BLOCK06:週明けの絶望

文字数 10,370文字

「反攻って言ったって、これからいったいどうするのよ」
 〈ちよだ〉の艦内で、シファの所属する99任務群の幕僚・戸那実3佐は荒れていた。
「アメイジンの配達員を全員取り調べるの? アメイジンの日本法人に家宅捜索でもするの?」
「そんなことに意味がないのは分かっているはずです。そのために我々は行動解析捜査と傍受捜査を続けています」
 彼女の通信の相手は警視庁情報犯罪課・建部警部だ。
「シファが羽左間さんとこから戻ってきても、まだセーフモードのままだし」
 そういう戸那実の視線の向こうでは、シファの胸のクリスタルは黄色に輝きつづけているままだ。
 それを復旧させるべく、沖島以下、整備科のみんながいそがしく手を動かしている。
「これには令状も取ってあります。アメイジンの末端の配達員から配送センターのオペレーター、そして幹部までを対象に、全てのデータの収集と蓄積を隠密で行っています」
「そんなことで連中が尻尾をつかませるかしら」
「アメイジン幹部は自分たちの通貨作戦への批判と、今回の世界的通貨危機は全く別のものだと主張しています。しかし、彼らは同時に言っています。『国家が不始末をして、その不始末の責任を取らずにそれに寄って起きた災禍の原因と私企業を名指しする。それでは国家とはそもそもなんでしょう? 税金を取り、通貨を発行していながら、十分な考えもなくテロ対策だと言うことで戦争を仕掛け、その反撃を受けたらそれを私企業のせいにする。そこに国家としての責任は存在するのでしょうか』と」
 戸那実はかぶりを振った。
「まったく、苛つくわね。ええ、まったくその通りよ。私たちの国は間違えてとんでもない悪手を打ってしまった。ほんと、いちいち正論だから腹が立つのよ。外れたことならハラも立たないけど」
「とはいっても、やられたからやりかえす、しかも『倍返し』が許されるわけがないんです。やられたらやり返していい、報復していい、というのは大昔、ハンムラビ法典の時代です。この国際秩序ができつつある時代にそんな野蛮をやっていいわけがない。罪と罰は最終的には釣り合うべきなんです。でなければ復讐は永遠に連鎖してしまう」
「でも彼らは『報復したのは自分たちではない』というんでしょ?」
「ええ。表だってはそうなっています。真っ先に疑われますからね。そして彼らもまた私企業が犯罪者集団となってしまうわけに行かないのも知っている。かといって我々も私企業にここまでいいようにやられたことを、あっさり認めるわけにも行かない」
「その結果、お互い黙り込んで、こうしている間にもアメイジンは注文を受け続け、その宅配便が忙しく家々を回っているわけね。すごく危険に敵対しているのに」
「ええ。何も変わらないように見えているわけです。しかも市場は普通通り再開されます」
「そのための既存通貨の安全性は確保できたの?」
「正直、十分ではありません。我々も既存通貨の安全性確保のために使っているブロックチェーン技術は一度フェデレーション側に破られています。目下その修復にシファとミスフィの計算リソースが投入されつつあります」
「そうね」
 戸那実の目の前、主整備室では、ティルトローターで羽左間の家から戻ってきたシファとミスフィが専用ベッドに横たわり、ミスフィは計算リソースの提供を、シファはセーフモードからの復帰のための作業を行っている。
「そしてこういう緊急事態のための予備計算リソースとしてのシファ級BBN-Xの有用性が認められ、国会は地上配置型のシファ級、ウイングナイト・アショアの設置に向けて本格的に動きつつある」
「……でもそれ、全部こういう筋書きを望んだ人が、どこかにいるような気がする。フェデレーションでも我々でもなく」
「ええ。それもただの陰謀論かも知れませんが、とはいえその可能性も今、我々警察と検察庁が強い関心を持って捜査中です」
「ほんと、どうしてこうも裏と裏がつながっているように思える世の中なのかしらね」
「世の中は解決よりも対策を求めるんですよ。解決すると仕事はなくなります。対策すれば予算も仕事も必要になり、その対策の結果、さらに対策が必要になる」
「厭になるわね。役所のいつものこととはいえ」
「まったくです」
「しかし、ウイングナイト・アショアはすでに実験設備があったはず」
「ええ。青森県の連合艦隊大湊実験場に0号機、〈ゼロ〉が設置され、稼働開始まであと少しになっています」
「シファとミスフィが戦列に復帰して、その〈ゼロ〉が起動すれば」
「ええ。そうすればウイングナイトシステムは日本のものだけで3基になります。その計算リソースなら、通貨の健全性は復旧出来ます。ただ、それを黙ってフェデレーションが放置し、認めるでしょうか。多くの決済が新通貨・ファインにうつりつつあるのに」
「まさか!」
「ええ。稼働前に〈ゼロ〉を破壊してしまおう、と彼らは考えるんじゃないでしょうか。この有利な情勢をそのまま完全に勝利条件の向こうまで押し切ってしまうために」
 戸那実は戦術動静表示パネルを見た。
「建部警部、ほんとあなた、警部にしておくのは惜しいわね」
「そうですか? 僕はこの警視庁情報犯罪課の仕事が一番だと思っていますが」
「連合艦隊司令部の参謀にしたっていいぐらいよ。同じ推論で今、空母〈かつらぎ〉以下第一航空艦隊が大湊実験場付近に接近する脅威がないか、搭載した戦闘哨戒機の捜索ラインを張り巡らせているわ」

「テイクオフ!」
 北太平洋上の雲海を征く〈かつらぎ〉からリニアカタパルトの力で、かつての固定翼対潜哨戒機なみの大きさの戦闘哨戒機・スカイギャロップが灰色の雲の向こうへ射出される。〈かつらぎ〉には斜め甲板が2つクロスする形で2つ、四本装備され、同時に着艦も2機ずつ実施出来る。しかもその着艦も発艦と同じく固定翼対潜哨戒機と同じかつての大型機に対応している。搭載機の数は200機を超え、それを作戦行動させるだけでなく整備検修まで行えるこの空中空母は、全長1200メートルを超える日本連合艦隊の力の象徴である。
「アメイジンの空中物流センターは2つ。〈ブルースカイ〉と〈レッドトワイライト〉。どちらも我々空中重空母と規模は同じだ。貨物輸送機を発着させると言っていたが、思えば空母と同義だった。ロシアや欧州の空母よりもそっちを警戒すべきだったのか」
 艦橋で指揮を執る空母群司令はコーヒーを片手に、忌々しそうに言う。
「そうは普通は思わないさ。私企業グループが国家グループに敵対するなんて、想像も付かない。たちの悪いSFみたいな話だ」
「そりゃそうだが、現実にそうだからな。たまったものではない」
「ポセイドン07が着艦許可を求めています」
「許可出せるか?」
 航空団司令が部下に訊く。
「現在4番の飛行甲板をあけるように甲板要員に指示しています」
「2番は?」
「発艦準備中のネプチューン12が移動中です」
 空母の飛行甲板上は飛行作業中はこのようにめまぐるしい忙しさになる。
「索敵哨戒線の状態は?」
「L3からL7、目だった不審機影はありません。硫黄島OTHレーダーでもアメイジンの空中空母らしき反応はないようです」
「情報傍受艦〈あすか〉からの情報は」
「今のところ変化はないそうです。通信総量は普段通りとのこと」
「ということは、仕掛けてこないか?」
「そう思わせたいだろう、向こうは」
「索敵哨戒機、ネプチューン02、発艦します」
 その空母艦首、リニアカタパルトの動作音から離れた〈かつらぎ〉の艦載機エレベーターでは黄色の点滅灯の点滅に照らされ、チンチンチンという警告ベルを鳴らしながらさらに戦闘哨戒機が格納庫と飛行甲板の間を往き来している。その大きさはかつての米原子力空母の数倍のスケールである。扱う機体が大きいためにサイズアップされているのだ。
「こうしてる間もアメイジンの宅配は世界中を駆け巡ってるのか。俺たちは一体何を相手にしているんだろう?」
 飛行隊員の一人がつぶやく。
「というか、アメイジンの物流を追跡してるなら、そのアメイジンの商品は物流センターをかならず経由するんじゃないのか? それでその問題の空中物流センターも見つかりそうなもんだが」
「ところが、そのネットワークは地上のこれまでのアメイジン・物流ゲートウェイセンターしか経由していないらしい」
「じゃあ、アメイジンは、いったいなんのために、あんな空中物流センターなんて作ったんだ?」
「そりゃさ、こうして空母に使う気だったんだよ。初めっからその気満々だったのさ」
「そんなバカな」
「でもアメイジン、もともと会計的に非公開の部分があっただろ?」
「そういえばそうだけど」
「その時点でそもそもやばい会社だったのさ。そもそもアメイジン、始まりのただの通販書店の頃から『もうすぐ破綻する』だのって言われてたけど、でもその実態は誰も知らなかった。しかも何度も本社所在地がかわって、だれも実態をつかめないまま。そしていつの間にか国家に並ぶぐらいの経済規模になっちまった」
「それでいろいろ揶揄されてたけど、企業として不明朗なとこはよそにいくらでもあるからなあ」
「だろ? それがいつの間にか、みんな便利だからと依存しまくって、結果空母と、それともっとあぶないものまで仕入れられるほど大きくなっちまった。アメイジン、政情不安な地域には護衛のPMC、民間軍事会社までつけて宅配してるんだから」
「傭兵つきの宅配かよ」
「しかもそれに国連が業務委託してたこともある」
「めちゃめちゃだ」
「だから今更なにがおきてもおかしくない」
「しかもそれ野放しにしたまま取引市場を開けちまうんだろ? 頭オカシイよ」
「でもそうしないと社会が麻痺から壊死に向かっちまうって」
「そういうことになってるけどさ、それで得をするのは」
 そのとき、一斉通信が入った。
「全機攻撃即時待機! 攻撃即時待機!」
「なんだって?!」
「みつけたんだ、敵空母を!」
「第二次世界大戦時の海戦じゃあるまいし!」
「しかたないさ、今更それ言っても!」

「しかしこれ、アメイジンの空中物流センター〈ブルースカイ〉を発見したと言っても、それを攻撃するのは法的な建て付けが全くないぞ」
 出撃に向けて準備する飛行隊員が口々に言う。
「いま、新淡路で〈ブルースカイ〉への立ち入り調査の礼状を裁判所からとろうとして検事が必死に作文してる」
「できるのか」
「できるかどうかじゃない。やるしかないんだ」」
「そんなめちゃくちゃな」
「でもアメイジンの物流ネットワークでテロに使われた機材があった、ってことを使おうと」
「それ、思いっきり別件捜査じゃねえか!」
「そういう贅沢は言ってられないのさ。ここまで超大規模な組織犯罪を想定して法律の体系が作られてないんだ。それでも脅威は存在するんだから、なんだって使うしかない」

「11番と12番機には空挺降下パワードスーツの降下パックを搭載する。もし〈ブルースカイ〉が立ち入り調査を認めた場合は彼らを降下させる。認めず敵対行為に及んだら、それへの反撃として航空攻撃を行う」
「例によって敵対行為待ちですか」
「我が国は憲法で交戦権を未だに放棄している。明らかに敵だとわかっていても、自分から戦いを仕掛けることはできないんだ」
「まったく、20世紀の亡霊がまだ生きてるのか」
「それがあるからいいこともあるんだがな」
「とはいえ、先行し触接を行っている戦闘哨戒機になにかあれば、そのまま全力での航空攻撃を行う。そのため、巡航空対空ミサイルとUAV(無人戦闘機)を満載して発艦することになる」
 飛行隊長はそこまでドキュメントを読んだあと、言った。
「だが、ここまでは規定通りだが、事態は予想を超えている。正直、なにがあるかわからん状態だ。この場合、優先すべき目標は」
 そのとき、警報音が鳴った。
「くそったれ、仕掛けてきやがった!」
 全長1200メートルのこの巨艦が、急回頭で動揺している。
「脅威の方向0ー9-7、脅威-赤、全艦対空戦闘!」
「搭載全機、緊急射出を開始する! 射出体勢を取れ!」

 雲海を征く艦隊が一斉に向きを変え、その艦隊の外縁部で警戒していた防空艦〈はまづき〉の艦橋では対空戦闘の指揮が始まっていた。
「防御目標を〈かつらぎ〉に設定」
 〈かつらぎ〉は回頭しながらリニアカタパルトから次々と艦載機を射出している。
「トラックナンバー7721から7725、識別、空対地ミサイルらしい」
 センサーマンが報告する。
「対空戦闘! 目標、トラックナンバー7721から7725、ラギオン戦用意!」
「ラギオン発射準備よし!」
「ラギオン、1番から4番、発射!」
「バーズアウェイ!」
 空中艦艇用の空対空ミサイル・ラギオンMR-3が垂直発射機から4発、次々と撃ち上げられる。
「変針、新進路0-0-1!」
「0-0-1変針、取り舵ヨーソロー!」
「ラギオン正常飛翔中!」
「インターセプト10秒前!」 
 ミサイルが極超音速で同じく超音速で突進してくる敵ミサイルにあたりに行く。
「マーク・インターセプト! 残存目標1!」
「レーザーで対処する! レーザー用意!」
 〈はまづき〉の中央部、ドーム状のレーザー砲塔のカバーが開き、中からレーザー砲の照射ミラーが露出する。
「大気減衰率想定内! 測距よし、照準よし!」
「照射!」
 アニメやゲームと違い、こういった戦術レーザーは本射が発射されても、可視光の波長ではないために見えない。
「照射継続中……目標破壊!」
 だが、そのモニターの画面に別の表示が出る。
「くそ、接近する民航機に警告はでてないのか! このままだと巻き込むぞ!」
「民航機は退避したくてもそこまで敏捷には機動できません!」
「〈かつらぎ〉航空隊、全機無事発艦しました! 現在〈ブルースカイ〉に向けて突進中です!」
「ってことは向こうの攻撃隊もさらにやってくるぞ! 全艦、対空警戒を厳となせ! それと民航機の退避急げ!」

 〈かつらぎ〉から射出された戦闘哨戒機は7個飛行隊140機にのぼった。残りの40機は直掩機として上空待機している。
 そのそれぞれの機体はボディリフト構造のUFOのような姿で、多数の長射程空対空巡航ミサイルを機内ロータリーランチャーに満載している。
 その攻撃隊140機に先行していた触接していた機からの〈ブルースカイ〉の位置情報がデータリンクで渡され、攻撃隊は訓練通り、〈ブルースカイ〉の予測位置から等距離の円弧状に散開、そしてそこから中心の予測位置に一斉にミサイルを発射する。
 中心の標的に対し、さまざまな方向から一斉飽和攻撃を仕掛けるのだ。
 飛行隊長の言うとおり、優先目標は空母となった〈ブルースカイ〉本体である。
「ウェポンベイ、オープン」
「全攻撃隊、クリアードアタック、クリアードアタック!」
「タイミングを合わせるぞ!」
「レディ……ナウ!」
 ロータリーランチャーからミサイルが次々と発射される。
 容赦のないミサイル攻撃が行われ、そのミサイルの薄青い排煙が集中していく。
 途端に猛烈な爆発が起きる。だが、それは着弾ではなく、〈ブルースカイ〉の自衛火器と
護衛艦の対空砲火に撃ち落とされている爆炎なのだ。
「護衛艦を連れていたのか! これは二次攻撃の必要があるぞ!」
「どこに護衛艦つれた物流センターがあるんだよ!」
「こうしてあるから仕方がないだろ!」
「全弾撃ち尽くした! 帰投する!」

「嘘だろ!」
 母艦のいた空域に帰投した彼らが見たのは、いくつもの煙のカタマリだった。
 それは帰投すべき母艦〈かつらぎ〉の周りで、被弾し煙を引いて降下していく護衛艦艇と、そしてその中心で同じように煙を引いている〈かつらぎ〉だった。
「くそ、食らっていたか」
「直掩機で防ぎ切れなかったのか!」
『こちら〈かつらぎ〉、被弾し、現在ダメージコントロール中。全飛行甲板使用不能。着艦を受け入れられない。航空隊全機、近傍の三沢基地に着陸せよ』
「わかった! みんな! 三沢で再武装して二次攻撃を仕掛けるぞ!」
「はい!」
 全戦闘哨戒機が編隊を組み、整然と西の空、三沢の方向へ進路を変えた。

 防空戦闘に奮闘していた防空護衛艦〈はまづき〉も被弾していた。
「着水するぞ!」
 被弾した箇所は後部格納庫で、格納庫内の艦載ティルトローターは空中待機だったために不在だったため、僚艦〈いそづき〉に臨時に着艦退避している。
「ダウントリム25!」
「25ヨーソロ!」
 艦内では必死の消火活動が続いている。しかしすでに被弾時に引きちぎられた艦体とともに数名の乗員が行方不明になっていた。おそらく一緒に虚空に落ちたのだろう。助かる望みはまずない。
「くそ! 後部高圧ガスタンクに引火!」
「ダメージコントロール! フレーム240番より後ろの区画を放棄する!」
 艦長の命令に、みんなその意味を知った。そこにはまだ生きている乗員が数人いるのだ。
 とはいえ、彼らを救おうとしたら、艦はバランスを崩して海に叩きつけられ、全員が死ぬ。その残酷な選択を、艦長は迫られたのだ。
「240番より後部、封鎖!」
 機関科員がその操作をした。しかし感傷を感じる余裕はない。
「ダウントリム20へ!」
 急降下する〈はまづき〉を持ち上げようと操舵員も必死だ。
 海面に深く突き刺さったらやはり全員助からない。DAGEX装置による上昇力がまだあるとはいえ、このままでも空中分解し、バラバラに墜落してしまう。艦体が形になっているまま着水させるしか、生き残る方法はないのだ。それが空中艦船というものだ。
 一見強力そうに見える空中艦船も、被弾すればここまで悲惨なものなのだ。
「20……ヨーソロ!」
「ダウントリム15!」
「15……くそ! 重たい!」
 操舵員がサイドスティックを必死に操作する。この艦の操縦はパワーフィードバックのあるサイドスティックで行っているのだ。
「堪えろ!」
 すでに搭載したラギオンミサイルをはじめとした火器類は投棄している。
「15……ヨーソロ!」
「高度1000を切ります!」
 ――間に合わない!
 艦長が叫んだ。
「全員、なにかにつかまれ!」

 〈はまづき〉は壮大な水煙とともに海面に突き刺さった。
 しかし奇跡的なことに、進入角度が深かったのに、艦体は形を持ちこたえ、崩壊することなく海面に浮かんだ。
 救難隊の救難機がすぐにやってきた。
 しかし、その〈はまづき〉の救難は後回しとなった。
 ほかに3隻の空中にいた護衛艦が、被弾して空中分解したり、着水に失敗して大爆発を起こし、救難を必要としているからだった。
 着水後の〈はまづき〉の動揺が収まった。姿勢が安定したのだ。
「くそったれ……」
 艦橋にそんな声が漏れた。
「仕方がない。民航機を対空砲火に巻きこむことはできない。今、民航機の完全にいない空域なんてそうそうないし、そんなことをしたら、我々の戦う意味がなくなる」
「でも、連中はそれが狙いだったんですよ」
「ああ。そうだな」
 〈はまづき〉の艦長はそう答えると、苦くゆがめた顔で空を見上げた。
 海の風は吹いていても、仮想現実でそれを表示するだけの装甲艦橋には吹かないのだった。
 かわって、苛烈な戦闘指揮のあとのよどんだ空気だけが、あった。
「そうだったんだ」

 〈ブルースカイ〉への第二次攻撃は行われなかった。それはまぼろしとなってしまった。
 三沢で再武装していた第一航空艦隊の攻撃隊が発進する前に、〈ブルースカイ〉に触接していた戦闘哨戒機が撃墜されてしまい、その位置がわからなくなってしまったからである。
 そのまえに連合艦隊を組むアメリカ・ハワイの攻撃隊がすでに出撃していたが、その位置を引き継ぐことはできなかった。しかし〈ブルースカイ〉にも数発が命中、中破に追い込んだとその戦闘哨戒機は報告を残した。そしてそれを残して、機長以下5名の搭乗員とともに戦闘哨戒機は消息を絶った。その発見と救難は絶望的だった。それが哨戒機というものなのだった。
 〈かつらぎ〉も中破したが、自力航行出来るために修理のできる横須賀に帰投することとなった。それを空中護衛艦と百里基地からの航空機が援護する。
 そしてさらに同じ重空母〈あまぎ〉の第二航空艦隊の攻撃隊が控えていたのだが、それはアメイジンのもう一隻の空母〈レッドトライライト〉の出現に備えて動きが取れないのだった。
 しかも動きが取れないどころか、新淡路市や東京・大阪・北京・上海といった巨大都市を守る防備任務のために縛り付けられてしまうのだった。
 中型の正規空母〈ひりゅう〉〈そうりゅう〉もそれぞれシンガポールやシドニーの護衛をせねばならない。
 結果もう一隻のアメイジンの空母〈レッドトワイライト〉は自由に動きやすくなってしまったのだった。

 この北太平洋海戦は、歴史上でも数少ない空母対空母の戦いとしては連合艦隊とフェデレーションの痛み分けで終わった。
 しかし、〈はまづき〉の艦長は、その痛み分けの痛みに、のたうちまわりたかった。
 多くの部下を失った痛みは、いくら訓練され、先の日本会戦の戦訓として学んでいる職業軍人とはいえ、あまりにも受け入れがたいものだった。

 そして開いた取引市場も極めて不安定だった。長期金利も平均株価も為替も値動きがメチャメチャだった。なかでも国債は恐ろしいほどの売りの先行で取引の値段が付かなかった。市場にはこんな状態で取引を再開させた経済当局への怨嗟の声が満ちた。それでもこの荒れた相場で一儲けしようとする相場師が何人も現れ、そして負けていった。かつて昔、鉄道にホームドアのなかったころ、相場が落ち込んだときに鉄道自殺が多発したと言われていたが、今はホームドアが完備されている。とはいえその絶望への対策が完備されるのは無理で、新淡路市内でも救急エアバイクが何台も飛び回る事態となった。

 新淡路市の首相官邸では現れた財務大臣に多くの記者が詰め寄ったが、財務大臣付の護衛官がそれを抑え、財務大臣は急いで官邸の総理執務室へ上がっていった。ほかの経済閣僚も同じだった。だれもコメントしなかったのだが、コメント出来ないのでもあった。
 そしてその集まった総理執務室では友好国だけでなく、普段は交渉の相手となるような国とも結んで遠隔会議が開かれていた。
 その緊急会議は当然、紛糾した。
 日本の総理も荒れていた。自らの部下である連合艦隊にすでに多くの犠牲者が出ていたからである。
 しかもその苛立つ神経をいつものように皮肉屋のロシア大統領が『通貨作戦の無理』と皮肉ったことで逆撫でした。それに応じて総理は行方不明の対消滅弾頭の管理責任を指摘し、他の国家首脳たちはその事実を知らされて動揺した。
 だが、その話題はなんと日本の情報機関がまだ追跡中の現在進行形の事項だった。激怒にまかせてそれを総理が口走ったことでさらに会議は紛糾し、官邸補佐官はそれがさらに最悪の事態になる前に休憩時間を宣言するしかなかった。

 こうして、国際社会は不信と疑念で完全に分断されてしまった。
 それは、フェデレーションの、そしてアメイジンの空母1隻の中破と引き換えにしては、あまりにも高い代償だった。

 しかも、建部警部と内閣調査庁鳴門調査官の下に、レポートが届けられようとしていた。それは行方不明の対消滅弾頭のことであった。
 対消滅弾頭は常に特定のスペクトルの微粒子を放射してしまう。それをなんと、富士山頂の天文観測所が検出してしまったのだ。
 位置を推定しようと他の観測所の結果と突き合わせ始めたのだが、その作業はまだ進んでいなかった。
 ただ確実なのは、紛失した対消滅弾頭は連合艦隊の所管するゴビ砂漠からハワイに至る西太平洋全域のどこかに存在すると言うことだった。
 核兵器と桁の違う破壊力を持つこの大量破壊兵器の行方不明に対応するため、日本を初めその区域の都市では移動式の防御シールド展開装置が配備されることになった。
 それでも全都市の全区域を防御することはできない。対消滅弾頭の行方を特定しなければならないことは変わりない。

 事態はますます悪化の一途をたどっていた。

 そんななか、ただひとつ、いい事があった。

「あ、シファ! 胸のクリスタル!」
 香椎が気付いた。
 主整備室の休憩コーナーで紅茶を飲んでいたシファの胸元のクリスタルが、黄色に光っていた状態から、もとの緑色の輝きにもどったのだ。
「セーフモードの解除成功だ。これでシファは、その全能力を、ここから全て使える」
 沖島が腕を組んで頷いている。
「結構往生したぜ。時空潮汐機関保安院も説得しなくちゃいけなかったし。でもこれでシファが戦列に復帰できる」
「それにしても、ものすごく状況が悪いわ」
 戸那実が顔をくもらせる。
 だが、シファは言った。
「あら? これまで、状況がよかったことなんて、歴史上あったかしら?」
 微笑むシファに、戸那実は言った。
「シファ、あなたは強いわね」
 この事態にすっかりやつれた戸那実に、シファは笑って、首をかしげて言った。
「だって、私、戦艦ですもの」

〈つづく〉
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登場人物紹介

シファ(シファリアス)

 BBN-X、時空潮汐力特等突破戦闘艦シファリアス級の1番艦、ネームシップ。最新鋭の心を持つ女性サイズ女性型戦略型宇宙戦艦。第2次近代化改装を受けて搭載する武装や機器とシステムプログラム・ウイングナイトシステムがアップデート、大幅に刷新された。

 大学時代から内閣調査庁調査官・鳴門と恋仲にある。新淡路大学卒業後幹部教育隊を経て、独力で行動可能な戦艦である自身を指揮の執れる1佐格を持っている。しかし搭載する行動支援システムZIOTの支援がなければ自転車にすら乗れないほどの運動音痴。「ウイングナイト」「クールな守護天使」のはずがいつのまにかポンコツ戦艦呼ばわりされるに至っている。

ミスフィ(ミスフィオス)

 シファ級の2番艦、姉妹艦で妹に当たる。女性形女性サイズ戦艦。BBN-Xになるための近代化改装をまだ受けていないためにBN-Xと呼ばれる。艦番号73。

防衛大学校卒業、幹部教育隊を経て第99任務群配属後に香椎2尉と恋仲となるが、どういう恋愛をしているかは不明。というかレースクイーンの刑ってなんだ? そういうところが周りからは怖がられている。

 通常の言葉を話すのが嫌いなのでいつも同意と否定の電子音とメッセンジャーの文字で会話する。失声症に近いかも知れない。だが戦艦としての武装の他に、超音波域の波長の叫び声でさまざまなセンサーを麻痺させる音響麻酔能力を持っている。耳もシファと違いエルフ耳のような形状になっている。

 他にもいろいろとミステリアスな要素を持っているが、その実、姉であるシファを強く敬愛している。

戸那実3佐

 シファとミスフィの所属する第99任務群の指揮幕僚。司令の宮山空将補を支え、シファとミスフィの作戦を立案・支援する。

 防衛大学校首席卒業の才媛なのだがいろいろと素行不良なことがあって(とくに整理整頓が苦手。それでもいっっぱんじんに比べればきちんとしているのだが)、それで指揮幕僚課程を進んでいても出世の目はないと思われていたところを宮山司令にスカウトされて現在の配置にいる。以前は重巡洋艦〈みくま〉に乗り組んでいたがそのあとずっとこの99任務群に所属している。

 視力が弱点で眼鏡着用なのだが、コンタクトレンズや視力アシストを使っている時も多い。

香椎2尉

 陸戦のエキスパートだが現在第99任務群に所属、〈ちよだ〉にセキュリティ担当として乗り組んでいる。そのままでは練度がなまるので連合艦隊司令長官附で陸戦用新装備の試験の仕事もしている。いつもパワードスーツ搭乗用の迷彩レオタードでうろうろしていたり、異常なほどの大食らいだったり、なかでも豪華プリン好きであきれられているのだが、それでも敬愛されているのは彼女が苛烈なUNOMA(中央アジア暫定統治機構)の武装警察軍の任務の中、最大の窮地から多くの部下をその名指揮によって救い出した英雄であることと、とぼけながらも聡明なところを垣間見せるギャップによるのかもしれない。

 ミスフィの恋人でもあるが、ミスフィとどういう恋愛をしているかはほかのみんなは怖くて聞けない。

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