第33話

文字数 1,570文字


 暗い小屋の中で俺は目が覚める。起きた直後、俺はどうしてこの場所で寝ていたのかわからなかった。しかしすぐに思い出す。あの雪山を出た頃にはもう夜は更けていて、俺たちはミューボウルへは帰らずに通りがかった街の空き家を借りてすぐ眠りについた。大学敷地内は夜中、特別な許可がない限り出入り禁止になっているし、今のケグに無理をさせるのも良くない。小屋にはベッドもなく、俺たちは雑に敷かれた一枚のカーペットに並んで寝るしかなかったが、彼といるとそれも苦ではなかった。
 深呼吸をすると、カーペットに溜まった埃が鼻に入ってくしゃみが出た。一度目が覚めてしまってからは中々眠れない。空腹にも意識が向くし、頭はこれまでの謎を繰り返し考え続けている。
 結局、すべてはアーサーと学長によって仕組まれたことだったのだろうか。ケグという才能を貶めるための、最低最悪の策略。しかし、それでは辻褄が合わない。アーサーはどうしてわざわざケグに推薦書を送ったのだろう。考えても答えは出ない。俺たちは結局、インサイドの謎を解き明かせなかった。ケグの悪い噂は更に形をはっきりとさせ、今やミューボウル中に知れ渡ってしまった。
 ……母さんとシルビアは、今の俺を見てどう思うだろう。あの頃と違って、もう友達はたくさんいる。彼女たちとそうだったように、互いに一緒にいたいと思い合って時間を共にしている。しかし、だからこそ怖くなった。俺が二人とそうなってしまったように、俺はまた仲間を失ってしまうのではないか。母さんの翼の中のような、シルビアと踊った光の下のような、あのライブのような尊い時間。そんな時間はもう訪れないのではないか。
 寒気が俺を襲い、俺は目を強く瞑った。できればこのまま眠ってしまいたいけれど、きっと無理だろう。体力が尽きるか、朝が来るのを待つしかないのかもしれない。こうなったら隣で寝息を立てているケグを起こしてしまおうか。彼だって同じ寂しさを感じているはず。そうやって共に寂しい夜を越えられれば、お互いに良いことばかりなはずだ。

「良いでしょ、プール」

――一瞬、俺はそれを母さんの声と錯覚したけれど、違う。記憶に語り掛けてくるその声は妙に気丈で、どこか寂しさを含んでいる。

「でもね、毎日泳いでると飽きるんだ。誰かと一緒に過ごせてたら、また違った気持ちだったのかも」

 あの夜、プールサイドで見たニーナの横顔。完全無欠と思い込んでいた俺のイメージとは裏腹に、そのときの彼女は弱く見えた。彼女も内側をずっと隠して生きてきたのかもしれない。
彼女もきっと、同じ寂しさを感じている。完全無欠に思えたニーナ・ウエストでも、心のどこかでつながりを求めている。だからこそ俺は彼女に惹かれたのかもしれない。俺たちは同じ生き物同士何も変わらなくて、彼女がどう思ったかはわからないけれど、彼女も俺たちも、きっとその底は一緒なんだ。
 そう思うと、不思議と勇気が湧いた。感じていた恐怖を取り払うように胸の中に熱が宿って、視界は晴れやかになる。ずっと響いていた悪い思考の声も、いつの間にか聞こえなくなった。俺は胸の前でこぶしを握り締める。そうして起き上がり、隣のケグに向かって言う。
「ケグ」
「んあ?」
 俺が体を揺すって名前を呼ぶと、彼はすぐに目を覚ました。眠気眼を黒い羽で擦りながら、頭も冴えていないようすで彼は言う。
「どうした?」
「今、できることをする」
 彼はその言葉を特に詮索はしなかった。悟ったような顔をしてすぐに身支度を始める。
 俺は自分の両手の爪を見る。日々の手入れを怠っていなかったおかげで、こんな緊急事態でもまだ張りツヤは保てている。どれも先は尖り、誰かを守るには適している。もしものときは、俺が彼を守ってあげなければ。
 体の強いドラゴンは、生まれたときからそういう役割なんだ。
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