2.そそのかされた計画

文字数 5,885文字

 自分って結構まじめだよなと、褒めたくなるくらいに、ひとり黙々と作業を進める。
 体育祭が終わったかと思えば、今度は文化祭へ向けて学校全体が動き出していた。
 文化祭ではクラスごとに演劇か創作物かどちらかをやることになっているのだが、うちのクラスは演劇を選択していた。全校生徒の前でステージに上がり、なんらかの出し物をするのだ。総じて、うちのクラスは目立ちたがりが多いってことだ。やる気まんまんなのに、大道具作りっていうと、その他大勢の者たちに回ってくるのだから、世の中実に理不尽だ。大義名分的に美術が得意という理由でぼくは大道具を任されていた……というか、押しつけられていた。
 演劇といってもたいしたことはなかった。ドラマのパロディで、「ノラネコをプロデュース」と題して学園ものにするはずが、なぜかノラネコを拾って品評会で優勝させるっていう話しに仕上がっていた。
 セットはもっと貧弱で、切り開いたダンボールをつなげて白い模造紙を貼り、それに納屋の絵を書くとかそんな程度。そんな程度でも手間はかかって、放課後、こうやって居残らなくてはならない。
 下絵は終わっているのでポスターカラーで彩色をしていると、荻原が寄ってきた。「へぇ」と感心しながらつぶさに絵を見て「うまいんだな。こんな特技があったなんて」と、あぐらをかいて座り込んだ。
「知ってたくせに」
「え?」
 聞こえなかったわけじゃなかろうが、荻原は短い言葉を発したきりぼくの言葉を待っていた。
 荻原は転校してきてから一ヶ月以上が過ぎてるのに、制服はそのままだった。来た当初はぼくらと同じようにYシャツ一枚で過ごしていたが、衣替えがあってからも学ランを着ることはなく、前の学校のブレザーを着ていた。あと一年半あるのだから、普通だったら買い換えるものだが、金銭的な問題でも抱えているのだろうか。
 だけど女子からの人気は変わらない。指定の制服を着ないイケメンってことで、校内でかなり噂になっている。聞くところによると、女子の間では一緒に帰りたい男ナンバー1になってるらしい。
 ぼくは荻原のことは気にせず、筆にたっぷりと青の顔料を含ませた。
「オレのこと、インチキだと思った?」
 荻原はぼくのかたわらでそう切り出した。ぼくは作業をする手を止めずに会話につき合った。
「荻原でもそういうこと気にするの?」
「気にするところまでいかないけど」
「あれだけきっちり当てたら、女子から気味悪いっていわれない? なにもかも荻原の知るところとなったら、一目置かれるっていうか、場合によっては避けられたり、こびられたり、なんていうか……」
「わかるよ。だから斎木はそっけなくなったんだろ」
「すべてお見通しってわけ? その透視能力で」
 嫌みったらしくいうと、荻原は「まいったな」とうなだれた。
「うまくやってんだ、女子の時は。いきなり答えるんじゃなくて、色々質問したんだよ。好きなフルーツは?と聞いてピーチと答えてたとするだろ。それでたまたま思い浮かべた色がピンクなら『ピンクを思い浮かべてたでしょ』とかね。そのやり方が半ば心理戦と気づきながらも『すごいね』ってなる。すべてがギッチギチの真実で塗り固められなくても、世の中まかり通るんだ」
「そうだね。ウソでもうまくいってるように見えたらそれでいい。気づいても気づかないふりをしていればいい。なんとなく生きていけたら、それでいいのかもね」
「なんとなくか。オレもなんとなくいたような、いないようなそういう男になるんだろうな。転校生?いたっけ?みたいな」
「まさか。荻原は違うでしょ。忘れ去られる方の人間じゃない。カッコイイし。女子に人気があってもてるし」
 パッと荻原を見やると目があって、荻原は伏し目がちに「どうかな」と照れたように笑った。ぼくは水入れに筆を突っ込み、乱暴にかき回した。
「なんとなくな男はぼくのほうだよ。中学を卒業しちゃえば、特別だった人以外はみんな忘れていく。同窓会であったとき、ああいたっけなぁっていう程度の人間だよ、ぼくは。思いだしたとしても、相変わらずチビだなって、笑われるんだ」
「びっくりするくらい、いい男になってるかもしれない」
「いつまでたってもチビだよ。遺伝だから。ついでにいうと、太る体質もあるらしい。見違えるほどデブになってるよ、きっと」
 どんどん卑屈になっていくぼくに、荻原は黙りこくった。相変わらずのポーカーフェイスだから、うんざりしているのかわからない。
 納屋を塗るために茶色と黄色と白をパレットに絞り出す。筆でまぜていたら泡立つほどにしつこく引っかき回していた。ぼくは道具を持ったまま手を止めた。
「ねぇ、そんなことよりさ。透視っていうのはどこまで心が見えるものなの? 今考えていることじゃなくても、心の奥にあることとか見えたりするの」
「うん……まぁ、いろいろ……」
 荻原は曖昧に答えた。インチキと思われるのが気になるなら全部しゃべってしまえばいいのに、荻原はこの期に及んでなんだかためらっているふうでもあった。
「どんなふうにわかるの?」
「そうだな……。たとえば、人の考えていることって、ふと、わかるときない?」
「そうかな」
「誰かが誰かを好きなんじゃないかとか」
「それって違わない? 心をよむんじゃなくて、態度でわかるんだよ。ずっとその人のことを見ていたらさ、なんとなく、他の人とは違う態度してるな、とか」
「態度か。でも、斎木ってあんまり表に感情を出さないから、わかりにくいよな」
 と、えらそうにいう荻原に、自分だって――と、ぼくは思った。転校してきて一ヶ月が過ぎるが、荻原という人間がまだよくわからない。人気者になりたくて透視能力をひけらかしているのとも違う、仲良くなるきっかけとも違う。今、こうやってわざわざ放課後残ってぼくに話しかけていることだって、理由がよくわからないのだ。
「本当は好きなんだろ?」と、荻原は出し抜けにいった。
「え?」
「吹雪のこと――」
 ギクリとした。動揺するぼくに「わかりやすいな」とニンマリした荻原だが、図星なんてもんじゃない。知っていたんだ。ぼくの態度を見る前からわかってたんだ。荻原は、あのとき、はっきりとぼくを透視していたのだ。
「やっぱり、本物だったんだ、荻原の力……」
「本物ってのは大袈裟だよ」
「荻原……。ぼくの考えていること、全部わかってるんでしょ」
「それは……」
「本当は普通にしていてもわかるんじゃないのか。今、この瞬間、ぼくの考えていることとか。うんん、考えていなくたって、心にあることなら、全部……。あのときだって、驚いた顔したのは、ぼくの秘密を見てしまったからだろ?」
「……違うんだ……聞いてくれ」
「さわるな!」
 肩に手をかけた荻原をひじで押し返した。勢い余ってパレットまで吹き飛ぶ。
「見てるんだろ、なにもかも!」
 思いがけず大きな声に自分でもビックリした。後ろによろめく荻原が、初めて陰りのある表情を見せた。インチキだといわれても動じない荻原が、狼狽していた。
 ぼくはどうしていいのかもわからず教室を飛び出し、筆を握ったまま逃げていた。
「あ、おい! 待てよ」
 走って、荻原から離れたかった。ぼくの心が感知されない場所まで。
 階段を駆け下り、校門を抜け、走りながら、放っておいてほしいと思った。だけど荻原はぼくを追い、大声で叫んだ。
「待てってば! 見ようと思って見てるんじゃない。自分でも気づかないうちに勝手に入ってくるんだよ。コントロールもできない、未熟なものなんだ。――おい! 斎木!」
 でも、それはそのうちに途絶えた。所詮他人事と思ったのか、ぼくが関わるなと心に思ったからなのか、透視の出来ないぼくにはわかりかねた。

 ――それから二時間後、ぼくは帰宅した。
 上履きで飛び出していたので、荻原が帰るのを見計らって靴とカバンを取りに戻った。ぼくの作業が中断したからなのか教室には誰もおらず、絵は広げられたままになっていて、パレットや水入れなどがかためて置いてあった。荻原がやったのだろうか。パレットに触れてもぼくが不在にしていた過去を語ってはくれなかった。パレットの上で混ぜた絵の具が泡だったまま干涸らびているだけ。続きをやる気にはなれず、道具を片づけて学校をあとにした。
 まっすぐ帰れば十五分の道のりを、どこへ行くあてもなくフラフラとほっつき歩き、このままどこかへ消えてしまおうかと真剣に考えるのだが、結局自宅へ帰ってくるといういつものパターンだった。
 この家の中でなにがあろうとも、ぼくの帰る場所はやっぱりここしかなかった。この家の中でおとなしくしていれば、なにもしなくても毎日食べることができたし、毎日気兼ねなくテレビゲームができたし、毎日お日様のにおいがするふかふかのベッドで眠ることができる。不平を漏らせば親不孝だといわれるほど何不自由ない生活だ。
 たったひとつのことを除いては。
 食事は父さんが帰ってくる前に妹と母さんと三人で済ませた。たぶん、どこかで食べてくると連絡があったのだろう。そうでなかったら先に食べることはまずないから。
 食べ終わって自分の部屋でテレビゲームをしていると、仕事から帰った父さんがいきなり部屋に入ってきた。ネクタイをゆるめながらぼくを見下ろす。ぼくの存在自体が不機嫌のもとであるかのように、それは憎らしそうにぼくを睨み、かと思えば、ハイエナが舌なめずりするときのような高慢さで口元をほころばせていた。
 ――また、はじまる。
 ぼくは思いだしただけでコントローラーを握る手が震えた。
「風呂はどうした」
 ゲームがいいところだからお風呂はいらないと言うと、まず一発脳天にげんこつをくらった。この程度ならありがちなことなのだろうか。ぼくは何度も何度もどこの父親もこんなふうであってほしいと思った。ぼくの父さんだけがこんなふうだとは思いたくなかったのだった。
 次に発せられる言葉は「勉強しろ」「風呂ぐらい入れ」そんなところだろうか。でも、うちの父さんは違う。ぼくの成績や身なりにはまったく関心がなかった。
「早く風呂に入れ」
 脅しのげんこつが目の前に飛んできたので、部屋を飛び出した。自らその場所へ足を運ぶのは矛盾しているが、余計なことで怒らせたら殴られる回数が増えるだけだった。着ているものを全部脱ぎ捨てて浴室に入る。
 蛇口をひねってシャワーからお湯を出した。ひりひりと、お湯や石けんがしみて、垢を落とすどころではなかった。鏡を見れば、衣服で隠れる白い肌に、真っ赤に腫れあがった鞭の痕が、日に日に場所を変えて残っていた。授業中でもいつも制服の下で傷が痛んだ。だから、母さんは授業でプールがあるときは、高濃度の塩素に対してのアレルギーだと偽っていつも見学させた。
 ここで起こっていることは家族の誰もが周知の事であった。
 父さんは服のままで浴室に入ってくる。樽のような腹に巻いた長いベルトを抜き取ると、ふたつに折り畳み、両端を思いっきり真横に引っ張ってパチンと音をたてる。ぼくはこの音を聞くと、どうしても震えが止まらなくなった。そんなことをすれば、ますます父さんが喜ぶとわかっていても、ぼくは震える腕を抱えて丸くなるしかなかった。
 ぼくの父親はこの人だ。ぼくを養っている人だ。父さんは絶対だ。
 物心ついた頃から、これが普通だと思っていた。息子は父にぶたれるものだと……。
 だけど、いろんな知識を付けたぼくには、これが普通だと思えなくなっていた。
 こんなの、普通じゃない。
 誰か、助けて。
 助けてほしい。
 なのに、家族以外の人にはこのことを知られたくはなかった。事実を隠そうとしている家族から白い冷ややかな目で見られそうで、ぼくはそれも怖かったのだ。
 ベルトのしなる音が聞こえ、ぼくは気を失うほど打たれた。

 ――気がつくとひとりだった。どのくらい経ったかわからない。
 のっそり冷えた体を起こした。背中が全体的に痛い。うつぶせじゃないと今夜も眠れそうになかった。
『大丈夫かい?』
 突然少年の声が聞こえた。誰かに見られていたのかと、背筋がゾクッとした。
 風呂場にある小さな窓を見やった。覗かれるような隙間は開いていない。窓を細く開けて外を見てみたが、目の前にあるのは家を囲んだブロック塀だけだった。
『そこじゃないよ』
 入り口の透きガラスを振り返る。明かりはついているけれども、人影はなかった。
「だれ? どこにいるの?」
『心の中』
「心? ぼくの心に、キミがいるの?」
『そう。こういうの、知らないかな。テレパシーっていうんだ』
 テレパシーって、まさか!
『わかった? オレ、荻原』
「うそ……」
 驚きのあまり、腰が抜けてしまった。荻原はおかしそうに笑う。
 ぼくは人の心が読めないくせに、人の心を呼び込んでしまった。うんん、そうじゃない。ぼくはなにもしていない。荻原の超能力でテレパシーが可能になっただけだった。
『驚いた? オレ、こういうこともできるんだ』
「困るよ、こんなこと」
『悪いとは思ったよ。けど……。わかってしまったんだ。キミがこういうことになっているって。放っておく方がひどい男でしょ』
 どこを見て話していいかもわからず、ぼくは自分の胸を見下ろした。赤くにじむ傷の下にはぼくの心がある。繕うことのできないボロボロの心には、荻原の心が寄り添っている。知られてしまったショックもあったが、少し心強くなった気がした。
 けど――。
「けどさ。荻原じゃどうにもできないよ」
『なんで黙っているんだよ。お母さんや先生にいえばいいのに』
「母さんは知ってるよ。プールの時だって、アレルギーだからといって休ませるんだ。ぼくは、家族に見捨てられたんだ」
『だからって――』
「誰にいっても同じだよ。父さんはやめない。どっちかが死ぬまで続くんだ」
『どっちかが死ぬまでか……。じゃあ、そうしよう』
「えっ、どういうことなの? 荻原!」
 意味ありげなことを言って、荻原の心は消えてしまった。

 どっちかが死ぬまで。
 ぼくか。父さんか。
 父さんなんて死んでしまえ。
 なぜ今まで考えつかなかったのだろう。

 ――その晩、夢を見た。
 父親を包丁で殺す夢だ。
 恐ろしいことに、ぼくは、夢の中で、うすら笑っていた。
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