5.さよなら、転校生

文字数 3,754文字

 ぼくはひとり屋上に上がった。秋の風が吹き抜ける。少し寒い。
 だいぶ日が落ちるのが早くなった。空を染めるオレンジ色は何番目かに好きな色だった。
 グラウンドでは部活動をする生徒がちらほらと集まりかけている。あの中に混じってみたいと、まったく思わないでもない。
 父親に虐待さえされていなかったら――。どんなことでも、すぐにそれを理由にしていたような気がする。ぼくがこんなふうになってしまったのは、やっぱり、ぼくのせいなのだ。
 荻原みたいに颯爽と、というわけにはいかなかったが、もたもたとフェンスを乗り越え、深呼吸をする。やたらと高い場所に感じた。ここから飛び降りたら死ねるだろうな。だけど、もう、死にたいとは思わなかった。死んだらいけない。誤解されるとわかっていながら、ぼくのためにいろんなことを考えてくれた荻原に申し訳なかったから。

 結局、ぼくは死ねなかった。
 トイレの窓は二階だったし、窓の下には花壇があって、前日ケイジが踏み荒らした花畑の上に落ちたのだった。三時間の気絶と、手首の骨折と向こうずねの擦り傷。三日で退院した。
 病院で背中の傷跡がばれた。古い傷もたくさんあったから、荻原がやったという誤解はすぐに解けた。でも、顔を殴った傷は消すことが出来ない。荻原がどんなに責められ、どんないいわけをしたのか、人づてにしか聞いていない。
 いつの間にか荻原がぼくをいじめていたことになっていた。荻原はぼくが父親から虐待されていたのを知っていて、いじめても誰にもいわないだろうと思ったと話したそうだ。
 それをクラスメイトが裏付ける。荻原がぼくの心を透視したあの日の放課後、ぼくは荻原に話しかけられて上履きのまま学校の外へと逃げ出していた。あのときは変だなとしか思わなかったけど、もしかしたらいじめられてるんじゃないかって、誰かがチクったのだ。
 深夜に学校へ侵入した事件についても荻原は言及していた。
 やったのはぼくだということがばれていて、授業中、下駄箱に入っている生徒の靴のサイズや底についている泥を調べたそうだ。そうしてだいたい見当をつけ、指紋でぼくの体の犯行が明白になった。
 荻原はぼくを脅して実行させたといったそうだ。セットを作っていたのはぼくだということを誰もが知っている。そして、ぼくが美術が得意で大好きだということも。ぼくの性格をよく知ったクラスメイトは、ぼくが単独でそんな行動をするはずがないといってくれたのだ。荻原が嫌がらせのために、ぼくが丹誠込めて作ったものを自分で壊せと命令したんだと、ぼくをかばってくれたようだ。
 そのことによってますます荻原の分が悪くなった。ぼくがいくら否定しようともおとなは信じてくれなかった。
「もう大丈夫。本当のことをいっていいんだよ。怖がることはないからね」
 どんなになだめられてもぼくは最後まで違うとだけいった。ぼくにできたのはそれだけだ。
 どうしてぼくはすぐにでも荻原に会いに行かなかったのか。荻原はぼくが退院して自宅静養しているうちに転校してしまっていた。
 たまたま父親の仕事で転校する時期だったのか、転校させられたのか、それもわからない。ただ、クラスでは、荻原はどうしようもない嘘つきで、素行の悪い少年だという噂が蔓延していた。ぼくを数発殴ったということだけで、荻原のイメージが変わってしまった。そのことについては説明のしようがなくて、ぼくは本当に申し訳ないと思っている。
 ぼくはあのとき、本気で死ぬつもりだった。自分の身体を取り返したいと考えていた訳じゃない。だって、本当に死ぬつもりだったのだから。終わらせるにはそうするしか方法が思いつかなかった。
 そして目が覚めたときにはビックリした。だって、生きていたのだから。
 ケイジがどうなったかはわからない。ケイジはあのときのショックで死んでしまったと思いこんでいるのかもしれない。
 だけどもう目覚めないでくれ。
 ぼくはもう君を頼りにはしない。
 荻原はぼくが自分の身体を取り返したと気づいただろうか。せめて、それだけでもわかっていてほしい。荻原のしたことは無駄なことじゃない。人との関わり合いを避けないでほしい。次の学校でも、友達をつくってほしいから。
 いつかまた荻原に会えるといいな。
 お礼を言ったらどういうだろう。
「オレたちは見返りを期待する仲じゃないだろ?」
 って、かっこいいことでもいいそうだ。
 ふと、笑いがこみ上げてきた。なんだか、遺書を書いているみたいだ。

 そのとき、背後で「バン」と大きな音がした。驚いて身がすくんでしまったぼくは必死にフェンスを握った。振り返ると、勢いよく開いた扉から血相を変えた金成がこちらへ向かって突進してきていた。
「おい! 待てよ。オレの前で死ぬんじゃない。これでもオレは霊感が強いんだ。枕元で成仏しないお前を見るのはゴメンだぞ!」
 わけのわからないことをいって金成はぼくに飛びついた。
「な、なんだ。危ないよ!」
 金成はぼくの首に腕を回し、思いっ切り引き上げた。
「ぐ、ぐるしい……」
 ぼくの身体は金成に抱えられ、フェンスの内側に引き込まれてそのまま倒れた。クッションとなった金成がぼくの下で「うぐっ」と声を詰まらせている。
「大丈夫か?」
 ぼくは金成の腹から降りて身を起こしてやった。
「何で死んだりするんだよ!」
 金成はぼくの肩をつかんで揺さぶった。
「まだ死んでない」
「死ぬつもりだったのか」
「考え事をしていただけだ」
「二度あることは三度ある。本当に死んだりしないんだろうな?」
 まだ一度しか自殺を図ったことがないが「ああ」とうなずいておいた。
 金成はようやく人心地がついたようにホッと胸をなで下ろした。
「どうなってんだよ。最近おかしいぞ。吹雪も心配している」
「吹雪さんが? なんで」
「なんでって、おまえ、とろくさい男だな。吹雪はお前のことが好きなんだよ」
「まさか。吹雪さんが好きだったのは荻原だよ。そんな嘘でぼくが立ち直るとでも思ってるの」
「嘘なんかいうかよ。オレには前からわかってたんだ。斎木にはいう必要ないと思ってたけどね。吹雪は好きな人には誰に対してもいい人でいてほしいんだろ。吹雪らしいじゃないか。他の男子とおんなじように荻原を責めるから、吹雪だって寂しくなったんだろうが。それくらいわかんないのか」
「金成に女心のなにがわかるんだよ」
 ぼくは金成の肩を突き飛ばしたが、よろめくような柔な男ではなかった。逆に「はぁ?」とキレられて胸ぐらをつかまれる。軽々と僕は持ち上げられ、つま先が宙に浮いた。しばらくにらみ合いが続いたが、金成は「張り合いねぇな」とぼくを突き飛ばすように手を放した。
「なんだよいい人ぶって。悔しかったら殴ってみろよ」
「馬鹿か。憎らしくもねえのに一方的に殴れるかよ。うさばらしで殴っているような、おまえのおやじとは違うんだよ!」
 はっとなって金成を見上げる。奥歯をかみしめたような厳しい表情をしている。
「そうだろ? お前の親父のやってることは間違ってるじゃないか」
「わかってたんだ」
「わかるさ。透視できなくたって、わかることがあるんだよ。オレにはなにもできなかったけどね」
「ごめん」
「斎木が謝ることじゃねぇだろうが。もっと、自分を持てよ。親のいいようになんかなるな。頼むから死なないでくれ。ただでさえ少ない友達の数を減らさないでくれよ」
 早口で一気にまくしたてると、自分でも熱くなりすぎていると思ったのか、ガラにもなく顔が赤くなっていた。
「金成……」
 感謝の気持ちいっぱいでヤツの顔を見ると、まんざらでもないようにニヤリとした。
「……やっぱ、金成って、熱い男だな」
「こっちは冗談いってんじゃねぇんだぞ! そう思っても神妙にうなずきやがれ!」
 喉チョップが飛んできたのでそれを避けようとしたら、勢い余って後ろにひっくり返ってしまった。
「とろくさい男だ」
 金成の笑い声がグラウンド中に響き渡り、ウォーミングアップを始めた野球部員が一斉に屋上を見上げた。
「金成! 部長のくせにそこでなにやってる!」
 野球部顧問に怒鳴られて金成は「やばっ!」と背筋を伸ばした。あんなに遠くに離れていても、金成の声は聞き分けられるらしい。
「お前も来い。目を離した隙に死なれたら困る」
「死なないって」
 そういっても、金成はぼくの腕を引っ張り屋上から連れ出した。
 そして、五分後、どういうわけかぼくは野球部のマネージャーにさせられていた。三年生の女子マネージャーがやめてからというもの、誰もやってくれなくて困っていたのだという。
 はじめからそれを狙うほど器用なヤツだとは思わないが、金成はぼくのことを雄弁に語り、スカウトしていたからさぼっていたわけじゃないんだと、言い訳した。顧問の先生もぼくのあれこれを知っていたのか「そうか」と訳知り顔でうなずいて納得してしまったのだった。
 ま、それもいいかと思う。
 あの家の中にこもっているよりは、断然、楽しそうだった。
 な? そうだろ、荻原。
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