちゃいなかった。三年が引退した今は主将だって務めている。醤油せんべいみたいな顔をしているから女子には全然モテないが、男気はあるのだ。ケンカだったら荻原に勝てそうだけど、女子はケンカでの決着を望んでいなかった。荻原の鼻をあかして女子を幻滅させるにはイカサマを見破るしかない。
 なんだか、ラスベガスにいるプロのディーラーと、全財産をすられたケチな客みたいで、全然カッコよくはないが、逆転劇が待っているのなら気持ちいいかもしれない。
「さて」と、荻原はどこか余裕で息をついた。そんなに自信ありげだとこちらが戸惑ってしまう。言いがかりをつけたぼくらが必死になって荻原の嘘を探しているような、本末転倒な成り行き。金成のほうを見ると、無理に眉間にしわを寄せていた。それは金成がいうところの「最上級の威圧顔」だった。当然ながら、荻原はひるまない。
「好きな色、思い浮かべた?」
 一ミクロンの嘘もなさそうなすずしい顔つきに、ぼくはなぜだか意地悪をしてやろうという考えがよぎった。そして、善人の振りをしてみんなの前で「思い浮かべたよ」といったのである。
「思い浮かべた色を、書いておかなくちゃいけないね」
 紙の切れ端か机の上にでも書いておこうかと、ペンを探していたら荻原は「いや、いいんだよ」といった。
「書かなくていいって、どういうこと?」
「これはテレビのショーじゃないってこと。紙に書くのは見ている人にもわかりやすいために書くんだろ? 心の中を透視するんだから、本当は紙に書く必要はないじゃんか。かえって紙に書く方がトリックだって、あとでいわれるんだ。だけど、正直に答えてくれなきゃ困るよ。オレは斎木を信用しているからこれをやるんだからね。当たったか当たってないか、本当のことは斎木にしかわからない。透視っていうのはそういうもんなんだ」
 ぼくは意味がわからず金成を見上げた。とりあえず、ヤツのやりたいようにやらせてみようじゃないかというように、金成は小さく何度かうなずいた。
 荻原に向き直るとすでにぼくを凝視していた。一瞬おののくぼくを、荻原はまっすぐに、貫き通すような目で見ていた。こんなにも目の力を感じたことはない。無意識に視線をそむけると「そらさないで」と荻原は早口にいった。再び目が合うとぼくは緊張して生唾を飲み込んだ。
「もっともっと、強くその色をイメージして。その色が使われている物や動物を思い浮かべれば、楽だと思う」
 荻原はもっともらしく右の手のひらを広げると、指先をぼくのこめかみに触れるくらい近づけた。目は閉じずにぼくの瞳を見ている。逃げたくなるのを、ぼくはジッと我慢していた。
 突然、荻原の目が大きく見開いた。そして、何かいけない物を見てしまったかのように、怯えと驚きの入り交じった表情を見せたのである。
「大丈夫?」
 ぼくが問いかけると荻原はハッとして、すぐに落ち着き払っていった。
「ああ、なんでもない。見えてきたんだ」
 ゆっくり目を閉じて、再び開いたときには、揺らぎようのない自信を持つ荻原に戻っていた。いぶかしげなぼくになんかかまわずに、ゲームを続ける。
「斎木の、好きな色は――」
 たっぷりと間を持たせる荻原は、にくいほどにエンターテイナーだった。ぼくも金成も取り巻きの女子も、誰もが息を呑んでその時を待っている。
 荻原は満を持して言い切った。
「青だろう?」
「えっ――」
 違う、青じゃない。ぼくは言葉に詰まってしまった。あんだけうさんくさいといっておきながら、どういうわけか、当たりそうな気がしていたのである。
「あれ? 違った?」
 荻原はあっけらかんと、焦りもしないでもう一度聞いてきた。
「好きな色、青じゃなかった?」
「……好きな、色?」
 言葉のニュアンスに引っかかりがあって問い返す。
「そう、好きな色って言わなかったっけ?」
「……ああ、なんだ。そういう意味だったのか」
 見事に担がれたような気がして笑ってしまった。
「好きな色ね。それだったら、青で間違いないよ。けど──それってずるくない?」
「ずるいかどうかは斎木が判断してよ」
 ぼくが判断する──か。
 確かに、ぼくの好きな色は青には違いないが。
「なんだかなぁ」金成は不服そうにいった。「男だったら大抵は青が好きだし、やっぱり、紙に書いておかなくちゃ本当に当たったかどうかなんてわかんねぇよ」
「それじゃ、心に思い浮かべた色を当てようか?」
「おちょくってねぇで、はじめっからそうしてくれよ」
 ふたりのやりとりを聞きながら、ぼくの心臓はバクバクと鼓動が高鳴った。荻原は本当に心を読むことが出来るのだろうか。頭の中で考えていることが筒抜けになっているとしたら、それは、ものすごく恐ろしいことのように思った。
 荻原はぼくを見据え、よどみなくいった。
「色鉛筆を思い浮かべていなかった?」
 今度こそ本当に言葉を失った。ぼくが思い浮かべていたのは色鉛筆で、しかも――。
「薄紫、でしょう?」
 どうしてだ。どうしてわかるんだ。
「当たっているのか」と、金成に突っつかれ、ぼくは「うん……」と答えるのが精一杯だった。
「おい、嘘だろ。どうしてわかるんだよ。おまえ、なんか弱みを握られているのか?」
「弱み……いや、違う。そんなんじゃない。ぼくだって、どういうことなんだか……」
「どうしてわかったのかって?」
 と、荻原は愉快そうにいった。
「意地悪をして、当てずっぽうじゃ当たりそうにもない色を思い浮かべたのに?」
 荻原はすべて見抜いていたのだ。
 そう、なにもかも……。
 周りの女子の視線に気づいていたが、取り繕うこともできないほどうろたえていた。
 荻原は、本当に透視ができるのだ。そうじゃなかったら、事細かにぼくの考えを当てられるはずがない。
 荻原の透視能力を体感した女子が、荻原を避けたくならないのはどうしてかと不思議に思った。気持ち悪いほどに荻原はピタリと当てたのだった。浅ましさも、やましさも、秘密ごとも、心の奥にしまってあることまで全部見てしまわないと、どうしていえるだろう。
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