BLOCK05:暴落の夜

文字数 11,684文字

 ――静かね。
 シファと共に新淡路の街を歩くミスフィが、そうメッセージしてくる。
「もう決済がどこでもできないものね。アメイジングループの発行している『ファイン』のほかには。使おうとしてもデジタルウォレットも決済レジも不正な偽造通貨だと認識して弾いてしまう」
 ――ファインはもともとアメイジンの発行するポイントだった。そしてアメイジンポイント提携店では使えていた。それで決済はできるけど、提携店だけ。
「アメイジンが通販大手から小売大手になってたのが幸いしてるけど……このまま円もドルも元も使えないまま、アメイジンのファイン決済で世界の通貨が統合されちゃうのかも」
 ――それぐらいの勢いね。
 町を歩くわずかな人々も皆、フラフラとどこかいつもと歩きかたが違っている。
「まるで大災害の後みたい。みんな気が抜けた幽霊のように漂ってる」
 ――事実、それだけのことがおきたんだもの。
「公共交通機関は事情によって決済無しで運転する緊急措置を取っている。そのために鉄道の有料特急といったハイグレードクラスは運転を休止している。航空機も国際線は軒並み欠航か、ファイン決済ができるLCC(格安航空)便のみの運航になってる。その結果国際的な交通マヒがヒドい。商店はもっと悲惨で、今になってファイン決済ソフトをダウンロードしてるけど、今どき珍しくアメイジンのサーバですらその決済申請で輻輳して反応が悪くなってる。アメイジンが公式に決済申請の遅れをアナウンスしている。既存金融機関が取り付け騒ぎになってるのは言うまでもないわ」
 ――預けた資産が動かせないとなったらそうなるのは必然ね。
「いくつもの銀行システムの業務系ワークフレームが混乱しているものね」
 シファとミスフィは状況を見ながら歩いている。
「シファ、セーフモード解除までもうちょっと時間がかかりそうだ」
 機付長の沖島が通信してくる。
「その間羽佐間さんの家に行ってるわ。羽佐間さんも金融庁に行くのが危ないだろうし。私はセーフモードでも一部の武器は使えるから」
「しばらくの我慢だ」
「私も安全マージン考えずに演算能力つぎ込んじゃったんだもの。仕方ない。私の判断ミスよ。だれのせいでもない。それに、誰のせいにもしたくないわ」
「とはいえ、この状況、アメイジンの真の目的は、この緊急事態を通じてファインを使った通貨統合だったのかも」
「きっかけは私達の通貨介入作戦だったけど、それをアメイジンはこういう絶好のチャンスを待っていたのかもしれないってことね。こういう暗号通貨の弱点は、現実社会との接点が少ないことだもの。かつて多くの暗号通貨が交換所でしか使えず、その交換所も脆弱なセキュリティと脆弱なインフラによって非常に不安定だったため、どんなに改良しても結局は投資家、それもノイジーな投機目的の投資家のオモチャの段階から先に進めなかった。画期的な少額決済のためのものであっても、結局はオモチャあつかいされたあげく、少し有望という風説があればそれをきっかけに正気の沙汰ではない高騰と暴落を繰り返していた。本来の少額決済には使えたものじゃない。まして既存通貨陣営はそうやって暗号通貨が自滅してくれるのを見ているだけだし、それで通貨技術が発達したらそれを既存通貨に取り込んでしまった。暗号通貨に生きる道はなかった……ごく一部を除いては。
 でも、こういう状況になると嫌でも実社会の側が暗号通貨との接点を作らざるを得なくなる。交換所によらずとも小売の現場で使えるようにしなくてはとてもじゃないけど立ち行かない。こういう状況に追い込むのはただではできなかったけど、アメイジンの望んだ通りの展開になってるかもね」
「通貨混乱は連合艦隊にも及んでるよ。需品調達の決済ができないことで中央補給廠が悲鳴を上げてる。予算くんで発注してるけどその予算が執行できない。アメイジンのファインを連合艦隊の予算執行には使えないからね。民間はもっと大変さ。必死になってファインを扱ってる通貨交換所に頼み込んでる所も多いらしい。この関連で倒産するところもあるだろうね」
「でも……これが私達がやった通貨介入作戦でシャドウコイン経済圏でも起きてたのよね」
「そうだ。因果応報、ってことだよ。この影響はどこまで波及してるかわかんないからなあ。医療現場は今は持ちこたえてるけど、これだっていつダメになるかわからん。大きな手術なんかはこれができないからって先送りもできないけど、とはいえ無理してやったら病院が潰れてしまう。『医は仁術』というけど『医も算術』のところはある。収支無視して治療したら、結局医療を継続できないからね。継続できない事業はすごく後にメーワクを残してしまう」
「ほかにもいろんな人が困るわね」
「学校では学費の無料化を進めていたけど、それでもお金は動いている。とくに学校システムとひとくくりに言われる中でも学生情報システムは巨大システムで、学生の給食の発注からスクールバスの運用、奨学金給付の管理までぜんぶやってる。あれがおかしくなる」
「学校の先生何やってるかと思ったら、そういうことを」
「統合された学籍簿システムの威力は大きい。成績の管理、学生の出欠の管理から全部情報化することでデータを応用して学生の習熟度の自動判断、それにあわせた教材の用意、小テストの用意からそのテストの採点、さらにはその採点結果を学期ごとの成績への反映までやってしまう。それどころかIoTを組み合わせれ学生の異常行動を察知していじめや犯罪まで予防しちゃおうとしてた。21世紀ではまだその情報の統合ですら夢物語だったけど、今はそれが事実できていた。これができるまで学校の先生はこういったトンデモナイ量の事務処理に追い立てられ、学生指導に手が回らなかった。それがその統合学籍簿システムの実現で、学生指導を戦略的にできるようになった。教育の情報統合は教育の産業革命だった。でもそれも情報への依存の始まりでもあった。その結果、今その情報システムのセキュリティもメンテナンスも立ち行かなくなって、軒並み学校は臨時休校になってる」
 二人がトラムに乗ると、その料金システムの標示は『今日は料金の受取を停止しています』の臨時表示になっていた。

 そしてその先、JR新淡路と私鉄・淡急線は間引き運転で運転していた。
「休日だけど……様子が変ね」
 駅で近郊リニアに乗り換える。
 ――やっぱりこの事態でみんなそういう気分じゃないのかも。私もそうだし。
 ミスフィは外に目をやったまま、そう言う。そのエメラルドの瞳もくもっている。
「そうね。私もそう。正直」
 シファもサファイアの瞳をくもらせた。胸元のクリスタルは黄色に輝いたままだ。
「どうなっちゃうんだろう。この今運転してる鉄道や公共交通の分、国が補償することになってるけど、また円を刷れば良いとでも思ってるのかしら」
 ――あるいは国債を発行かしら。
「財政健全化、ってのは無理よね。結局通貨戦争は高く付いた。いくら対・テロネットワークといっても、これでは出血が多すぎる」
 近郊リニア列車は音もなく先を急ぐ。

「そういえば羽佐間さん、お母さんいないのかな」
 シファが突然言い出した。
 ――そうかもしれないわね。
 ミスフィは共有した戦闘行動のデータから察している。
「私には御門教授と賀茂教授がいたけど……親って、どんな感じなんだろう。知識として知っていても、感覚としては分からない。まあ、私みたいな戦艦が感覚といっても、妙な話かも知れないけど」
 ミスフィは答えない。

 羽左間の家は新淡路市の立体都市区の上層立体地盤にあった。
 この立体地盤の上に低層建築や戸建てが木立のなかに建ち並んでいる。
 シファとミスフィはその街中を駅から自動運転バスに乗って移動する。
 途中、バスが自転車に追い抜かれる。自転車といっても今の自転車は高性能で、それ故に免許も必要だ。
 いくつもの停留所を過ぎて、目的の羽左間の家の近くに着いた。ここからは歩きである。

 歩いて行くと、ナビゲーションのとおりに羽左間の家があった。思ったより大きな家だった。周囲では警備端末がさりげなく警戒している。
 予定より早く着いた。シファは迷ったが、ミスフィが促した。
「あ、いらっしゃい!」
 羽左間がセキュリティドアを開けた。

「あ、うちの母親、シングルマザーで、しかも僕が学校辞めた後に死んじゃったんだ」
「すみません」
「いや、いいんだ。だからこうやってみんなで一つの食事を囲むのがスキなんだ」
 羽佐間は餃子を焼いている。
「餃子、酢醤油? ラー油? 何で食べる? ポン酢とコチュジャン、あと大根おろしもあるよ」
「大根おろし、さっぱりしてて美味しそうですね」
「胡椒とかカレーとかトマトソースもいいけど」
「いろいろあるんですね」
「調べたんだよ。人間一生で食べれる量は決まってるんだもの。少しでも美味しいものを楽しく食べたいじゃない」
「そうね」
「嫁さんも手伝ってくれたし、大学の経済学ゼミの仲間も手伝ってくれてる」
「羽佐間さん、前はこのパーティー、タダだったのに会費制にしちゃうんですよ。それ払えないから僕らこうやってお手伝いしてるんです」
 笑いながら学生たちが言う。
「会費なくてもお手伝いするもんだろ。ほんとなー」
「でも会費払いたくても今はグランドモラトリアムだからウォレットが使えないもの。しかたないわよね」
「そうかもしれないね」
「でも通貨の代わりは作れることは作れる。お金が生まれる前は物々交換じゃなくて、それ以前から存在した債務、貸し借りのほうが先だった。しかも古代メソポタミアでは利息だってもう生まれてた。『物々交換の時代の後は釘が貨幣の元祖だった』とアダム・スミスは言ってた。それを肉屋とパン屋がそれぞれの商品と物々交換してた、って。でも実際の歴史では釘の職人はすでに釘を作らざるを得ないようになっていた。原材料の提供を受け、納品するにあたっては他の業者やりとりしなくちゃいけないし、生活のためにパンやチーズをもらえるような仕組み、つまり債務は貨幣より先に存在していた。というより、貨幣と債務は全く同じ、あるいは債務のほうが先で貨幣はその一手段でしかない。『クレジット』の語源のラテン語には『信用する』『信じる』という意味がある。信用取引もまた先に存在しただろうね。最初の硬貨はリディア王国で発明されるけど、古代メソポタミアでは銀や大麦の商品価格はすでにやりとりされていたし、神殿や宮殿の建設費も、ビールのツケ払いですらやりとりされる債務だった。そのサイクルとは別のもう一つの経済が『贈与経済』。債務と違ってポジティブに、信頼をもとに、信頼をさらに強固に作っていく経済。信頼を前提とせず、取引で勝ち負けや出し抜こうと行う『市場経済』と全く別の面でこの贈与経済は回っている。でもこの両方で貨幣は使われている。そして債務が誕生したとき、利子も誕生し、金融も誕生した。そしてその金融、借金は抑圧の手段にもなりうる。社会的債務って言葉もあるからね。奴隷や人質はその結果生まれる。とくに贈与経済なら評判が落ちるだけで済むけど、市場経済はその結果は残酷だ。ハンムラビ法典では破産者とその家族を奴隷や人質にとっても構わないとなっている。債務者を収監し拷問するのはなんと一九世紀まで続いていたし、アメリカへわたった入植者も多くは債務者だった。で、面白いのが、通貨をつくるとして経済学説には『金属主義』と『表券主義』の二つがある。あまり使われない経済学説だけどね。お金そのものに固有の勝ちはあるのか、という話。金属、つまり金や銀はそれ自身で価値を持つ。でも表券、つまりチケットはそれ自身は価値を持たない。だから作るのも楽だし、その全体の発行量も調整できる。でも偽造されることもあるし、発行し過ぎで価値が落ちることもある」
 羽左間は通貨の歴史を楽しそうに語る。
「貨幣に関する言葉、たとえば資本、キャピタルはキャトル、牛と同じ語源。ローマ時代に兵士に払われたのは塩だったんだけど、塩はラテン語で『サラリー』。兵士はサラリーマンだったのさ。
 貨幣には価値の貯蔵機能がある。たとえばこのネギ、120円で買えたけど、120円分の価値は貨幣にしないと農家は残せない。ネギは腐っちゃうからね。食料はそのままだとだいたい腐敗して食べられなくなる。だから食料の価値を保存するために作られたのが原始貨幣で、それは多くの場合金属だった。銀や金といったようなものね。古代エジプトではパンとビールが原始貨幣だった。ビールと言っても当時はお酒と言うよりも栄養の多いスープみたいなもんだったらしいけど。それを分配するためにエジプトで分数が生まれたという。でもそれと同時に穀物も原始貨幣だった説もある。穀物はネギや生魚よりも貯蔵しやすいからね。でも問題は穀物を大量に扱うのはすごく面倒になってくる。かさばるし重たいし。
 そういうところで貨幣は移動しやすさが必要になる。軽くて持ち運びに便利でないといけない。その点金属は重たく運びにくい。
 それなら金属といつでも交換できる、つまり兌換できるチケットでいいじゃないか、という考えもありうる。それに、金属主義も硬貨の時代になっていくと、硬貨を発行してる権力者は改鋳と言って安く作れるように硬貨の質を落とすことを考えつく。それができれば経済を好きな形に変更できる。法律を変えなくても、貨幣供給量の管理権を持つだけでやりたい放題ができる。ロスチャイルド帝国を作った銀行家ロスチャイルドはそう語ったらしい。とくに金兌換制を廃止してから、通貨の発行権はものすごい国家権力になった。国家に対する信頼があれば、通貨なんていくら発行しようが通用しちゃうからね。とはいえ結局、その信頼は有効期限がある。それを裏付ける信頼は必ず地に堕ちる。マクロ経済ってのはそういうものなんだ。でもみんな、権力者は最後にマクロ経済施策といってお金、紙幣を刷りたがる。いつか返せる、って。でもそれ、債務と同じだよね。悪魔との契約だよね。そうやって通貨は使命を終える。中国を支配したフビライ・ハンも、フランスの摂政オルレアン公に仕えたジョン・ローも、取引のときに軽くて使いやすい紙幣を取り入れ、結果それを大量に発行して経済を立て直そう、金融を刺激しようとして、一時良かったけどすぐ失敗している。そしてしかもそのだいたいの大量発行の理由が戦争の費用だった。アメリカはアメリカ南北戦争の前、アメリカ独立戦争のときにはコンチネンタル紙幣がイギリスの偽札作戦もあって失敗したのに、結局リンカーンも支払いのためにドル紙幣、グリーンバックスを作った。でもそれが結局危なっかしいのでドル紙幣を金と交換して回収しようとした。でも人々はドル紙幣を使い続け、第一次世界大戦の戦費で1929年、世界恐慌が起きる。そして第二次世界大戦後、経済を安定させようとして世界的な通貨の枠組みを作ったアメリカは、結局自国のためにドル紙幣と金の兌換を禁止してその枠組を潰すニクソンショックを起こす。結局貨幣は悪魔との取引になってしまう。この22世紀の今じゃ、ドルは基軸通貨から一つの主要通貨でしかない。
 話を戻すと、保管が効いて、持ち歩きやすくて、偽造しにくくて信頼されてるっていう条件のものなら、なんだって通貨になり得るんだ」
 そう羽佐間は話しながら手際よく餃子を焼き、大根をすりおろし、ネギを刻み、鶏ガラスープの素からスープを作り、鍋で炊いていたチャーシューに竹串を刺して出来を確認する。それと同時に年上の嫁と一緒にテーブルをだし、テーブルクロスを敷いて料理を並べていた。
 みんなもそれを聞きながら持ち寄ったお酒や料理を並べる。
 羽左間の嫁は年上の女性だったが、それは羽左間が若すぎるだけで、外見はいかにも今風の若い女性で、羽左間のお姉さんだ、といえば通用してしまいそうだ。結婚すると夫婦はどこか似てくるという説があるが、それはホントかも知れない。シファはそんなことを思う。いかにも幸せそうな夫婦で、それを見ているシファも嬉しくなる。
「シファさんとミスフィさんがいるからナニだけど、ニンニクもいく?」
「え、なんで私がいるからナニなの?」
 シファが戸惑う。
「いや、女子だからさ、臭いがきついかな、って。これじゃオトコ飯になっちゃうな、って」
「あ、そうか」
「一応さ、女性形女性サイズ戦艦だけど女性なんだと思ってたんだけど」
 シファは笑った、
「そう思ってくれると、すこし嬉しいなあ」
「でしょ?」
 羽左間とその嫁も笑った。
「量子圧縮食品も悪くないけど、やっぱり作った料理が好きで。そういえばうちの母親の作ってくれたレトルトのカレー、美味しかったなあ」
「え、レトルトで?」
 シファが怪訝な顔をする。
「うん。なんでかわからないけど、美味しかった。母親、僕を育てるために稼がないといけなくて料理あんまり作ってくれなかった。だから僕は自分でウェブで調べて料理覚えた。母親にメーワクかけたくなかったから。でもどうしても作れないときがあって。そのとき、母親が保存用のレトルトカレーを温めて食べさせてくれた。本当に美味しかった」
「料理ってそういうものかも知れませんね。その時々の思いで記憶に残る味になる」
「逆にどんな美味しい料理でも、美味しくないときがある。金融庁の仕事を覚えて、すこし決定権ができる寸前、うっかり高い寿司おごられて。すごく職権的にやばいって気付いちゃって。その時、すごいいいお寿司屋さんだったんだけど、しまった! と思ってたから、ぜんぜん美味しくなかった。だからその支払い僕の分は僕がちゃんと払いなおした。でも同じ寿司だったら自分で望んで払った爆安寿司の方がずっと美味しかったと思う。相手が僕の仕事に下心持ってるの分かったとき、ゾッとした。うわ、やだなあ、って。でもあの高い良いお寿司屋さん、たぶん二度と行くことがないだろうね。それぐらいの格式のお寿司屋さんだった」
「金融庁の決済監視チームってなると、そういうヤバいことにもなるんですね」
「そりゃそうだよ。お金は人を簡単に狂わせるから。お金と債務にみんな踊らされ、かんたんに大事なことを見失う。しかも大きなお金になるとね」
「羽左間さん」
 シファは思わず言った。
「羽左間さん、ぜんぜん普通、というか、活き活きしちゃってません? こんなことになったのに」
 羽左間は笑った。
「株や相場をやってる人間はね、順調に高騰してる相場は怖くて仕方がないんだ。逆に暴落した相場だと生き生きしちゃうんだよ」
「なぜです?」
「高騰した相場は高くてもと売ると損しそうだし、買おうにも高くて手が出せない。そんな身動きが取れないくせに、いつバブルがはじけるか、と、常に不安で仕方がないんだ」
 シファは目を丸くしている。
「逆に暴落するとね、次どうしようかな、と手を考えられるし、ここまで落ちればもう上がるしかない、と思えるからね。どーんと落ちてくときはクソ、と思うけど、落ちすぎると返って楽観が支配するんだ」
 ミスフィも頷いている。
「だいたい、僕今ヒマだし。監視したい取引、ほとんどいま日本はじめ世界中でできなくなってるんだもん」
「ひどい!」
 シファは笑う。
「アメイジンのファインの取引監視チームは大変だろうけど、そんなこと知ったこっちゃないよ。確かに僕らは通貨作戦を仕掛けてしまった。でも、それに通貨作戦で復讐してきたんだもの。でもこれで、だれがこの戦いのキャストかがよく分かった。フェデレーションは、アメイジンを初めとする企業グループだ。彼らは既存の国家のネットワークに反旗を翻したんだ。それも我々の通貨作戦を口実に」
 羽左間の瞳が怜悧に輝く。
「きっとこれは前々から十分に準備されていたんだと思う。でも我々の捜査機関がそれに気づけなかったのは、なにか根深い裏事情があるんだろうね。とはいえ、これで僕ら既存のヒエラルキーと、彼ら暗号通貨を軸にした企業連合の対立だって図式ははっきりした。そして今、こうして人々は既存通貨か暗号通貨ファインかの選択を迫られ、そしてそのなかで戦争に巻き込まれようとしている」
「いつだって、戦争の犠牲者は名もなき普通の人々ですよ」
 パーティの一人がそう言う。
「世界の片隅で普通に生きている人が、一瞬で夢も希望も命も奪われてしまう。残酷すぎる。そしてそれを起こした人間はいつも、ほぼ必ず生き延びる。人類史上で本当に戦争の責任を取った人がいるとは思えない」
「取りようがないからね。だれかが戦争を起こしても、それを戦争にあおり立てるのも、あおられるのもまた普通の人々だから。そして戦争で戦い、死を量産するのも普通の人々がいつも『仕方なく』『そういう空気だったから』と、避けられなくてやることだよ」
 羽左間はそう言い切る。
「そうやって戦争は繰り返される。経済の破綻を先延ばしするために。でも経済はどうやっても行き詰まる。その行き詰まりを解決するのは発明と戦争しかないと言うけど、実際は戦争しかないよ。発明はいつも戦争とともにあるし」
「というか、戦争と人間がもう切り離せないのかも知れません」
 一人がまたそう言う。
「破綻しない経済なんてないと思うし、経済無しに人間は人間ではいられないですもの」
「そうかもしれないな。だから仏教は早々にこの世のそういう繰り返しからの解脱を説いちゃったんだろうね。悲しくなるけど、それが現実だ」
 羽左間はそう言うと「大根おろしだったね」とシファにその小鉢を進め、シファはそれを受け取った。
「あ、そうだ、シファはお酒飲めるんだっけ」
「飲めますよ。こういうときは飲むことにしてます。でもミスフィはダメです。ミスフィ、お酒全然ダメで。かわりにコーヒーがあれば」
「いいよ。じゃあ、嫁さんに入れて貰うよ。嫁さんのコーヒー、結構美味しいんだ」
 羽左間は微笑む。
「こうして昔のゲーム仲間や仕事仲間が集まって家でパーティできるなんて、昔は想像も付かなかった。学校にも行けなくなって、稼ぎもなくなって、ひたすらゲームとプログラミングしていって、そうしたら建部先輩に誘われて」
「警視庁の建部警部ですね」
「え、シファ、知ってるの?」
「何度かお世話になりましたよ。私たちの作戦の時、必ず支援してくれます」
「そうなのか。でもあの建部先輩がいなかったら、ぼくらはずっと治療も不十分、収入も自立も不十分だっただろうなあ。特にうちは母親が途中で死んでるけど、あの事件がなければ僕ら心の病気抱えてる人間は目に見えない障害と言うことでとんでもない扱い受けたままだった」
「少し聞いています」
 シファは頷く。
「『働き方』改革なんて言ってたけど、あれは『働かせ方』改革、それも奴隷働きさせたい連中のものだった。外国人技能実習生なんて実際は奴隷働きだったし、そういうのに頼ってまともにサービスにお金払う習慣がなかった日本は、サービスは何でもめちゃくちゃ安かった。そして生産性が低いことになってた。あれは経済や統計取る人間があまりにもダメすぎたんだ。付加価値を労働力で割るなんていったって、付加価値分にだれもろくにお金払わないんだもの。そりゃ労働力あたりの付加価値は世界でもメチャメチャ低くなるのは当たり前だよ。まして『モチベーションを高めやり甲斐を感じ組織へのエンゲージメントを高める』なんていうけど嘘も良いところだ。一番それ高めるのはお金、給与に決まってる。他に何があるんだと思う。でもそのことを認めない人が多すぎる。自分だけは損したくないと思っている。贈与経済じゃなくて嫉妬経済だった。そんな中でまともに給与が上がるわけもなく生産性も上がるわけもない。あの時代ですら最低賃金上げれば生産性が上がることは明確だった。でもそれすら上げようとしない。そしてお金は刷れば刷るほど隠匿にしか行かない。そりゃ経済が破綻するのも当たり前。でも労働組合もマスメディアもそのことを言わない。嫉妬経済だったからね」
 羽左間は一気にまた喋りまくる。
「でも、建部先輩がたまたまそれに風穴を開けた。脳磁デバイスを使っていたなかで脳磁デバイス実用化にあたっての『闇』を見つけ出した。そしてその結果警視庁情報犯罪課に採用され、大活躍した。あのときの警視庁の担当さんがスキルを見極める能力持ってて、それですごく成功したから巡査補制度、ひいては在宅の裁量労働が認められるようになった。でなければ在宅ワークなんて内職レベルだった。みんな毎日満員電車に詰め込まれて毎日せまいオフィスに通って、仕事に関係ない馬鹿げた慣習を覚えさせられ、さらには仕事に関係あると擬装された宴会にまで自腹で動員されてすり減らされていた。そこまで無駄やってて生産性が上がらないなんて言ってたから信じられない。一緒に『働くことの本質』からずれすぎていた。建部先輩のおかげでそれがようやくおかしなことだと認識されるようになった。でも、その時には22世紀を迎えちゃっていた。日本はそこまで徹底的に時間を無駄にした。その間に戦争も2つ起きた。その犠牲でようやく今こうなれた」
 シファはその話を聞いている。
「喋りすぎだけど、その嫉妬経済から日本が抜け出せて本当に良かったと思う。でも21世紀じゃ、ほとんどの人が嫉妬経済に浸かっていることに気づけなかった。島国ってそういうことなんだったんだと思う。でも、あれは総理が何人変わってもかわりようがなかったと思う。それが嫉妬経済の恐ろしさだった。名指しで『やってくれ』と頼んで値切るとか、今じゃ信じられない。そういう慣行が自分の首を絞めていることにも気づけなかった」
「慣行……」
「そう。日本という国は結局は普通の国だった。でも島国だったせいなのか、過大評価と過小評価の間で揺れ動き続けた。幸いにして難民問題などから海が障壁になってくれていたけれど、その分非常識なことも多かった。それを訂正するのは難しすぎた。根深い嫉妬経済のせいでベーシックインカムどころか、まともな福祉すら行われていなかった。健康保険制度は世界的に例がないほど充実していたにもかかわらず社会福祉は酷かった。世界の国の例に漏れず、良いところと悪いところ両方があり、それを均せば普通の国だった。だから、普通にがんばるだけで良かったのにね」
 その話を間にみんなは餃子やみんなの持ち寄った逸品を食べ、お酒とコーヒーを楽しみ、シファはホログラフィを空中に作り出して見せたり、ミスフィがオカリナを演奏したり、他のものも最新のゲームを見せて遊んで見せたりと思い思いに楽しんだ。
 それは羽左間が話疲れて座り込むまで続いた。
「ありがとう」
 羽左間は最後にそう言った。
「いいえ」
「ええっ、シファ、僕のこの長い話、まさか、ちゃんと聞いてたの?」
 ピピ、と電子音でミスフィも頷く。
「一方的に話しちゃってたと思ってたのに」
「いいえ。あなたのこと、興味深く聴いたわ。確かにそうね。嫉妬経済のなかでは労働改革は余計やりにくい。だから無理な下請けいじめもあったんだろうし」
「そうだ、けど……」
 羽左間は驚いている。
「そしてあなたが普段から憤りながら、我慢しながら働いていたことも」
 シファはそう優しく言う。
「わかっててもそうはいかないのが現実だものね」
「……うん。そういうことかもしれない」
 羽左間に彼の嫁も笑っている。
「ありがとう。君がセーフモードに陥るほど大変だったと聞いて、そのケアのためにパーティーするはずだったのに、僕がケアされてしまった」
「それでいいんですよ。お互いにそうやって承認をやりとりし合うのが社会や仲間の本来のあるべき姿だもの」
 羽左間は感心している。
「承認のやりとり、コミュニケーションこそ本質だ、って私は大学の時に学んだの。でも、それは本当ね」
 シファはそう言うと、窓の外を見た。その胸元のクリスタルはまだ黄色に光っている。
「でも、今のアメイジンやフェデレーションとのコミュニケーションって、成り立つのかしら。成り立ってると思っていたけど成り立っていなかった。だから戦争になったんだし。でもそれをもう一度取り戻さないと、この戦争は終わらない」
 羽左間も頷いた。
「また見えない壁が、いつのまにかできていたんだ。この一見複雑だけどひとつに見える世界に」
 世界中の取引市場が全て閉鎖された最悪の夜は、こうしてふけていく。
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登場人物紹介

シファ(シファリアス)

 BBN-X、時空潮汐力特等突破戦闘艦シファリアス級の1番艦、ネームシップ。最新鋭の心を持つ女性サイズ女性型戦略型宇宙戦艦。第2次近代化改装を受けて搭載する武装や機器とシステムプログラム・ウイングナイトシステムがアップデート、大幅に刷新された。

 大学時代から内閣調査庁調査官・鳴門と恋仲にある。新淡路大学卒業後幹部教育隊を経て、独力で行動可能な戦艦である自身を指揮の執れる1佐格を持っている。しかし搭載する行動支援システムZIOTの支援がなければ自転車にすら乗れないほどの運動音痴。「ウイングナイト」「クールな守護天使」のはずがいつのまにかポンコツ戦艦呼ばわりされるに至っている。

ミスフィ(ミスフィオス)

 シファ級の2番艦、姉妹艦で妹に当たる。女性形女性サイズ戦艦。BBN-Xになるための近代化改装をまだ受けていないためにBN-Xと呼ばれる。艦番号73。

防衛大学校卒業、幹部教育隊を経て第99任務群配属後に香椎2尉と恋仲となるが、どういう恋愛をしているかは不明。というかレースクイーンの刑ってなんだ? そういうところが周りからは怖がられている。

 通常の言葉を話すのが嫌いなのでいつも同意と否定の電子音とメッセンジャーの文字で会話する。失声症に近いかも知れない。だが戦艦としての武装の他に、超音波域の波長の叫び声でさまざまなセンサーを麻痺させる音響麻酔能力を持っている。耳もシファと違いエルフ耳のような形状になっている。

 他にもいろいろとミステリアスな要素を持っているが、その実、姉であるシファを強く敬愛している。

戸那実3佐

 シファとミスフィの所属する第99任務群の指揮幕僚。司令の宮山空将補を支え、シファとミスフィの作戦を立案・支援する。

 防衛大学校首席卒業の才媛なのだがいろいろと素行不良なことがあって(とくに整理整頓が苦手。それでもいっっぱんじんに比べればきちんとしているのだが)、それで指揮幕僚課程を進んでいても出世の目はないと思われていたところを宮山司令にスカウトされて現在の配置にいる。以前は重巡洋艦〈みくま〉に乗り組んでいたがそのあとずっとこの99任務群に所属している。

 視力が弱点で眼鏡着用なのだが、コンタクトレンズや視力アシストを使っている時も多い。

香椎2尉

 陸戦のエキスパートだが現在第99任務群に所属、〈ちよだ〉にセキュリティ担当として乗り組んでいる。そのままでは練度がなまるので連合艦隊司令長官附で陸戦用新装備の試験の仕事もしている。いつもパワードスーツ搭乗用の迷彩レオタードでうろうろしていたり、異常なほどの大食らいだったり、なかでも豪華プリン好きであきれられているのだが、それでも敬愛されているのは彼女が苛烈なUNOMA(中央アジア暫定統治機構)の武装警察軍の任務の中、最大の窮地から多くの部下をその名指揮によって救い出した英雄であることと、とぼけながらも聡明なところを垣間見せるギャップによるのかもしれない。

 ミスフィの恋人でもあるが、ミスフィとどういう恋愛をしているかはほかのみんなは怖くて聞けない。

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