第13話

文字数 4,247文字


 第一部は終わりを告げる。声楽科の学生のつんざくようなハイトーンが残響を残すと共に、観客から拍手が沸き起こる。
「ブラボー! 良かったぞ!」
 スチューは思った以上に盛り上がり、もはや歓声の一部になっている。ある意味それで俺の緊張は解け始めていたけれど、ピンクのそれは未だわかりやすい。何度も深呼吸をして逸る気持ちを抑えられるよう努めているのが伺える。
ステージ上の幕が降り始める。そうして休憩に入るためにホールの明かりが付き始めたタイミングで、俺はみんなに言った。
「いくよ」
 みんなは俺の号令に従い、席を立ち上がる。スチューは拍手をしていて時間が掛かりフリックの動作はスローモーションだったが、概ね問題はない。事前に指示してあった作業を彼らに任せ、俺はあの紙束を片手に握りつつ、ステージ上へと飛び立つ。幕の閉まり切ったそこへ着き、俺は観客全体に呼び掛ける。
「ちょっと待って!」
 ざわつきを取り戻していたホールは、俺の声で静まり返る。出口を潜ろうとしていた観客すらも足を止めてステージ上に振り向いている。心臓が高鳴ったが、きっと問題はない。ペンダントを握れば緊張は抑えられるし、すべては予定通りに進んでいる。
「えーっと、ごめんね。ちょっと話してもいい?」
 俺の手元にはマイクもない。できる限りホールの後ろ側まで声が届くよう後ろ脚と尻尾で立ち、腹に力を込める。
「いやぁ、本当すごいパフォーマンスだったよね。さすがは世界一の音大生って感じで。まぁ、俺もその内の一人なわけだけど」
 ステージ上というのは本当に色々な顔が見える。大抵は獣人種の目だけれど、その色はどれを取っても違う。変な奴が出てきたぞと疑心を向ける目、面白いことが始まりそうだと期待を寄せる目、周りの風景なんか一切入らないみたいにホールを去っていく目。
俺は深呼吸をし、真実を話し始める。
「そんなことより、考えたことある? この世界一の大学で、実はとんでもない陰謀が渦巻いてるって」
 俺は既に手元にあったあの紙束を観客に見せつける。
「この紙、何かわかる?」
 答える者は誰もいない。俺は言葉を続ける。
「世界各国の有名楽団から送られてきた推薦書。ミューボウルの学生を見た楽団員が実際に彼らにあてた、正真正銘の招待状だよ。どうしてこんなにくしゃくしゃかって? そりゃあ、捨てられてたからね。しかも人通りの少ない、本棟十階のトイレのゴミ箱に」
 ホールを出て行こうとしていた者も、その言葉で何人か足を止めてステージに目を向けてくれている。俺は更に言う。
「どうしてこんな大切なものがゴミ箱にあったかって? ……それは、是非とも彼に訊いてみてほしい」
 俺は全席の後ろ側にあるホールの出入り口を指す。見計らったように扉は開き、その声は聞こえた。
「頼む、放してくれ! あと十分で本番なんだって……」
 二人のデビルに抱えられたケグ。かなり大きな叫び声だったこともあって、観客の視線は一気に彼へと集まった。ケグはホール内の異様な雰囲気に気付き、辺りを見回す。そうしてステージ上の俺を見つけると、疑心を表しながら言った。
「お前、何でここに……」
「また会ったね。彼はケグ。見ての通りカラスだ。彼がこの推薦書をくしゃくしゃにして捨てた張本人なわけだけど、誤解しないで! 何てったって彼自身も、かの有名なブラックミールスから候補生の勧誘を受けてたんだから!」
 俺は手元の紙の中からケグの名前が書いてある一枚を選び出し、頭の上に掲げて観客に見せつける。その下部にはブラックミールスのリーダーであるアーサー―氏のサインが達筆に書かれている。
ブラックミールス。黒のライオン五匹にロックを交えた彼らは大成したメジャーアーティストでありながらも、常に革新を求めている。彼ほどの実力があればその候補生に選ばれたというのも頷けるが、なぜ彼自身がその推薦書を処分したのか。
その謎を解くため、スチューは自身のノートパソコンをステージ上まで運んできてくれる。俺はそれを受け取り、開いた画面をみんなに見せつける。
「これを見て。俺の仲間が調べてくれたデータによると、大学の売上とブライダーの有名楽団への就職率が学長就任時から相関して上がってる。普通なら良いことかもしれない。でも逆に、ブライダー以外の割合を見てみると、グラフはずっと下がり続けてる。どうしてかって? それは、こういう実情があるからだよ! ブライダーの威厳が保たれればミューボウルへの進学率は増えて、その売り上げは更に上がる。つまり、ケグは嵌められたんだ。紛れもないあのバージン学長によって!」
 ホール内のざわつきは増し始めていた。みんな疑心暗鬼になっている。
ケグは他の者とは違う、不安と怒りに満ちた目で言う。
「お前、どういうつもりだ?」
 俺はそれに答えるよりも先に、観客に向けて言う。
「みんなおかしいって思ったことはないの? 毎日講師に媚び売ってさ。それがみんなの本当にやりたかったこと? それにブライダーじゃないからって誰かを感動させられないなんて、そんなのありえない。みんなに個性と可能性があっていいはずなんだ。俺は学長がそれを潰してるのが許せない」
 そのとき、観客席の方から僅かな賛成の声が聞こえた。誰が言ったかまではわからなかったが、やはり同士はいる。世界一の音大に通う学生が音楽を嫌いであるはずがない。音楽への努力がそのまま評価に繋がらないなんて間違っている。
「証拠は推薦書だけじゃない。俺の言いたいことは全部、彼の歌声が知ってる」
 促された観客の視線にケグは戸惑う。その顔が希望に変わってくれると信じて、俺は続ける。
「彼はこの後、シンガーズドリームスっていうチームでバスを務める予定だった。シンガーのドリーム? 笑っちゃうよね。音域だって合ってないし、彼は合唱じゃいつも歌いづらそうにしてる。まるで誰かが意図的に彼の本当の歌声を隠してるみたいに。のど斬りなんて噂も、きっと彼を貶めるために意図的に作られたんだよ。全部学長の仕業なんだ。じゃなきゃ彼が自分自身で推薦書を捨てるはずがない」
「これ以上、学長を悪く言うのはやめろ」
 ケグは拘束されていたデビルの腕を抜けて言った。数ある席の背もたれの一つに止まり、その席の持ち主に全然構うようすもなく、彼は続ける。
「俺は今の状況に満足してる。俺の居場所を破壊するなんてこと、許さないぞ」
「それが本音? ブラックミールスの候補生なんて、君にとっては取るに足らない居場所ってこと?」
 沈黙が流れる。彼は溜め息のような深呼吸をしてから言う。
「そうだ。推薦書に名前のある奴らも、全員が望んで紙の処分を申し出てる」
「紙の処分を望んでるのはバージン学長だろ?」
 俺たちが会話を進める間に、ステージの準備は整い始めていた。幕の閉じた狭いスペースに次々と並べられていく楽器たち。事前に依頼をし観客席の中に潜んでいた数人のミニデビルたちがその仕事をこなしてくれている。仲間たちも楽器の傍に付き、各自セッティングを始めてくれている。ピンクが持つ市販のシールがたくさん貼られたベースギター、スチューのキーボードに、フリックの体重を支えられるだけの巨大なドラムセット。そしてアンプにブルートゥース接続が可能な象の牙ほどの俺のエレキギターも。
時間は残されていない。既に幕の後ろからは声楽科の学生がこの事態を見て騒いでいる声が聞こえてくる。ケグさえ振り向いてくれれば俺たちのサウンドは完成する。俺は更に言う。
「ケグ、お前の本心を教えてくれ。本当にこのままで良いと思ってるのか? 学長に認められた音楽だけが正しいって? こんなのが世界一の大学のあるべき姿かよ? お前は間違いなくすごい奴なんだ。ただの数字なんかじゃ絶対測れっこない」
「そんなこと、お前にわかるはずがない」
 ケグははっきりと言いながらも、その声には迷いが見える。ここで彼が本気で歌えば、恐らく彼を取り巻く環境はすべて変わり果てる。生まれる不安は俺たちが受け止めてあげなければならない。俺は彼に手を伸ばして言った。
「みんなにお前の本当の歌声を知ってもらうチャンスなんだよ。ブラックミールスのエブリデイ・トゥ・シング。歌えるだろ?」
 ケグの隣にいた赤いデビルが、彼に一本のマイクを渡してくれる。仕事を終えたデビルたちは何も言うことなく、颯爽とホールを出て行く。彼はそのマイクを見つめた後、俺たちに目を向ける。その視線に応えるように俺は自分のエレキギターを背負い、太い指で弦を強く弾いた。
エブリデイ・トゥ・シングの始まりを告げる最初の一音。その歪んだ音がホールに響き渡ると、観客席から僅かに歓声が上がった。音楽さえあれば世界一の音大生に御託は入らない。みんなこの状況を楽しんでくれている。不信を示すいくつかの表情もきっとすぐに変わる。彼が本当の歌声さえ見せてくれれば。
 ピンクが俺に続いてベースの弦を弾く。ペダルを踏んでバランスを整えながら俺のエレキに音を重ねてくる。次にフリックのドラムが鳴る。彼の太い後ろ脚で打つ力強い正確なバスドラムにハイハットの刻みが加わり、ホール全体を彼特有のグルーヴに包み込んでくれる。スチューがヒレで鍵盤をなぞり出した頃には、俺たちのサウンドはもうほとんどできあがっていた。
 この四人で積み重ねてきた練習は無駄ではなかった。ケグの持つマイクがそのくちばしに近付く。俺の中に高揚感が湧き上がる。この曲のイントロを聴いて歌唱欲を刺激されない者はいないし、彼ほどのシンガーなら尚更だ。熱量で言えばブラックミールスのアーサーにだって引けを取らない。そういう規格外な歌声に俺は魅了されたのだ。
 ケグの喉が下がる。ようやくだ。その歌声はホールを突き抜け大学中に響き渡って、この世界を魅了してくれる――

「帰れ!!」
――凄まじい声量。ホール中の音と共に俺たちの演奏は完全に掻き消された。ハウリングがこの場にあるすべての耳をつんざく。どれだけ深く耳を畳んでも頭の痛みが軽減されることはない。
 残響も消え去った静寂の中、鋭いケグの眼光が俺たちを気まずくさせる。観客すらも戸惑いの色を見せる中、気付いた。俺たちはすぐにでもこのホールを出なければならない。
バージン学長はすぐにでもこの騒ぎを聞きつけるだろう。俺たちはできる限りの楽器と演奏機器を持ち、このホールを出る。ケグの険しい表情を横切る最中、彼は一度も俺たちの方を振り向いてはくれなかった。
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