第43話

文字数 2,662文字


 ミニィクは宣言通り俺の仲間たちを吸収して回ったが、彼らの特別な個性を完全に消化することはできなかった。俺のペンダントを吸収したことで学生としてミューボウルに紛れていたミニィクの分身たちはすべて消え、同時に神隠しの洞窟も消えてしまった。まるで初めからそこに何もなかったかのように。
 俺の翼の傷は治癒が遅く、未だ完治していない。しかし、ミニィクの体液が毒として俺の体に流れ込んできたとき、俺は彼の心の深くにある寂しさを共に感じた。それは怪我をした唯一のメリットだったように思う。俺の過去も相まって共感を覚えながら、彼に最後言葉を掛けることができたから。
 ミニィクの体はワシのヒナたった一つになってしまって、彼の中にどういう葛藤があったかは今や知ることはできない。しかし、ケグは言う。
「こいつはきっと救われたと思う。これからは俺が面倒を見て、俺が一から音楽を教えていく。今度は絶対、さびしい思いをさせない」
 俺は何も言わずに笑いかけた。彼らならきっとやっていける。もしミニィクが暴走してしまうことがあれば、また俺たちが助けてやれば良い。そういう関係があるだけで、人生の輝きはきっと何倍にも増す。
 学長はこれから事務処理やメディアへの対応に追われるらしい。何か手伝えることはないかと打診したが、音大生の本分は練習だと言われて断られてしまった。あの日夢を託してくれたことも含め、彼にも大きな恩ができてしまった。これから少しずつ返していければ良いけれど、その学生想いの姿を見ていると骨が折れそうだ。
 もうすぐ大学の秋休みも明ける。俺たちはそれまでの間、みんなでニーナの家に泊まった。当然ミニィクも一緒だ。彼女の執事であるキートンは子供の扱いについても詳しいようで、ケグは餌のやり方やおむつの替え方を何度も教わっていた。スチューはケグの慌てるようすを見て馬鹿にし、ケグも毎回そのからかいに怒ったけれど、今やその光景すら微笑ましい。あの基地ですら見られなかった、新しい仲間も加わった新しい景色。
 きっとシルビアにも自慢できる。
「みんな、出たぞ!」
 朝の練習を終えてダイニングで休んでいる最中、スチューは叫んだ。彼はみんなで食卓を囲むときに使う高級な長机に座り、パソコンを操作している。近くのソファでスマホを見てだらけていたピンクが言う。
「出たって何が?」
「総合成績、更新されてる!」
 その言葉で、俺の耳は縦に立った。翼と脚のストレッチの支えとして使っていた火の付いていない暖炉の傍を離れ、すぐに彼の下へと駆け寄る。同じ部屋でそれぞれくつろいでいた仲間たちも一斉にパソコンの前に集まった。そこには何だか落ち着かないようすのニーナの姿もある。彼女は自身の成績を稼ぐことなくバロック祭を終えてしまった。心配になるのは当然だ。
 画面に映し出される、成績の上位百人が並べられたその表。スチューが百位から順に画面をスクロールしていく最中、ピンクはパソコンの画面の一部分を指さしながら言った。
「あっ! 見てここ!」
 そうして俺たちはその名前を見つけた。いつの間にかぼーっとした顔で静かに佇んでいた、最高のドラマーである彼の名を。
「フリック・サテライト、六十六位……」
 フリックがブライダーに。その事実は確かに画面上に刻まれている。
 俺たちと同じ画面を見つめるフリックは未だ無表情だ。あの権威あるブライダーのリストに華々しく名を連ねているというのに。
「やっぱすげーなーお前! 天才ドラマーだぜ、ほんと!」
 スチューは椅子から飛び降り、フリックの頭をヒレでぐりぐりと撫でる。その最中、俺は彼の無表情に喜びを感じた。長く付き合っていなければ感じ取ることのできないような機微が彼の顔にはある。甲羅の内に秘めていた感情が、とうとう滲み出てきたかのような。
 仲間の中で新しくブライダーになった者は彼以外にいない。過去に交わしたピンクとニーナの対決はある意味決着がついたと言えるけれど、そんなことは最早本人たちすら気にしていない。とにかく俺が気になったのは、その表の頂点に刻まれているその名前。パソコンから離れたスチューの代わりに俺がマウスを握り、画面を上へスクロールする。彼女の名前は……。
 あった。俺は何度かその文字列を見て、間違いがないかを確認する。やはりニーナの成績は落ちていない。彼女は未だブライダー一位で、ミューボウルが誇る世界一の音大生のままだ。
「なんか、ホッとしてる?」
 ニーナは手を後ろに組み、俺の顔を覗き込みながら言う。俺はマウスを握っていた前脚を床に落とす。
「君が落ちなくて良かった」
「馬鹿ね。この程度で落ちるわけないっての。リアルな話、あなた達の演奏が他の学生たちの成績を吸ってくれたのかなって思ってる。感謝してるよ」
「お礼を言わなきゃいけないのは、俺たちの方だよ」
 彼女がいなければあのライブは成立しなかった。ピンク、スチュー、フリック、ケグ、ニーナ、更には俺たちを手助けしてくれたキートンやバージン学長まで……彼らの手助けがあったからこそ、ミニィクは一つになった。彼らがいたからこそ、俺は俺でいられた。
 そうして時は移り変わり……秋休みの明ける一日前、俺はニーナの家の白い門を潜る前に、彼女から新しいギターを受け取った。前のギターを壊してしまったことに関しては事情を汲んでくれて、彼女からも特に言及はなかった。仲間は燃えてしまった楽器たちの代わりに、一時的に地下室から借りたそれらを持って彼女の家を発つ準備をしている。フリックの甲羅の上にロープで止められたドラムセットはまるで一つの建築物のようだ。
「本当、今までありがとう」
 俺は受け取ったギターを首に掛けながらニーナに言う。彼女はいつもの軽装で、片足に体重をかけて腕を組み、俺を見つめている。
「基地はもう大丈夫なの?」
「うん。学長が気遣ってくれてさ。本棟の空き部屋、貸してくれたから」
「別にずっといてくれても良いのに」
「また遊びに来るよ。今度、みんなでライブでもしよう」
 俺たちが会話をしていたところに、ピンクは俺たちがこれから通る道に先走りして口を挟む。
「ほら、うつつ抜かしてないで! さっさと行くよ」
 みんなそれぞれの荷物を背負い、ケグもミニィクをリュックサック式のベビーキャリアに背負って、あとは俺がそこに加わるだけだ。俺はみんなの方から、ニーナに振り返って言う。
「それじゃあ、また」
「待ちなさいよ。まだサプライズが残ってるんだから」
 ニーナはそう言って、俺たち全員を引き止める。
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