第20話

文字数 2,774文字


 その翌日、俺たちはまずニーナの家へ訪れた。ケグとフリックには基地で留守番を頼んでおいた。フリックはあちこちを動き回るのが得意なタイプではないし、今のケグとスチューを一緒にさせるのも良くない。仮にも俺たちはニーナのライバルなわけで、一度彼らと別れてでもその状態は確認するべきだと思った。
 しかし、ピンクが顔を出してインターホンを押しても、ニーナは出てきてくれなかった。代わりにスピーカーから聞こえたのは、キートンと名乗る彼女専属の執事の声。彼女は誰とも会う気はなく、今はピアノの練習すら行っていないらしい。
このとき一番に不安を露わにしていたのはやはりピンクだった。いがみ合っているとしても旧友同士であることに変わりはない。俺は彼女を気遣って言った。
「基地で休んでてもいいよ?」
 しかし彼女は首を横に振る。
「私たちが解決しなきゃ。じゃないとあなたも退学なんだから」
 学長が言ったあの言葉。その効力は確かに今も残り続けている。
そうして次に訪れた場所。スチューに突き止めてもらったその小さな寮は、この山の麓にある。通うのすら億劫になりそうなその長い道のりをだらだらと歩くわけにもいかない。俺は大学の方から緊急時以外の飛行はなるべく控えるように言われているけれど、今回は緊急という言葉を行使しても良い場面だと思った。
二人を背中に乗せて飛ぶことに苦はなかった。辿り着いた寮は見るからにぼろい。大学に申請を出せばもっと良い環境に住むことは可能だろう。様々な不便を承知でこの場所に住み続けるからには、やはり何か勘ぐってしまう。
スプライト・リブ。現在三年生、器楽科出身のクラリネット奏者。まさに捨てられた推薦書の束の中にいた一人だ。ミューボウルの情報屋と呼ばれる彼は、その体をローブでひた隠しにしている。全長は一メートル程度、ライブ等のイベントは通った二年半の間で一度も出演しておらず、成績は教授や講師を前にして行われる技能テストですべて賄われている。その正体について言及する者は大学側を含めて一人もいない。その種族にはその種族の生き方があり、姿を隠さなければならない理由もある。故に彼がどうしてローブに身を包み頑なにその不便な寮に引きこもり続けるのか、俺たちが知る由もない。
 その寮はたった六部屋しかないけれど、入居者はそのスプライトのみでもっと少ない。二階建てのコンクリートの建物の一階、入り口の階段から一番遠い、正面から建物と向かい合って左側の部屋に彼はいる。俺たちが寮の目の前に立ったとき、彼の吹くクラリネットの音色は既に聞こえてきていた。
「良い音色だね」
 俺は二人の状態を確認するついでに言った。ピンクが怪しむ顔を寮に向ける中、スチューは片ヒレに自身のノートパソコンを抱えながら答える。
「でも、さすがにちょっと陰気臭くねえか?」
「彼が怪しいってのは確かなんだよね?」
「ああ。インサイドのメンバーじゃなかったとしても、情報を握ってる可能性はかなり高い。俺が調べたんだから間違いない」
 スプライトはインサイドの被害者でありながら、本人たちと何かしらの繋がりがある。スチューはそういう可能性を既に掴んでいるらしかった。
「君が調べられない情報を知ってるなんて、そんなことあるの?」
「インサイドは外部からじゃ、一メガバイト以下のウェブサイトと一個のメールアドレスしか情報が掴めない。俺はミューボウルに通ってまだ半年だ。内部の情報を得るには、こいつに会う方が尚都合が良い」
 俺は納得した。そこまで言うのなら本当に間違いはないのだろう。
 入口の階段の幅は狭く、俺が通るには翼をきつく畳む必要があった。時折後ろの二人を確認しながら、俺は慎重に歩を進める。ただ尋ねるだけなら堂々としていた方がむしろ誠実に見えたかもしれないけれど、この場所の雰囲気はどうにも俺たちの警戒心を刺激する。
 俺たちはクラリネットの音色が聞こえてくるそのドアの前に辿り着いた。奏でている旋律はどれも聴いたことのないものだ。俺は右前脚を上げ、備え付けのインターホンを見やる。
「押すよ?」
 俺が言うと、二人はうなずいてくれる。
 鐘の音が鳴ると同時に、流れていた演奏は止まった。緊張感と共にしばしの静寂が俺たちを包む。中の彼が出てくるようすはない。
「もう、入っちまおうぜ」
 スチューは痺れを切らして言うと、俺を押しのけ背伸びをしてドアノブを回した。
「ちょっと! 良くないよ、そんなこと!」俺は小声で叫ぶ。
「何かあったらお前の筋肉が頼りだぜ。頼んだぞ」
 彼もまた小声で言うが、その歩みを止める気はないようだ。期待されているようで嬉しくもあったけれど、果たしてこんなにずけずけと他人の家に踏み込んでいいものなのか。俺は胸のペンダントを握りしめ、不安を覚えながらも先導するスチューに付いていった。ピンクは俺の後ろで翼の先を握りしめている。彼女も感じる不安は同じなのだろう。いざというときは本当に俺が守ってあげなければならない。
 入った直後に感じた埃っぽさ。息を吸うと鼻がムズムズする。部屋は中にいくつかあるようで思ったよりも広かった。しかし廊下を含め、電気は一つも点いていない。俺は不意に故郷を思い出したが、今は目の前のことに集中しなければならないと自分に言い聞かせ、その廊下を歩く。
歩を進める度に床はぎしぎしと音を立てる。左右にいくつか扉がある中でも迷わずに済んだのは、そのどれもが半開きで中を覗かせていたから。部屋を半分以上埋め尽くすゴミの山。破れた襖や割れたプラスチックケース、袋の塊等ゴミの種類は部屋ごとに違ったが、生活できそうなスペースはどこにもない。そして唯一彼の気配を感じたのが、廊下の突き当たりにある閉じた扉のその向こう。
もう少しでそこまで辿り着きそうというところで、声が聞こえた。
「誰?」
 音程の高いその声。俺たちの足は全員同時に止まった。彼の声は怯えているようにも聞こえる。知らない者が鍵の開いたドアを勝手に開けて入ってきたのだから、警戒するのは当たり前だ。これで彼がインサイドと関わりがなかったとしたら、異常者はどちらだろう。
「ビビんなよ。俺を信じろって」
 スチューは小声でそう言う。スプライトの怪しさはここまでのことをするに値する自負があるのだ。皆を率いる立場としても彼を信じるのが正解だと思い、俺は言った。
「スプライト・リブさん?」
 返答を待っていると、扉の向こうの彼は答える。
「誰なの?」
「ロック科のリュウ・ダラゴン。同じミューボウル生だよ。突然お邪魔して、こんなのっておかしよね。でも、ちょっと話せないかな? 乱暴はしないから」
 またしばしの間が空いて、彼は答える。
「……別に良いけど……」
 それを聞くと、スチューは遠慮を見せずに足音をぺちぺちと鳴らし、彼のいる部屋の扉を開けた。
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