第15話

文字数 2,578文字


「夢を追う若者には、美しさと儚さがある」
 その低い声は響く。ケグは悠々と歩いてきたその男を見て呟く。
「バージン学長……」
 学長はケグの出てきたスタッフ専用出入り口から、その威厳を醸し出すかのようにコツコツと革靴の音を鳴らして近付いてくる。その顔は冷静で俺たちへの怒りはないように見えるが、本心はわからない。
彼は言う。
「しかし現実は、その儚さを演出できる者などほんの一握りだ。ましてや他人の大事な舞台を汚すような輩にそれが出せるはずもない。俺の言っている意味がわかるか? リュウ・ダラゴン」
 俺に向く凛とした視線を見て、ぎくりとする。やはりその声は俺への怒りを含んでいる。しかしここで怯んでいては正義は成り立たない。俺は楽器類と共にまとめてあったくしゃくしゃの推薦書の束を俺はもう一度手に取り、得意気に胸を張って彼の威厳に負けないように言う。
「やあやあ学長、お世話になってます。いつもならぺこぺこ頭を下げて謝るところですけどね、今回はそうはいきませんよ。何てったってほら、事件の証人が今まさにここにいる!」
 俺は両腕を振り、彼の視線をケグへと誘導する。彼は戸惑っているようだった。まさかあの学長が悪さをするなんて誰も思っていなかったのだから、そうなるのも無理はない。
「あなたが指示したんでしょう? ブライダーの価値を落とさないために、彼を利用して多くのミューボウル生の夢を断った!」
「おい、もうやめろって……」
 ケグは俺の言葉を止めようとしてくる。事件解決はもう目の前だというのに、何をそんなに弱気になっているのだろう。
「ブラックミールスなんて誰もが憧れる天才集団だぞ? お前ほどの奴が誘いを断る理由がどこにある? ケグは学長に脅されたんだ。内容はわからないけど、そうだな。推薦書を捨てないと君を退学させて、ユニコーンの魔法で孫の代まで呪いにかけるとか?」
「どうなんだ? ケグくん」
 学長はケグを見ながら言う。彼は何を言うべきか悩んでいるようだったが、やがて溜め息を着きながら言った。
「学長はまったく関係ないよ」
「え?」
耳を疑った。てっきり感謝の言葉が出てくるかと思っていたのに。
彼は続ける。
「学長は俺が入学するとき、経済的な援助をしてくれたんだ。だからこれ以上無礼な真似はよしてくれ」
「え……っと、違うよね? 学長はお金がたくさん欲しくて、ブライダーの威厳を保つために君を利用せざるを得なかったんでしょ?」
「だから、違うって。俺は別の奴から支持を受けたんだ。……『インサイド』っていう謎の団体から。それに考えてもみろよ。金が必要ならそもそも他人に経済援助なんかするはずないだろ?」
「た、確かに」
 つまりは、俺の早とちり?
 そんなはずはないと自分に言い聞かせたかったが、ケグの真剣な目つきに冗談は見当たらない。学長の顔に焦っているところなんて一つもない。この状況で的外れなのは明らかに俺だ。
 スチューはからかうように横やりを入れてくる。
「あーあ、やっちまったな。完全に学長逮捕でヒーローの流れだったのに。もう後には戻れないぞ~」
 そうだ。もし学長が犯人でないのなら、俺はただ彼の顔と大学に泥を塗っただけだ。どれだけ言い訳しても事実は変わらない。ケグの噂や神隠しの洞窟と同じように、俺の暴露は噂となってあっという間に学内に広まってしまう。
 学長はゆっくりと歩みを進め、俺のすぐ目の前へと立つ。ユニコーンに睨まれたトカゲ。俺の心理はまさにそんな感じだった。
「あの……カフェでも行きます? 好きなコーヒー、奢りますよ」
 そんな抵抗がもはや通用するはずもない。
彼は釈然と言い放つ。
「君は退学だ」
 俺の中で、何かが崩れる音がした。

「――とはいえ、私は君の発言すべてを否定できるわけではない」
 何倍にも感じられた数秒の後、学長は言った。俺の真っ白になった視界は、その言葉で徐々に正常を取り戻す。彼はその白銀のたてがみを揺らしながら言う。
「ブライダーの威厳は保たれなければならない。彼らの素行はミューボウル全学生の進路に関わるものだ。だからこそ皆がこぞってアザミの花を求める。争いは新たな芸術が生まれる手助けをしてくれる。推薦書を無視しブライダーのみが輝いた道に進めるというのなら、それもまた良いだろう」
 どこか他人を惹きつけるような凄みで、彼は続ける。それらの言葉は俺が事前に予測できたものではまったくなかった。
「しかし、実行はされるべきでない。若者の夢を我々大人が奪うなど、決してあってはならないことだ。行きたい場所があるのなら行けば良い。大学の売り上げなど、お前たちの夢に比べれば小銭にもならん」
 俺は完全に彼へと釘付けになっていた。彼は顎に手を当てて続ける。
「『インサイド』……。俺も神隠しの一件を追求する際に知った団体だ。多種族で構成されたこの大学に潜む犯罪集団。そいつらの正体を突き止めろ。それがお前の退学を取り消してやれる唯一の条件だ」
 彼はそう言うと、俺の持っていた数枚の推薦書をすべて奪い取った。そうして次はケグに向かって言う。
「お前もだ、ケグ。ミューボウルの名が汚れた責任はお前にもある」
「え? でも、僕は……」
 ケグへと向けられたその睨むような目。彼は尻込みし、既に何も言えなくなっていた。
「この推薦書は本人たちに返しておく。俺は声楽科の指導があるから戻るぞ。お前の練習はこの一件が片付くまでお預けだ。バロック祭までには間に合うといいな」
 学長は推薦書の一枚をケグへと渡し、本棟の方向へと歩き出した。ケグは何かを言おうとする姿勢を見せるも、言葉が形になって出てくることはない。俺は代わりに学長を引き止めるように言った。
「あなたはケグをどうしたいんですか?」
 今回の件は俺の勘違いだったのかもしれない。しかし援助を出すほどケグを信頼しているというのなら、学長は彼の本当の歌声を知っているはずだ。それなのにどうして彼を不遇な環境に置き続けるのか、気になって仕方がなかった。
 学長は俺の声で立ち止まり、振り返らずに言う。
「どうとでもなればいい。私に彼を縛る権利はない。どうなるかはすべて彼次第だ」
 学長はそのまま行ってしまった。その背を見送るケグの顔と言ったら、どれほど悲壮的だっただろう。もう生きていられないとでも言うような、少なくとも俺にはそう見えた。
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