1.ガール・ミーツ・ゴースト

文字数 3,667文字

「ねぇ、荻原くん。幽霊って見たことある?」
「え?」
 突然そんな話しを持ち出されて、荻原はどう答えるのが正解なのか考えあぐねているようだった。
 ちょっと辞めなよと、周りの女子はからかい混じりにわたしをたしなめる。けれどもそれはそぶりだけで、もっと続けろとばかりにおもしろがっていた。
「幽霊が見えるっていう子がうちのクラスにいるんだけど」
 みんながくすくす笑う中、荻原は戸惑ったように首をかしげた。荻原は転校してきたばかりで、結菜(ゆいな)のことを知らない。
 超絶美形ですぐに人気者になった荻原だけど、えらぶらずに態度は控えめだった。きっと荻原はいい人なのだ。こちらは霊の存在を馬鹿にしているのがみえみえなのに、霊を信じているクラスメイトの誰かをおもんばかってこちらのノリには乗ってこない。
「オレは、見たことないな」
「だよね、幽霊なんて、いるわけないよね」
 意地の悪さ全開でわたしがいうと、周りの女子はこらえきれないとばかりに爆笑した。
 結菜が居心地悪そうに教室から出て行くのが視界の隅に入ったが、知らないふりをした。

  ※

「なんでそんなところで遊んでるの」
 目の前が公園だというのに、歩道のすぐ脇にある花壇で遊んでいる子がいた。
 それが結菜との出会いだった。
 春がくるとボランティアが花の苗を植えにくる公共のスペースだが、車道と歩道の間にあって、砂いじりするにはすごく危険な場所だった。
「公園で一緒に遊ぼうよ」
 結菜は目がくりくりとしてとてもかわいらしい子だった。フリルたっぷりのショートパンツに、スリムなデニムジャケットを羽織っていて、自分と好みが似ているから、きっと並んで歩いたら楽しい気持ちになれる。同じ保育園に通っている子ではなさそうだったけど、友達になりたいと思った。
「あっちで遊んでいる子たち、わたしも知ってるから。行こう?」
「でも……公園が、怖いから」
 結菜はおかしなことをいって、そこから動こうとしなかった。
「え? 怖くないよ。ここのほうが危ないよ?」
「だって。幽霊がいるんだもん」
 わたしは思わず公園を振り返った。何人かの子供たちが遊んでいて、ベンチに腰掛けて話し込んでいるお母さんたちがいるが、その誰もが見知った顔だった。幽霊のはずがない。
 わたしはそこから歩いて三十秒のところに住んでいて、よくそのマンションの敷地内にある公園に遊びに来ていた。結菜はそのマンションに引っ越してきたばかりだったのだ。近所の子に誘われて公園に遊びに来たのだが、幽霊に遭遇してしまったらしい。
「幽霊ってオバケのことだよね。夜になると出るの?」
「昼でもいるよ。幽霊なんだから」
 確かにそんなようなことをいった。その理屈は今でもよくわからない。
「その人が幽霊だって、なんでわかるの?」
「なんでって……。幽霊は幽霊だから。人間は人間でしょ。犬は犬だし。サンタさんは見たことないけど、幽霊はいるんだよ」
「わたしは幽霊も見たことない」
「そうなんだ……」
 結菜はすごくがっかりしているようだった。幽霊に遭遇しても、幽霊が見えるという人に出会ったことがないのだろう。せっかく誘ってくれた子たちとも仲良くできずに、こんなところまで逃げてきて、誰にもわかってもらえず途方に暮れていた。
 けれどもそのころのわたしは、幽霊がいるとかいないとかどちらでもよかったし、幽霊が見えなくてラッキーぐらいにしか思っていなかった。ましてや結菜が嘘をついてまでひとりで遊んでいるとは考えもつかなかった。
「じゃあ、うちにおいでよ。すぐそこだから」
「でも、ママが知らない人のおうちにいったらダメだって」
「今から友達になろう。ママにも紹介してよ」
 土遊びをして汚れている結菜の手を握って立たせると、結菜は大きくうなずいた。屈託のない表情で、今度はわたしの手を引いて走り出した。公園脇の小径をすり抜けていく。
 二年前に建てられたばかりの八階建てマンションは全部で五棟もあって、周辺住民の反感をかっていたが、わたしにとってはきらめいた場所だった。公園で知り合った子のおうちにはあまり入れてもらえる機会はなかったけど、広いリビングでサブレをかじりながらこんなところに住めたらいいのにと、なんどももらしたものだった。
 結菜の自宅は公園から一番遠くの棟だった。帰って洗面所で一緒に手を洗っていると結菜のママが声をかけてきた。
「ええと、誰だったかしら?」
「あのね、そこであったの。名前は……」
 あっと、小さく声をあげると結菜はわたしたちがまだ名前も名乗りあっていなかったことを思い出した。
遠山(とおやま)花純(かすみ)です」
 わたしが頭を下げると、結菜も「水川(みずかわ)結菜です」と頭を下げた。ふたりで笑い合うと結菜は「こっち」と自分の部屋に連れて行ってくれた。
 結菜は幽霊が見えるということ以外はいたって普通の子だった。結菜のママも感じのいい人で、その時も手作りのパウンドケーキとアイスティを持ってきて「どこに住んでいるの?」と話しにくわわった。
「すぐそこの家。うちに遊びにおいでっていったら、知らない人のおうちにいったらだめだっていうから、友達になったの。今度はうちにも来てくれるよね?」
「うん、そうね」とうなずきながらも結菜のママは渋い表情だった。「でも、うちで遊んだらいいわよ。結菜はすぐ汚すし」
「うちはこんなにきれいじゃないから大丈夫だよ」
 それでも、結菜のママはなかなかうちにくることを許してはくれなかった。なぜなのかはあとになって知ることになる。

 わたしたちは通学区域内に住んでいるので同じ小学校に通うことになった。学校に行くときも一緒だし、帰るときも一緒。
 あるとき、結菜のうちで遊ぶ約束をしていて、いったん自宅へ戻った後、マンションへ向かっていた。すると、結菜がこちらの方へ走ってくるのが見えた。
「花純ちゃーん!」
 わたしを見つけると大きく手をふって「待って! 待って! そこで待って」と大声で叫ぶので、何事かと歩みを止めた。わたしの前までやってくると息も絶え絶えにいったのだ。
「ママがね、ようやく許してくれたの。花純ちゃんのおうち、行ってもいい?」
「ほんと! いいよ、いいにきまってるじゃん!」
 本当のことをいうと、ちょっと恥ずかしかった。「いいなぁ」とうらやましく感じていたことが、就学するくらいの年になると別の感情が入り交じるようになっていた。
 こぢんまりとした一軒家が窮屈に建ち並ぶ一角に、ひっそりとたたずむわたしの家は、おじいちゃんの代からある古びた家だ。庭もせまくて、おじいちゃんの植木がいくつかと、物干し竿が一本おけるスペースしかなくて、自転車は家の壁に沿うように3台置いてある。結菜が住んでいるマンションがどれほど完璧なのか、結菜よりきっとわたしのほうがわかっていた。
「ここだよ」
 うちの前までくると結菜は「ふうん」となにも感想なく見上げた。
「あれが花純ちゃんの部屋?」
 道路から見える二階の小さな窓を指さした。しばらく買い換えていないレースのカーテンがかかっていた。パパとママの部屋だ。
「わたしの部屋は日が当たるほう。さ、入って」
 案内すると結菜は友達の家にきたことがないのか、緊張した面持ちで玄関を見渡していた。
「おじゃまします」
 小さな声で誰にともなくつげるとわたしに続いて二階へあがってきた。わたしの部屋に入ってきてぐるりと部屋を見渡し、ようやくなにかに解き放たれたかのように腰を落ち着けた。
「どうしたの」
「いたらどうしようって」
「なにが?」
「幽霊」
 わたしは忘れかけていた。いや、忘れていたわけじゃない。結菜と公園には行かないようにしていたのだし、忘れてはいない。だが、自宅に幽霊がいるかもしれないなんて想像したことがなかった。
「あたりまえじゃん。うちでは誰も死んでないし、へんなこともおこらないよ」
「うん……」
 結菜は初めて訪れる場所は緊張するのだといった。どんな場所にでも幽霊がいることがあるし、幽霊の通り道になっていることもあるからだ。
 特に友達の家で幽霊を見てそれをいってしまうと大変な騒ぎになってしまう。だから、見ても絶対いってはダメとママに念を押されていたのだという。
 やはり親も結菜が幽霊が見えることを知っていた。せっかくの友達を失うことにもなりかねないし、相手を不安な気持ちにさせてしまうことを懸念したようだ。
 自宅に幽霊がいるなんて、それはいい気分じゃない。見えなきゃ見えないでどうということもなく暮らせるのだから。
 マンションに引っ越してくるときも何度か部屋の下見をして、幽霊がいないことを確認したらしい。ただ、公園は見逃していた。
「公園に出る幽霊って、どんな幽霊?」
「黄色いヘルメットをかぶったおじさんなの」
「へんなおじさんだね」
 わたしは黄色いヘルメットのおじさんが公園で遊んでいるところを頭に浮かべて、思わず笑ってしまった。
「へんだよね」
 わたしにあわせて笑みを浮かべる結菜は、幽霊が見えない他人にあわせていくことを、ママの言う通りに覚えていってるようだった。
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