3.やっかいなやっかみ
文字数 3,654文字
ダン、ダン、とバスケットボールをドリブルする音が響く。
小学校の頃、ミニバスケットボール部に所属していたわたしは多少自信があった。ふたりに進路をふさがれ、パスを出す。その直後、手の甲を相手にはたかれた。マークされるのには慣れているが、それにしても今日はやけにわたしへの当たりが厳しいように思った。
今日の最後の授業は体育だった。
男子と女子、別々の授業となるのだが、となりのクラスの四組の女子との合同授業になる。
クラスの中で五人ずつのチームを組んで、三組対四組でそれぞれのチームが一回以上出場し、授業終了まで五分間ずつ戦って、総合得点で勝敗を決めるというルールだった。
クラスの仲間意識は強くて、マラソンみたいな個人競技だとだらだらしてしまうのだが、クラス対抗戦ともなると、わたしたちはがぜん燃えてしまうのだった。
執拗にマークするのはめずらしくはないけど、ボールを持っていないときまでつきまとわれてイライラとする。
ボールを中心とする一団がゴール下へと走っていく。わたしは中央付近をちんたら歩いていた。すると、後ろから勢いよく走ってきた四組の女子がわたしの肩に体当たりして「パスパス、こっち」と、何事もなかったかのように叫びながら手を挙げている。
「もう! あっっったまにきた!」
わたしも彼女を追い、手を挙げてさえぎろうとしたとき、わたしめがけてボールが飛んできた。顔面にぶつかる寸前のところでボールを受け取り、そのままカウンターをしかける。ドリブルで独走し、シュートが見事に決まった。
「よっしゃー!」
ガッツポーズするわたしにチームメイトが群がり、ハイタッチする。
ふと見れば、試合に出ている四組の女子の何人かが、こちらではなくコートの外を見ていた。その視線の先には落合さんがいた。体育座りでなにやら目配せしている。
なるほど。どうやらわたしは落合さんの反感を買うようなことをしてしまったらしい。
思い当たることといったらやはり、音楽室でのことか。音楽室から飛び出したのを目撃されたのかもしれない。あのとき、荻原は窓際にいたから、別棟の校舎かどこかからか荻原の姿を見て、落合さんたちはいそいそとやってきたんじゃないだろうか。それなのにわたしまで音楽室にいて、ふたりきりの時間を過ごしたのが気に入らなかったんだと思う。
仕方ない。そんなことぐらいなら甘んじて受けようじゃないか。
わたしはムキになって走り回り、落合さんの取り巻きともどもゼイゼイ息を切らして残りの二分間を走りきった。どんなもんだいという顔で落合さんの前を通り過ぎようと思ったら、不覚にも落合さんの足かけに気づかず、すっころんでしまった。
「いたーい」
「やだ、朱音ちん、なにやってんの」
「足もつれるまで一生懸命やるなんて健気だねぇ」
と、わたしの周りの友人たちはそうとも知らずに大爆笑だ。わたしはもう落合さんの顔を見る気も起こらなかった。
「あーん、疲れた。引っ張って」
わたしは甘えてねだり、モップのごとく友人らに手を引っ張られて味方陣地まで退散した。
やっぱり、落合さんは苦手だ。
というか、どこか気後れしてしまうところがある。
記憶は小学校三年生の時までさかのぼる。落合さんとは小学校も同じで、そのときは同じクラスだった。
例によってわたしは予知夢を見ていた。
体育の授業があるのに体操着の短パンを忘れ、意地悪な女教師に「パンツのままで授業を受けなさい」といわれ、夢の中でわたしはひどく恥ずかしい思いをした。上着を引っ張ってパンツを隠しながら校庭を走ったのだ。
夢から覚めると真っ先に体操着を巾着に詰め、ランドセルの脇にぶら下げた。準備万端で授業にのぞめたが、予期しないことが起こった。夢の中では最下位をもたもた走っていたわたしも、短パンをはいて水を得た魚のようになり、元気いっぱいで先頭集団を走っていた。インコースに人が密集し、誰かに押され、転びかかったわたしはとっさに前の人をつかんでしまったのだった。
結局その人もわたしと一緒に倒れてしまい、わたしはその人に顔を蹴られ、その人はわたしが引っ張ったせいで短パンが脱げてパンツが半分見えてしまったのだった。その不幸な人こそ落合さんだった。
マンガみたいな笑い話だが、わたしも、落合さんも顔面蒼白だった。以来、わたしは落合さんを見ると、わたしの身代わりになってしまったような落合さんにたいして、申し訳ないような、心苦しいような、そんな気持ちになってしまう。
だからって、わたしに対する意地悪が正当化されるってわけでもない。でも、どんなにささいでくだらないことでも、きっかけにはなるのだ。
エスカレートしなければいいんだけど……と、心配せずにはいられなかった。落合さんたちはひとりの女子生徒を不登校にさせた経験がある。
わたしは自分が強い人間だとは思えなかった。
結局バスケの試合は一ゴール差で負け、踏んだり蹴ったりの六限目だった。教室に戻り、制服に着替えて家に持ち帰るものを選別してバッグにつめこんでいると、憂鬱までつめこんでいるみたな気分になってくる。
「あ、そうだ。スマホ、スマホと」
バッグを押し広げてスマホを探す。体育の授業の間に、誰かからのLINEが届いてるかもしれなかった。中身を引っかき回すとバッグの奥底で見つかった。
画面の模様がおかしいなと思いながら取り出そうとしたが、その手が止まってしまった。保護フィルムのおかげかバラバラに砕け散ってはなってないが、画面がひび割れしている。
取り出してみたら、それはやはりわたしのものだった。裏面のスワロフスキーは自分で貼り付けたから間違えない。
液晶パネルは踏みつぶされ、上履きのあとがくっきりと残っていた。バッグの上から誤って踏んでしまったのではないだろう。バッグから取り出してわざと壊したのだ。「25.5」という足のサイズまでハンコを押したみたいに反転して残っている。
落合さんのグループだろうか。
誰がやったんだろう。
女子だとしたら、足のサイズは大きい方といってもいい。落合さんの取り巻きに大柄な子がいるが、その人が犯人だとするなら、なにも彼女のせいばかりではあるまい。たまたま彼女にその役が回ってきただけのことだ。
電源を押してみるが作動はしなかった。
バックアップも取ってないものもあったのに。
悲しくて怒りさえこみ上げてくるが、こんなにも性急にダメージの大きいことをやってくるなんて、落合さんをはじめとするグループはわたしをいじることに熱を帯びてきているのかもしれないと、少し怖くもあった。
バッグの口を閉じ、周りをうかがう。
この中に犯人がいたとするなら、わたしがどんな反応を示すか絶対見たいにちがいなかった。だけど、わたしのことを気にかけているクラスメイトはいない。やはり、となりのクラスの落合さんのグループの仕業なのだろう。
どういうわけか、スマホを壊されたことは誰にも知られたくなくて、わたしは部活も休んですぐさま帰った。
「お母さん!」
わたしは玄関を開けると真っ先にそう叫んだ。靴も脱ぎっぱなしでリビングに飛びこむ。
「なんなの、騒々しい」
お母さんはソファーに座ってテレビドラマを見ていた。何年か前にやっていた高視聴率のドラマで、わたしも当時は見ていたが、再放送まで見たいとは思わない。お母さんがたまにちょっと昔にもてはやされた俳優の名をあげるのはこのためかと、みょうに納得した。
いや、そんなことはどうでもいい。
「あのさ、スマホ壊れちゃったんだけど」
「えー。ウソでしょ」
と、お母さんはかなり疑り深い返事。
「もう、なんでウソだとかそんなこというの」
「新しい機種を買ってほしいんでしょ」
ウソも切実な要求も見抜けないお母さんにはがっかりだが、今はそんなことをいってもいられない。スマホがなければ友達に不審がられてしまう。
「おんなじのでいい。本当に壊れちゃったんだから」
「なんで」
「誰かがぶつかってスマホ落としたときにね、ミサキちゃんがふんじゃったの。ミサキちゃん、泣いてあやまるから大丈夫っていうしかないじゃん。ねぇ、お母さん。ミサキちゃんだってかわいそうだもん」
お母さんでも知っている友達の名前を出して頼み倒した。
「お願い!」と、顔の前で両手をあわせる。
「しょうがないなぁ。じゃあ、半年間、こづかい三十パーセント引きになるけど、それでもいい?」
「……いいよ」
しぶしぶ承諾すると、お母さんは勝ち誇ったようにテレビ画面に視線を戻した。
「ちょっと! 今すぐだってば!」
わたしはお母さんの腕を引っ張った。
「これが終わってからにきまってるでしょ」
お母さんはまったく動こうともしない。
財布のひもを握った人が一番強い。
わたしはそのままお母さんのとなりに座って時間がたつのを待った。
まったく、ぐうの音も出ない。
なるほど、お父さんが尻にひかれているのもきっとそのせいだと、またまたみょうに納得したのだった。
小学校の頃、ミニバスケットボール部に所属していたわたしは多少自信があった。ふたりに進路をふさがれ、パスを出す。その直後、手の甲を相手にはたかれた。マークされるのには慣れているが、それにしても今日はやけにわたしへの当たりが厳しいように思った。
今日の最後の授業は体育だった。
男子と女子、別々の授業となるのだが、となりのクラスの四組の女子との合同授業になる。
クラスの中で五人ずつのチームを組んで、三組対四組でそれぞれのチームが一回以上出場し、授業終了まで五分間ずつ戦って、総合得点で勝敗を決めるというルールだった。
クラスの仲間意識は強くて、マラソンみたいな個人競技だとだらだらしてしまうのだが、クラス対抗戦ともなると、わたしたちはがぜん燃えてしまうのだった。
執拗にマークするのはめずらしくはないけど、ボールを持っていないときまでつきまとわれてイライラとする。
ボールを中心とする一団がゴール下へと走っていく。わたしは中央付近をちんたら歩いていた。すると、後ろから勢いよく走ってきた四組の女子がわたしの肩に体当たりして「パスパス、こっち」と、何事もなかったかのように叫びながら手を挙げている。
「もう! あっっったまにきた!」
わたしも彼女を追い、手を挙げてさえぎろうとしたとき、わたしめがけてボールが飛んできた。顔面にぶつかる寸前のところでボールを受け取り、そのままカウンターをしかける。ドリブルで独走し、シュートが見事に決まった。
「よっしゃー!」
ガッツポーズするわたしにチームメイトが群がり、ハイタッチする。
ふと見れば、試合に出ている四組の女子の何人かが、こちらではなくコートの外を見ていた。その視線の先には落合さんがいた。体育座りでなにやら目配せしている。
なるほど。どうやらわたしは落合さんの反感を買うようなことをしてしまったらしい。
思い当たることといったらやはり、音楽室でのことか。音楽室から飛び出したのを目撃されたのかもしれない。あのとき、荻原は窓際にいたから、別棟の校舎かどこかからか荻原の姿を見て、落合さんたちはいそいそとやってきたんじゃないだろうか。それなのにわたしまで音楽室にいて、ふたりきりの時間を過ごしたのが気に入らなかったんだと思う。
仕方ない。そんなことぐらいなら甘んじて受けようじゃないか。
わたしはムキになって走り回り、落合さんの取り巻きともどもゼイゼイ息を切らして残りの二分間を走りきった。どんなもんだいという顔で落合さんの前を通り過ぎようと思ったら、不覚にも落合さんの足かけに気づかず、すっころんでしまった。
「いたーい」
「やだ、朱音ちん、なにやってんの」
「足もつれるまで一生懸命やるなんて健気だねぇ」
と、わたしの周りの友人たちはそうとも知らずに大爆笑だ。わたしはもう落合さんの顔を見る気も起こらなかった。
「あーん、疲れた。引っ張って」
わたしは甘えてねだり、モップのごとく友人らに手を引っ張られて味方陣地まで退散した。
やっぱり、落合さんは苦手だ。
というか、どこか気後れしてしまうところがある。
記憶は小学校三年生の時までさかのぼる。落合さんとは小学校も同じで、そのときは同じクラスだった。
例によってわたしは予知夢を見ていた。
体育の授業があるのに体操着の短パンを忘れ、意地悪な女教師に「パンツのままで授業を受けなさい」といわれ、夢の中でわたしはひどく恥ずかしい思いをした。上着を引っ張ってパンツを隠しながら校庭を走ったのだ。
夢から覚めると真っ先に体操着を巾着に詰め、ランドセルの脇にぶら下げた。準備万端で授業にのぞめたが、予期しないことが起こった。夢の中では最下位をもたもた走っていたわたしも、短パンをはいて水を得た魚のようになり、元気いっぱいで先頭集団を走っていた。インコースに人が密集し、誰かに押され、転びかかったわたしはとっさに前の人をつかんでしまったのだった。
結局その人もわたしと一緒に倒れてしまい、わたしはその人に顔を蹴られ、その人はわたしが引っ張ったせいで短パンが脱げてパンツが半分見えてしまったのだった。その不幸な人こそ落合さんだった。
マンガみたいな笑い話だが、わたしも、落合さんも顔面蒼白だった。以来、わたしは落合さんを見ると、わたしの身代わりになってしまったような落合さんにたいして、申し訳ないような、心苦しいような、そんな気持ちになってしまう。
だからって、わたしに対する意地悪が正当化されるってわけでもない。でも、どんなにささいでくだらないことでも、きっかけにはなるのだ。
エスカレートしなければいいんだけど……と、心配せずにはいられなかった。落合さんたちはひとりの女子生徒を不登校にさせた経験がある。
わたしは自分が強い人間だとは思えなかった。
結局バスケの試合は一ゴール差で負け、踏んだり蹴ったりの六限目だった。教室に戻り、制服に着替えて家に持ち帰るものを選別してバッグにつめこんでいると、憂鬱までつめこんでいるみたな気分になってくる。
「あ、そうだ。スマホ、スマホと」
バッグを押し広げてスマホを探す。体育の授業の間に、誰かからのLINEが届いてるかもしれなかった。中身を引っかき回すとバッグの奥底で見つかった。
画面の模様がおかしいなと思いながら取り出そうとしたが、その手が止まってしまった。保護フィルムのおかげかバラバラに砕け散ってはなってないが、画面がひび割れしている。
取り出してみたら、それはやはりわたしのものだった。裏面のスワロフスキーは自分で貼り付けたから間違えない。
液晶パネルは踏みつぶされ、上履きのあとがくっきりと残っていた。バッグの上から誤って踏んでしまったのではないだろう。バッグから取り出してわざと壊したのだ。「25.5」という足のサイズまでハンコを押したみたいに反転して残っている。
落合さんのグループだろうか。
誰がやったんだろう。
女子だとしたら、足のサイズは大きい方といってもいい。落合さんの取り巻きに大柄な子がいるが、その人が犯人だとするなら、なにも彼女のせいばかりではあるまい。たまたま彼女にその役が回ってきただけのことだ。
電源を押してみるが作動はしなかった。
バックアップも取ってないものもあったのに。
悲しくて怒りさえこみ上げてくるが、こんなにも性急にダメージの大きいことをやってくるなんて、落合さんをはじめとするグループはわたしをいじることに熱を帯びてきているのかもしれないと、少し怖くもあった。
バッグの口を閉じ、周りをうかがう。
この中に犯人がいたとするなら、わたしがどんな反応を示すか絶対見たいにちがいなかった。だけど、わたしのことを気にかけているクラスメイトはいない。やはり、となりのクラスの落合さんのグループの仕業なのだろう。
どういうわけか、スマホを壊されたことは誰にも知られたくなくて、わたしは部活も休んですぐさま帰った。
「お母さん!」
わたしは玄関を開けると真っ先にそう叫んだ。靴も脱ぎっぱなしでリビングに飛びこむ。
「なんなの、騒々しい」
お母さんはソファーに座ってテレビドラマを見ていた。何年か前にやっていた高視聴率のドラマで、わたしも当時は見ていたが、再放送まで見たいとは思わない。お母さんがたまにちょっと昔にもてはやされた俳優の名をあげるのはこのためかと、みょうに納得した。
いや、そんなことはどうでもいい。
「あのさ、スマホ壊れちゃったんだけど」
「えー。ウソでしょ」
と、お母さんはかなり疑り深い返事。
「もう、なんでウソだとかそんなこというの」
「新しい機種を買ってほしいんでしょ」
ウソも切実な要求も見抜けないお母さんにはがっかりだが、今はそんなことをいってもいられない。スマホがなければ友達に不審がられてしまう。
「おんなじのでいい。本当に壊れちゃったんだから」
「なんで」
「誰かがぶつかってスマホ落としたときにね、ミサキちゃんがふんじゃったの。ミサキちゃん、泣いてあやまるから大丈夫っていうしかないじゃん。ねぇ、お母さん。ミサキちゃんだってかわいそうだもん」
お母さんでも知っている友達の名前を出して頼み倒した。
「お願い!」と、顔の前で両手をあわせる。
「しょうがないなぁ。じゃあ、半年間、こづかい三十パーセント引きになるけど、それでもいい?」
「……いいよ」
しぶしぶ承諾すると、お母さんは勝ち誇ったようにテレビ画面に視線を戻した。
「ちょっと! 今すぐだってば!」
わたしはお母さんの腕を引っ張った。
「これが終わってからにきまってるでしょ」
お母さんはまったく動こうともしない。
財布のひもを握った人が一番強い。
わたしはそのままお母さんのとなりに座って時間がたつのを待った。
まったく、ぐうの音も出ない。
なるほど、お父さんが尻にひかれているのもきっとそのせいだと、またまたみょうに納得したのだった。